番外編SS「Dr.ハインリッヒ診療室」
ここは、世に言う「Dr.ハインリッヒ」の診療室。
今日はいかなる患者が訪れるのであろうか・・・?
「どうぞ〜」
診察室から軽やかな声が掛かり、待合室のダニエルが神妙な面持ちでドアをノックした。
「よろしくお願いします」
「やぁ、こんにちは、キッド。今日はどうしたのかな?」
(「キッド」とは、レオンハルトがダニエルを呼ぶ愛称。レギュラーのお話を参照してください)
レオンハルト医師はふんわりとしたマロン色の少し長めのウェーブ掛かった髪を後ろに束
ね、シミ一つ無い白衣に身を包み、優雅にジノリのカップで濃い目に入れたコーヒーを飲
みながら、オーストリアの有名なケーキ「ザッハ・トルテ」などを食べている所だ。
医師の隣に控えている少々(いや、かなり)ふくよかな体系の看護婦めぐみが、今朝方通勤
途中でデパ地下に寄って買って来たモノだ。
「別にどこが悪いって訳じゃないんだけど、オリバーが診て貰えって・・・」
「なるほど・・・ご兄弟の健康をいつも心配なさっているお兄様らしい。じゃあ、早速検
診しましょう?」
「はい」
ダニエルは神妙な面持ちでレオンハルトの方を向いている。
目は時々、この部屋に医学的な様々なモノを見つめていた。
「ちょっとシャツを捲るよ?聴診器を当てて、胸をトントンするからね?」
「はい」
レオンハルトが聴診器をダニエルのシャツの中に入れ、手で肌をトントンした。
「息を吸って・・・吐いて・・・。なるほど、ふむふむ・・・」
「・・・どう、先生?僕、どっか悪いトコありますか?」
ダニエルは心配そうに聞いた。
レオンハルト医師は眉間に皺を寄せて、何やら少し険しい顔をしている。
「・・・言いにくいんだけどね、キッド。診断の結果・・・君は間違いなく『M』だと思う」
「へ?」
「しかも、単なる『M』では無いね。ましてや『ドM』なんて可愛らしい言い方には属さ
ない。むしろ、『ドマゾ』・・・かな?」
「ド、『ドマゾ』!?何ですか、それ?」
「表面上はまだそんなに症状が表れていない所を見ると、『隠れドマゾ』だろうね。これは結
構厄介なんだ。それに、『ある特定の人物』に対して少々ホモっ気もある。こっちは放っ
て置くと、大変に危険な病気に発展すると言えるね。今のうちにケアが必要だ。薬を出し
ておくよ。お大事に」
「え、え・・・?」
慌てるダニエルの襟の所を掴んで、めぐみ看護婦がドアまで連れて行った。
「来週また経過を診るので来てくんちぇ〜」
「え、え・・・?」
「じゃ、次の人どうぞ!」
レオンハルト医師が次の患者を招き入れた。
困惑した顔でダニエルと交換で今度はルパートが部屋に入って来た。
「どうしたんだろ、ダン?顔が変だったけど?」
「多分、『顔色』と言った方がいいと思うよ?」
レオンハルト医師は爽やかな笑顔で笑い掛け、自分の目の前の椅子にルパートを促した。
「よろしく〜、レオ〜ンハルト君♪」
「今、僕はレオンハルト先生だよ、バンビちゃん?」
(「バンビちゃん」もレギュラーの方で、レオンハルトがルパートを呼ぶ呼び方。詳しくは本編参照)
「あ、そうだった。テヘッ♪」
ルパートが舌をペロッと出して、肩をヒョイと上げた。
「こんにちは、バンビちゃん。君も診察でいいのかな?」
「そうだと思うんだけど〜・・・あ、それ何?」
ルパートは早速「ザッハ・トルテ」に目を付けた。
「あ〜、これは・・・ん〜・・・」
レオンハルトはルパートに上げたくないからか、ちゃんとした答えを濁した。
「ねぇ、それ何?ねぇ、何?」
ルパートはすっかり「ソレ」に夢中だ。
「あ〜・・・これは『ザッハ・トルテ』だよ」
「『ザッハ・トルテ』って何?」
「とっても苦〜い苦いケーキだよ。まぁ、子供が食べるとちょっとした『毒』・・・と言
えるかな?死んでしまうと思うよ」
「・・・・・」
大嘘を言って曖昧に目を逸らせたレオンハルトの事を、ルパートが疑わしそうな顔で見つ
めた。
こういう時の彼は「野生の感」と言うか「第六感」と言うか・・・脳みそがタイミング良
くフル活動で起動する。
「あ〜・・・嘘だよ、食べていいよ」
「やったぁ〜い♪」
レオンハルトは「ザッハ・トルテ」を諦めた。
少しめぐみに分けて貰おうと彼女の皿を見ると・・・ぐっ。
もう無いっ!
「・・・・・」
ルパートはレオンハルトの少し食べかけのザッハ・トルテを、美味しそうにモグモグ食べ
始めた。
「じゃ・・・食べながらでいいからお腹出して」
レオンハルトは医師らしく、気持ちを前向きに笑顔で接した。
「は〜い♪」
ルパートはチョコレートでベタ付いた手で、シャツをペロンと胸の方まで捲った。
「ちょっと待ったぁ!」
「面倒臭い男」の乱入だ。
ダニエルが突如入出して来た。
「レオンハルト君っ!今、ルパートに『変な事』しようとしたでしょー!?!」
「・・・『変な事』なんかしないよ。僕は聴診器を彼に当てようとしただけだ。君にもさっき
やっただろ?安心してくれ。僕にはトム君だけだから」
トムのクシャミが廊下から聞こえた。
「・・・ホントかな〜?」
疑わしげにレオンハルトをジッと見つめるダニエル。
「ホントだよ・・・君は診察が終わったんだから待合室で待ってて・・・いいね?」
「・・・分かったよ」
「バイバ〜イ、ダン♪」
「バイバ〜イ、ルパート♪」
兄弟が暫しのお別れをした。
この二人・・・どこまでも特殊な「ラブラブ兄弟」だ。
レオンハルトが聴診器をルパートの胸に当てて、トントンしている。
「ねぇ・・・僕、どっかおかしいトコある?心臓ちゃんと動いてる?」
「心臓はちゃんと動いてるよ」
「そか・・・きゃはははははははは♪」
ルパートが今度は聴診器の当たっている部分に気ががイッてしまい、突如笑い始めた。
「少し我慢してね、バンビちゃん」
「くすぐったいよぉ〜♪きゃははははははははは♪」
「ちょっとー!レオンハルト君!」
「部外者は出てってくんちぇ〜」
またまた乱入して来ようとした「面倒な男」を、強引にドアの外に締め出すめぐみ・・・
使えるっ!
レオンハルトが廊下でまだ騒いでいるダニエルの声にウンザリしながら、暗い顔で聴診器
をルパートから離した。
「・・・ちょっと言いにくい病気が見つかっちゃったよ、バンビちゃん」
「『言いにくい病気』?凄く長い名前とか?アラビア語とか?どうしよ・・・僕アラビア
語は喋れないや・・・」
「そうじゃなくってね、君の体に『悪い所』が見つかっちゃったんだ・・・」
「え、どこ!?」
ルパートが不安そうな顔になった。
「ズバリ、君の悪い所はね・・・『頭』だ!」
「えっ?」
「君の病名は・・・ズバリ『馬鹿』です!」
「えっ!?」
「しかも気の毒な事に、単なる『馬鹿』じゃないときてる。『大馬鹿』と呼ぶべきレベル
でもない。君はズバリ・・・診断結果、脳から大量の『超・ド馬鹿っ』が検出されまし
た」
「えぇーっ!?」
ルパートがショックを受けた顔になった。
「・・・薬を出しておくからね。ちゃんと飲むように。どうぞお大事にね」
「・・・・・」
レオンハルトはカルテに、「脳内ウィルス『ド馬鹿』大量検出!今の所、他への感染率は
ゼロ」と赤ペンで綴った。
ルパートが見る見るうちに涙目になり、口を尖らせた。
「・・・ば、馬鹿って言った方が馬鹿なんだモンねーだ。レ、レオ〜ンハルト君なんか嫌い
にな、なっちゃうんだからねーだ。馬ぁ〜鹿、馬ぁ〜鹿!」
「先生の事を『馬ぁ〜鹿、馬ぁ〜鹿!』とか言うんじゃありませんよ。そんな悪いお口は
取っちゃいますよ。はい、次の人!」
ルパートは、「うわぁぁぁ〜〜〜ん!」と大泣きしながら部屋を出て行った。
「そうですよね〜?先生は馬鹿じゃ〜ないですよ〜」
めぐみは二回目の紅茶を入れている。
言葉に何か「含み」を感じたレオンハルト・・・しかし、敢えて聞こうとはしなかった。
聞かない事が平和な時もある。
「あ、めぐみさん・・・僕にも紅茶頂けます?」
「すんませ〜ん・・・これ、最後のティーバックなんですよ〜」
「・・・あ、そうですか。じゃ、結構です。はい、次の人!」
どうも先ほどから空回りばかりだった。
レオンハルトは出掛ける間際に見た朝の情報番組の「今日の運勢」で、自分が「凶」であ
った事を思い出した。
「うぇぇぇぇぇ〜〜ん・・・」
「ウゼェな・・・何泣いてる?」
ドアの所で、舌打ちする兄・トムと擦れ違ったルパート。
「僕は馬鹿じゃないも〜ん・・・」
「・・・知らないなら言ってやるけどな。お前は充分馬鹿だ」
特に「馬鹿」にアクセントを置いて喋ったトム。
早速オリバーに凸ピンを食らった。
「僕は馬鹿じゃないモン!『馬鹿』って言った方が『馬鹿』なんだモン!トムの馬鹿っ
!うぇぇ〜〜〜〜ん、オリバァ〜!!」
ルパートはもう実際には涙などとっくに出ていなかったが、泣き声だけ上げて長男に甘えた。
「お前はもう十八なんだぞ・・・って、何で口のトコにチョコが付いてる?」
「え、と・・・これは『毒』なの」
「はぁっ!?」
体裁が悪くなったルパートは、レオンハルトのセリフをここで引用した。
(こんな時ばかり「ちゃっかり」した男だ)
「・・・で?」
「え?」
トムがレオンハルトの前にドカッと座った。
物凄い目付きでガン見みている。
「・・・オカシな事したらぶっ殺すからな?」
「開口一番それですか?酷い人だ。僕は医者なので、まずは聴診器を当てさせてください」
「・・・オカシな真似すんじゃねーぞ?」
「・・・しませんよ」
トムは再三念を押した。
レオンハルトが神妙な顔でトムの健康状態を調べている。
「・・・分かりました」
大きく息を吐いたレオンハルト。
「どうだ?俺、『健康』だろ?」
有無を言わせないトム。
「えぇ・・・あなたは確かに健康です。しかしそれ以上に『素敵』です」
「はぁっ!?」
「ズバリ、あなたは『素敵』と診断されました。このまま『今』を維持してください」
「・・・・・」
「お薬は必要ないと思います」
オカシな空気が部屋に流れた。
めぐみはこっちを向いていたが、何も言わなかった。
「・・・ま、いっか。とにかく、俺は『健康』なんだな?」
「はい。正真正銘の『素敵』です。『ベスト・オブ・ステキスト』です。『キング・オブ
・ステキスト』と呼んでも過言ではありません」
「・・・何のこっちゃ」
トムは不思議そうな顔で出て行った。
「何か病気見つかったか?」
オリバーが聞いた。
「無ぇ。ってか・・・かなり変わった医者だぞ」
トムが診察室を振り返った。
「ふ〜ん」
「次の人、どうぞ〜!」
医師の呼び掛けに、オリバーがドキリとした。
「う〜・・・俺、きっと『胃が悪い』って言われる。自覚あり過ぎだし・・・」
「ま、取り合えず診て貰って来いよ」
トムに背中を押され、オリバーがドキドキしながら診察室に入った。
「こんにちは、お兄様。どうしかました?顔色が少々優れませんね?」
「実は胃が痛くてな・・・」
「それはいけない。じゃ、取り合えず検診をしてみましょう。服を捲くって下さい」
溜め息を吐きながら服を捲ったオリバーの胸に、レオンハルトが聴診器を当てた。
「・・・どうでしょうね、先生?」
オリバーが早速聞く。
「ねぇ・・・何か絶対異常ありますよね、俺?」
「・・・・・」
「胃にポリープとか・・・胃潰瘍とか・・・いや、ひょっとしたら、超緊急オペとか・・・」
「少し黙ってくれませんかっ!?あなたが喋ってばかりいるから、ちっとも集中出来ません
よ!」
「・・・あ〜、すいません」
医者に叱られオリバーが押し黙った。
「・・・どうです?」
「・・・・・」
「・・・何か言ってくださいよ、先生・・・」
やっぱり医者に離し掛けるオリバー。
「・・・あなたの病気が分かりました」
レオンハルトが聴診器をオリバーから離した。
「やっぱ在った!?ほら・・・な?な?」
「何でそんなに嬉しそうなんですか?」
レオンハルトは訝しげな顔だ。
めぐみ看護婦を振り返って、嬉しそうな顔で同意を求めるオリバー。
「え〜・・・あなたの病名・・・それは、『若年寄』です!」
「へ?」
「最近若い人に増えている病気です。『始終悩んでいる』『イチイチ細かい』『俺流を通
したがる』・・・こういう人に多い病気です。お薬を出しておきます。どうぞお大事に」
「・・・・・」
「大丈夫ですか〜、オリバーさ〜ん?診断では『若年寄』ですよ〜?胃には何の問題も無
いみたいですよ〜」
めぐみがもう一度教えてやった。
「はい、では次の人!あ、お兄様、『オロナミン・E』はほどほどに!『若年寄』率増加
の原因が今『これでは?』と囁かされますから」
「・・・・・」
オリバーは腑に落ちない顔で、頭を傾げながらトボトボ出て行った。
「どしたよ、婆さん?浮かねぇ面だな?」
ジェームズが明るく聞いてきた。
「・・・トムの言う通りだ。すっげぇ変わった医者だ」
「あ、そうなの?」
「次の人―!」
ジェームズを呼ぶ声が聞こえた。
「へいへい・・・今行きますよ!」
ジェームズが部屋に入った。
「知っている顔」にニヤリとするジェームズ。
「何だよ、レオ〜ンハルトじゃん。ま、よろしくな」
「僕は今、医者なのです。気安く呼んで貰っては困りますね」
「ははは♪成り切ってんな?」
「・・・はい。では、服を持ち上げて」
レオンハルトは兄弟の中で一番「遣り辛い男」をあしらうのに手こずった。
しかし、ジェームズは言われるまま服を胸まで持ち上げた。
「どうよ?俺、超健康だと思うぞ?」
「・・・兄弟揃ってお喋りだな」
「ん?」
「・・・何でもありません。少し黙っててくれますか?」
独り言を呟いたレオンハルトだったが、ジェームズは結構地獄耳だった。
「ま、取り合えず『明るい診断』を頼むぜ?おい」
豪快に笑い、レオンハルトの肩をバンバン叩いたジェームズ。
そんな中、めぐみがソワソワしている。
時計が酷く気になるようだ。
「・・・分かりました」
「あ、そう。で、健康だろ?」
「・・・多分」
「・・・何だよ、それ?」
「いえ・・・何だが、胃が物凄い音を立てて良く動いてます」
「そりゃそうさ・・・俺の胃は消化力バツグンだからな。常にフル活動よ!少し前にメロ
ンパン2個食ったくらいじゃ腹一杯にならねぇし。あ、自慢じゃないけど胃が牛並みにデ
ケェらしいよ、俺?ガハハ♪」
「・・・そうですか。あ、そろそろ『お昼』だな。えぇ・・・あなたはどこも悪くないと
思います。という事で、もうお帰り下さい。午前の診療を終えます・・・」
「おい・・・随分、呆気ないな。ま、いっか・・・。どもね、先生」
ジェームズが椅子から立ち上がった。
「私達もそろそろお昼の時間なのです。『開花亭』の『5名限定のビーフシチュー・ラン
チ』を予約してあるんで・・・ね、めぐみさん?」
「んだ〜♪」
めぐみはもぅ白衣を脱いで、バックを抱えていた。
「いいなぁ・・・今度はそのランチ、俺も誘ってくれよ?」
「・・・まぁ、そのうち」
「ホントだぞ!」
「・・・まぁ、多分。じゃ、お先に失礼!行きましょう、めぐみさん」
「んだ〜」
レオンハルトとめぐみはサクサクと身支度を済ませ、ジェームズを部屋から追い出し、とっとと診察室
のドアの所に「ただ今休憩中★」と札を掛けてイソイソと出掛けて行った。
そして、池照家の面々の手にはそれぞれに効くとされる薬の袋が・・・・・。
「マゾ止め」・・・・・「馬鹿に効く薬」・・・・・「老化防止薬」・・・・・。
どの薬にも、「使用上の注意をよく読んで、正しくお使いください」と表記してある。
「・・・・・『馬鹿に効く薬』なんて、俺は聞いた事ねぇぞ?」
トムがボソッと呟いた。
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