第七話「ベラトリックスのもくろみと、お受験小学生」


ベラトリックスが厳しい目で、兄・・・ヴォルデモートを睨んでいた。

ここは豪華な装飾品があちこち〆ている、ヴォルデモート卿のプライベートルームだ。

綺麗な飾り棚の中には、自分達の両親「トムとメローピー」の写真が置かれている。

「イケメン」の父親と、「大阪芸人」真っ青なユニークな母親・・・二人は今も健在で、

元気にハワイで移住し、楽しい老後を過している。

時々送られてくるメールでは、サングラスに大きな帽子、派手なアロハシャツの二人が「

ピースサイン」で、綺麗な青い海とやしの木の下で撮った、「いかにもハワイ」な画像と

共に写っている。

 


YO!お前達もこっちに住まないかYO!」と・・・。

「綺麗なネエチャン、一杯いるYO!」と・・・。

「だけど、物価は高いのYO!『柚子胡椒』が切れたから、一箱送ってYO!」と・・

・。

 


「兄さん・・・舐められているんですよ、あの兄弟達に・・・」

腕組をして、威圧的な冷たい視線を兄に向ける妹・・・季節問わず全身「黒尽くめ」だ。

「あ〜・・・そんなんじゃないと思うよ、ベラ。ほら、彼らは色々忙しいし・・・」

自分の部屋なのに、なぜかその態度は妹より小さくなっているヴォルデモート。

その傍らには、側近のマルフォイ参謀が立っている。

マルフォイ参謀はまだ若いのに数年前に腰を痛め、若干趣味の悪い・・・蛇柄の持ち手の

付いた杖を使用していた。

それに、何のマニアか知らないが、格好が「マント」に「銀髪のロン毛」だった。

相当に、イカレたオヤジだ。(それでもきっと、秋葉原辺りのヒーロー的存在にはなれる

だろうが・・・。風貌的にも存在的にも。
)



私達だって忙しいですっ!世の中、みんな自分こそが一番忙しいって錯覚して生きて

る生き物なんですっ!」

「・・・ツバを飛ばさないでくれよ、ベラ・・・折角のワインが・・・」

フンッ!何言ってるんです?鼻なんかないくせに・・・味なんかどうせ分からないでし

ょ?万年花粉症だし・・・」

兄に対して「言ってはいけない事」を言った、妹ベラトリックス。

ひ、酷いぞ!気にしているのに・・・」

近くにいたマルフォイ参謀が、気の毒そうに「ヨシヨシ」とご主人様をあやした。

「例え『妹君』でも、我が主君の暴言はお控えくださるよう、お願いしたい所存です」

フン!『オヤジのロン毛』が何ほざく!」

あ!あんな事!ご主人様ぁ〜・・・」

今度は変わりに、ヴォルデモートがマルフォイを宥(なだ)めた。

「ベラはあの通り、昔から『魔女のような女』なんだ。ごめんよ、マルフォイ・・・」

「私・・・ちょっと厨房で、何か貰って来ます。心落ち着ける為に・・・」

「あぁ、そうしなさい」

マルフォイ参謀は、チラッとベラトリックスを一瞥すると、部屋から出て行った。



「フンッ!弱虫!」

ベラトリックスはベーッと舌を出して、マルフォイを追っ払った。

「よしなさい、いい歳して・・・」

あっ!歳の事を!女が歳にどれだけ敏感に反応するか、兄さん分かってないわね!」

「あ〜・・・お前は美しいよ。安心しなさいよ・・・」

面倒臭そうに妹のご機嫌を取る兄、ヴォルデモート。

「フンッ!当然です!」

「『魔子』がお前に似なくて、本当に良かった・・・」

はぁっ!?何か仰った?」

「何も言わないよ・・・何も・・・」

ヴォルデモートは妹の性格を諦(あきら)めていた・・・きっと生まれつき心に「疾患」があ

る、可哀想な子なのだと・・・。

子供の時から凶暴な妹が、「オバサン」になってから改心出来る訳もない・・・益々毒舌だ。



「ところで・・・次の対戦で送り込む『怪人』の事だけど、『私』が用意して構わないか

しら?」

「え?」

「兄さんは甘いのよ!いつまでも子供に舐められていたんじゃ、『ヴォルデモート一味』

の名折れです!」

「・・・何も、子供相手にそんな目くじら立てなくても・・・」

何言ってんですかっ!そんなんだから・・・あぁ!もう、兄さんとは議論の余地が無

いわ!いいですね!私が次の対戦場所と、怪人を用意します!文句はないわね!?

バタンッと大きな音を立て、ベラトリックスは部屋から出て行った。

「はぁ〜・・・あの愉快な父母から、どうしてあんな子供が生まれたのか・・・」

ヴォルデモートは胃が痛んだ。

 


コンコン!


 

「・・・どーぞ」

ヴォルデモートはすっかり元気をなくしていた。

「大丈夫?おじ様・・・」

可愛い姪の黒髪がサラリと揺れ、仄(ほの)かに良い香りが部屋に漂った。

「あぁ、魔子か・・・お入り」

「ワインのおつまみに、ナッツとチーズを用意して来たの」

「優しいね、お前は・・・。どうした?浮かない顔をして・・・?」

「ママの事、ごめんなさい。でも、どうか怒らないでやって。更年期特有のイライラだか

ら。それに、昨日パパともケンカしたばっかりで・・・」

「困ったモンだ・・・シリウスも勝気な男だからな。どうだい?『池照家』では優しくして貰えたか

い?」

「えぇ・・・とっても。凄く素敵な兄弟だったわ」

「そうか・・・」

魔子は少し黄昏(たそがれ)るような表情をした。

ズキンと心が痛んだ・・・思い出すべき、「身長の高い、痩せてるアノ人」・・・。

ヴォルデモートはカウチから立ち上がり、広大に広がる自分の庭を窓から見下ろした。



「『アレ』は一体・・・どこに保管されているのだろう・・・?」

「仕事をしくじって、ごめんなさい。おじ様」

「いやいや、魔子はとても良くやってくれたよ。あの家の事情が、前より良く分かったし

。ほら・・・お小遣いだ」

「ありがとう!おじ様!」

魔子はヴォルデモートに抱き付いて、部屋を出て行った。

そして、何やら思い立ったようで、もう一度部屋のドアを開けた。

「ねぇ・・・池照家の『遺書』には、どんな秘密があるの?」

「それは教えられない。さぁ、もう行きなさい・・・」

魔子は今度は本当に去った。

 




ガララ〜ン♪

 


乱暴に「喫茶レインボー」のドアを開け、小学生の男の子が元気一杯に入って来た。


「ただ今ぁ!オリバーせんせ〜い!」

「うるさいぞ、太一!他のお客さんに迷惑だろっ!?」

「・・・いないじゃん、お客さん・・・」

太一と言う名の少年が、キョロキョロ店内を見回した。

確かに・・・今「喫茶レインボー」には、オリバーとめぐみ・・・それにたった今入って

来たばかりの太一意外は誰も居なかった。

うるさいっ!さっきまでいたの!/////////

小学生相手の反論が、情けない事になったオリバー。

「ふ〜ん・・・。あ、こんちはぁ〜、めぐみちゃん」

「こんにちは〜、太一君。学校は楽しかった〜?」

めぐみ特有の、「しり上がりのイントネーション」は今日も健在だ。

「うん!ドッチボール大会があったんだけど、俺のクラスが優勝したんだ♪」

既にめぐみと仲良しの太一。

太一は慣れたように店の中に入って来て、自分の勉強机と勘違いしているように、ズラズ

ラ〜ッとカウンター一杯にランドセルの中の勉強道具を出した。

「おいおい・・・もう少し小さく広げろよ。もし、誰か来たら・・・」

「『もし、誰か来たら』退かすよ。あ、めぐみちゃん!俺、ココアね!甘さちょっと控えめで!」

さっさと飲み物を注文する太一だったが・・・勿論、会計などして帰った事などない。

太一の口癖は、「10%の利子を付けて、出世払い」だった。



「明日さ、テストあんだよ。で、ココが出るらしいんだけど、俺、ちっとも分かんなくて

さ・・・」

靴を脱いでカウンターの高めの椅子に座り、すっかり「寛(くつろ)いでいる」スタイル。

太一は、オリバーに算数の教科書を見せた。

「図形か・・・。取っ掛かりだけ教えてやる。あとは自分で解くんだぞ?」

「分かってるって・・・あ、どーもね、めぐみちゃん」

太一は調子良く、ココアをくれためぐみに礼を言った。

美味ぁ〜い♪ここのココアは世界一だね♪」

オリバーは「調子いいぜ」と言って、少し笑った。

 



オリバーは最近、この少年の宿題を良く見てやっていた。

夕方になると、必ず「喫茶レインボー」の前を通って帰っていく少年・・・夏の終わり頃

から顔は知っていた。

秋に入り、ある風の強い日に、渋い顔をしながらテストの答案用紙を見つめて歩いている

、その少年を見かけたオリバー。

少年の見つめていた答案用紙が不意に風に舞い上げられ、外で店の前に植えられている花

壇の花に水をやっているオリバーの後頭部に、それはペタンとくっ付いた。

「・・・27点?へぇ〜・・・カッコいい点だな・・・」

オリバーがニヤリとしながらその答案用紙を見つめた。

「返してよ!」

見ず知らずの人間に、自分の酷い点数の答案用紙を見られ、顔を赤くした少年。

「ココさ・・・ほら、こうすると答え出るぜ?簡単だ。全部同じやり方してみろよ。次の

テストはバッチリなはずだ」

少年は恥ずかしそうにしながらオリバーから答案用紙を奪い取ると、商店街を駆けて去った。

が・・・数日すると、今度は少年の方から店に現れた。



「アンタが教えてくれたようにやったら、テストの点が良くて、かあちゃんに褒められた

んだ。で、一応・・・礼とか言おうと思ってさ」

恥ずかしそうに、入り口のドア付近でモジモジしている。

「律儀だね、お前・・・ガキのくせして」

オリバーは厨房で、香辛料の軽量をしていた。

太一が鼻をヒク付かせた。

今、厨房では、カレーを仕込んでいたのだ・・・店内の隅々に行き渡る、芳香な香り・・・。

オリバーが指示して、「カイエンペッパー」だの、「クミン」だの、「コリアンダー」だ

のを、順番に鍋に投入し、掻き回していくめぐみ。

「おい、少し食うか?じき出来る・・・」

「いや、いい・・・」

 


ぐぅ〜っ!


 

あまりにタイミング良く、少年の腹が大きな音を立てて鳴った。



あははは!腹の方がお前よりよっぽど正直だな。ほら、そこ座れよ。今、誰もいない

し、金は特別取らないから・・・」

オリバーはカウンターに少年を座らせ、間もなくして出来た、「喫茶レインボー特製の『

チキンカレー』」をご馳走してやった。

オリバーとめぐみに見つめられ、少し緊張しながらカレーを口に入れた少年。

「美味いっっ♪」

少年は、力一杯の「美味い」をくれた。

オリバーはニヤニヤしていた。

「喫茶レインボーの『チキンカレー』」は、池照家の母の味だ。

常連に人気ある商品だった。

それから、少年はやはりよほど腹が減っていたのが、二人をお構いナシにガツガツ食べ進

んだ。

そして水を三回お代わりして満腹になって、ホッと一息付いた。



「こんなに美味いモノ出すのに・・・何でこの店、こんなに暇なの?」

少年は余計な事を言った。

オリバーは、それに対しては特に怒らなかった。

「駅前に『スタバ』も『タリーズ』も『エクシオール・カフェ』もあるだろ?今の奴らは

みんなそんな感じの、オシャレな喫茶店がいいんだ。うちは昔っからの『軽食スタイル』

だしさ・・・」

「喫茶レインボー」のメニューには、「ナポリタン」やら「オムライス」やら「クリーム

ソーダ」や「プリンアラモード」が列を成している。

少し年配の人間にとっては、懐かしくて涙が出るようなやり方で、現在も営業をしている

店なのだ。

流れている有線も、所謂「懐メロ」と言う奴で、「たくろう」とか「ユーミン」、「こう

せつ」「ガロ」などだった。

勿論、小学生が知る由(よし)もない歌だ。

オリバーも直接にはそれらの歌手を知らなかったが、母が残してくれたカセットの中には、こんな感じ

の昔のヒットソングが山ほどあり、必然的にそんな音楽が心地良くなっていた
オリバー。

思い出の中の母は、いつもそんな歌ばかりを口ずさんでいたものだ。

 


「オリバー、少し手伝って?今日はハンバーグよ♪お父さんが今日は早く帰ってくる

の。だから、ご馳走よ♪」

 


「今度この店、かあちゃんと来るよ。うちはかあちゃんと俺だけだからさ、メシの支度と

かたまにメンドーで、夕飯は『カップラーメン』とかになっちゃう日もあるんだ」

「そりゃ、良くないな。お前は育ち盛りなんだから、栄養あるモン一杯食わないと・・・」

「仕方ないよ。かあちゃん、遅くまで外に働きに行ってんだ。だから毎日疲れてるし・・

・飯まで作らせたら可哀想だろ?かあちゃん、俺を良い学校に入れたいんだって・・・で

、良い会社に入って貰いたいんだって。良い学校って、ほら・・・金が掛かるだろ?」

少年はオリバー達に警戒心が解けたようで、色々お喋りして来た。

「だな・・・」

「俺・・・たまにここに来て、えっと・・・アンタに宿題とか見てもらう事・・・出来る?」

少し遠慮がちに聞いみた。

「俺の手が暇ならな」

「暇そうじゃん、この店」

少年が少しニヤニヤした。

「・・・うるさいんだよ、お前。それに、俺は『アンタ』じゃねぇ!『オリバー』だ。こ

っちのオネエサンは『めぐみちゃん』。そう呼ばないなら、宿題教えないぞ?」

「そう呼ぶよ、『オリバー』さん」

少年がニ〜ッと笑った。

オリバーは、「最近のガキは調子がいいな」と呆れた。



「ほら・・・もう帰れ。暗くなるぞ」

「何だよ・・自分が最初に俺を引き止めたくせにさ・・・じゃね!カレー、すげぇ美味か

ったよ!バイバイ、『めぐみちゃん』!」

ランドセルを持って、少年はドアを勢い良く開けた。

外では「夕焼け小焼け」の「夕焼けチャイム」の曲が流れていた。

「あ・・・お前の名前は?」

「俺、山中太一!じゃね〜っ♪」

元気一杯に答え、夕焼け空の中を家に向かって帰って行く太一。

オリバーはふと、昔の懐かしい感覚に陥っていた。

 


「ただ今ぁ!オリバー!お腹減ったぁ!」

「何かおやつ頂〜戴♪」


 

小学生だった時の、「ダニエル」や「ルパート」と重なるあの少年。

めぐみの存在も、今の自分の周りの状況も全て消え去り、「思い出の中」の二人の弟が、

楽しげに笑い合っている・・・。

 



「・・・元気の良い子ですね〜、『太一君』って〜・・・」

めぐみがまた語尾上がりに言った・・・太一の食べ終えた皿を片している。

オリバーは現実に引き戻され、目をシパシパさせた。

「かあちゃんと二人暮らしって言ってるけど、スレてないし可愛いもんだよ・・・」

オリバーは皿に少しだけご飯とチキンカレーをよそって、めぐみにも与えた。

めぐみの目が感激でキラキラした・・・・・実は、さっきから食べたかったのだ。

「夜ご飯前だから・・・コレだけね」

めぐみは至極嬉しそうに、それを食べた。

めぐみの美味しそうに食べる顔・・・オリバーは決して嫌いではなかった。

 




数日してから、太一がまた顔を見せた。

「・・・どうした?今日、元気ないぞ?」

カフェオレを目の前にして、溜息を付いた太一にオリバーが聞いた。

今、店内には、専門学生風のカップルが一組と、仕事帰りらしい定年間際のサラリーマン

がいた。

「オリバーさん・・・俺、やっぱ私立の学校に行く事になりそうなんだ・・・」

太一が少しだけマグカップに口を付けながら喋った。

「・・・だから、塾に通わされそうなんだ」

太一が一際大きな溜息を吐いた。

「お前、今何年だっけ?」

「五年・・・。かあちゃん、俺を塾に入れる為に、もう一つ仕事増やしてさ・・・帰りは

毎日夜中なんだ」

「・・・何時間働いてんだ、お前のかあちゃん?」

オリバーは、洗ったコーヒーのカップを片付けながら太一の相手をしていた。

めぐみは、明日の仕入れのモノを色々チェックしていた。

「分かんない・・・でも、朝は俺と一緒に家を出る」

「で、帰りは夜中なのか?毎日なのか?う〜ん・・・確かにちょっと働き過ぎだな。かあ

ちゃん、体は平気なのか?」

「実は今日、熱があったんだ。でも、仕事休めないって・・・」

「ん〜・・・」

オリバーが心配顔で腕組した。

「俺、私立とかホントは行きたくないんだ。地元の学校でいいし、友達とも別れたくない

。塾なんか・・・絶対イヤだよ・・・」

「かあちゃんにソレ、言わないのか?」

「そういうの話し合う時間がないんだ。だってかあちゃん、俺が寝た後に帰ってくるだろ?」

「・・・家族は一緒にいなきゃ、ダメだぁ〜」

めぐみちゃんが在庫確認をしながら、突然会話に参加してきた・・・目はノートを見つめ

たまま、いつも通りの語尾上がりだ。



「家族は一緒に居ないと・・・『川向こうのシンペー』みたいに、なっちまう〜」

オリバーと太一が互いに目を合わせた。

「え、と・・・ごめん。『川向こうのシンペー』って、知らないんだけど、俺ら・・・」

オリバーが言った。

「『シンペー』んトコは、とーちゃんもかーちゃんも、みんなシンペーを一人置いて、仕

事ばっかしてた。ばあちゃんもだ。だから、シンペーは・・・ハァ〜クショイッッ!!

開いたままになっていた小麦粉の袋のせいで、めぐみはオヤジのような豪快なクシャミを

し、店内の全員を驚かせた。



「え、と・・・で、『シンペー』は、どうしたの?家出とかしたの?不良になったの?

太一が、その後を知りたがって聞いた。

「うンにゃ!シンペーは『ゲーム会社』へ入った・・・」

「凄いじゃん、シンペー」

オリバーと太一が少し大声を出した。

「ダメだ〜。人とのコミュニケーション一つ出来ない、詰まんねぇ男さなっちまった〜・

・・。クラスの誰とも話も出来ない男だ。何か、『バーチャル美少女アクション・夢子♪

』ってゲーム作ったはずだ」

えええええ〜〜〜っっ!!俺の友達の兄ちゃんが、そのゲーム『シリーズ』で持って

るよ!スゲェ〜・・・

別にめぐみが凄い訳でもないのに、太一はめぐみの事を「ソンケーの眼差し」で見つめた。



「シンペーは成績は確かに優秀だったけンど〜・・・顔も悪くなかったけンど〜・・・あ

あ言うのは、私はやンだなぁ〜。今は忙しくて家にちっとも帰らねぇみてぇだし・・・。

とーちゃん、ずっと具合悪いってのに〜」

めぐみは渋い顔をしていた。

オリバーは今のめぐみの話から、フッと思い立ったままに聞いた。

「・・・めぐみちゃんってさ、どういう男が好みなの?」

太一はめぐみの話から「何か」考え始めたらしく、押し黙ってカフェオレをチビチビ飲んでいた。

「災害が会った時・・・あ、『もしもの話』ですけンど〜・・・私を抱えて逃げてくれる

ような、たっくますぃ〜男が理想だなぁ〜」

めぐみが夢見心地に言った。

「へぇ〜・・・『理想高い』ね、めぐみちゃん・・・」

「そうですかぁ〜?あ、オリバーさん。『生クリーム』と『バター』の控えが僅(わず)

しかないみたいです〜」

「あ、そう。じゃ、『タカニシ乳業』さんに、めぐみちゃん電話してくれる?」

「他はいいですか〜?」

「あ〜・・・じゃあ、『オレンジュース』と『グレープフルーツジュース』も頼んじゃって」

めぐみは電話帳を広げ、業者に連絡を始めた。

オリバーはジッとめぐみを見つめていた。

めぐみは・・・ザッと見ても、おそらく100キロ近くはありそうだ。

そのめぐみを「抱えて逃げる男」なんて・・・ちょっとやそっとでは見つかりそうもない。

(ゆえ)に・・・めぐみの理想は高い。

 


カララ〜ン♪


 

「いらっしゃ・・・よっ!レオ〜ンハルト!」

見事な金髪に碧眼(へきがん)・・・ファッション雑誌から抜け出たような格好で、レオン

ハルト・ハインリッヒが現れた。

「ははは♪違いますよ、お兄様。僕は『レオンハルト』ではなく・・・えっ!

レオンハルトの目が、たった今電話を切っためぐみに集中した。

「あ、彼女はめぐみちゃん。うちのバイト・・・どした?」

「あ、あの・・・ト、ト、トム君は・・・・?」

いきなりドモり始めたレオンハルト・・・目はずっとめぐみちゃんに釘付けだ。

「学校で会わなかったのか?」

「学部が違うもので・・・サークルのない日はなかなか・・・会えないのです」

レオンハルトの目は、ずっとめぐみを追っている。

「あ、オリバーさん〜!私、洗濯物干しっ放しでした〜。ちょっと取り込んできていいで

すか〜?」

「あ、ごめん!俺も気付かなくて・・・頼むよ。あ、ついでだからさ、風呂の栓も抜いて

きてよ。ダニエルに洗わせるから」

めぐみはレオンハルトの脇を通って、店から出て行った。

レオンハルトは、めぐみの出て行ったドアをジッと見つめていた。



「お、お兄様、あの・・・い、今の素敵な女性は・・・ま、まさか、一緒に住んでいらっしゃるのです

か?」

「あぁ・・・まぁ、めぐみちゃんは住み込みバイトだから・・・えっ!『素敵』?

オリバーは耳を疑った。

レオンハルトは心ココに在らずに、ふんわりした表情で物思いに耽(ふけ)っていた。

「オリバーさん・・・カフェオレご馳走様。俺、帰る」

太一がジャンプして、椅子から降りた。

「おい・・・メシ食ってけよ?」

「ん〜・・・今日はいいや。毎日ご馳走になってばっかりってのも悪いし」

「子供が遠慮なんかすんなよ」

「うん・・・でも、今日は帰るよ。ありがとう!バイバイ!」

太一はレオンハルトをチラッと珍しそうに見つめて、少し気落ちしたように店を出て行った。

どうやら、先ほどのめぐみの話が、彼なりに「何か」堪(こた)えたらしい。

自分と母親の行く末でも想像させたのか・・・?



「お兄様・・・めぐみさんの話ですが、まさかお兄様と彼女は、その・・・『恋人同士』

なのですか?」

「・・・そう、見えるか?」

オリバーはズダンッと大きな音を立てて、キャベツを真っ二つに切った。

「・・・だったら、それは早めに否定申し上げよう、レオ〜ンハルト!彼女は単なるバ

・イ・ト。
『お分かり』?」

オリバーは、昨日テレビでやっていた洋画劇場、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の「

ジャック・スパロウ」のその言葉が、いたく気に入っていた。

今日、既にこの言葉を使うのが「三度目」だったオリバー。

包丁を持ったまま「スパロウ船長」よろしく、体を斜めに構え、酔ったような「ジャック

独特の角度」で話した。



「あ、そうだ。お兄様・・・トム君に、コレを渡しておいて頂けますか?」

「ん?何コレ?」

オリバーは、何やら仰々(ぎょうぎょう)しい綺麗な封書を受け取った。

裏は何と・・・「H」マークで、蝋付(ろうづ)けされてある。

オリバーは、こんな感じの「代物」を見た事があった。

これも、前にテレビでやっていた映画・・・「額に傷のある魔法使いの男の子」の話で、

彼を学校に誘う封書の裏に、確かこんな施
(ほどこ)しがされていたのを思い出していた。

「我が家への招待状です」

「・・・直接トムに『来い』って誘えば?」

「『招待状』は必須ですよ、お兄様。あ、よろしかったらみなさんでどうぞ!丁度、僕の

父と母が帰って来るのです」

「どっか遠くへ行ってたの、お前の『父と母』・・・?」

オリバーは、レオンハルトの言うままにリピートした。

普段は常識人ぶって大人っぽいオリバーだが、流石はジョーク好きのジェームズやトムの兄・・・色

々、言葉の節々(ふしぶし)に「楽しい引き出し」を持っている。



「毎度の事です。母は出身が兵庫県の宝塚市で・・・まぁ、何と言うか、ほら・・・『宝

塚歌劇団』と言うのがありますよね?あれの公演会長をしているものですから・・・」

「なるぼどね・・・」

レオンハルトが何となくいつも、「派手で大袈裟で、ドラマチック」な事が理解出来たオ

リバー。

「それに、父は・・・ハーフなのですが、ドイツで『ソーセージ会社』をしていまして、

日本と向こうを一年の内に何度も行き来しているのです。で、今回二人が家に帰って来る

ので、僕の友達を家に招待して、二人に紹介しようと・・・」

「あ〜、そう・・・けど、俺は無理だ。でも良かったら、下の二人の弟達を誘ってやって

くれよ。あいつらは時間持て余してるし、何かお前が好きみたいだからさ。あ、丁度千円

です。ありがとうございま〜す!」

カップルが会計を済ませて帰って行った。

一人残ったサラリーマンも時計を見始めた・・・そろそろ帰る気だろう。



「嬉しいです、弟君達に好まれていたなんて!勿論、いいですよ!では、来週の日曜日に

、車を迎えによこします。では・・・あっ、めぐみさんにも『レオンハルトがおやすみ』

と、言っていたとお伝えください」

「あ〜・・・いいけど」

「くれぐれも『レオンハルト』と・・・。伸ばさないで・・・では!」

レオンハルトは頭を下げて、出て行った。

「『レオ〜ンハルト』って、めぐみちゃん『みたいなの』が好みなんだ。へぇ〜・・・」

 




その話は、そのまま夕飯時にトムに伝わった。



ア〜ッハッハッハッハッ♪そうか・・・奴、めぐみみたいなのが好きなのか。ア〜ッ

ハッハッハッハッ♪

「・・・笑い過ぎだ、トム。めぐみちゃんに聞こえるだろ?」

オリバーはシーッとして、台所から小皿やら箸(はし)を持ってきためぐみに配慮した。

「楽しい事あったんですか〜、トムさん?」

めぐみが「鍋の用意」を、食卓に順番に運んで来ていた。

今日の夜の献立は今年初の鍋・・・「寄せ鍋」だった。

「まぁ〜な!最近の中で一番『ウケる』話をオリバーに聞いたばかりだ。おい、めぐみ!

お前にいよいよ『春』が来るかも知れないぜ?」

トムがニヤニヤした。

「ヤンだぁ〜。春はまだ来ませんよ〜?冬が来てないんですから〜」

「・・・・・」

オリバーとトムは一瞬顔を見合わせた。

「『冬』はある意味、お前の場合ずっと来っ放じゃねぇか。それとも地元で既に『春』を経験

済みか?」

「・・・・・?」

トムがクスクス笑うのを、オリバーがちゃぶ台の下で、足でガンガン蹴飛ばした。

めぐみは不思議そうな顔をしていた・・・トムの言わんとしている事を理解出来なかった

らしい。

「あ、いい、いい!何でもねぇ!お前は仕事してくれ」

トムがシッシッとめぐみを追いやった。

「後は煮込むだけです・・・そろそろダニエルさんとルパートさんを呼ばないと」

「俺が呼んで来る」

トムが席を立った・・・「想像」すると可笑しくて、とてもココに居られなかったのだ。

笑うとオリバーに蹴られるし・・・。

 




そして日曜日・・・約束通り、ハインリッヒの家からの迎えのリムジンが、池照家の前に

着いた。

「お迎えに上がりました」

ハインリッヒ家の「爺」が車から降りて、遠足気分のダニエルとルパートを目を細めて見

つめていた
(元から細い目ではあったが・・・)

ダニエルとルパートは、初めてのリムジンに感激しながら、車の後部座席に乗り込んだ。

「トムはね、バイトで行けないんだって。だから、僕らが代表して『レオンハルト君』の

家に行く事になったんだよ」

ダニエルは「使命」を全うする事は、重要だとばかりに説明した。

「よろしく、おじいちゃん」

ルパートが笑い掛けた。

「・・・・・」

自分より四つも年上のレオンハルトの事を、まるで「小林」と同類のように扱うダニエル

と、執事暦何十年と言う大ベテランを捉
(つか)まえて、「おじいちゃん」扱いのルパート

何にも臆す事のない「天下無敵の兄弟」・・・ダニエルとルパートだ。



「あ〜・・・左様でございますか。坊ちゃまはきっと、少しガッカリなさるでしょう。数

日前からトム様のご訪問を、大変心待ちにしておいででしたから・・・。じゃあ、お二人

共・・・参りますか?」

「は〜い、ご隠居!参りまぁ〜す♪」

「じゃね〜!行ってくるね〜、オリバー!」

ルパートとダニエルは後部座席の窓を開けて、手を振った。

オリバーはルパートの言った「ご隠居」と言う言葉に、豪(えら)くヒヤヒヤした。

いいか!?いい子にするんだぞ?高そうな物には絶対に触るな?!我が儘言うなよ!笑顔を

忘れるな!
あと、あと・・・あ・・・」

「もう、行っちゃいましたよ・・・」

めぐみが言った。

オリバーは心配そうに、二人の乗った車が消えてもまだ佇(たたず)んでいた。

「あ〜、心配だ・・・」

オリバーが散々お願いしたにも係わらず、トムは今日の「レオンハルトの家訪問」を拒み(

特に二人の弟達とは
)続け、無理やりバイトを入れてしまった。

「オリバーさん・・・仕込みは私がしておきますから、今からでも向かったらどうですか

〜・・・」

「いや・・・今日は昼過ぎから町内会の集まりなんだ。『祭の反省会』とか、各屋台の売

り上げ『報告』とか、年末の恒例の『大売出し』の事とか、『忘年会の会場』の話とか・

・・」

「『町会』って、大変なんですね〜。私にも何か出来ればいいんですけンど〜」

「あぁ、気にしないで。どーぞ、めぐみちゃんは休日を楽しんでくれ」

オリバーは二人の弟の事を思い、胃がキリキリしていた。

 



ダニエルとルパートはハインリッヒ家でいたく歓迎され、夕食までご馳走になって夜九時

頃家に帰って来た。

「凄いお家だったんだよ、レオンハルト君の家・・・」

ダニエルが興奮しながら喋った。

「うん!僕ん家の百倍くらい大きかったよね?」

「あはは♪それは少しオーバーだよ、ルパート。多分、三十倍くらいだよ」

居残り組みは「お前ら二人共、オーバーじゃね?」と、心の中で思った。

みんなに、自分達が今日レオンハルトの家で何をして来たのかを、事細かに説明する二人。

「『不二子ちゃん』って、凄い美人だったんだよ・・・ね?ダン?」

「うん。綺麗だったよね?『ノリ』もいいし」

「・・・誰だよ、『不二子ちゃん』って?」

トムが聞いた。

「レオンハルト君のお母さんだよ。僕がね『不〜二子ちゃ〜ん♪』って、ルパンみたいに

呼ぶと、『ルパァ〜ン♪』って言ってくれるの」

ルパートが楽しそうに話している。

馬鹿っっ!人ん家のお母さんに向かって何て呼び方するんだ、お前はっ!」

オリバーはヒヤヒヤした。

「でも、不二子ちゃんは楽しそうだったよ!ね〜、ダン?レオンハルト君のお父さんは、

『トランプ』みたいな顔だったしね?」

「『トランプ』?」

ジェームズが聞き返した。

「そう!トランプの『K』みたいな、凄いヒゲが生えてたんだよね〜?腕の毛もボーボー

だったしね」

ルパートとダニエルは、「ね〜?」と頭を傾(かし)げ合っている。



「僕、お屋敷の中で二回迷子になったんだよ。でね、僕のあだ名が『バンビちゃん』にな

っちゃったの。不二子ちゃんが、僕の事を最初にそうやって呼んだんだってさ。だから、

レオンハルト君も僕の事、『バンビちゃん』って呼ぶようになったの」

ルパートの話は、あちこち飛んだ・・・みんな意味が不明だ。

「何で、お前を『バンビちゃん』なんて・・・?あぁ、なるほど・・・」

オリバーだけでなく、みんな理解した。

ルパートは今日、「バンビ柄」のトレーナーを着ていたのだ。

「レオンハルト君の家に、もう一匹違う犬も居たよ。確か名前が・・・何だっけ?」

ダニエルがルパートを見つめた。

ルパートはヒョイと肩を上げた・・・覚えていないらしい。

きっと依然一度会った、レオンハルトの愛犬「リュックヒェン・フランクバウアー」ほど

の、難しい名前だったに違いなかった。

「『フォアグラ』が夜ご飯に出たんだよ・・・凄いよ、アレ。口に入れた瞬間にトロけて

なくなっちゃうんだ。ね〜、ルパート?」

ダニエルは幸せそうな顔で物思いに耽(ふけ)った。

「うん!『でんでん虫』も出たけど、僕、アレは嫌いだな。可哀想だった・・・」

間違いなく「エスカルゴ」の事だった。

「僕は二つ食べたけど、僕もあんまり好きな味じゃなかった。ちょっと『しじみ』に似た

味だった気がしたよ。ルパートは『トリュフのパイ包みスープ』を飲んで、『何か、おし

っこみた〜い』って言ったモンね?あはは♪

「何っっ!?」

兄三人が仰天した。

食事中に「下(シモ)の話」など・・・そんな教育した覚えはなかった。

「だって、本当に『おしっこみたい』な臭いがしたんだ・・・プィ〜ンって」

確かに、「トリュフ」は、アンモニア臭がする・・・・・だからと言って、何も・・・・・。

既に終わった事だが・・・きっとハインリッヒ家の三人は、ルパートの発言に目が点にな

ったであろうと予測された。



「あ、そうだ!お土産を貰ったんだった。『ドイツのソーセージ』だって。レオンハルト

君のお父さんの会社で作ってる『ソーセージ』って言ってたよ。ドイツ語で・・・何て言

ったっけ?忘れちゃった・・・」

「ハムは『シンケン』って言ってたよね?」

ルパートが言った。

「凄〜い、ルパート!良く覚えてたね?『今度ドイツのお家にも遊びにおいで』って、レオンハルト君

のお父さん言ってたよね?『馬に乗らせてくれる』って約束したんだ。ね〜、
ルパート?」

「うん♪」

二人は、それはそれは楽しそうで幸せな顔だった。

まるでシンデレラが十二時まで、「夢のような舞踏会」を楽しんできたように頬を高揚さ

せ、陶酔
(とうすい)に浸っていた。

「良かったな・・・。ほら、じゃあ二人共風呂に入っちゃえよ。犬の毛が凄いぞ?」

オリバーは、まぁ・・・失礼がある事はある程度「予測」していたので、二人が楽しそう

にしているのを、頭からへし折るような事を言うのはやめた。

「うん!トム・・・レオンハルト君と友達になってくれてありがとう!」

「あ〜、うん・・・」

トムは腑に落ちなさそうに返事をした。

レオンハルトの事は基本的に虫が好かないし、出来れば遠ざけて置きたい存在だったからだ。

でも、こうしてダニエルとルパートが世話になったので、明日学校に行ったら礼くらいは

言わなくてはいけないと考えていた。

三人の兄は・・・ちゃんと「兄」だった。



「このソーセージ・・・うちのとーちゃんが作るのと良く似てるなぁ〜」

めぐみが箱の蓋(ふた)を取って、中身を確認していた。

一瞬、めぐみが居る事を忘れていた池照家の兄弟達は、突然「秋田弁」が聞こえたので驚

いてしまった。

「・・・お前のとーちゃん、秋田で店やってんだろ?こっちはドイツ製だぜ?」

「一緒にするなよ」とばかりに、トムが半分馬鹿にしたように言った。

「今は秋田に住んでますけンど〜、私達、昔は『プロバンス』に住んでたもんで〜」

オリバーとジェームズ、それにトムの目が点になった。

下の弟二人は、キャッキャッ言いながら風呂場へ消えていた。

ルパートはまた、お風呂用のオモチャ持参だ。

「・・・おい、トド。『ブロバンス』ってな、フランスだぞ?」

「そうです〜。いンやぁ〜、懐かすぃ〜なぁ〜・・・。ピエールの畑で良く、『そば粉』

の収穫を一緒にしましたぁ〜。元気かなぁ〜、ピエール〜?『シードルの樽』を誕生日に

貰ったっけなぁ〜。アレは美味かったぁ〜♪」

「・・・・・」

夢見心地なめぐみを抜かした三人の男共は、お互いの動向を探るように、それぞれをジロ

ジロ見つめた。

 


めぐみが・・・フランス生まれ?

まさか・・・。

 






ある日の午後・・・オリバーは、銀行に寄ったり郵便局に寄ったりして忙しくしていた。

もう、十一月も五日になっていた・・・早いものだ。



「あの・・・」

突然、道端で知らない女性に声を掛けられたオリバー。

女性と言っても若い女性ではなく、年齢三十五、六歳・・・と言う所だ。

「私、山中太一の母親です」

「あ!どーも」

オリバーは慌てて挨拶した。

「今日はお仕事はお休みなんですか?太一君が、『お母さんが夜まで働く』って心配して

いたので・・・」

「進路の事で学校に行っていたんです」

「あ、そうなんですか・・・」

簡潔に話をする人だな・・・と言うのが、オリバーの「太一の母親」への印象だった。

そして、太一が「私立に行きたくないし、塾にも行きたくない」と言っていた事を思い出

したオリバー。



「あ〜・・・太一君と、少しは一緒にいられる時間はあるんですか?」

オリがーは少し遠慮がちに聞いた。

「無理ですね。私、仕事を三つ掛け持ちしているんで。で、太一から聞いたんですが、時

々あなたに勉強を教えて貰っているとか?」

オリバーは前に、「教えられた通りにしたらテストの点が良くて、かあちゃんに褒められ

たんだ」と、報告しに来てくれた太一の事を思い出した。

「あ〜、別に大した事じゃ・・・」

「余計な事しないで頂けます?」

「はっ?」

オリバーは自惚(うぬぼ)れていたのかも知れない・・・てっきり、太一の母親から「礼」

を言われるのではないかと思ったのだ。

太一の母親は疲れているのだろう・・・血色が悪く、目の下に隈があった。

後ろに一本に結んだ髪は艶がなく、ピンから落ちた数本の髪は顔を覆(おお)い、「生活疲

れ」を滲
(にじ)ませていた。

「私立中学に入れる予定なんです。準備の為に塾にも・・・。今日、その塾にも入塾の手

続きを済ませてきたばかりです。あの子に勝手な方法で、勉強を教えて貰っては困るんです」

「・・・スイマセン・・・」

オリバーはスゴスゴと謝った。

「太一がもし、これからもそちらに伺うような事があっても追い返してください。あの子には塾があ

るので・・・。じゃ、私、仕事がありますので、これで失礼します」

太一の母親は去って行った。

オリバーは抜け殻のように、道端に突っ立っていた。

 



「オリバー先生!」

数日後、太一が「喫茶レインボー」に元気に現れた。

「・・・・・」

オリバーは太一に一瞥(いちべつ)をくれただけだった。

「今日さ、『国語の漢字テスト』バッチリだったぜ、俺!前にオリバー先生が言った所が

バッチリ・・・」

「お前、塾は?」

オリバーは太一の顔を見ずに小さな声で言った・・・店内に客がいたからだ。

太一は、オリバーの言った事には答えなかった。

「・・・塾行けよ?そろそろ授業が始るんじゃねーか?」

オリバーは自分の仕事から目を離さなかった。

「・・・かあちゃんに会ったの?塾なんか・・・かあちゃんが勝手に決めたトコだよ。俺

はオリバー先生の教え方の方が・・・」

「行けって言ってんだろっ!!」

店内がシーンとした。

数人いた客がビクッとして、カウンターの中のオリバーを見た。



「お前がいると、仕事にならねぇんだよ・・・塾に行けっ!かあちゃん、困らせるな」

「・・・・・」

太一はオリバーを涙目で睨(にら)みながら、バタンッと大きな音を立てて店から出て行っ

た。

「オリバーさん・・・」

めぐみが遠慮(えんりょ)がちに声を掛けた。

「いいんだ、あれで。太一にとっては・・・」

「いえ・・・今、雑巾でお皿拭きましたよ?」

「えっ!!」

オリバーは慌てて、もう一度流しの中で皿を洗い出した。

目は虚(うつ)ろで、心ココに在らずだった。

めぐみは特に何も言わなかったが、時々オリバーを見つめていた。

 




「玄さん・・・俺、やっぱり太一を傷付けたよね?」

一杯飲み屋の「いつもここから」のカウンターで、あまり得意ではない熱燗(あつかん)

飲みながら、オリバーが机に突っ伏した。

カウンターだけの小さい店だ・・・八人で一杯になってしまう。

今は店内の客は、オリバー意外は・・・端っこに座っている、どこかの「オカマ」だけだ

った。

ココは、オリバーが地元で「アニキ」と慕っている、三十代後半の「玄さん」と「安さん

」の脱サラ双子が、細々と経営している居酒屋だ。

二人は大学を出てすぐに「I・T企業」に勤めたが、思う所あって突然仕事を辞め、数年

前に地元に店を出したのだった。



「お前が悩むなよ・・・たまに勉強教えていたって言うだけの、近くの小学生だろ?」

「うん・・・」

「玄」の優しい言葉が、熱燗と共にオリバーを癒(いや)してくれる。

「オリバーは、昔っから優しい子供だったもんな。俺ら二人が公園の砂場に『落とし穴』

とか作ってると、必ず穴の横に『看板』立てたモンな?『ここ↓、落とし穴』って・・・」

「安」が、「カキのホイル焼き」を焼きながら、後ろ向きに言った。

「俺、アイツが可愛くてさ・・・。昔のダニエルとかルパートを思い出しちまってさ・・・」

オリバーがチビリと、猪口(ちょこ)から酒を飲む。

「お前は今の奴にしては、珍しく『義理』とか『情』が深いんだ。で、結局自分が傷付い

ちまう」

「安」が、今出来たばかりの「カキのホイル焼き」をオリバーに・・・そして、「オカマ

のオネエサン」にも配った。

「安さん・・・俺、コレ注文してないよ?」

「いいんだ。傷付いた若者に、ちょっとサービスさ♪そっちの傷付いてる『ネエサン』に

も!」

「安」が「オカマ」にウインクした・・・ちなみに「安」はノーマルだ。

「・・・ありがと・・・」

「ネエサン」はグスッと鼻を啜(すす)った。

何かあったようだ・・・始終俯きっ放しに、焼酎を煽(あお)っていた。



「きっとさ・・・その少年の母親は、息子に色々託し過ぎてるんだろうな。一流の学校、

一流の会社・・・『一流』だけが良い訳じゃないのに。俺らがいい例だ。会社勤めの頃の

俺らの顔・・・覚えてるか、オリバー?」

「うん・・・何か怖かった・・・」

「だろ?写真とか見ても『人相』違うモン・・・自分で分かる。その親子に必要なのは、

まず『会話』と『時間』だ。それに、『暖かいメシ』!母親は今、ソレを忘れちまってん

な・・・」

「玄」もコップから酒をチビチビ飲んでいた。

オリバーはそれから暫く黙って酒を飲み、ツマミを幾つか注文し、夜九時半頃店を出た。

「ありがとう・・・少しラクになったよ。また来るよ・・・」

ジャンパーを着てこなかった上に、素足に下駄(げた)で来てしまったオリバーは、ジーンズのポケット

に両手を突っ込み、首を隠すように肩を上げながら、カラカラ下駄の音を立て
て小走りで家に帰っ

て行った。



「いい奴だよ、アイツ・・・」

玄と安は、本当に「アニキ」のようだった。

「あの、今帰った・・・」

オカマが二人に話し掛けて来た。

「あぁ。俺たちの弟分だよ。道、三本向こうの『喫茶店』してる、オリバー」

「・・・オリバー・・・さん・・・?」

オカマも席を立った。

「大丈夫?一人で帰れるかい?」

「・・・いつも優しいね、安さんと玄さん。ありがと!アタシ、ちょっと失恋してさ。で

も、もう平気。癒されたから・・・またね♪」

オカマが二人に投げキッスした。

「まいどぉ〜!」

 



「オリバー?」

家に帰って、伝票整理をしていたオリバーの首に、ルパートが懐(なつ)いて来た。

「ん〜?どうした?」

「・・・怖い夢見たんだ・・・。ねぇ、ちょっとだけココに居てもいい?」

大きな「ぷーさん」のぬいぐるみ持参だ・・・高校二年生なのに・・・。

「ダニエルにくっ付いてろよ。暖かくて、すぐ眠れるだろ?」

「イヤだよ・・・ダンにくっ付いてると、『チュー』してくるもん・・・」

「はは♪ルパートはダニエルが嫌いか?」

「ううん。ダンの『チュー』が嫌いなんだ。だってダン、たまに『ベロ』とか入れて来る

しさ」

「何っ!?」

オリバーが声を荒げた。

「だから・・・少しココに居ていいでしょ?」

「あ〜、まぁ〜・・・」

オリバーは自分の膝にコテンと頭を乗せて、すぐに眠り始めたルパートの横顔を見下ろし

た・・・同じ兄弟なのに、ルパートだけが睫毛
(まつげ)まで赤い。

 


どうしてだ?


 

「しかし・・・ベロか。それは『由々しき問題』だな・・・」

オリバーは、今までは軽く流してきた「問題」を、いよいよ本格的に「家族会議の議題」に乗せる日が

来たような気がした。

「おっ♪愛されてんね、オリ婆!」

ジェームズが風呂から上がってきて、ヒョイと冷蔵庫の発泡酒をオリバーに放った。

「うるせぇよ、ジェム爺!」

すっかり「トム語」を使い始めていた二人・・・。

「可愛い寝顔だ事!マイ弟よ♪」

ジェームズが、椅子に掛けたままだった自分のシャツを、風邪引かないようにとルパート

の体にソッと掛けてやった。

「おい、ジェームズ・・・実はダニエ・・・」

 


ジリリリリリ〜ン♪

ジリリリリリ〜ン♪

 


池照家の黒電話が鳴った・・・夜十一時になった所だ。

普段なら、こんな時間に電話は鳴らない池照家。

「もしもし・・・?」

オリバーはルパートのせいで電話に出られなかったので、ジェームズが出た。

は?太一?え、と・・・どこの太一?」

「貸せっ!」

オリバーが手を一杯一杯まで伸ばして、ジェームズから受話器を受けた。

「もしもし?電話変わりました。え、太一が?はい、すぐ行きます。駅前ですね?分か

りました」

受話器をジェームズに渡して、電話を切ってもらった。

「どした?誰だ、『太一』って?」

「ルパートを頼む!」

オリバーは自分のポジションをジェームズに任し、上着を羽織って出て行ってしまった。

「何だ、アイツ・・・。お〜、ヨチヨチ♪」

ジェームズは、ルパートのピンク色のプクッとした柔らかそうな頬っぺたを、人差し指で

ツンツン押して、弾力を確かめていた・・・家の中では、ルパートが一番体系が子供だ。

 




「太一!」

オリバーが巣鴨駅前の交番に行くと、警察官と一緒の太一が、仏頂面で椅子に座っていた。

背中にはランドセル・・・家に帰らず、ほっつき歩いていたらしい。

「どうしたんだよ・・・何で、こんな時間にウロウロしてた?」

オリバーが聞いたが、太一はムスッとしたまま何も喋らなかった。

「今、お母さんにも連絡を取っているんですが、すぐには来られないらしくて・・・」

警察官が言う側から、太一はケッと毒づいた。

「かあちゃん呼んだって、来ないさ・・・。仕事の方が大事なんだ、あの人・・・」

太一は母親に対してそんな言い方をした事を、今までオリバーは聞いた事がなかった。

太一は嫌悪感丸出しの表情だった・・・本気だった。

「俺が連れて帰っちゃまずいですか?」

オリバーが警察官に言った。

「そうですね・・・お母さん、まだ来ないようだし。来たら『レインボー』にいるって、

伝えますよ。あ、またコーヒー飲みに行きますから」

「どーも。部長さんにもよろしく!」

オリバーと太一は交番を出た。

「お前・・・何か食ったのか?」

オリバーが聞くと、太一は首を振った。

「うち来いよ!『ピラフ』で良かったら食わしてやる」

オリバーは、自分の腰までしかない太一の肩を抱いて、「喫茶レインボー」まで連れて行

った。

 



「ほら・・・遠慮しないで食え」

オリバーが進めても、太一は腹が減っているはずなのに、なかなか食べなかった。

「・・・お前、少し痩せたんじゃないか?」

オリバーが心配そうに太一の顔を見た。

「・・・かもね。メシあんま食ってないもん・・・」

「塾が忙しくってか?」

「ううん・・・塾は九時には終わるよ。でも、帰ったってかあちゃんいないし、カップラ

ーメンばっかで、俺、飽きたんだ・・・」

「・・・・・」

太一は青白い顔だった・・・明らかに栄養が行き渡っていない。

以前の、活発で快活な太一ではない「別人」になっていた。

「お前が『そういう顔』なの・・・かあちゃんは知ってんのか?」

「どうだかね・・・」

太一は、ノロノロとスプーンでエビピラフを掬(すく)って食べ始めた。

 


バタンッッ!


 

店のドアが勢いよく開いて、太一の母親が入ってきた・・・顔色が真っ青だ。

「太一・・・良かった・・・」

ヘナヘナとドア付近にしゃがみ込む母親・・・オリバーが尽かさず手を貸して、太一の横に座らせた

「少しだけど、どーぞ!俺・・・席外してますから、少し二人で話し合うといい・・・」

オリバーは母親にもピラフを与えると、薄明かりの店内に二人を残し、自分は家に戻った。

 



どの位時間が経っただろうか・・・池照家のチャイムが鳴った。

オリバーが玄関に顔を出すと、太一の母親が申し訳なさそうに佇(たたず)んでいた。

「ありがとうございます。今、色々話す事が出来ました。私、太一には、私みたいな人生

歩ませたくなくて・・・立派な『勝ち組』の人間になって欲しくて・・・。あの子の事な

んか全く思ってやっていなかった・・・。母親失格です・・・」

「そんな事・・・」

母親は、心底項垂(うなだ)れていた。

「いいえ!あの子、言ってました。『喫茶レインボー』は、いつ行っても『暖かく』って

、カレーは凄く美味いんだって。ココアも最高なんだって。『とっても教え方の上手な先

生が居るんだ』って・・・。私、あの子に良かれと思って塾に通わせましたが、あの子・

・・今、塾で置いてけぼりで、孤立してしまっているようなんです」

「・・・・・」



「元気のないあの子の顔を見て、『コレではダメだ』と、今日ハッキリ気付きました。あ

の子の個性を・・・私、殺していました」

「・・・・・」

「・・・私立に入れさせるのは、辞めようと思います。それに・・・塾もすぐに辞めさせ

るつもりです」

「そうですか・・・」

オリバーはホッとした。

「今までなかった『親子の時間』を、早く取り返さないと・・・」

「いい事だと思います。お母さんも太一君も幸せなら、俺はそれが一番だと思います」

「私・・・以前、あなたに大変失礼な事を・・・。本当にごめんなさい・・・」

太一の母親は、恥じ入るように言った。

「いえ!気にしないでください。太一の事が大事と思って、取った行動でしょ?」

「また・・・時々、あの子の勉強を見て頂けます?あの子、あなたに教えて貰っている時

のテストの点、本当に良かったんです」

「いつでも!うちの店はどーせ、暇ですから!それに・・・太一と約束してますから。『

今まで食った分は全て『ツケ』だって。『出世払いで返すから』って・・・。はは!逃が

しやしませんよ。今度はね』

「・・・ありがとうございます。ピラフ・・・とっても美味しかったです。今度、作り方

を教えて貰えないかしら?恥ずかしい事ですが、私は仕事にカマ掛けて、あまり料理をし

た事がなかったので・・・」

「いいですよ。お母さんの開いた時間に来て頂ければ、いつでも教えます」

 



太一はカウンターで眠ってしまっていた。

「良かったら・・・太一は今日、うちで預かります。明日、朝飯だけ食わせたら家に返し

ますから・・・。明日の学校の教科書の準備もあるだろうし・・・」

「何から何まで、本当にご迷惑をお掛けしました。じゃあ・・・今日は息子をよろしくお

願いします。ご挨拶はまた伺いますので・・・」

「いいですって!あ、お母さん?

「はい?」

「太一が言ってましたよ!『うちのかあちゃんは、化粧さえすれば美人なんだけどな』っ

て。太一の為にも『綺麗になって』ください。自分の時間も作って、仕事はほどほどに」

オリバーはニッと笑った。

「・・・そうします///////

太一の母親は、恥ずかしそうに帰って行った。



ほぉ〜うら!やっぱしオリバーは、時々スゲェ『タラシな事』言うぜ」

「今度は、『人妻狙い』ですかい、オリバーさん?」

トムとジェームズが、一部始終聞いていたらしい。

「何だよ・・・居たんなら、声くらい掛けろ!いやらしい奴らだ・・・。おい、馬鹿言っ

てないで、太一運ぶの手伝え!」

オリバーの指示で、太一をめぐみちゃんと同室の居間に運んだ。

ルパートも今日はそこで寝ているので、居間は今日「満室」だ。

めぐみは動物のような、怪しげなイビキを掻いていた。

「・・・不思議な組み合わせだ・・・」

トムが言うと、双子が笑った。

ルパート・・・めぐみ・・・そして太一・・・。

「どれ・・・俺も風呂に入ろかな・・・」

オリバーが伸びをしながら、みんなで部屋を出て行こうとした時・・・。

 


ブッ!


 

三人が振り返った。

クスクス笑いのルパートが、どうやら寝ながら「一発」カマしたらしい。

起きている時は、毎度音を立てずにする男が・・・楽しそうな夢を見ているようだった。

「・・・・・」

三人はソッと居間のふすまを閉め、出て行った。

 

 

第七話完結      第八話へ続く        変身目次へ        トップページへ