第十三話「不思議なトムの夢と謎の美女・ゾフィー登場!」



「ねぇねぇ・・・『福笑い』やろうよ、オリバー、ジェームズ!」


ルパートがどこからか相当年代モノの「福笑い」を見つけて来て、兄達にせがんだ。

(めぐみの実家の納屋には、相当古い物がこうして数々残っていた)


「ねぇねぇ・・・」

返事の無い二人の兄に構って欲しくて、しつこくせがむルパート・・・服を引っ張ったり

している。

いつも以上に彼は子供っぽい。(お忘れだと思うが、彼はこれでも高校二年生だ)



「・・・そんな気分じゃない・・・」

オリバーからは所在無い、暗いトーンの答えが帰って来た。

今この状況で、よりにもよって「福笑い」なんて・・・とんでもない。

出来る訳がない。

当たり前だ・・・今、自分の弟の一人が、雪山で遭難中なのだ。

遭難して数時間が過ぎているのに、状況を知らせる連絡は一つも入って来ない。

この時点で今、午後三時過ぎ・・・オリバーじゃなくともヤキモキしていた。



辺りを雪で覆われ、太陽を遮られているので景色全てが薄暗く、冬と言う事もあってまだ

三時ソコソコだと言うのに、もう夜がすぐそこまで迫って来ているような雰囲気だ。

卓夫が妻に連絡を入れておいてくれたので、双子はめぐみの家に帰るとすぐに順番に風呂

に入って着替えをし、今は暖かな格好(ドテラを借りた)で囲炉裏の火に中っていた。

だが、こうしている今もトムは・・・レオンハルトは・・・女の子達はどれだけ寒い思い

で雪の中心細くいるのだろう。

オリバーはどん底までに自分を追い詰めていた。

 


「ねぇねぇ・・・遊ぼうってばぁ〜」

まだ、しつこくせがんで来る四男をウザく思ったオリバー。


「うるっせぇっ!」


イラッとして思わず大声を出してしまった。

ルパートはビクッと体を震わしショックを受け、途端に悲しい表情になった。

「あの時」の事を・・・そこに居た兄弟誰もが思い出した。

「ルパートが家出」をした、「あの時」の事だ。

ついこの間・・・あれは秋の事だった。



夕食の席でオリバーと意見が衝突し、ルパートがダニエルを伴って家出をして、ハグリッ

ドの和尚の所で一晩過ごしたあの日・・・。

(今思えば、あの時が「めぐみとの縁」の始まりだった)

あの時もオリバーは感情に身を任せてルパートを叱ってしまった自分を追い詰め、行くえ

知れずになった弟二人を思い、明け方まで心配で気が狂いそうだった。

 


「え、と・・・」

言い過ぎたとばかりに優しい口調になったオリバーだったが、時既に遅しだ。

ルパートはショボンとして唇を突き出し、涙目になっている。


「あっち行こう、ルパート。僕と遊ぼうよ・・・ね?」

「・・・うん・・・」

ダニエルが「場」を読んで、ルパートを伴ってオリバーから離れて行った。

「・・・ルパートにアタるなよ。アイツはアイツなりにさ・・・」

「・・・分かってる・・・」

ジェームズに諌(いさ)められたオリバーだが、気分が段々意固地になっていく。

 


どうせ俺はダメな兄貴だ・・・。


 

「あれでさ、ルパートなりの精一杯の・・・」


「分かってるって言っただろっ!」


「・・・・・」

勢いに任せ、ジェームズにまで強くアタってしまったオリバー・・・気分が益々落ち込ん

でいった。


「・・・悪い・・・」

「落ち着けって・・・な、婆さん?トムは大丈夫だよ」

ジェームズは「いつも通り」の喋り方でオリバーと話した。

それが益々オリバーを、自己嫌悪と言う世界に陥(おとしい)れる。

心底自分と言う男が嫌になったオリバーは、ガックリ首を垂れてしまった。

自分の器量の無さを恥じた。

 


ルパートは悪くない・・・。


 

ジェームズの言う通りだった。

ルパートなりに、気落ちした兄を元気付けようとしての行動だったはずだ。

池照家の四男は確かに頓珍漢で全てがズレていたが、ちゃんと今のこの状況を分かっている。

ルパートの優しさを、オリバーは一瞬理解してやれなかった。

 

 


池照家四男・・・ルパートには生まれた時から障害があった。

 


「この子の脳は、ある一定の時期に全ての成長を終えてしまいます」

診断した医師に母親がそう聴かされているのを、オリバーとジェームズは一緒に聞いていた。

「おそらく・・・永遠に『大人』にならない脳のまま、一生を過ごす事になるでしょう」

両親二人は神妙な顔で、医師の言葉を一言一言自分の中に飲み込んだ。

「・・・だから何だと言うのです?例えそうでも、それでもあの子は私にとって・・・い

え、私達にとって掛け替えの無い家族の一員です。息子の一人です。些細な事です・・・。

計算が速い子・・・駆け足が速い子・・・そうじゃない子。ルパートはたまたま少しばか

り『得意じゃないモノ』が人より多かったってだけです」

父親アーサーが妻の肩を抱きながらそう医師に答えていたのも、オリバーとジェームズは

黙って聞いていた。

 


そう・・・ルパートには脳に、父親曰く「少しばかり」の障害がある。

ルパートの脳の中は「永遠に子供のまま」だ。

数々の「ドリーミング発言や言動」の原因は、全てここにある。

(ルパートは本当に自分を「妖精」だと勘違いしていたし、次に生まれ変わったら「テ

ィガー」になりたいのだそうだ。たまに、普通の人の目には絶対に見る事の出来ない「テ

ィンカーベル」と話をしていたりする
)

それ故ルパートは、今まで何度か学校で虐めに遭って来た。

ただ・・・同じ年齢の子供より優れているモノが多々ある。

例えば美術だ。

美術の教師はルパートの斬新な色使いや絵柄を大層評価してくれていたし、この教科だけ

は、昔から「5」意外取った事がないルパートだ。

両親はそれがとにかく誇らしくて、随分ルパートを褒めて可愛がった。

 


末っ子のダニエルは優しい弟だった。

そんな四男が大好きで、絶えずルパートの目線で対等に付き合っている。

(果たして・・・彼の場合、本当にそれだけか微妙だが・・・)

ルパートはきっと、元は頭のいい生まれ方をしたのだろう。

感覚はいつだって、非常に優れていた。

感受性はとても素直で豊かだった。

だから・・・おそらく敢えて今、「オリバーと一緒に遊びたかった」のだ。

長男が落ち込んで暗くなっているのが、ルパートはきっと不安で嫌だったのだろう。

 


あははははは♪ダン、そこ違うよ!顎(あご)の下に『鼻』が付いてるよ。あはははは

ヒゲが耳から出てるよ・・・あははははは♪馬っ鹿みたぁ〜い!



「・・・・・」

向こうからルパートが大いに笑っている声が聞こえてきた。

まさに・・・彼こそが本当に「馬っ鹿みたい」だった。

オリバーは一瞬・・・感慨に耽(ふけ)っていた自分をちょっとアホらしく思えた。

「アイツは・・・病気云々関係なく、多分本気に普通に『馬っ鹿』だ」と。

ジェームズはそのオリバーの表情を読んで、ニヤリとした。

 

 


「・・・めぐみちゃん?」

双子の後ろに、いつの間にかめぐみがノッソリと立っていた。



「こンれ、婆ちゃんが作った『どぶろく』ですぅ・・・。それに、おつまみに『手作りの

おしんこ』・・・。黙っていると色々良くない事ばかり考えるから、少し腹に何か入れろ

ってぇ〜・・・酒でも飲めってぇ〜・・・」

「・・・ありがとう」

ジェームズが遠慮なく盆を受け取った。


おっしゃ!一杯やろうぜ、婆さん・・・。言っただろ?トムは大丈夫だって・・・」

「・・・あぁ・・・」

ジェームズが勧めるままに盃を手にしたオリバーは、波々と酒を注いでもらい、ちびちび

と酒盛りを始めた。

「・・・美味い・・・」

ノドが熱い・・・酒が体に染み渡る・・・。

本当に上手い酒だった・・・素人が作ったモノとは思えないくらいいい味だ。

ずっと堪えていた「想い」が突然ノドを突き上げて来て、オリバーはポロリと涙を零した。



「まだ、『何か』あった訳じゃないんだぜ?泣く馬鹿野郎がどこにいる?救助隊からその

うちいい知らせが入るはずさ。ほら、自分ばっか飲んでねぇで俺にも注げよ、オリバー」

「・・・お前の性格が羨ましいぜ。どうしてそういうトコ、俺達は似なかったんだろ・・・」

「お袋を恨むんだな・・・おっとっと・・・」

ジェームズは、それはもう美味そうに酒をグビーッと豪快に呷(あお)った。

オリバーはジェームズと言う男が兄弟で本当に嬉しかった。

この男がこうして「いつも通り」に居てくれてさえいれば、何事も上手く行く気がした。

自分を見失わずに居られる気がした。

 

 



「・・・トム君?」

レオンハルトがトムの顔を覗き込んだ。

「今・・・誰かが俺を呼んだ・・・」

トムはガタガタと体を震わせていた・・・唇が薄っすら紫色になっている。


「僕ら意外誰も居ません・・・どうしたんです?寒いんですか?」

「・・・今更だろ、それ・・・。俺は元から冷え性なんだ。辺りは雪だらけだし・・・救

助はまだか・・・?」

トムの声に覇気が無い。

「まだそれらしい姿は見えません。トム君・・・寝てましたね、今?ダメですよ。起きて

て下さい」

「寝てねぇよ・・・」

女の子二人はピッタリ体をくっ付けあって、何とか体温を維持していた。

「遭難」と言う、現実と違う孤立した世界に・・・・誰もが「良くない事」を考えてしま

うイケナイ状況に陥っていた。

 


「・・・どうでしょう?ここは一つ、みんなで歌でも歌いませんか?」

「アホか・・・」

レオンハルトの提案は即効でトムに却下された。

「しかし黙っていたのでは体は冷えるし、良くない事ばかり考えてしまいます。うん、歌

でも歌いましょうよ」

レオンハルトは「いつも通り」明るかった。

「・・・お前一人で歌えよ」

「そうですか?分かりました・・・では」

レオンハルトはコホンと咳払いをして、静かに歌い始めた。



女の子達が目を見張った・・・トムもだ。

レオンハルトは歌がとても上手かったのだ。

甘い彼の声は軽快な旋律を伴って少しばかり肉厚な唇から吐き出され、女の子達を暫しウ

ットリさせた。

まるで一瞬ここが雪山などではなく、どこか暖かな場所でミルクティーでも飲みながら聴

いているような錯覚に陥った面々・・・。



「・・・それ、何て曲?」

千絵が思わず聞いた。

(千絵の目は、完璧にレオンハルトに「ハートマークの光線」を送っていた)

「ドイツの曲です。僕、小さい頃は向こうに住んでいましたので・・・。一時期だけです

が『聖歌隊』に入っていましたので、そこで習いました」

「聖歌隊・・・」

千絵の目が益々ハートマークになっていく。

「はい・・・あの『ウィーン少年合唱団』です。二度ほどステージに立ちましたが、僕は

歌うより楽器を弾く方が好きで、辞めてしまいました」

「えぇ〜・・・勿体無い・・・」

千絵が自分の事のようにガッカリした。

「・・・いつから日本に住んでんだ?」

トムが聞いた。

レオンハルトは、トムと最初にテニスサークルの部室で会った時から日本語が流暢だった。

よくよく考えてみれば、トムはレオンハルトの事を何も知らなかった。

聞こうともしなかったし、第一・・・興味が無かった。

むしろ避けて通っていた人間の部類だ。

(会った瞬間から自分を「素敵だ」とか抜かす薄気味悪い男は、避けていた方が無難だった

)



「十三歳の時です。嬉しいですね・・・トム君が僕の事をそうやって色々聞いてくれるの

は・・・初めてです」

「初めてで最後だ。今後一切お前の昔話なんて聞くつもりは無ぇ。だから、喋りたい事が

あるなら今のうちに全部喋っとけよ、レオ〜ンハルト」

トムの毒舌が嬉しいレオンハルト。

毒舌が出ているうちは、まだトムに「余裕がある」と言うバロメーターだからだ。

「そうですね・・・僕の話でも、みなさんの眠気覚ましくらいにはなりますからね。では

・・・」

レオンハルトはかなり詳しく自分の生い立ちを話し始めた。

それは、日本の普通の暮らしをしている者にとっては、少し現実から掛け離れていて、聴

いていて結構楽しいものだった。

 



「ハインリッヒ家」の元々の血筋は「伯爵」だったそうだ。

皇帝の前で音楽を奏でたりしていた、「音楽家」を沢山輩出している血筋でもあったと言う。

しかし、歴史上の数々の戦争や飢饉などを経験しているうちに財産が底を尽き、曽祖父の

時代にはかなり貧しい暮らしになっていたそうだ。


肉屋を営んでいたレオンハルトの祖父「リヒテン」は、当時韓国から働きに来ていた女性

「ス・ヨンエ」を見初
(みそ)めて結婚し、生まれたのがレオンハルトの父親「ジャン・マ

ルタン」であると言う。

(少し前にダニエルとルパートがハインリッヒ家に遊びに行った際、「トランプみたい

な顔のおじさん」と言った、その人である
)



ジャン・マルタンは二代目で莫大な資産を「ソーセージ」で築き、ドイツきっての大企業

を作り上げた。

会社のアジア進出の為に日本の神戸に来て、企業同士のパーティーでレオンハルトの母親

となる日本人女性「不二子」と知り合ったらしい。

レオンハルトは日本生まれでドイツ育ち、現在はドイツ国籍を所得して日本在住と言う、

ちょっとグチャグチャした肩書きを持っている。

妻・不二子の手伝いもあり、日本での基盤を作り上げる事が出来たジャン・マルタンは、

支社である日本を自分の拠点とし、ドイツにある本社は彼の弟に任せた。



不二子の実家は「宝塚歌劇団」後援会会長だったので、現在不二子は両親と共に劇団への

融資や諸々の運営の一部をバックアップしているらしい。

レオンハルトは日本名を「獅士斗(ししと)」言い、そっちの名前を使う事も可能なのだが

、レオンハルト自身が今の名前をチョイスして使っている。

(おそらく、かなり外国人染みた自分のビジュアルに合わせてのチョイスだったと言えよう

)

趣味はバイオリン、ピアノ、フルート、ミュージカル鑑賞で、今は医者を目指し、医学部

に所属だ。
(トムはそんな事すら知らなかった)

 



「・・・で、結局ハーフでボンボンって訳か」

トムが一刀で話を切った。

「隠すつもりは無いです。はい、仰る通り僕は裕福な家に生まれ育ちました」

「・・・俺と気が合わないはずだな」

トムが鼻で笑った。

「どうしてです?僕はトム君とは・・・いえ、池照家のみなさんとは頗(すこぶ)る気が合

うと思っていますよ」

「お前の方だけだろ、そう思っているのは。あ〜・・・また誰か俺を呼んでる・・・」

トムが目を閉じた。

「・・・トム君?」

レオンハルトが不思議に思い、手袋を外してトムの額に触れた。

「触んな・・・」

「冗談言っている場合じゃない・・・酷い熱じゃないですか、トム君・・・」

レオンハルトの顔色が変わった。

「麻衣も熱あるみた〜い・・・」

麻衣もトロンとした表情で千絵の方に寄り掛かった。

「・・・まずいな、麻衣さんは足を痛めているし・・・救助隊はまだか?」

レオンハルトが立ち上がって辺りを見回した。

千絵も倣(なら)って見回した。

しかし、どんなに目を凝らして見渡せども、雪意外何も見えない・・・。

 




「寒い・・・」

トムが呟いた。

「トム君、しっかり!麻衣さんもしっかりしてください!」

「麻衣、しっかりして・・・」

レオンハルトと千絵だけが元気だ。


「あ〜・・・俺、ジェームズに金借りてたなぁ・・・。もしも俺が返せなかったらレオン

ハルト・・・お前謝っておいてくれよ・・・」

「借りたものは必ず返さなくてはなりませんよ、トム君!『お兄様』と言えどもです!尚

更こんなトコで弱っていてはいけません。無事に帰って、お兄様にお金を返さなくては・

・・そうじゃないですか、トム君!」

「・・・温けぇなぁ〜・・・レオンハルト、お前の手・・・どうしてだ?」

トムは自分の頬に置かれていた、レオンハルトの手の温もりを不思議に思った。

「君への想いが強いからです、トム君!?しっかりしてください・・・寝てはいけません

!寝たら・・・キスしちゃいますよ、僕!いいんですかっ!?トム君!?トム君!?

「・・・・・」

トムはもう、レオンハルトの冗談にツッコミすら言えなかった。

たまに弱々しく開く瞼は重く、目は虚ろだ。



「寒い・・・寒いよぉ、千絵ぇ・・・」

「しっかりしてよ、麻衣!すぐそこまで救助の人が来てるから・・・もう少しだよ!」

千絵は、見えもしない救助隊の存在を麻衣にチラつかせた。

「・・・ホントぉ〜?私達、助かるの〜・・・?」

「助かるよ!しっかりして、麻衣!麻衣ってば!」

「千絵、の・・・声が遠い、よ・・・」

「麻衣ってばぁ〜・・・・しっかりしてよぉ!」

千絵が泣き始めた。


「トム君!トム君!しっかりしてください!目を開けて!」


レオンハルトがトムの体を揺すった。

トムは反応らしい反応を見せず、ダラリとレオンハルトに体を預けていた。

レオンハルトと千絵の声は、雪に掻き消されている。

二人の病人・・・止む予定の無い吹雪・・・孤立・・・。

猶予は無くなった。

 


「千絵さん。あなた、まだ体力はありますか?そして・・・僕に命を預けられますか?」

レオンハルトが力強い視線で千絵をキッと見つめた。

千絵の方は、いきなり「命を預けられるか?」と聞かれた所で、「はい」と即決出来る訳

も無い。

不安なその表情は、すぐさまレオンハルトに見破られた。


「素直な方です・・・それで正解です。僕・・・昔何かの本で、雪と言うのが山の方から

吹雪くと読んだ事がありまして・・・。と言う事は、僕の考える方角がもし間違っていな

いのなら・・・ロッジはこの方角にあるはずなのです」

レオンハルトはレンタルのストックで左斜め下を指した。

「・・・少しの間だけ『三人』にしてしまいますが、麻衣さんとトム君をお願いしてもい

いですか?救助隊は・・・多分出ています。ここに連れてきます」

「・・・や、やめてよ・・・あなたが二重遭難しちゃう」

「二人も病人が出ています。一刻の猶予も無くなったのです。僕はご存知の通りスキーが

堪能です・・・自分でそう言ってしまう事を今は許して下さい。もし、救助隊と会わなく

てもロッジにさえ着けば、この場所を誰かに知らせる事は出来ます」

「ここには何も印なんかないのに!?」

「あります・・・ここは窪地です。だから麻衣さんが誤って落ちてしまった。窪地の場所

をロッジに帰って伝えれば、ゲレンデの人間なら分かるはずです。変な話、田舎の人と言

うのはそう言う事らしいのです。僕達から見れば同じようにしか見えない田んぼでも、『

どれが誰のか』分かると言いますから・・・」

「でも・・・」

「心細くする事を許してください。でも、必ず救助の人間を連れてきます。会ったばかり

の僕を信用出来ないのは分かりますが・・・どうか、今だけでいいので僕を信じて下さい」

「・・・・・」

千絵は何も言えなくなった。

レオンハルトのハキハキした力強い言葉と爽やかな笑顔を見ていると、信じてみたくなっ

たのだ。



「・・・どのくらいで戻って来れるの?」

不安な気持ちを抑えながら、千絵が言葉を振り絞った。

「三十分を目処に・・・」

レオンハルトは今一度、自分用のスキー板に靴をセットした。

「ホントに・・・ホントに戻って来てね。絶対・・・絶対戻って来てね・・・」

千絵は言い知れぬ不安を抱え、涙をボロボロ零した。

「約束します・・・じゃっ!」

レオンハルトは悪天候の中を真っ直ぐ斜め下に降りて行った。

千絵は意識の無くなってしまった二人を両手で抱え込むようにして、「神様・・・神様・

・・」と「大学受験発表」時以来の、本気の祈りを心の中で何度も何度も唱えた。

 

 


雪一色の白い世界・・・「ホワイトアウト」と呼ぶ。

吹雪とブリザードとの見分けは殆ど付かない。

動かなければ、体温はどんどん外気に吸い取られていく。

千絵が両手にトムと麻衣を抱え、必死に助けを願っているその時・・・トムは千絵の片方

の腕の中で夢を見ていた。

長い長い夢だ。

 


古い民家だった・・・。

民芸調の古い家・・・どこか物凄く懐かしい・・・。

小さな子供達がバタバタと家の中を楽しそうに走り回っている。

(もや)だか何だか分からないが、その子供達の顔はなぜかしっかり判別出来ない。

しかし、何とも見覚えのある子供達である事は確かだ。

子供は、三人の女の子のようだった。

「ほら・・・囲炉裏の回りは気を付けろよ。落ちたら『アチー』だぞ」

そう言うのは、今より少しばかり貫禄の付いた「トム自身の声」だ。

 

 




めぐみは玄関を出た所で、この間の誕生日でトムに貰った手袋を嵌めて、指同士を絡めて

山の方をジッと見つめていた。

平地の方は随分雪の粒が細かくなって来た・・・時期に止むかも知れない。

しかし山の上の方は依然濃いグレーの雲が覆い、山頂を隠していた。



「どしたぁ、めぐみ〜?風邪引くどぉ〜?」

ミエが後ろから孫に声を掛けた。

「婆ちゃん・・・トムさんとレオンハルトさんはぁ〜・・・」

「らしく」ない、か細い声を出しためぐみ。

「全ては山神、木霊、様々な物に宿る精霊のなさる森羅万象・・・。荒魂は気紛れじゃ・

・・どっちにも転ぶ。けンど、あの二人の青年は『守られ』とる・・・。既にわしの目に

は『助かる姿』が見えている。男の子の声を聞いた・・・わしの声も既に届いておるはず

だぁ〜。そんなに心配ぇなら、おめも仏様に線香でも上げて、頼みぃ〜」

「・・・んだ〜」

めぐみはミエの言うまま家の中に引き返し、仏壇に急いだ。

「聞こえたなぁ、おめ?」

ミエは誰にとも無く、空に向かって呟いた。

そして今一度山の方に手を合わせ、何やらムニャムニャと拝み始めた。

ミエは不思議な事を昔から言う人だったが、それが間違った事は一度も無かった。

蒲生家の人間はコンピューター社会に置いてでも、ミエの不思議な言葉を軽んじてはいな

かった。

ミエの、歳の割りに鋭い眼光が山をキッと睨み、そして少し微笑んだ。

 

 



それからどの位した頃だろう・・・。

蒲生家に電話が入り、四人の無事が知らされた。

それにより、途端に家の中が慌しくなった。

電話を掛け捲った紀美子・・・お湯を沸かし、風呂の電源を入れたミエ、めぐみは家の中

中の毛布やら布団を囲炉裏の部屋に運んだ。

池照家のメンバーはその間、ただただオロオロするばかりだった。

 


足を折っていた麻衣は千絵に付き添われ病院へ・・・レオンハルトは三人から離れてから

すぐに救助隊と合流し、今は事情説明などをする為に現場に残っている。

卓夫は羽間を手伝い、病院と女の子達の泊まっているホテルとを行き来し、忙しくしていた。

そしてトムは、風邪による熱の症状だけだったので蒲生家に帰って来た。

 



「トムゥ〜!トムだ!トムだよ、オリバー、ジェームズ!」

 


ダニエルとルパートが、玄関で嬉しそうな大声を出した。

グッタリしていたが無事に帰って来た弟の姿を見ると、オリバーは感詰まって何も言えな

かった。

ジェームズが「な?」と言ってニッと笑い、オリバーの肩に腕を回した。



「こっちに寝かせてくんちぇ〜・・・一番温かいトコへ〜」

紀美子が支持し、救助隊によって運ばれて来たトムは囲炉裏の前に用意した布団に寝かさ

れた。


「んだ。大丈夫だ・・・寒さで熱出しただけだ、こン子は〜」

ミエがヨタヨタと近寄って来て、皺皺の手でトムの熱い額や手、胸などに触れた。

そして、何やらモニョモニョと呪文のようなものを唱え始めた。

池照家のみんなには、それが「むっくれむっくれ、あられあられ、ぱしゃぱしゃ・・・」

と何やら全く意味が分からない可笑しな呪文に聞こえた。

ミエは最後にトムの体に「シケー!シケー!」と術を切り、仕事を終えた。



「今、『陀羅尼(だらに)』を唱えたぁ・・・神様がこの子を良くしてくれる・・・」

双子もダニエルもルパートも訳が分からず、目がキョトンだ。

「強ぉ〜い『経』の一つだぁ。むやみやたらな人間が唱えると、返って自分自身に災いを起

こす怖ぁ〜い経の一つだぁ。さぁて・・・わしは風呂入って、寝っかな。よっこらしゃー

のしゃ」

ミエは、相変わらずチンプンカンプンで何が何だか分からない顔の池照家の兄弟に詳しい

説明もしないで、「おやすみぃ〜」と言って部屋から出て行った。

「驚いたけぇ〜?婆ちゃんは昔、業を遂げた人でねぇ〜・・・昔、ああやってめぐみの熱

を下げたり、良くない事から家やみんなを守ってくれたりしてたんだぁ。この子の熱も明

日には幾分良くなるだろうねぇ。『陀羅尼』は強いお経だからねぇ」

「はぁ・・・」

紀美子の語ってくれた説明も、殆ど良く分からなかった面々。

 

 


「ただ今ぁ〜!」



程無くして、玄関から声がした。

卓夫とレオンハルトが一緒に帰って来たのだ。



「さぁさ・・・入り入り・・・寒かったねぇ。無事で良かったよぉ、ホント・・・。あ、

お風呂ちょっと待ってねぇ。今、婆ちゃんが入っちゃったからさぁ」

紀美子はレオンハルトを「早く温かい所へ入れ」と背中を押し、自分の旦那には「ほんに

ご苦労様でしたぁ」と述べた。

「ありがとうございます、お母様。僕は大丈夫です。この度は、本当に大変なご心配をお

掛けしてしました。すみませんでした」

「んなこたぁ〜・・・無事で何よりだよぉ〜・・・」

深々と頭を下げたレオンハルトを、紀美子が肉付きのいい腕でバンバンと背中を叩いた。

レオンハルトは自分を迎えに玄関まで出て来てくれた池照家の面々にも、深々と詫びを入

れた。

「お兄様・・・僕が一緒だったのにこの度はトム君をこんな目に・・・本当にすみません

でした」

「いや、お前が居てくれたからこのくらいで済んだんだ。ありがとうな、レオ〜ンハルト

。礼を言うぜ」

ジェームズはニカッと笑い、「ほら、上がれよ・・・俺ん家じゃないけどな」といつも通

りの反応だった。

一方オリバーの方は、礼を言いたくても感無量で声が詰まってしまい、何も言えなかった。

しかし心の中で、レオンハルトにはどれだけ感謝しても仕切れないと思っていた。



「お腹空いてませんかぁ、レオンハルトさぁ〜ん。今、うどん作ったんでぇ〜、どんぞ

食べてくんちぇ〜」

めぐみがエプロン姿でレオンハルトを出迎えた。

「めぐみさん・・・この度は本当にご心配をお掛けしました。それに・・・遅れましたが

成人おめでとうございます。晴れ着姿を見れなかったのだけが心残りです」

「母ちゃんにデジカメで写真を撮って貰ったんで、レオンハルトさんにも後で見せますよ

ぉ。ちょこーっと『着膨れ』して見えちゃって・・・恥ずかしいけンどぉ〜。まぁ、まず

はどんぞうどん食べてくんちぇ〜」

オリバーもジェームズも、もしトムが正気なら絶対に今「ツッコミ」を入れたはずだと思

った。

 



レオンハルトはキッチンの中にある、簡単なダイニングに通された。


「美味しそうだ・・・めぐみさんが作ってくださったのですか?」

「はい〜」

野菜が存分に入った、「いかにもお手製のうどん」が熱々の湯気を立てている。


「嬉しいです・・・頂きます・・・」

レオンハルトは空腹だった事も忘れていた。

よく考えてみれば、昨日の早めの晩飯以来、何も口に入れていなかった。

時計を見ると、夜の八時半を過ぎていた。

めぐみの作ってくれた味噌味のうどんは、冷え切ったレオンハルトの体に何とも染み渡る

滋味深い味わいだった。



「とても美味しいです、めぐみさん」

「良かったですぅ〜・・・」

「・・・・・」

「どうかしましたかぁ〜?」

突然黙りこくったレオンハルトを、不思議そうな顔で覗き込んだめぐみ。

「・・・実は不思議な事が起こったんです。僕が救助隊を連れて来る為に、他のみなさん

と別れて雪山を降り始めたら・・・途端に雪が小雪になって風が止んだのです」

「・・・・・」

「視界がクリアーになったら、実はすぐ傍まで救助隊の人達が来ていてくれていたのが分

かりました。なので、スムーズに置いて来た三人の所まで案内出来たのです。それに・・

・トム君が始終不思議な事を言っていました。何だか、しきりに『誰かが自分を呼んでい

る』と・・・何だったんでしょうか・・・。熱で幻聴でも聞こえていたのでしょうか?」

「それ・・・多分、婆ちゃんだぁ・・・」

「え?」

めぐみは感慨深い顔付きだった。

「んにゃ・・・何でもないですぅ〜。もう少しうどんいかがですかぁ〜?」

「いえ・・・もう充分に食べました。ご馳走様です」

めぐみは何かを思い出したように、一人でクスクス笑った。

レオンハルトは意味が分からなかった。


「・・・で、トム君は?」

レオンハルトが聞いた。

「囲炉裏の部屋で寝てますぅ。あそこが一番温けぇからぁ・・・あ、婆ちゃんが風呂上が

ったみたいだぁ。見て来ますぅ」

めぐみが確認しにキッチンから出て行った。

レオンハルトは腹ごなしも済み、食べた食器を流しに浸けて囲炉裏の間に向かった。

 



囲炉裏の間には電気が無かった。

囲炉裏の火と行灯(あんどん)だけのボンヤリとした風合いの部屋だ。

行灯の薄明かりの中に、池照家の面々がトムを囲んで座っていた。



「あ・・・お邪魔ですか?」

「いいや、座れよ、レオ〜ンハルト」

兄弟水入らずの所を遠慮したレオンハルトに、ジェームズが少し場所を作ってやった。

「運が良かったぜ・・・一晩見つからないと、死ぬ確立だってあったからな・・・」

ジェームズが目を閉じたままのトムの顔を見下ろした。


「トム君・・・しきりに『誰かに呼ばれている』って言っていました。きっとご兄弟みな

さんの祈りの声を聞いたのでしょう。僕にはそれ、聞こえませんでしたから・・・」

レオンハルトも優しげな顔でトムを見下ろした。

「飯は食ったのか?」

「はい、頂きました。めぐみさんお手製のうどん・・・美味しかったです。体の隅々まで

暖まるような素晴らしい味でした」

「ははは♪お前は『めぐみちゃん崇拝者』だからな。何食わされたって、めぐみちゃんを

褒めるくせに・・・」

ジェームズが笑った。

レオンハルトはトムが寝返りをモゾモゾ打つのを見て、「助かったんだ」と言う実感をジ

ワジワ味わった。



「救助隊の人がお前の判断を褒めてたぜ・・・。『真っ直ぐ落りて来た』らしいじゃねぇ

か・・・」

「昔父と良く雪山に登ったのが、少し役に立ちました。視界の悪い所であまりフラフラ横

に逸れない方がいいと、良く言っていましたので・・・」

「一緒の女の子達はどうしたかな・・・」

「さぁ・・・結局名前しか分かりませんでした。遭難中も深くは色々聞かなかったので・

・・。足を折った麻衣さんのご両親には病院から連絡がいったと、先ほどめぐみさんのお

父様から聞きました」

「そうか・・・向こうも無事で良かった。ん、眠いんじゃないか、レオンハルト・・・」

レオンハルトの瞼が、一瞬トロンとなったのに気付いたジェームズ。

「流石に疲れました・・・今日は早めに休ませて頂きます。で、僕は明日の朝一に東京に

一足先に戻る事にします。友達が明日の便でドイツから遊びに来るので、成田まで迎えに

行かなくてはいけないので・・・」

「・・・忙しいな、随分・・・」

「連絡を取りたかったのですが、ゲレンデでどうもケイタイを失くしてしまったようで、

彼女に連絡が取れなくなってしまって・・・。早めに迎えに行っていないと色々・・・」

え、『彼女』!?今、『カノジョ』って言ったか?!」

ジョームズが好奇心旺盛な目でレオンハルトを見つめた。


「シィ〜ッ!」


ダニエルがジェームズを制した。

眠っているトムに「障る」と思ったからだ。



「でも、『カノジョ』って・・・お前のか、レオ〜ンハルト?」

ジェームズが声を落とし、ギラギラした目で聞いた。

「違います・・・付き合っている女性ではないのです。向こうに居た時の友達の一人で・

・・」

「なぁ〜んだ・・・そっか・・・」

ジェームズはガッカリした。

大人しいと思ったら、ルパートはうっつらうっつらと首が前へ横へと倒れ掛かっていた。

彼なりに今日は色々と気を使って疲れたのだろう。

オリバーが自分の膝を貸してやって、四男を横にならせた。



「モデルなんかをやっててチヤホヤされているせいか、かなり気性の激しい女性で・・・

。すぐに帰って欲しいものです」


「モデルっ!?」


「シィ〜ッ!」


またもやダニエルに怒られてしまったジェームズ。



「なぁ、俺に紹介しろよ・・・。そのくらいの時間はあるだろ?」

「はぁ・・・でも、本当に色々と問題ある女性なんですよ、彼女・・・」

「『モデルのドイツ人』なんて・・・何かすっげぇカッコいいじゃん・・・なぁ、オリバ

ー?」

「・・・だな」

オリバーにもやっと笑顔が戻って来た。

ジェームズはおそらく、落ち込んでいたオリバーの分も盛り上がってオチャラケていたのだ。



「レオンハルトさぁ〜ん。お風呂空きましたよぉ、入ってくんちぇ〜」

めぐみがレオンハルトを呼びに来た。

「ありがとうございます、めぐみさん。みなさん、僕はお風呂をお借りしてそのまま布団

に入りますので、ここでお別れを・・・。素敵な旅に誘って頂き、ありがとうございまし

た。では、また東京で!」

「・・・レオンハルト・・・」

立ち去ろうとしたレオンハルトを、オリバーが呼び止めた。

「・・・ありがとな・・・」

オリバーは真面目な顔で言った。

「いいえ・・・じゃ」

レオンハルトは優しい笑顔をオリバーに返し、バイバイしてきたダニエルに応え、めぐみ

に案内されるまま風呂場に向かった。

 

 



ドクッドクッドクッ・・・。

 


熱い・・・。

 


ドクッドクッドクッ・・・。


 

死ぬほど熱い・・・誰か・・・。


 

心臓の音が喧しく聞こえる・・・。


 

 



トムはずっと夢を見ていた。

雪山で意識が遠退いてからずっと夢を見ていた。

途轍もなく長い長い夢・・・。

 


「お母さぁ〜ん、明日授業参観日だよぉ〜、絶対来てねぇ〜」

「何の授業なんだぁ?」

母親だと言う女・・・語尾上がりのイントネーションだ。

「体育!」

「体育けぇ〜・・・何の競技やんだぁ〜?」

「駆けっこだよぉ〜」

子供の方も少し語尾上がりだった。

「お父さんも見たいんじゃないかなぁ〜・・・言ってみぃ〜?」

「うんっ!」

 


トムはその光景を上の方から見ていた・・・ユラユラ浮かんでいる感じだ。

小さな女の子が、母親らしき女に興奮しながら話している。

母親らしき女は食事の準備をしているようで、まな板の上で野菜を切ったりしていた。

エプロン姿のその女・・・靄が掛かってやはり確認出来ない。

だが、トムは見た事あった・・・知っている女だ。

始めは自分の母親かと思ったが、どうも違う・・・。

あれは・・・誰だ?

 


「お父さ〜ん!どこ〜?」

女の子は父親を探しに行ったらしい。

「お父さぁ〜ん!」

「こっちだー!」

遠くで声がした。


「俺」の・・・声?

 



眠っていたトムは、うなされたように「う〜・・・」と声を発した。

誰かの暖かい手がトムの額を触り、ヒンヤリとした冷たくて気持ちのいいモノが額に置か

れた。

 



「お父さぁ〜ん!明日、○○(なぜか聞き取れなかった。本人の名前らしい)体育の授業参

観だよぉ〜」

「へぇ〜・・・じゃあ見に行かないとな」

「うん!○○ね、クラスで一番早いんだよ、走るの!」

「凄いじゃないか!?お父さん、もう少しで抜かされちゃうかもな・・・」

「来年には追い抜いちゃうよ、きっと」

「そうか、楽しみだなぁ・・・」

 


「お父さん」と呼ばれている男の声は・・・トム自身の声だ。

それに・・・「お母さん」と呼ばれている女の独特の喋り方が気になる。

 

 



トムがゆっくり薄っすら目を開けた。

自分の寝ている近くに兄弟達が毛布を被り、思い思いの姿で雑魚寝していた。

(ダニエルとルパートはまた「くっ付いて」寝ている)

トムは、一瞬ここがどこだか分からなかった。

天井や周りを見ると、少しずつ「ここはめぐみの実家だ」と理解出来た。

記憶も戻って来た。


確か自分はスキー場で、一緒に居た女の子達と吹雪の中往生してしまっていたはず。

レオンハルトが時々自分の名前を叫んでいた気がする・・・。

しかし今ここは家の中だ・・・例の囲炉裏の部屋だ。

ん・・・・・「囲炉裏」?

夢の中の自分の声が耳元に残っていた。



気をつけろ・・・・・囲炉裏の傍は危ないぞぉ!



って事は・・・助かったのか、俺達?

それとも、スキー場には元から「行ってもいない」のだろうか?

訳が分からなかった。

 


枕元に水を張った桶を見つけた。

首を横にしたので、額に置かれていた温かくなってしまっていたタオルがズリ落ちた。

向こうからドスドスと言う足音が聞こえて来た。

咄嗟に・・・どうしてだか「寝たフリ」してしまった。

トムは何とか薄目でその人物を確認した。

めぐみだった・・・。

落ちてしまっていたタオルに気付いて、新しいタオルを絞ってトムの額に置いた。

ヒンヤリしたそのタオルが凄く気持ちがいい。

 


そうか・・・俺、熱があるのか・・・。


 

めぐみは寝不足の疲れた顔をしていた。

やっぱり自分はスキー場で遭難したらしい・・・その結果が「コレ」だ・・・と、トムは

思った。

どうやら沢山の人々に迷惑を掛けてしまったようだ。

感覚だけでまだ夜中だと言うのが分かった。

めぐみにはいつも散々悪口と言えるような暴言ばかり吐いているトム。

何だか・・・目頭が突然ジンと熱くなった。

弱っている時の親切と言うのは、どうしてこんなにも心に沁みるのか・・・。

 


ポリ・・・。


 

何か音がした。

どうやら・・・めぐみは「何か」を食べている。


「コイツ・・・」

トムは感傷的になった自分に嫌気が差した。

音から察するに、きゅうりか何かの「おしんこ」であろう。

「だよな・・・コイツはこういうヤツだ。人が弱って熱出しているって言うのに、漬物を

お茶請けに、常に口を動かしているようなヤツだった・・・」

トムはめぐみから受ける看病を気にせず、今一眠りする事にした。

 

 


「めぐみぃ〜・・・」

ミエが少ししてから孫に声を掛けた。

「わしが少し変わるから、おめ、ちょっと寝ろ〜」

「婆ちゃんこそ寝てくんちぇ〜。大丈夫だからぁ〜」

「おめ、ここずっと移動とか成人式とかで疲れてるだろぉ〜?婆ちゃんは大してやる事も

ねぇんだ。多少寝んでもどうって事ねぇ。おめ、少し寝ろ〜」

「んでもぉ〜・・・」

「気にすんなぁ・・・おめが疲れてっと、婆ちゃん気になるんだぁ」

「んだかぁ?」

「んだ〜」

「・・・ありがとなぁ、婆ちゃん・・・」

めぐみは毛布を持って来て、ミエの傍らに寝転がった。

「よう眠れぇ〜」

「ん〜・・・」

めぐみは目を閉じた。

 

 



トムは朝早くにトイレに起きた。

汗をかなり掻いたようで髪が湿っていたし、インナーに来ていたTシャツがベト付いていた。

「おわっ・・・」

すぐ近くに大の字に眠っているめぐみの姿に驚いた。

「・・・・・」

普通なら若い女性の寝姿など・・・「興奮の材料」であるが、めぐみ相手にはそういった

気さえ起こらない。

ソォ〜ッとめぐみを跨ぎ、トイレに向かったトム。

 


「ギャッ!」


 

・・・驚いた。

トイレのドアを開けたら、ミエが鍵を閉めずに用を足していた所だった。

洋式トイレで助かった・・・これがもし和式なら・・・。

「・・・・・」

トムは考えたくも無かった。



「熱は下がったけぇ〜?」

「はぁ、まぁ・・・」

ドアを閉めようとしたトムをミエが制した。

「もう、終わった〜・・・さ、どんぞ」

「・・・どーも・・・」

トイレを交換して貰ったトム。

ミエがトムの脇を通り過ぎる時、なぜかニ〜ッと意味ありげに笑った。

「・・・何か?」

気味悪そうにミエを見つめたトム。

「いんやぁ〜・・・なぁ〜んでも・・・」

ミエは腰の後ろで手を組んで、ヨタヨタ歩いて行った。

「・・・不気味だぜ・・・」

トムは誰にもドアを開けられないように、「しっかり」トイレの鍵を閉めた。

 

 




「じゃあ、すいません・・・先に帰ります。弟をよろしくお願いします」

トム以外の池照家の面々は午後には荷物を纏め、玄関で蒲生家の家族に挨拶した。

「喫茶レインボー」が、明日の四日から営業だったからだ。

ダニエルとルパートも冬休みの宿題が全部終わっていなかったので、帰ったらやらなくて

はいけない。

ジェームズも色々と用事があるらしい。



「何のお構いも出来なくて悪かったねぇ〜・・・」

紀美子が恐縮した。

「とんでもないです・・・散々ご心配とご厄介を掛けちゃって・・・すいませんでした」

レオンハルトは昨日言っていた通り、朝一で卓夫に駅まで送って貰い先に帰っていた。

「めぐみの事、これからもどんぞよろしくお願いしますぅ〜」

紀美子が深々と頭を下げた。

「いえ・・・こちらこそ」

オリバーも頭を下げた。

トムはまだ完全に治った訳ではなかったので、滞在を延長した。

めぐみはトムが家に帰れるように回復するまで、一緒に実家に残る事になった。



「・・・俺、帰れるぜ?」

トムは寝巻きにしていたスエット姿でブツブツ文句言っていた。

「何言ってる・・・まだ完璧に熱が下がってないだろ。帰って来たいんだったら今日中に

とっとと熱を下げて、明日帰って来い!」

オリバーが言った。

長男の発言が絶対な池照家・・・トムは逆らえなかった。

「めぐみちゃんに手出しするんじゃねーぞ!」

「するか、アホっ!」

ジェームズの「ボケ」た言葉に「ツッコミ」を入れたトム・・・かなり元気回復していた。



「じゃあ、僕達行きます」

「本当に駅まで送って行かなくていいのけぇ〜?」

卓夫が言った。

「はい、すぐそこがバス停なんで、バスで駅まで行きますから・・・色々ありがとうござ

いました」

「バイバイ、お婆ちゃん!」

ダニエルとルパートが手を振った。

ルパートの手には、紙袋に入った「福笑い」と「すごろく」だ。

ちゃっかり「頂いてしまった」ようである。

「また、遊びに来ぃ〜」

「はぁ〜い♪」

池照家の面々は後ろを何度も振り返り、手を振りながら帰って行った。

トムは少し寂しそうだったが、取り合えずもう少し寝て早く元気になりたかった。

明日は絶対に帰る気だ・・・一足先に家に入った。

 


「・・・なんだぁ、婆ちゃん?トムさんの後ろ姿見て、ニヤニヤしてぇ〜?」

めぐみが聞いた。

「内緒だぁ・・・もう少ししたら、おめも分かるぅ」

「なんだぁ〜・・・気になるなぁ〜・・・」

「夢の話だぁ・・・今日の朝、夢を見たぁ・・・おめの将来の話だぁ」

「私の未来けぇ〜?どんなだぁ〜?」

めぐみが興味を持って聞いた。

「言っただろぉ〜・・・今は内緒だぁ・・・いずれ、おめにも分かるぅ」

ミエはめぐみに詳しく喋らなかった。

また腰の後ろで手を組んで、ヨタヨタと家の中に入って行った。

ここ二日間の大雪が嘘のように止む、周りの景色が銀世界となりキラキラしていた。

 

 




その頃、成田空港第二ターミナル・・・。

 


カツカツカツ・・・。


 

ブーツのヒールの音を高らかに鳴らしながら、一人の女がロビーを闊歩していた。

大きなサングラスに毛皮のコート・・・。

ピンピンと跳ねた短髪の髪は、限りなく銀に近いプラチナブロンドだ。

八頭身どころか九頭身もありそうなマネキンのようなスタイル・・・。

顔が小さく、体の半分以上が間違いなく下半身だ。

女はキョロキョロと辺りに視線を這わし、誰かを探している。

そしてその人物を見つけると、手にしていたバックもトランクもドサッとその場に置き去

り、勢い良く走り出して、大勢が行き交うロビーで熱烈なキスを意中の人と交わした。

意中の人・・・レオンハルトは大変に迷惑そうだ。



「・・・離せ、ゾフィー・・・みんな見てる・・・」

レオンハルトはドイツ語だった。

「離さないわよ、レオンハルト・・・やっと捉まえた・・・」

何度も何度もレオンハルトと唇を重ねるゾフィー。

「ほら、君の荷物が通路を塞いでいるよ・・・」

レオンハルトは無理やりゾフィーの体を押し離した。


「・・・荷物なんかどうだっていいわよ。何なのよ・・・昨日から全く音信普通って・・

どういう訳?!」

「話せば長くなるんだ・・・とにかく、ケイタイはもう使えない」

「どうして!?」

「失くした」

「嘘っ!」

ゾフィーの口調は荒々しい。

「ホントだよ・・・ほら、荷物が邪魔だ・・・取って来ないと・・・」

ゾフィーがちっとも動こうとしないので、レオンハルトが放置された荷物を取って来た。

 


「で・・・どのくらい日本に居る?」

歩きながらレオンハルトが話し掛けた。

「何なのよ、その言い方・・・まるで私に早く帰って欲しいみたい」

「正直そうだ」

「何て人・・・私達はフィアンセなのよ!もっと何か言い方があるんじゃない!?」

「親同士が昔決めた事だ・・・もう時効だ」

「私はそうは思ってないわ。今回の日本旅行は、あなたとのちゃんとした約束を確認する

為よ。書面で書いて貰いますから」

「・・・よしてくれよ・・・僕は今学生で・・・」

「ドイツにだって大学はあるわ。大体あなた、ドイツ国籍のはずじゃない。どうして『医

学』の為にわざわざ日本に来たの?ドイツは医療において、世界ではトップレベルよ?」

「・・・僕の勝手だろ」

レオンハルトは歩き出した。

レオンハルトは「母親」に日本語を習ったので、日本語を喋っている時にはかなり「温和

口調」だが、ドイツで幼少を過ごしたので、ドイツ語ではまんま「素」の彼だ。

本来のレオンハルトと言っていいかも知れない。



「あなたはいっつもそうやって大切な事は何一つ私に話してくれないじゃない!フン・・

秘密主義者!

「何で僕が君に色々喋らなくちゃいけない?」

レオンハルトは冷たい視線でゾフィーを見た。

ゾフィーの事を好んでいないのは、誰の目にも一目瞭然だ。

「何度も言ってるけど、私達はフィアン・・・」

「ストップ!もう一度言っておくけど、僕の方にその意思はない・・・二度とその話はよ

してくれ」

勝手は許さないわよ!パパだって・・・」

「大声で怒鳴るなよ・・・注目されてる・・・」

レオンハルトは周りの目を気にした。



「『ホビット』にどう思われようが構わないわ」

ゾフィーが意地の悪そうな目で、周りの日本人をチラリと見た。

「・・・日本人をそういう言い方するな。分かっていないのなら言うけど、僕の半分は日

本人だ」

ゾフィーも確かに言い過ぎたと思ったのだろう、不本意ではあるが侘びを入れた。

「・・・悪かったわ・・・でもね、レオンハルト・・・」

「車があっちに待ってる・・・とにかく・・・まず家に行こう・・・。父が帰っている。

君に会いたがってた。話はそれからだ」

「分かったわ・・・おじ様には私も会いたかったし。何年ぶりかしら・・・懐かしいわ」

駐車場は結構車が一杯だった。



「僕は君が日本に居る間中、ずっと構っている事は出来ない。さっきも言った通り僕は学

生だから授業がある」

「あら・・・じゃ私、あなたの大学に行ってみたいわ。少しはこれでも日本語を覚えて来

たんだから・・・えっと・・・『コニチハ』とか・・・『アリガト』とか・・・」

「・・・学校に君を連れて行くつもりは無い。適当に観光を終えたら、早くドイツに帰る

んだ」

「嫌よ・・・どうしたって言うの、レオンハルト?昔はあなた、そんな人じゃなかったわ?」

「・・・この際だからハッキリ言っておくよ、ゾフィー。僕には・・・好きな人がいる」

ゾフィーのこめかみがピクリと動いた。

「だから、もう親が決めた事なんか忘れて、君は君の素晴らしい人を探して欲しい」

「・・・へぇ・・・そんな嘘を私が信じるとでも?」

「本当の事だ。君は美しいんだから・・・幾らでも相手なんか・・・」

「私にとってはあなたが全てよ!逃がさないわよ、レオンハルト・・・」

レオンハルトは溜め息を吐きながら自分の車を見つけ、手を上げた。

運転席の男がそれに気付き、サッと外に出て来て荷物を入れる為にトランクを開けたりし

ている。



後部座席のドアをレオンハルトが開けてやると、ゾフィーはさも当然のようにそこに納ま

った。

レオンハルトは回り込んで、自分の為にドアを開けてくれた運転手に「ありがとう」と言

い、ドアを閉めて貰った。


「あら・・・どうしたの、その手?」

ゾフィーがレオンハルトの手の平にある、新しい怪我に気付いた。

「・・・『僕の愛する人の為』に負った、傷だ・・・。触らないでくれ」

レオンハルトはワザと『重要な部分』を大きめの声で喋った。

ゾフィーの顔がムッとした。


「出してくれ・・・」

レオンハルトがそう言うと、車はゆっくり発進した。

レオンハルトは窓越しの青空を見上げながら、つい昨日まで一緒だったメンバーの顔を思

い浮かべて懐かしんだ。





余談ではあるが・・・・・大晦日の夜、ヴォルデモート一味は気の毒にも、何時間も「オーロラ5★」が到着

するのを待っていたらしい。

今は、その時の夜風にやられ、全員して風邪で寝込んでいるそうだ。




第十三話完結       第十四話へ続く      オーロラ目次へ       トップページへ