第二十四話「サトーさんがやって来た!」


「アダダッ・・・」


ダニエルが顔を歪め、パイプベッドでビクンッと体を飛び上がらせた。


「大袈裟だな・・・ま、捻挫だ。今日は風呂入るのやめておいた方がいい。湿布を出してお

くよ」

「ありがと、先生。ねぇ、来週の週末までには良くなるかなぁ?」

「そりゃ、お前次第さ。安静にしてりゃ治りも早い」

「安静かぁ・・・」

夕方、陸上部のマネージャー夏海に付き添われながら、ダニエルは地元の接骨院で診断を受

けていた。

ジャージの裾を膝まで捲くり上げ、生意気にも脛毛が生えた男らしい右足を出している。

踝の辺りが仄かに膨れ上がっていた。

部活中、100Mダッシュの練習時に勢い余って奇妙な恰好で転んだのだ。

その時、オカシな角度で足を捻った。



「ごめんね、池照君・・・」                        

陸上部のマネージャーで、その時笛係担当の夏海が謝った。

「何で夏海ちゃんが謝るの?夏海ちゃんのせいじゃ無いよ」

「ううん。笛吹くタイミングが私悪かったのかも・・・」

「あれ?さっき俺もすっ転んだんだけど、俺の時は『ごめんね』無かったけどな」

西野と言う部員がジョークの野次を飛ばす。

温田夏海がダニエルに好意がある事は、誰の目にも明らかだった。

が、残念な事に当のダニエルには全くその事が分かって貰えていない。

ダニエルがすっ転んだのはハッキリ言って・・・本当に「本人」に問題があった。

真剣に練習していなくてはならないはずの時、彼の目は校庭の端の方でスケッチブック片手

に、「フンフン♪」鼻歌を歌いながら花壇の花に止まったてんとう虫をデッサンしていた兄

のルパートを捉えていたからだ。

「可愛〜いなぁ♪」

・・・・・。

なので、完璧に本人の「邪な感情」に原因がある。

ダニエルは相変わらず「重度のドリーミング病患者でネバーランドの住人の、兄ルパート」

に、一方的なラブ光線を送り続けていた。

その愛は、近年益々過激になって来ていると言っても良い。

ブラコンの域を完璧に超えている。

しかし・・・当たり前と言えば当たり前だが、その愛は十五年間実った事は無い。


来週の週末は高校陸上の地区大会の日であった。

中学から引き続き陸上部に所属していたダニエルは、得意の100M短距離走の選手に選ば

れており、学校の期待を背負っていた。

ダニエルは中学の全国タイムを塗り替え、今は高校生の歴代タイムをも塗り替えるのではな

いかと噂される程のスター選手だ。

オリバーとジェームズは密かに、「我が家からいよいよオリンピック選手が誕生するのでは

?」と期待している。

 



会社が終わった時間なので、そろそろ接骨医院の待合室にはサラリーマンやOLの姿も見え

始めた。


「可愛いマネージャーだな、ダニエル?もしかしてお前のカノジョか?」

医師が待合室でダニエルを待っている夏海をチラッと確認してニヤニヤした。

「違うよ。僕が好きなのは・・・」

「知ってるよ。お前の『妖精ちゃん』・・・だろ?」

「エヘヘ〜♪そう!可愛いよね〜、『僕のルパート』って」

「君のじゃないと思いますけど?」

喉太の声が、横からダニエルの言葉を制して来た。


「あれ、マルフォイ参謀さん?どうしてこんな所に・・・」

久しぶりに「悪の一味」の人間を見た。

まさか隣のベッドに居たとは・・・驚きである。

マルフォイ参謀とは、聖ホグワーツ学園のヴォルデモート卿の側近の一人で、「オーロラ5

★」とは敵対して居る一味の一人だ。

オリバーが一時(いっとき)その理事長の姪の魔子に淡い気持ちがあり、少々引き摺っていた

過去もある。

ダニエルは、「そう言えば自分達は随分長い間『対戦』してないな」と考えた。

ま、挑戦状が届かないのでは致仕方無い。

悪にも悪なりの諸事情があり、正義と戦ってる時間が取れないのかも知れない。



「卿の大型犬の散歩をさせてたら、ちょっと・・・引き摺られましてね。で、足を痛めて・

・・」


「大変ですね」

マルフォイ参謀は大概いつも「身内のブツブツ」を池照家の兄弟にチクッては鬱憤を晴らす

所のある男だ。

「やめればいいんじゃないですか、その仕事?」

ダニエルはサクッと引導を渡してやった。

とんでもない!このご時世ですよ?次の就職なんてなかなか決まらない世の中なんです

。ま、君はまだ子供だからそういう事は分からないだろうね。いいなぁ・・・私も子供に戻

りたい」

マルフォイ参謀の愚痴は長くなりそうだ。

ダニエルは医者を急かして診療を終えて貰い、湿布を貰って病院を出る。


「僕らにだって、僕らなりの大変な事が色々あるんだ!」

ダニエルは「子供社会の大変さを大人は忘れちゃってるよ」と、痛く無い方の足でその辺の

小石を蹴っ飛ばした。

 

 




それから数日経ったある日の午後の事、トムが弟達の部屋の襖(ふすま)を開けた。

弟二人はまだ学校から帰っていない。

ダニエルはおそらく部活だろう。

医者の言う通りに「安静」にしていたのはたった一日だけだった。

確かに年頃の男子に「安静にしてろ」と言う方が土台無理な話ではある。

一方、ルパートの方はきっとどこかでまた寄り道を食って遊んでいるに違いない。(ルパー

トがこの瞬間、どこぞでクシャミした)

ルパートは部活もバイトもしていないので、遅い時は大概そんな理由だ。

みんなが忙しく時間に追われアクセクした生活を送っている中で、彼だけは時計の存在しな

い「独特の時間の流れ方の世界」で過ごしている。



トムは勝手に(兄の特権?)、弟二人の机の引き出しやら押し入れやらを開けて何か探して

いた。

「こいつ等なら持ってると思ったんだけど・・・チッ、無ぇか?」

トムが今探しているのは「分度器とコンパスとカッター」だ。

新たな彼の趣味・・・釣りの「細工」で少々必要だった。

腰に手を当て、部屋を一通りグルリと見回すトム。


「しかし、汚ったねぇ部屋だな・・・」

弟達二人の部屋は、相変わらず散らかり放題の酷い状態だ。

大方の原因は明らかにルパートのモノで、「ドラえもんぬりえセット」を途中まで塗った状

態で放置しただの
(クレヨンが出しっ放しだ)、「仮面ライダーステッカー」をトランプの

「神経衰弱」の要領で並べられている状態だの
(ご丁寧に「背の順にしてあるから絶対いじ

らないでね。いじると僕怒るからね」とメモが残っている
)、「買ったドリンクにおまけで

付いて来たと思しきストラップ軍団」だの
(だが、ケイタイなんか勿論ルパートは持ってい

ない
)が散乱している。



「ん?」

トムが鼻をヒク付かせた。

「何だ?」

クンクンと更に鼻をヒク付かせる。

「臭ぇ・・・」

不思議な変な臭いがする。

部屋の篭った臭いとか洗濯が生乾きした臭いとか、そういう類の臭いでは無い。

この部屋からは、明らかに生き物の臭い・・・動物臭がした。

いや、むしろダイレクトに「家畜臭」と言った方がいい。


ガサッ!


トムがその音に反応した。

今、間違い無く押し入れの中で何か音がした。

トムの耳はその音を見過ごさなかった。


「・・・まさか、ネズミ?」

トムはネズミが苦手だ。

が、このオンボロ家屋では頻繁にネズミが出没する。

それらの死骸があったとして・・・不思議では無い。

けれど、今の音はソレが「生きている」と言う証拠だ。

トムは自分の部屋から小型の懐中電灯となぜか殺虫剤を持ってまた弟達の部屋に戻り、少しド

キドキしながらソッと押し入れを開けてみた。

「う・・・」


臭いっ!


まさに、臭いの発端はここである!

トムは殺虫剤を持った方の腕を折り曲げ、肘の内側で鼻をガードした。

ゴチャゴチャしたオモチャだのが乱雑に突っ込まれた押し入れの中から、間違い無く獣特有

の臭いがムワッと鼻孔を突く。



「・・・相当デカイのでも潜んでんのかな?うぉぉ〜・・・気味悪ぃ・・・。オリ婆呼んで

来るかな?じゃなければ、めぐみか?」

トムが寒気からでは無い震えにゾクゾクしながら勇気を振り絞り、押し入れの中をあちこち

懐中電灯で照らしてみた。


「おわっ!」


今、確実に何かが動いた。


「デ、デケェぞ・・・」

トムはやみくもに押し入れの中に光を当てた。

オモチャを少し払い除けてまた中を照らす。


「ギャアッ!」


トムの踝に体当たりして何かが外に出て来た。

トムの全身に鳥肌が立つ。

部屋の中を暴れ捲って、どこかに「出口」を見付けようと躍起になっている「ソレ」・・・。

「・・・な・・・何だ、こりゃ?」

トムは懐中電灯と殺虫剤を置いて、近くにあった座布団で丁度ラガーマンがトライするよう

な格好で「ソレ」を捕獲した。

 





夕飯時。


「僕、もうご『馳走様』だから!」

ルパートが茶碗に飯を半分残したままイソイソと立ち上がった。

食卓に付いていたメンバー・・・オリバー、めぐみ、トムがルパートを見上げる。

ジェームズは仕事でまだ帰って来て居ない。

ダニエルはクラスメイトの小林の家にお泊りだった。

小林も陸上部所属だが、ダニエルのように選手に選ばれている訳ではない。

小林はダニエルとは旧友だが、イマイチ「パッ」とする所の無い男だ。

その辺を理由に彼も良くエマに叩かれたりしている。

性格の良さはピカイチの男で、クラスメイトからはそこそこ評価されている。

ダニエルは自分の家には無いゲームやらマンガを、彼の家で見せて貰ったり遊ばせて貰ったりしていた。

今日のお泊まりも「そんな理由」だ。



「何だ、お前・・・今日は随分飯食わないな?また腹でも痛いのか?」

オリバーが聞いた。

「ううん」

「んじゃ〜、ダニエルさんが居ないから淋しいんですか〜?」

めぐみがルパートに微笑み掛ける。

「ううん」(ダニエルは今、小林の家でゲームしながら大きなクシャミをしたに違いない)

「って・・・何で茶碗持って席を立つ?ってか、飯の上に随分おかず飾ってんな・・・」

オリバーが「どうもオカシイ」とばかりに、更に弟に問い掛けた。

「何でもないから。えっと・・・さ。ほら・・・さ。あとでお腹が空くかもしれないから・

・・だから・・・ん〜と・・・」

「フン・・・下手な言い訳だぜ」

トムが鼻で笑いながら話に入って来た。

「知ってるぜ、俺。お前が何で自分の飯を持って、さっさと二階へ行こうとしてるのか」

「どーして知ってんだよー、トムー!僕トムに何も言って無いでしょーが。だから、トムな

んか全然知らないんだモンねー。嘘付きー!嘘ばっかしー!オオカミにんげーん!」

「嘘付きじゃねぇっ!っつーか、何なんだよ『オオカミ人間』って」

ダニエルが居ないので、ルパートの味方は誰もいない。

頓珍漢な言葉がトムをイライラさせる。

(ダニエルに変わりルパートの言葉を補足すると、おそらく「オオカミ少年」と言いたかっ

たのだろうが、ルパートは違ったインプットの仕方をしていた・・・と言った所だろうか
)

 


トムは話を本題に戻した。

「お前さ、何か連れて帰って来ただろ?多分・・・昨日か一昨日辺り」

「何っ!?」

トムの言葉にオリバーがギロッとルパートを睨んだ。

「お前、また『ハリー・堀田』から何か買ったのか!何騙された!何連れて帰って来た!

言え!

オリバーが更に強硬に詰め寄る。

「・・・騙されてなんか無いモン。何も連れて来てないモンね」

そう言うルパートの声は弱々しい。

目もウヨウヨしている。

「不自然さ」を醸し出す事では日本一の男だ。

「お前の方がよっぽど嘘付きじゃねーかよ。言っただろ?俺、知ってんだぞ!吐けよ」

トムからの睨みには、ルパートは「ソッポを向く」と言うワザでスルーした。

「何をハリー・堀田から何か買ったんだ!えっ!?

オリバーが尚も弟に問い質す。

「違うモン!ハリー・堀田から買ったんじゃないモン!道に落っこちてたんだモン!あ・・

・」

「・・・・・」

オリバーの目が細くなって、ジッとルパートを冷たく見つめる。

残念ルパート・・・いとも簡単に「何かを家に連れ帰った」事を認めてしまった。



トムが殊更に大きな態度で詰め寄った。

馬ぁ〜鹿!あんなモン、道に落っこってる訳ねーじゃねーか!あんなのは・・・」

「・・・トム、お前ソレが何か知ってるのか?」

オリバーが今度はトムに訪ねた。

「まーな。『捕獲』して、今俺の部屋に居る」

「ちょっとー!可愛いからって取らないでよー、馬鹿トムー!僕の『弟』なんだから

ー!」

「あんなのが弟な訳無ぇだろがっ!っつーか、兄貴を『馬鹿』って言うんじゃねー!」

トムとルパートが揉めてる横で、オリバーはガックリだ。

「なるほど・・・また『その類(たぐい)』か。お前は一体何匹『動物の弟』作りゃ気が済む

んだ?どーしてそう言うのを連れて帰って来るんだか、お前は・・・。何だ、また『カメ』

か?それともどデカイトカゲか何かか?カメレオンとか?」

「カメじゃないモン!トカゲでも無いし、カメオロメン違うもんっ!」

・・・?

今、確実にルパートは「カメレオン」を不思議な言い方をした。

多分、アーティストの「レミオ○メン」と被ったのだろう。

 


「どーせ、『しーちゃん』の代わりにカメ連れて帰って来たんだろ?」

「違うもんっ!」

オリバーが言う度、ルパートは否定した。

少し前に、いよいよ「しーちゃん」はガラパゴス諸島に帰還(変換)していた。

ニュースでも大々的に発表されたが、かの島で研究されていたガラパゴス大ガメの「ロンザ

ムジョージ」が高齢で死んでしまったので、唯一の彼の子孫であるしーちゃんの帰国が予定

より早まったのだ。

ちなみに、しーちゃんの存在は世の中ではオフレコになっている。

このカメはハリー・堀田があるルートを通して闇で捌いたカメなのだ。

たまたま昔、ルパートがそれを「300円で」買った。(しかも「リボ払い」)


ルパートはしーちゃんの帰国の日時を知らせて貰ったが、結局空港に見送りには行かなかっ

た。

彼なりに、家で別れたあの時に「区切り」を付けていたのだろう。

ルパートはしーちゃんが居なくなってから、一度もしーちゃんの名前を出して居なかった。

しーちゃんの想い出を、まだ「想い出」として懐かしく語る事が出来ないからだとみんなは

思っている。

確かに「あのお別れ」は、ちょっとした事件だった。

 


「じゃあ何だ?黙ってたんじゃ分かんないだろ!犬か?それとも猫か?」

オリバーがまだまだ詰め寄る。

「ブッブー!・・・ハズレ」

トムが答えた。

「驚くぜ、兄貴?ま、めぐみは案外『見慣れてる』かもな。お前は田舎育ちだし」

「あンれ?もしかして『牛』ですか〜?」

アホッ!牛なんかどんだけ子供だって言ったって、大人の犬くらいあんだろがっ!連れ

て帰りゃ、誰にだってすぐバレる!よし、俺が今『ソイツ』を連れて来る」

トムが立ち上がって自分の部屋に向かった。

「僕のだよー!触んないでよー、お馬鹿さーん!」

ルパートがバタバタとその後を追い掛けて行く。

 



「あれ?」

トムが袖の所を縛った自分の皮ジャンを持ち上げると、中はもぬけの殻だった。

「居ないじゃん、トム。『サトーさん』返してよ!んもぅっ!

「いや、確かにここに・・・え、『佐藤』?」

言い掛けたトムの耳に、階下からオリバーの叫び声が轟いた。

トムとルパートは顔を見合わせて、共にもう一度一階に下りて行く。



「な、な、なん・・・なん・・・」

腰を抜かし、障子に貼り付いているオリバーを余所に、めぐみが「ソレ」を「ヨシヨシ」と

抱き上げていた。

「めんこいな〜・・・」

子ブタがめぐみの腕の中で猛烈に暴れ捲っている。


「サトーさんっ!」

ルパートがめぐみから子ブタを受け取った。

「何だ、『佐藤』って?」

オリバーが聞いた。

「この子のお名前だよ。ね〜?」

ルパートが小汚く汚れた子ブタの鼻面に頬ずりしている。

「はぁっ!?」

「この子が入ってた大きな袋に『砂糖』って書いてあったの。だから、僕『サトーさん』っ

てお名前を付けてあげたの。もう、ちゃーんと自分の名前分かるんだよ♪ね〜?」

「ブヒッ」

「ほら♪」

オリバーとトムがガックリした。



「色々聞きたいが・・・まず一つ!『さん』は要らねぇんじゃねーの?」

「いーんだよ!『サトーさん』ってお名前が丁度イイんだから!」

「何が『丁度イイ』んだか・・・」

「だって、そう呼ばないとお返事しないモン。呼んでみなよ、トム!」

「アホか。どーして人間様がブタ如きに『敬称』付けなきゃならねぇ!佐藤で充分だ!」

「どーだっていい!ルパートの相手するな、トム。とにかく家では飼えない。元の場所に早

く戻して来い」

オリバーがバシッと言った。

「ヤダ!」

「ダメだ!」

「ヤダー!」

「ダメったらダメ!」

ルパートがおねだりする度に、オリバーは反対した。

まぁ・・・当たり前である。



「ねーねー!オリバー!サトーさん、飼ーいーたーいー!

「ダーメ!」

「飼いたいっっ!」

「ダーメったらダメだ!何度言っても絶対ダメっ!捨てて来いっ!」

「ヤダー!んもー、何でいっつもそんなにケチなんだよー!」

ルパートの声が興奮で大きくなった。

「あのな、『ブタ』だぞ!?犬や猫じゃ無いんだ!」

勿論オリバーは、拾って来たのが犬だって猫だって「ダメ出し」するが・・・。

「ブタって言わないでよ!サトーさんって立派なお名前があるんだから!」

「お前が適当に付けた名前だろっ!っつーか、名前なんか付けるな!」

「名前を付けると愛着が出てくる」と言う事を、オリバーは己で立証済みだ。

彼自身、庭のキュウリに「幸子」と名付けて可愛がっているくらいである。

オリバーに言わせれば、「どのキュウリより可愛い」そうだ。



「とにかくダメだからな!早く捨てて来い!」

「・・・・・」

ルパートは口をブーッと突き出し、サトーさんを抱えてトボトボと玄関に向かった。

靴を吐きながら、ブツブツと兄を呪う。

「オリバーはケチだよ、いっつもケチだよ」

「何か言ったか?」

オリバーが向こうの方から大きな声を出した。

「何も言って無いよ!フン、馬鹿馬鹿!」

ルパートは子ブタを抱えてトボトボ外に出て行った。

 

 







「・・・帰って来ねぇな・・・」

出て行ってからニ時間以上になるのに、ルパートはまだ帰って来ない。

時間は夜十時を回っていた。

ジェームズも仕事から帰って来て、トムに事のあらましを聞いた所だ。


「へぇ、今度は『ブタ』か?ハハ・・・懲りねーな、アイツ?けど、一回くらいそのブタ見

てみたかったぜ」

ジェームズはおチャラけたセリフをのたまったが、それでもしきりに時計を気にして居た。

普通の高校生がこの時間外で居る事が普通なのかどうなのかは関係無い。

とにかく「池照ルパート」にとっては、家に居る事が当たり前の時間である。

その彼が未だ家に戻って来ないと言うのは・・・どう考えてもオカシイ。



「・・・まさか、事故とか?」

「いや、案外アレで可愛い面してるトコあるからな。人攫いとか?」

「縁起でも無い事言うな!」

オリバーも「何か」していないと落ち着かないようで、普段貯めていた伝票整理など始め出

している。

が、気が散っているのだろう・・・散々計算を間違って、さっきから舌打ちばかりだ。

 


「・・・ぃ!」


 

「ん?今玄関で何か声がしなかったか?」

ジェームズが遅めの夕食を摂る手を休めて耳を澄ました。

「いや、聞こえなかったと思うけど?」

「ルパートじゃないか?」

「なら、自分で戸開けて入って来る」

 


ドンドンドン!


「・・・お〜ぃ!」

 


「やっぱ誰か来てる。はぁ〜ぃ?

ジェームズが箸を持ったまま玄関に出て行った。



「どちらさん・・・お、源さんじゃん。お久!」

「よぉ、ジェームズ。しっかり社会人やってっか?」

「まーね〜♪」

「っつーか、お前の家の『呼び鈴』ぶっ壊れてっぞ?直しておけよ」

「了解!ん、ルパー・・・ト?」

一杯飲み屋「いつもここから」の双子の店主の一人「源さん」が、メソメソ泣いて泥だらけ

になっているルパートを後ろに隠していた。



「朱美さんが見つけたんだよ。駅の裏の『seiyo』の路地のトコで、知らないオッサン

に腕掴まれていたらしいぞ?ブタがエライ鳴いてそのうるささで朱美さんが気付いたんだ。

危ないぞ?あの辺最近変質者続出してっからさ。で、朱美さんがここに送って来ようとした

らコイツが嫌がったって言うんで、俺んトコに連れて来たんだ」

ルパートはまだ腕の中に小ブタを抱きしめている。

涙と汚れでルパートは泥だらけだ。

若干震えている所を見ると、「ちょっと怖い経験」をした事で流石にビックリして居るのだ

ろう。


思えば、ルパートは何度か「怪しいおじさん」に連れて行かれそうになった事がある。

ダニエル曰く、「フェミニンなトコが特にルパートは可愛いんだよね〜」と言う事らしいが・・・・・。



ジェームズはルパートの頭をポンポンと叩いた。

「大丈夫か?怪我はしてないか?ほら、入れよ?」

ルパートが首を振る。

「朱美さんに『ありがと』言ったのか?迷惑掛けんじゃねーぞ?ほら、入れって」

「ダメだモン。オリバーに『サトーさん捨てて来ないとダメ』って言われたんだモン」

「じゃ、捨てて来いよ?」

「・・・ヤダもん」

ルパートはまたメソメソ泣き始めた。

ちょっとこれは長くなりそうだ・・・ジェームズはそう判断した。


「源さん、ありがと。もうここで大丈夫。悪かったね。朱美さんにもヨロシク言っておいて

。また俺も『いつここ』遊びに行くよ。また美味いもんガッツリ食わしてチョ♪」

「おぅ!」

源さんが手を振って帰って行く。

ジェームズはルパートと玄関の所で向かい合っていた。

若干生温かくなって来た夜風が、二人の髪を撫でて行く。

 



「お前がそんなに『強い意志』でそのブ・・・いや、サトーさん飼いたいなら、オリバーに

ちゃんと言わなきゃダメだろ?」

「無理だモン」

「何で無理なんだ?言ってみなきゃ分からないだろが?」

「オリバー、絶対ダメって言ったもん。トムもオリバーの味方だモン。僕の味方はダンだけ

だモン。ダン、今日居ないもん!」

「お前はダニエルが居ないと何も出来ないのか?お前幾つだ?」

「僕は『永遠の少年』だモン!大人になりたくなんか無いもん!」

「ハハ・・・そりゃ無理だ。お前は『大人の入り口』の前にもう突っ立ってる」



「あ〜あ・・・こんな事ならさ、僕もしーちゃんと『ガラパンゴス』に行けば良かったよ」

「あ?」

ジェームズの目が少し釣り上がった。

「僕なんか、もっともっと楽しいトコで住みたかった」

「へぇ・・・ここは詰まらないか?」

ジェームズの声がグッと低くなった事にルパートは気付いていない。

「詰まんないよ!オリバーは『就職するか大学行け』ってゆーし、トムは僕の事馬鹿馬鹿っ

てゆーし、エマはすぐぶつし・・・」

「お前のそー言うートコ、俺嫌ぇだな。嫌な事からす〜ぐ逃げようってそーゆートコ」

「嫌いでもいいモン!」

ルパートは自棄(やけ)になっていた。

ジェームスは敢えてルパートの「間違った言葉」にツッコミを入れなかった。

今は「ガラパンゴス」をイジる時では無い。



「生きる事をナメんじゃねーぞ、ルパート?すぐ誰かが庇ってくれたり人のせいにしたり・

・・お前は甘いっ!」


「・・・・・・・・」

ジェームズにこんなに真剣に叱られた事がなかったルパート。

いつも「みんなの仲裁」的立場で、一緒に遊んでくれる頼りになるジェームズ・・・。

そのジェームズが多分、本気で今ルパートを叱っている。

ルパートはビックリして悲しくて・・・また泣けて来た。


「強くなれよ、ルパート?お前の人生なんだぞ?大学行きたきゃ行けばいいし、嫌なら行か

なきゃいい。ブタを飼いたいならオリバーにちゃんと言えばいいんだ」

「でもさ、だってさ・・・」

「『だって』じゃない!まず、泣くな!俺が後ろに付いててやるからオリバーにちゃんと言

ってみろよ」

「・・・ホント?」

ルパートが涙でグショグショの顔でジェームズを見上げた。

「ホントだ。でも、俺は後ろに居るだけだぞ。喋るのはお前だ。どうだ、出来るか?オリバ

ーに言いに行くか?」

「・・・・・」

「どうなんだ?」

「・・・うん。言いに行く」


ジェームズはルパートを良く理解して居る兄弟だ。

ルパートは確かに馬鹿だが、案外そんなに馬鹿では無い。

自分の口で発した事はちゃんとやる男だと言う事をジェームズは知っている。

思えばしーちゃんの時も、頭ごなしにルパートからカメを返せと言うから反発しただけで、

ちゃんと理由を言ってやれば、ルパートは自分で判断して自分でカメを研究員に引き渡した

のだ。



ジェームズがルパートの抱かれているブタを見つめた。

「へぇ、コイツが『サトーさん』か?何かお前にちょっと似てんな?」

「・・・僕の弟だモン」

「なるほどね。じゃ『オニーチャン』はちゃんと弟君をここに住めるように交渉しないと。

だろ?」

「うん・・・そだね」

ルパートは涙を拭いた。

ジェームズは薄汚れた弟の頭をまたポンポンとして家の中に入れた。


その一部始終を、たまたま池照家の両サイドの二階の窓から二人の女性が見つめていた。

河合エマは、温田家の次女・陽子と目が合うと体裁悪そうに先に窓を閉めた。

一方陽子は、暫く池照家の玄関付近を見つめていた。

 

 



「おわっ・・・汚ったね!」

トムが早速玄関先でルパートを野次った。

鼻を押さえて、ルパートとブタをシッシッとしている。


「お前が出て来るとややこしくなるから上に行ってろ」

「お、何だよ、ジェム爺・・・まさかそのブタ飼う気じゃ無ぇだろな?」

「『池照家の家訓』第六条を忘れたか?我が家の全ての権限は『婆さん』にある。俺じゃね

ぇ」

「・・・・・」

ジェームズはトムをグイッと退かせると、居間に入って行った。

「っつーか、どうしてルパートはそんなに汚れてんだ?」

トムが聞いたが、ジェームズはそれには答えずルパートを居間に先に押し込んだ。



オリバーは丁度、ルパートに背を向ける感じで座っていた。

めぐみが居ない所を見ると、風呂かトイレか台所だろう。

「・・・俺の言った事覚えてるか、ルパート?」

早速オリバーが、数時間ぶりに帰って来た弟に語り掛ける。

こっちを向いて喋らない所が・・・もうかなり怖い。

「・・・サトーさん、ここで飼いたい」

ルパートは小さな声で訴えた。

「何度言えば分かる?ダメだって言ったよな、俺?」

「ちゃんと僕がお世話するから!ちゃんとイイ子に育てるから!」

オリバーはお茶を飲みながら、向こうを向いて伝票整理をしている。

ルパートの方を見向きもしない。


「お願い、オリバー!僕、サトーさんとここで一緒に住みたい」

めぐみが風呂から出て来た。

髪を拭きながら自分も静かに脇の方に座る。

トムもその後ろから現れた。

めぐみが口を開いた。

「ルパートさん?ブタは難しいんだ。世の中には『ブタ小屋』なんて言い方あンだども、ホ

ントはブタは綺麗好きだ。ルパートさんの部屋は・・・どうだ?」

「・・・・・」

「それに、ブタは自分も綺麗好きだ。しーちゃん飼うのとは訳が違うど?」

「僕頑張るよ!」

めぐみがオリバーを静かに見つめる。

何だかそんな感じ・・・長年連れ添った夫婦みたいである。


「オリバーさん?」

めぐみがオリバーの背中に向かって静かに声を掛けた。

「・・・この臭いとずっと付き合わなきゃいけないのはかなり簡便だ。俺ん家は喫茶店やっ

てるんだ。だから・・・」

オリバーが静かに言った。

「そりゃあ、こン子が今は汚れてっからだ。チョコッと洗ってみればいいんだ〜」

「・・・・・」

「僕、庭でサトーさん洗って来てみる!」

ルパートがブタを抱えて庭に出て行った。


オリバーがジロリと双子の弟を睨む。

「・・・ジェームズ・・・お前何かルパートに吹聴しただろ?」

「してねーよ」

「いーや、したっ!じゃ無かったらアイツはあんなにちゃんと俺にモノを訴えたりして来な

い。味方も居ないし・・・アイツはまだ子供なんだ」

「違うよ、婆さん。そりゃ、アンタがアイツをいつまで経っても『子供』に見てるだけだ。

アイツは意外と俺達の想像より大人だと思うぞ?割と『利口』だ」

「・・・・・」

オリバーは、「めぐみちゃん、俺にもう一杯お茶くれる?」と湯呑を差し出した。

 


「サンキュー、婆さん♪」

「何で礼を言う?」

オリバーがジェームズをまた睨んだ。

「だってアレだろ?実際、もう飼ってやろうとか思ってるだろ?」

「思ってねーよ」

「うっそだぁ〜・・・思ってるって。兄貴は昔っから『優しいオニーチャン』だもん」

「気味悪い事言うな!」

「言えてる」

トムがその言葉に乗っかったが、それには双子からそれぞれ凸ピンを食らう羽目になった。


「あ、めぐみちゃん・・・俺、メシおかわり!」

馬鹿!もうとっくに片づけたわ!お前も風呂入って寝ろっ!」

ジェームズはオリバーに叱られた。

「チェッ!オリバーは昔から意地悪な兄貴だよな?」

「おぃっ!さっきと言う事が違うじゃねーか!」

ジェームズは仕方なく、ポケットから潰れたカレーパンの袋を取り出した。

「こんな事もあろうかと、いつも俺のポケットには予備食が入ってるのだ。ジャジャ〜ン♪

「ドラえもんか、お前は」

 

 




ルパートが子ブタを綺麗にして家に中に入って来た。

「綺麗になったよー、サトーさん・・・あれ?」

が、もう居間にはめぐみしか居ない。

めぐみは自分の布団を敷いている所だった。


「オリバーは?」

「ルパートさんも風呂に入れ。今、ジェームズさん入ってっから、出たら入れ。あンれ・・

・ホントめんこいブタだんなぁ〜・・・こン子」

「ブタじゃないよ。サトーさん!」

「そうだ!そうだ!ごめんしてけれ」

「オリバー、居なくなっちゃったし・・・どうしよ」

「今日は一緒に寝たらどうだ?ダニエルさん居ないし・・・一緒に寝れば寂しく無いと思う

けンど?」

「・・・いいのかなぁ。お部屋連れてっても・・・」

「私が言っておぐがら、大丈夫♪」

「ありがと、めぐみちゃん。おやすみ〜」

「はい、おやすみなさいです〜」



ルパートは自分の部屋にサトーさんを放し、ジェームズが風呂から出た辺りを見計らって風

呂に入った。

肘の所に擦り傷が出来ていた。

今更ながらに「知らないおじさん」の事を思い出す。

「あのおじさん、何がしたかったのかなぁ?ピンク色の看板ばっかし探してたけど?へ〜ん

なの」

お湯が傷口に沁みた。

ルパートが怪我をしたのはおじさんに乱暴されたからでは無かった。

サトーさん抱えて歩いていたらコケた・・・と言うだけの話だった。


「今日はお部屋が汚いけど、明日綺麗にするから一日だけ我慢してね、サトーさん。ダンに

も手伝って貰うから。僕、明日もう一回オリバーにちゃんと言ってみるからね」

ルパートは自分の布団にブタを入れて、ヨシヨシしながら眠った。

「あったか〜い・・・♪」

 

 


「ブヒッ!」


次の朝、ルパートは異様な臭さに不快感を感じて目を覚ました。

「ああああーーーーっっ!」

何たる事・・・サトーさんが布団の中でまさかの「お漏らし」だ。


「コラーッ!ダメでしょーが!サトーさん!お馬鹿さんっ!」

「うるせーぞ、ルパート!」


隣の部屋でまだ眠っていたトムが弟の喧しさを叱る。



ルパートは慌てて布団を担いで階段を下りて行った。

まだ六時前だと言うのに、庭でゴシゴシ布団を洗い始める。

普段の彼なら、こんな早起きは絶対にしない。

サトーさんは自分の仕出かした事など全く理解して居ないようで、テクテクと庭を気ままに

歩き回っている。


「うんちの時はちゃんと『うんち』って言いなさい!」

ブタ相手に本気に話し掛けているルパート・・・やはり彼は馬鹿だ。

「・・・早急にトイレが必要だな、婆さん?」

そっとその様子を見ていたジェームズがオリバーに呟いた。

「ルパートに用意させる。『兄貴』らしいからな」

「ハハ♪」

「ったく・・・カメの弟だとかブタの弟だとか・・・何なんだ、アイツは。人間の弟の方も

イマイチだし」

ダニエルが小林の家でクシャミをした。

「風邪引いたか?布団もう一枚出す?」

「いや、多分ルパートが僕の事を呼んだんだと思うよ。淋しがり屋さんだから。今日は帰る

からね、ルパート♪」

「・・・あ、そ」

小林は、数少ないダニエル馬鹿げた「想い」の理解者である。

 

 



「おい、ポチ!」

トムがその辺を歩いていたサトーさんを呼び付けた。

ブタはチラッとトムを一瞥して無視して歩き去った。

「ダメですよ〜、トムさ〜ん。ちゃんと『サトーさん』って呼ばないと」

めぐみが洗濯を畳みながらクスクス笑った。

「何が『サトーさん』だ。ブタ如きに『さん』なんて馬鹿げてる。こっち来い、ミケ!」

サトーさんは見向きもしない。

「サトーさん、お水上げましょうか〜」

めぐみが呼ぶとちゃんとサトーさんはトコトコとやって来た。

「あンら〜・・・・頭がいいですね〜、こン子」

どこがっ!馬鹿が一人・・・いや、一匹増えただけだ。どーしてオリバーはコイツ飼う

のを許しちまったんだか」

「まぁ、いいじゃないですか〜。家族は多い方が楽しいですよ〜」

「お前がもう少しシンプルな体だったらそれ言ってもいいけどな。益々家が狭くなる・・・

。折角どデカイカメが居なくなったってーのに」

「コラッ、トム!女性にそういう言い方はよせって言ってるだろが!」

オリバーが居間に入って来た。

「コイツは女性じゃない!もはや『めぐみ』と言う、俺達とは別の種族だ!」

トムは流石にめぐみの事をもう「トド」とは呼ばなくなっていた。

それでだけでも大きな発展である。

 


「あ、ねーねー、オリバー!僕ね〜、なりたいもの見つかったよ!」

昼食を食べ終えた頃、唐突にオリバーにルパートが報告して来た。

オリバーは純粋にそれを喜んだ。

今までは進路がちっとも決まらなかったルパートである。

これで、担任にちゃんと方向性を伝えられそうだと期待した。


「そうか!で、何がしたい?」

「僕、チンドン屋さん!」

「は?」

「ブハッ♪」

ジェームズがウケた。

食べていた「食後の焼きそばパン」が鼻の方に回った為、その後彼は途轍もなく苦しんでい

た。

「知らないの〜?白いお顔でさ、『チンドンチンドンプッカプー♪』って、楽しい演奏して

歩く人達の事だよ」

「チンドン屋くらい知ってる!どーしてそれになりたいんだ?」

オリバーはジェームズの影響か、頭ごなしにルパートを怒るのを一先ずやめて理由を聞いて

みる。

「だってさー、僕カスタネット上手じゃな〜い?」

「ブハッ♪」

再度ジェームズはウケ、今度こそゴホゴホと咽た。


「・・・それが理由か?」

「うん!トライアングルも上手いしね♪」

「・・・・・」

「ダメかな〜?」

「ダメ!」

「みんなを幸せにするお仕事だよ?僕、そーゆーお仕事したいの」

「ダメ!」

んもぅー!またダメって言ったー!ホントにもうオリバーは『ダメダメ星人』なんだか

らー!」

「何だよ、『ダメダメ星人』って」

「オリバーみたいに何でも『ダメダメ』言う人の事だよ!オリバーは『ダメダメ星のダメダ

メ大王』だ!」

おぃ、待て!それだとまるで俺がダメな奴みたいに聞こえるじゃないか!とにかく、チ

ンドン屋は却下!」

「ブー!ブー!」

ルパートが兄に対し、猛烈なブーイングをかます。



「お、流石『サトー』の兄!もうブタ語が喋れるようになったのか、お前?」

トイレから出て来たトムが早速茶化す。

「違うでしょー!それに、サトーさんってちゃんと言ってよ!」

「言わねーよ!お前も今日から『カトーさん』って名前でいいじゃね?」

トムが更にケラケラ笑う。

「僕のお名前はカトーさんじゃないよー!馬鹿トム!」

「俺を馬鹿って言うんじゃねー!」

トムがルパートの頭にチョップをかました。

「痛いでしょーが!あ・・・ダンが帰って来た!」

他の事には殆ど繊細な神経が動かないのに、ルパートにはダニエルの足音が分かったらしい。


「ただいまぁ!」

元気一杯に、玄関の所にダニエルの声が響く。


「スゲーな。ダニエルの気配を感じ取りやがったぜ、コイツ。流石『カトー』」

「カトーじゃないよ!」

ルパートは玄関まで人間の弟を迎えに行った。


「おかえり〜、ダ〜ン♪」

「ただいまぁ〜、ルパートォ〜♪僕が居なくて寂しかった?」

ダニエルは、一日ぶりの赤毛にもうメロメロだ。

「ううん、平気だった。サトーさん居たから」

「・・・誰、『佐藤』って?」

ルパートの後ろからトコトコとサトーさん登場。


「うわわ・・・ブ、ブタっ!ど、どっから・・・」

「ブタじゃないよ!サトーさんって素敵なお名前があるんだからー!僕の弟なんだからー!」

「・・・え?」

ダニエルは何が何だか分からない。

「大変だな、ダニエルも。また奴の『新たなライバル』が増えたぜ・・・」

トムがニヤリとした。

「トムさ〜ん、トイレットペーパー切れたらちゃんと足しておいてくださいよ〜」

馬鹿っ!俺のすぐ後にトイレ入んじゃねーよ/////

「テレなくてもいいですよ〜。み〜んな出るモンですから〜」

「てめぇ、ぶっ殺す!」

コラッ!女性に対して『ぶっ殺す』ってなんだ!『ぶっ殺す』って!月に変わっておし

おきよ!チョーーーーーッップ!

「イデーーーーーーーッ!」

ジェームズに脳天チョップを食らって、廊下でひっくり返るトム。

池照家は今日も賑やかである。

 

 

 



「馬鹿野郎っ!」


ある日の夕方、ダニエルがレインボーでオリバーに叱られていた。

ダニエルは悔しそうに唇を噛んでいる。

部活を途中で抜けて、家に帰って来たダニエル。

その右足首が、異様に腫れ上がっていた。


「お前、医者に安静にしてろって言われたんだろ?腫れ捲くってるじゃないか!痛いだろ・

・・」

「・・・痛くなんかない」

ダニエルは強張った顔をしている。

相当痛いようだ

オリバーはグッとダニエルの足首を持った。

「っ・・・」

ダニエルが痛みに顔を歪める。

「めぐみちゃん。俺ちょっとコイツ病院連れて行ってくるわ。店番頼むよ」

「はい〜」

心配そうな顔のめぐみに見送られ、オリバーにおぶられたダニエルは接骨院に向かう。

 


医師の言葉は厳しかった。

「安静にって言っただろう!?え?

「・・・・・」

「こりゃあ、当分の間運動はダメだ」

「そんな・・・困るよ、先生!明日は地区大会なんだ!僕、代表で・・・」

「無理だ。この足見てみろ!」

ダニエルは悔しそうに自分の足に視線を落とす。

足首が無くなるくらい腫れ上がっている。

元々は「安静」だったが、今は「当分運動は無理」と言う診断に変わってしまった。

ダニエルが打ちのめされたような、弱々しい声を出す。



「記録が掛かってるんだよ・・・僕、出ないと・・・」

「無理だ」

「何とかしてよ。明日だけでいいんだ。明日が終われば・・・」

「無理だ」

「・・・そんな・・・」

ダニエルが悔し涙を零した。

オリバーは黙って弟の後ろに立っていた。

俯いて涙を零す弟の頭をグシャグシャと無言で撫で回す。

 


病院の帰りもまたオリバーにおぶられていた、ダニエル。

「あ・・・」

向こうで夏海が心配そうに佇んでいた。

部活を途中で抜けて来たのか、それとも部活が終わったのか・・・とにかくずっとここに居

たようだ。


「・・・・・」

ダニエルはオリバーの長髪に顔を隠すようにして、自分の泣き腫らした目を夏海に見られな

いようにした。

女の子の前泣いた顔を晒すなど、ダニエルにとっては恥ずかし過ぎる事なのだ。

夏海は何も言わず、オリバーの後ろから付いて歩いて来た。

夏海は少し背が伸びたようだった。



「明日の大会はコイツ、休ませるよ、夏海ちゃん」

「・・・はい。先生もそのつもりみたいでした」

痛々しいダニエルの包帯の巻かれた足を見つめ、夏海も涙ぐんでいる。

「池照君・・・頑張ってたのに。春からずっと・・・一杯頑張ってたのに・・・」

夏海は自分の事のように悲しそうだ。

優しい子である。

「高校生活はまだ始まったばかりだ。秋だって大会はあるし、来年だってまだ色々ある。そ

うだろ、ダニエル?」

オリバーの問い掛けにダニエルは答えなかった。

よほど堪えているらしい。

誰のせいでも無い・・・自分のせいだ。

だからどこにもそれをぶつけられず、怒りが彼の体の中で燻っているらしい。

 

ダニエルは自分自身も今回の大会記録更新に掛けていた。

他の人間には「僕なんかまだ全然ダメだよ。西高の山田がやっぱ凄いよ」とか何とか言って

おきながら、心の中では誰よりも闘志を燃やしていた。

それが戦う前に御破算になってしまったのだ。



「夏海ちゃん?今年の夏もさ、みんなでどっか行かない?」

オリバーが話題を変えた。

「あ、いいですね〜。行きましょう!お姉ちゃん達にも言っておきます。エマちゃんも誘い

ましょうよ!」

「そうだね。どこか行きたいトコとかある?」

「私、行けるならどこでもいいな〜♪行った事無いトコ一杯だからどこでもいい」

「そっか・・・。レオ〜ンハルト、別荘近場で持ってないかな?そしたらアイツの別荘に泊

って遊べるんだけど。ちょっと聞いてみるか」

「それまでにはきっと池照君も足が治ってると思うし・・・ね?」

夏海が笑顔で言ったが、ダニエルはそれに答えなかった。



こういう彼はホント珍しい。

いつも明るく活発なダニエルが、今はトコトン落ち込んでいた。

泣いて潤んだ瞳に、夕焼けがキラキラ光っていた。

思えば・・・オリバーにおんぶなどされたのは何年振りだろうか?

ダニエルは暫し目を閉じた。

ただ、昔はもっとオリバーの背中は大きく無かっただろうか・・・?

オリバーは痩せているので骨張った背中だったが、肩幅がもっとあったような?


「そっか・・・」

ダニエルは気付いた。

「僕が大きくなったんだ」

そう・・・ダニエルをここまで大きく育ててくれたのは、オリバーでありジェームズだ。

両親の居ない池照家で弟達に食事を与え、教育を施してくれたのは、いつだって双子の兄達

だった。

そのオリバーが「明日の大会をやめろ」と言った・・・。

ダニエルは、ちゃんとそれを素直な気持ちで理解するまでには時間が掛かりそうだが、言う

通りにしようと思った。




第二十四話完結       第二十五話に続く       オーロラ目次へ       トップページへ