番外編SS「ナンの話」
池照家、数年前のある日・・・。
小学生ルパートとダニエルの、今月一ヶ月の「給食予定表」を居間のちゃぶ台の上に見つ
けたオリバー。
「おい・・・」
自分のすぐ傍で鼻歌交じりに「独りトランプ」をして遊んでいた、小学校四年生の弟・ル
パートを呼び付けた中学二年のオリバー。
たった今学校から帰って来たばかりなので、まだ学ラン姿のままだ。
彼は最近、双子の弟と共に、驚異的なほどに身長を伸ばしていた。
夜、膝がキシんで、痛さで眠れない日々を過していた為、普段は穏やかが売り物な彼にし
ては、ここの所ずっと機嫌が悪い。
「ん〜?」
声変わりもまだ程遠い、子供特有の高い声で長男の呼び掛けに応えたルパート。
彼は「独り・シンケイスイジャク」をして、真剣に悩んでいた。
「3」が確かこの辺にあったはず・・・。
まるでジッと獲物を狙うかのような目で、ひっくり返ったトランプを食い入るように見つ
めているルパート・・・その有り様は、殆ど猫だ。
「明日の献立にある、この『ナン』って何だ?」
オリバーは、「カレー、ナン、ゴボウサラダ、フルーツポンチ、牛乳」の「ナン」に興味
を持った。
自分達の頃には、聞いた事も無い「未知の食べ物」だ。
「ご飯」でも「パン」でもなく、「ナン」・・・一体何なんだ?
「・・・ナンはナンだよ」
ルパートはトランプの方を見つめながら簡単に答えた。
「だから、『ナン』って何なんだって聞いてんだ!?」
オリバーは再度質問した。
「ナンは何だよ」・・・オリバーには、ルパートの答えがこのように聞こえたのだ。
「だから、ナンはナンだってば!」(「だから、ナンは何だってば!」)
「・・・・・」
弟のその言い草が気に食わない・・・・・。
オリバーはジロリと、畳に寝そべっているルパートを根目付けた。
「・・・お前、俺にケンカ売ってんのか?」
中学生のオリバーはもう変声期を向かえ、声が幾分低めになっていた。
それに、こうしている今でさえ膝が痛い・・・。
「くそっ!」
悪態を付くオリバー・・・キレるスイッチがいつもの五倍も早かった。
「ケンカ?どうして僕がオリバーにケンカ売るの?あーっっ、違った・・・チェッ!」
ルパートは目ぼしいトランプを一枚ひっくり返して、思っていた数字ではない事を知ると
ガッカリした。
「フザケた事をお前が言うからだろ?」
「僕フザケてないけど?」
ルパートはまた「3」を探し始めた。
ルパートののほほんさが、何だかいつも以上にイラッと来るオリバー。
「・・・じゃあ、もう一回聞くけど、『ナン』って何なんだよ?」
「だから、さっきから何度も言ってるでしょ!ナンはナンなの!」
ブチッ!
その瞬間、池照家の半径五十メートルに渡って、超音波を思わせる絶叫が響いた。
勿論、叫んだのはルパートだ。
「どうしたのっ!?」
二階の自分の部屋で社会の宿題を兄のトムに教わっていた、小学校三年生のダニエルは、
ビックリして階段を慌てて下りてきた。
ルパートが頭を押さえてワーワー泣いている。
「どうしたの、ルパート?」
ダニエルが心配そうに、ルパートの頭をヨシヨシした。
「ぼ・・・オリ、ナン・・・って言った、んに・・・ウエッ・・・」
ルパートの言葉はもう「言語」でなかった。
しゃくり上げて嗚咽を漏らしている。
「オリ・・・えっ・・・僕、ってない、に・・・ヒック・・・」
「オ・リ・バァ〜〜〜・・・!」
「自分を泣かせたのはコイツだ」と指差すルパートの指を追ったダニエルは、長男を睨み
付けた。
「うるせぇな・・・何泣かせてんだよ・・・」
トムも喧しそうな顔で上から降りて来た。
五年生になってからと言うモノ、何かと生意気な口を聞くようになっていたトム。
そして、鼻水を垂らして泣いているルパートの鼻を「あ〜あ」と噛んでやった。
「らしくねぇな・・・何泣かせてんだよ?」
長男に向かって呆れているトム。
「ルパートが悪いんだ」
オリバーが弁解したが、ダニエルの睨みは収まらない。
八歳も歳が離れていると言うのに、全く引かないダニエルだ。
「ルパートの事を泣かす奴は、誰であろうと許さない」と熱い信念に満ち溢れている。
「俺が『ナンって何だ』って聞いたら、コイツ、『ナンは何だ』とか抜かして・・・」
「だって・・・『ナンはナンだ』ろ?」
「お前も俺をおちょくってんのか?」
オリバーの怒りの矛先が、今度は三男トムに向けられた。
「『ナン』って食いモンがあんの!知らねぇのかよ・・・」
「何だ、そりゃ?」
「要はインドのパンだよ。カレー付けて食うの!ご飯党のオリバーじゃ知らないのも、ま
ぁ・・・当たり前か」
「何だ・・・『ナン』って言う食いモンがあるのか。お前もちゃんとそう言えばいいのに
・・・」
「ぼ、言っ・・・でも、オリ・・・うわぁぁぁぁぁ〜〜〜ん・・・」
とっくに痛みなんて消えてるはずなのに、しつこくルパートは泣いた。
オリバーとトムが耳を塞いだ。
「ルパートに謝りなよ、オリバー!」
ダニエルは許していない。
「オリバーはいっつも、悪い事したら謝れって言うだろ!オリバーはルパートをぶった!
だから謝らないとイケナイんだ!」
ダニエル如きに正論を言われ、少々悔しいオリバー・・・。
「あ〜・・・悪かったよ」
何だか威張ったような謝り方になってしまった。
「あれ?俺がこの前そうやってオリバーに謝ったら、ダメ出しされたけどなぁ〜・・・」
トムは今こそあの時の仮を返す時とばかりに長男を茶化した。
「悪かった!ご・め・ん!これでいいだろ?」
オリバーの謝り方は、今度は自棄(やけ)気味だった。
「・・・嫌だけど、しょうがないからいいよ」
「何ぃ〜!?」
ルパートの、「仕方がないから許してやる」的な許しが不服なオリバー。
手が無意識に「グリグリ攻撃」の手付きになっている。
ルパートはサッとダニエルの後ろに隠れた。
そこへ次男のジェームズが帰って来た。
「うぉーい!お土産あるぞー!」
「わーい♪」
玄関先で大声を出した「お土産をくれる優しい兄」に反応した二人の下の弟達は、すっ飛
んで次男を迎えに行った。
「ジャジャーンッ!駅前にオープンしたインドカレー屋が、『ナン』の試食プレゼント
してた!ちゃーんと五枚頂いて来たぜ!」
「わーい♪」
ルパートはケロッと機嫌を直し、ダニエルと一緒にホカホカの袋に手を突っ込んだ。
「柔らかーい!あったかーい♪」
「ありがとう、ジェームズ!いただきまーす!」
弟二人は、頬っぺたを膨らましてモリモリ食べている。
大抵「食い物」があれば、いつでも胃に「空腹」を作れる、器用な体質の池照家の弟二人だ。
「ほい、オリバー」
ジェームズがオリバーにナンをくれた・・・間延びしたような変わった形だ。
「これが『ナン』か・・・。お前、『ナン』知ってたの?」
「食いモンの事に関しては俺、情報早いんだよ」
ジェームズも、モシャモシャと温かくて柔らかいナンをバク付いている。
「・・・もう少し早く帰って来て欲しかったぜ・・・そうすりゃあ・・・」
「ん、何?」
「何でもねぇ・・・。あれ、トムは食わないのか?」
「今、腹一杯」
トムだけは、「与えられた時が食事時」の他の兄弟達とは訳が違った。
「うん・・・んまいっ!」
池照家長男・オリバー・・・人生初のナンを完食っ!
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