第十四話「君にキリキリ舞い」


一月もあっという間に半分が過ぎ去っていた。



ダニエルとルパートは、三学期と言う数少ない出席日数を毎日有意義()に過ごしていた

ルパートは兄ジェームズから少し前にやっと譲り受けた、駅前のメイド喫茶の「ウサギの

ぬいぐるみを着て、客の呼び込み」と言うバイトを楽しそうにこなしていたし、
ダニエル

は来学期から高等部に進級する事もあり、中等部での最後の学園生活をかなり慌しく送っ

ている。

彼は中等部に置いて陸上部のキャプテンで成績も程よく良かったので、早々と卒業式で在

校生へ向けての「メッセージを送る」と言う大役を、教師からの推薦で選ばれていた。

三男のトムも、「秋田での一件」からすっかり体も良くなりバイトに明け暮れている。

(一年生の単位は、無事全て取り終えていた)

次男のジェームズは、就職が決まった企業の「説明会」や「研修」などに積極的に参加だ。

(彼は外資系のフランチャイズ・レストラン「トレビア〜ン♪」の、日本進出第一号店

に就職を決めていた
)

そしてそんな中、豊島区新庚申塚付近「喫茶レインボー」はと言えば・・・。

 



「・・・暇だなぁ」

「・・・暇ですねぇ〜」


オリバーとめぐみはカウンターの中にボーッと突っ立って、すべき事が何も無いので暇を

持て余していた。

国民は冬休みで金をしこたま使い果たし、世の不景気もあってか・・・更には、一月後半

と言う、あまり金の動かない・人の動かない時期と言う事もあり、財布の紐を益々キツク

閉じている。

それに今、商店街そのものの勢いが昔ほどは無い。

住人はどうしても大型店舗・・・この辺りで言えば「ジェスコ」などに足を伸ばしてしまう。

ちなみに、ジェームズは就職が決まった事もあり、「ジェスコ」の下着モデルのバイトも既

に辞めていた。

近所の奥様達のアイドルだった彼・・・彼女達のガッカリは計り知れない。

 


「暇ですね・・・カフェオレでも作りますか?」

「・・・・・」

めぐみがキョトンとした顔でオリバーを見つめた。

「あ〜・・・ごめん、何でもない。忘れて//////

CMをちょっと真似てジョークを言ったオリバーだったが、めぐみからの反応が何も無か

ったので酷くテレた。

こんな時は・・・出来れば「ノって欲しい」と思うオリバーだ。

そこへ・・・。

 


バタンッ!

 


「何だよ、レオ〜ンハルト・・・お前らしくない。ドアは静かに開けろよ」

乱暴に慌てて入って来たのは、レオンハルト・ハインリッヒだった。

息切ってゼエゼエしている。

彼は息も乱れていたが、衣服や髪も乱れていた。

全く・・・彼は「らしく」無かった。



「こ、こんにちは、お兄様・・・めぐ、みさん・・・。あの、えっと・・・ゾフィーが来

ませんでしたか?え、と、髪が銀髪で豹のような目付きの女性なのですが・・・」

よほど慌てているのだろう・・・言葉が途切れ途切れのレオンハルトだ。

こんな彼はかなり珍しい。


「例のドイツの友達の事か?いや、来てないけど。おい、ジェームズが早くその子を紹介

しろってうるさいぞ?」

オリバーが次男の気持ちを代弁した。

「はぁ・・・まぁ、いずれ・・・。朝から姿が見えないので、よもやココかと・・・あり

がとうございます、めぐみさん」

レオンハルトはめぐみに差し出された水を一気に飲み干した。


「んじゃ、学校じゃねぇの?お前を『追って』とか?」

「『学校』・・・なるほど!また、来ます!いずれ、彼女の事は必ず紹介をしますので

、今日の所はこれで。え、と・・・さようなら!」

疾風の如くまた外に飛び出していったレオンハルト。

「・・・いいなぁ、レオ〜ンハルト・・・忙しそうで・・・」

オリバーがオカシな嫉妬をした。

「じゃ・・・『カフェオレでも作りますか』?」

「・・・・・」

いきなりめぐみが「爆弾」を落としてきた・・・ビックリした。

「『ノリ』が悪いですよぉ、オリバーさ〜ん♪」

「・・・すいません」

まさかめぐみからそんな事を言われようとは・・・。

オリバーは迂闊だった・・・スイッチはいつでも「オン」にしておかなくはと反省した。



「じゃあ、掃除でもしますかぁ?」

「・・・『また掃除』か・・・あ、めぐみちゃん!じゃあさ、家の布団みんな干しちゃっ

てくれる?天気良いからさ」

「はい〜」

オリバーに言われ、めぐみが店から出て行った。

そして程なく・・・。

 


カラ〜ン♪


 

「いらっしゃいま〜・・・」


 

ゲッ!

オリバーのテンションが一気に下がった。


あめおめ〜!そして、ことよろ〜♪ごめんねぇ〜、何だか新年のご挨拶遅くなっち

ゃってさぁ・・・んもぅ、元気してたぁ〜?

「・・・・・」

平和な気持ちを逆撫でさせるそのデカ声に、オリバーのモチベーションがグッと下がる。

今更だが、めぐみを家の仕事に向かわせた事を酷く後悔した。

「オカマの朱実」が、新年の挨拶がてらに来店してきたのだ。

朱実は「いつもの席」にどっかと座り、太い足をかなり出したミススカート姿で足を組み

、早速タバコを吹かし始めた。



「久しぶりに見ると益々『男っぷり』が上がって・・・オ・イ・シ・ソ♪

鼻に掛かる「独特のオネエ言葉」に、オリバーの全身の毛がゾッと逆立つ。

彼は「オカマ」が大の苦手なのだ。

そしてなぜか朱実と同じ職場のオカマ達は、そんなオリバーをいたく気に入っている。

以前は朱実も随分「猫被って」レインボーに来店していたが、今やかなりの常連率になり

、態度も声もデカくなっていた。

それに、あからさまに「オリバーを狙っている事を憚(はばか)らない言い回し」の全てが

、オリバーは気味が悪かった。

 


今起きたトコなのよぉ〜、アタシィ〜。素っピンで恥ずかしいからあんまり傍で顔見

ないでよねぇ、あははは♪

オリバーは「見ねぇよっ!」と心の中で叫んだ。

「何かここんトコ、うちそこそこ忙しくってさぁ。この前なんか深夜のテレビにちょっと

うちの『ママ』映ったのよぉ♪見てくれたぁ?」

「・・・いえ」

「ねぇ、早速だけどアタシの美容の大敵、乾燥肌に効きそうなビタミンタップリの野菜ジ

ュースとか作ってぇ〜ん♪」

「・・・・・」



オリバーは無言で冷蔵庫からセロリを一本取り出し、まな板の上でズダンッと真半分にぶ

った切った。

ぃやぁ〜ん、んもぅ・・・相変わらず男らし〜ぃ♪超、惚れるぅ〜♪流石はアタシの

見込んだ男ぉ〜♪」

オリバーは無言で、今度はきゅうりを真っ二つにぶった切った。

オリバー・・・心の中で「帰れよっ!」と唱えた。

指先までブルブルして、朱実の気持ち悪さに震えていた。

 

 


そして次の日。

大学のキャンパス内にトムはいた。

調べなくてはいけないレポートがあり、家にパソコンが無いトムはその為に数時間だけ登

校していたのだ。


「・・・ん?」

用事も済み、校門脇の駐輪場に自分のポンコツバイク「クール・ビューティー」を取りに

向かったトムは、ポカンと目を疑った。

自分の前に・・・「理想の女」だ。

校門前にサングラス姿で腕を組んで立っている。

 


足が・・・長いっ!

顔が・・・小さいっ!

スタイルが・・・九頭身っ!

 


トムの美人好みは兄弟・友達の間では有名な話だ。

そして、特に「オネエサン」が好みの彼だ。

彼の「多くのカノジョ達」は揃いも揃って美人ばかりだし、そして年上ばかりだ。

校門前に立っている女は、そんなトムが知り合った美女の中でも抜きん出てトップの、ま

さにベスト・オブ・ザ・ビューティー。

非の打ち所が無いパーフェクトなボディ・ラインと小さく引き締まった顔・・・。

トムは、後頭部を誰かにハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。

人生至上、こんな女性にお目に掛かった事が無かった。

出会った瞬間から、崖から転げ落ちるように恋に落ちた池照トム。

 


「ゾフィー」のオーラが凄まじいのは当たり前だ。

彼女は「ELLE」の専属モデルだったし、パリ・コレクション、ロンドン・コレクショ

ン、ニューヨーク・コレクションでも1、2を争う世界有数のトップモデル。

ファッションやヘアーに詳しい人間にとっては、「その辺で会える」ような人間ではない

・・・「神」たる存在だ。

ゾフィーは多くデザイナーと友達付き合いしていたので、「バレンチノ」だとか「フェラ

ガモ」だとか「アルマーニ」などの自宅へ招待されるほどの人物。

自分の誕生日には、トップデザイナー達から数え切れないほどのプレゼントが届いてしまう。

そのゾフィーが「トム」を見つけるとニヤリと笑い、ヒールの高いブーツにコケる事もなく

(
相当履き慣れている)、カツカツと歩み寄って来た。



「え、え、え・・・」

トムはドギマギした。

周りにいた多くの学生も一斉にそれに注目した。

「理想」が自分の事を目指し、近付いて来る!

トムは半分口が開いた状態で、近付いて来るゾフィーを、ただただ見つめるばかりだ。

 


「ゾフィー!」


 

校門の所にレオンハルトが現れた。

ゾフィーはレオンハルトを振り返り、一瞬だけ舌打ちしたがすぐに鼻で笑ってニヤリとした。

レオンハルトを無視して、トムの真ん前で歩みを止めて馴れ馴れしくその肩に腕を掛けた

ゾフィー。

トム・・・心の中で「マスオさん」だった。(「えぇーっ!?////////)

 

トムは身長は決して低くない・・・182センチもある。

だが、ヒールを履いたゾフィーは軽く190・・・見上げるほどの大女だ。



「トム君から離れるんだ、ゾフィー!昨日も今日も・・・君は僕が居ない所で何をしよう

としてるんだ!」

レオンハルトはドイツ語で激しく捲くし立てた。

トムはレオンハルトのドイツ語を初めて聞いた。

そして、「へぇ〜、ホントにコイツ『クォーター』なんだ」と改めてシミジミと実感した。



「あら・・・あなたの部屋にあった『写真の彼』を見に来たのよ。この子でしょ?あなた

いつから『少年好き』になったの?それに、いつから『そっちの道』に?」

ゾフィーがクスクス笑っている。

ゾフィーも勿論ドイツ語だったので、トムは内容がチンプンカンプンだ。

しかし、「分からなくて」色々と正解かも知れない。

内容を知ったらトムはどんなに怒るか・・・。



「トム君は十九だ・・・今年二十歳になる」

「ふ〜ん・・・そう。いいわねぇ、東洋人って。若く見えて・・・」

不躾(ぶしつけ)にトムの事をマジマジと見つめるゾフィー。

心なしか、言葉の節々に嫌味がタップリだ。

トムは話の内容が分からないので、僅か五センチの所にいる超ド級の美女にドキドキする

ばかりである。

それに、ゾフィーからは何だかとても良い匂いがする。

トムは一瞬、その強烈なフェロモンにクラッとした。

 


「さぁ、トム君から離れるんだ、ゾフィー・・・」

レオンハルトの目は真剣だった。

ゾフィーの持つ「危険さ」を重々心得ているレオンハルトは、ゾフィーの「小さな悪戯」

も許さなかった。

「・・・何か嫌な感じ。あなた本気ね、レオンハルト・・・」

ゾフィーの瞼が半分になり、細くなった目でレオンハルトを睨んだ。


「こっちに来るんだ!」


レオンハルトが乱暴にゾフィーの手首を取った。

痛いじゃないのっ!何よ、紹介くらいしてくれたって良いじゃない!フン・・・私が

日本に来てから殆ど『我関せず』だったくせに、この人
(トム)の件に関して『だけ』は私

の後を付けたりして・・・。随分と『入れ込んでいる』のね!」

「トム君は僕の大切な友達だ!それに・・・彼の兄弟に近付く事も僕は許さない!」

トムはドイツ語で遣り取りしているレオンハルトとゾフィーに交互に目を遣りながら、少

し遠慮深げにレオンハルトに喋り掛けた。



「おい・・・何がどうなってる?何か揉めてるみたいだけど・・・俺、彼女に何かしたか

?って言うか、お前が前に言ってたドイツの友達って・・・この彼女の事か?」

「はい・・・すみません。紹介が遅れてまして・・・。彼女はゾフィー・・・ゾフィーネ

・シュトラウスン・エリーゼ・シュヴァイッツァルです」

「・・・は?」


難しかった・・・。

思いっきり「日本人の耳」を持つトムには、一度ではゾフィーのフルネームを聞き取れな

かった。

以前レオンハルトに紹介された犬、「リュックヒェン・フランクバウアー」の再来である。

「長い名前です。『ゾフィー』で充分です。あ〜・・・ゾフィー。この人は親友のトム君だ」

「・・・トム?」

 


ドッキン♪


 

ゾフィーの少しハスキーで低めな甘い声は、トムの膝の力をストンと抜くには充分だった。

ゾフィーの何もかもが、激しくトムにヒットする。

握手を求めて手を差し出してきたゾフィーを、これまた「らしくない」赤い顔で取ったトム。

レオンハルトはそのイチイチを、ギラギラした抜け目の無い目付きで睨んだ。

今にもまるで、「ゾフィーがトムに毒でも盛るのでは?」と疑うような目付きだ。

 


「ほら・・・もういいだろう。家に帰るんだ」

レオンハルトはトムとゾフィーの手の繋がりを少し乱暴に解いた。

これにはトムがカチンとした。

「何なんだよ、お前さっきから・・・」

「いえ、ゾフィーはちょっと・・・色々とタチの悪い女性なので・・・」

「アホか!俺達はまだ知り合ったばっかなんだ。何を悪さされるって言う?興味無ぇなん

て言っておきながら・・・お前、ホントは彼女に気があるんじゃないのか?」

「そんなんじゃありません。僕はむしろトム君が・・・」

「気持ち悪ぃ事抜かしてんじゃねぇっ!俺は『女意外は絶対ダメ』って言ってるだろ!?」

トムがレオンハルトと遣り取りしているのを、ゾフィーが不思議そうに見ていた。



「レオンハルト・・・あなたひょっとして、この人に嫌われてるんじゃない?」

ドイツ語で聞いた。

少し愉快そうな意地悪な顔付きだ。

「・・・うるさい」

レオンハルトは少し顔を背けた。


あははは♪へぇ・・・あなた嫌われてんの、この人に!?気の毒に・・・『想い人に

想われない』なんて、あなた初めてなんじゃない?フフ・・・何だか面白くなりそう♪暫

く日本に居るのよ、私。よろしくね、トム」

ゾフィーの細く長い指がスッとトムの頬に親しげに触れ、そのままレオンハルトに引き摺

られるようにして二人は校門から出て行った。


「・・・ダンケ」


トムは動悸(どうき)を著しく「誤作動」させ、たった今ゾフィーに触れられた頬を押さて

、唯一知っていた「ドイツ語でのお礼の言葉」を小さく述べた。

 

 


「はぁ〜〜〜・・・」


トムはその日の夜、酷く腑抜けていた。

布団にゴロリと横になり、天井に張ってある「アイルトン・セナ」の大きなポスターをボ

〜ッと見つめながら、他の事を考えていた。

 


「トム」・・・。


 

と低く自分を呼ぶ、ゾフィーの声だ。

そんな物思いに耽っているトムの事等知るよしもない二人の弟達が、隣の部屋でキャッキ

ャッと楽しそうな声を上げている。



「あ・・・ダメだよ、そんな事・・・」

ルパートの声だ。

ヒソヒソと声を忍ばせている。

「いいじゃん・・・少しだけだよ。ほら・・・」

「あ、ダメだってば・・・」

「じゃ、これならどう?」

「もうやめてよ・・・」

トムは天井を見つめたまま、コメカミにピキッと音を立てた。



「いいじゃ〜ん・・・ね?」

「ダメだってば・・・トムが隣に居るモン。見つかっちゃうよ・・・」

「大丈夫だよ。だってトム、どうせヘッドフォンで音楽でも聴いてるんだ。僕達が喋って

いる事なんか聞いてないから・・・ね?」

「あっ・・・」

 


「何やってンだぁー、こらーっ!聞いてるぞっ!」

「うっわぁーーーーっ!!」


 

大声を張り上げながら、カーテンで仕切られたダニエルとルパートの部屋に侵入して来た

兄・トム。

三人の部屋は元々は一緒だったのだが、トムは年頃になると二人の弟達とは別の空間(

しでも落ち着いた環境
)を求め、一つの部屋をカーテンで仕切っていたのだ。

 


「ほぉ〜うらね・・・見つかっちゃった・・・」

ルパートがあっけらかんと言った。

「・・・何やってたんだ、お前ら?」

トムは不思議な顔で、畳の上に画用紙を広げて腹ばいになっている二人の弟を上から見下

ろした。

ダニエルが慌ててそれを隠す。

トムは足で末弟の頬をグリグリし、強引に画用紙を奪った。


「・・・何だ、これ?」

画像紙には「自分」と思しき似顔絵。

だがその顔には、二十センチも延びた鼻毛とか剛毛にカールしたオカシな眉毛とかが書き

足されている。

そして脇の方に、矢印で「意地悪怪人・トムひょろマン!(超・弱い。玉ねぎ嫌い)」と書

いてあった。


「・・・ほぅ」


トムは二人の弟を冷めた目で見下ろした。

「僕はダメだよって言ったんだよ?でもダンがさぁ〜・・・」

「ルパートがトムの絵を『簡単だよ』って描くから悪いんだ。だから僕は少しだけ悪戯し

たくなって・・・」

二人が交互に言い訳を始める。

「だって、『しーちゃん』がジッとしててくれないんだもん。美術の宿題、終わらないと

僕困っちゃうし・・・」

確かに、異様にデカく育っているルパートのペット、カメの「しーちゃん」が部屋の片隅

できゅうり
(オリバーが庭で育てている「きゅうりの幸子」ではなさそうだ)を、モリモリ

と齧
(かじ)っている。

 


ゴッツン!

ゴッツン!


 

トムの制裁は無言で二人の弟の頭の上に落とされた。


 

「痛ぁ〜〜〜〜いっ!」

「うわぁぁぁぁ〜〜〜ん!!トムがぁ〜!トムがぁ〜!オリバァー!うわぁぁぁ〜〜

ん!トムがぁ〜!!」

 


「うるっせぇぞっ!ご近所に迷惑だろっ!」

 


頭を押さえながら畳の上で蹲(うずくま)る末っ子と四男を、下の階で風呂に入って居たオ

リバーが、エコータップリの大声で怒鳴り叱った。

その様子を隣の家の二階からエマが望遠鏡で覗いている。


「チッ・・・風呂場の窓が開いてないから、何が何だかちっとも分からないわ・・・」

エマはまた、「愛しのオリバー」を観察していたのだ。

しかも、「観察」とは名ばかり。

はっきり言って、彼女のしている事は「ノゾキ」である。



「ったく、帰って来た早々騒がしいねぇ〜、うちは・・・」

次男のジェームズがめぐみを伴って、玄関のドアをカラカラと開けた所だった。

二人は夜食でラーメンを食べに外に出ていたのだ。

折角「バカ盛り一丁!」の美味い屋台のラーメンを食べてきたのに、玄関を開けた早々騒

がしい・・・気分は少々ゲンナリだ。

この家であの屋台の大盛りラーメンを食べきれるのは、ジェームズとめぐみくらいだった

ので、最近良く二人は晩御飯が終わってから暫くすると、夜な夜な「散歩」と言う名目上

、外に出て行く。

勿論、みんなは二人が「ただの散歩」などとは思っていない。

 

 


数日して、大学もいよいよ本格的に授業が始まり出した。

「・・・・・」

トムは講義にちっとも身が入っていなかった。

当たり前だ。

なぜって、自分の隣の席に「ゾフィー」が居るのだ。

猫のような目付きでトムを横から見つめ、たまに微笑んだりしている。

ゾフィーは本来なら学校に来てはイケナイのだが、教師もどうそれをゾフィーに説明して

いいものやら迷っているようで、今の所は彼女は「野放し状態」だ。

平気な顔でキャンパス内を闊歩している。

レオンハルトに見つかるととにかくうるさく叱られるので、レオンハルトから避けるよう

にトムに張り付いていた。

二人は、言葉はあまり通じ合っていなかったが、毎日のように一緒に居た。



「あ〜・・・え、と・・・」

「イッヒ・ビン・ゾフィー」

自分の名前をなかなか言ってくれない恥ずかしがり屋のトムに対し(普段は勿論、彼はそ

う言うキャラではない
)、ゾフィーは「私、『ゾフィー』よ」と積極的にアピールする。

「あ〜・・・うん、ゾフィー。えっと、レオンハルトはここじゃないぞ?ヒー・イズ・ノ

ー・ヒア!あいつと一緒に居なくていいのか?あいつの教室は多分、四階の・・・」

「レオンハルト・・・ナ〜イン!」

「ナ〜イン」は、英語で言う「ノー」の事である。

トムは最近それを覚えた。

どうやらゾフィーは、レオンハルトと一緒にいたくないようだった。

トムは心の中で「シメシメ」と思っている。

もしかしたら、「ゾフィーは自分に気があるのでは?」と思うようになっていた。

 


「トム?」

 


ドッキン♪

 


相変わらずまだ慣れない。

トムはゾフィーから自分の名前を呼ばれると、一瞬「気」がどこかに行ってしまう。

低めのハスキーなゾフィーの声は、トムにいつも「幸せな悩み」を生み出す。

ゾフィーは銀色の長い睫で・・・薄い水色の目で、トムを真横からガン見している。

 


ぐ・・・色っぽい・・・。

 


トムは自分の心臓の音が、周りに聞こえないか不安だった。

結局トムは今日「も」一日、始終ゾフィーに付き纏われ続けた。

幸せなのだがある意味不運・・・。

トムは数日、あの有名な魔法使いの話に登場する、「強い惚れ薬」の餌食になった薬物中

毒者のようだった。

何もかもがどうでもよく、ゾフィー事だけで頭が一杯だった。


「え・・・?」


ゾフィーが何やら紙を手渡してきた。

「今夜七時、『葛西・ノビルの樹公園・すべり台前』。待ってる」と、日本語・・・。

達筆だ・・・誰かに書いて貰ったらしい。

「え、え、え・・・//////

ゾフィーはパチッと鳴れたウインクをしてきた。

 


ドッキン!

 


トム・・・テンション、ハイマ〜ックス!

心の中でグッとガッツ・ポーズだ!

「っしゃー!」

「ゾフィーからの誘い」に、普通なら疑問に思う全ての事を考えられなくなっていた。

 

 


「お帰りなさ〜い、トムさ〜ん」


夕方、めぐみが洗濯物を畳んでいる所へトムが帰宅してきた。

手には小さな可愛らしい紙袋を持っている。

勿論、後でゾフィーにあげようと考えているプレゼントだ。

彼女に似合いそうな、ワインレッド色の口紅を購入した。

トムは出かける前にシャワーもしたかったし、服も着替えたかった。

トムは、デート前はこうしてなかなかマメだ。

カッコいい上にマメ・・・故に女性にモテない訳が無い。



「おっ、ナイス、めぐみ!丁度そのシャツ着たかったんだ・・・畳まなくていい」

めぐみは知っていた。

「ブラックの『マルタンマンジェ』のシャツ」を着て出て行く時のトムは、必ず「デート

」だと。

彼にはこのシャツが非常に良く似合っていたし、勝負服でもあった。

 


「今日はどちらへお出掛けですかぁ、トムさ〜ん?」

「・・・お前には関係ない」

やんわりと聞いてきためぐみに、つっけんどんに答えるトム。

ゾフィーと最近一緒にいるせいか、めぐみのブクブク太った肉団子のようなボディーが、

意味無く憎らしい・・・。



「あ、トムさんの歯ブラシが古くなっていたので、買い換えておきましたからね〜?」

「あ、そ・・・サンキュ」

「え、と、それから枕カバー勝手に洗っちゃいました〜。なかなか洗濯に出てこないので

〜・・・」

「おい、勝手に人の部屋に入るなよ。あ・・・お前、もしかして・・・」

トムの顔色がサッと赤くなった。

「スンマセ〜ン、机の上にあった写真・・・見ちゃいました。ひょっとしてレオンハルト

サンのトコに来ているドイツの方ですか〜?」

「・・・まぁな」

体裁悪そうに答える。

「綺麗な人ですね〜・・・モデルさんでしたっけ?」

「まぁな・・・」

「今日のデートは彼女とですか〜?」

「・・・うるさいよ、お前・・・放っておけ!」

トムはシャツをめぐみから引っ手繰って居間を出た。

散々、めぐみの田舎ではめぐみやその家族に世話になってはいたが、それとこれとは別問

題だ。

良心が少し痛んだが、人の部屋に勝手に入ってゾフィーの写真を見られたのは勘弁ならな

かった。

 



「なぁ、婆さん?」

台所で「おでん」を煮ているオリバーに声を掛けたトム。

家には先ほどから、和風出汁(だし)の「いい匂い」が充満していた。

トムは飲み物を取りに冷蔵庫を開けた所だった。



「あ〜?」

オリバーは「くそ・・・一体何が足りないんだ?」と、鍋の中を覗き込んでいた。

どうも「決め手」になる一味が欠けているようだ。

「・・・なぁ、アンタさ。めぐみをどう思う?」

「何だ、いきなり?それに、誰が『アンタ』だ!」

オリバーは兄に敬意を払わない弟を叱った。

「オリバー・・・アンタ、めぐみと結婚しろよ?」

「アッチ!」

オリバーは丁度お玉で出汁(だし)の味見をしていた所に不思議な事を言われ、口の周りを

火傷した。



「なぁ、めぐみと結婚しろよ?嫌いじゃないだろ?」

「・・・何言い出すんだ?藪から房に・・・」

「相変わらず『カノジョ』居ないんだろ?あいつ絶対フリーだし、二人は結婚とかしたら

さ・・・いいんじゃねぇかなって」

「結婚なんかまだする気ねぇ。それに、どうして相手が『めぐみちゃん』なんだ?」

「だってほら、アイツはまぁ・・・ビジュアルはあんなだけど、気立てはなかなか良いし

、飯は美味いし、洗濯だってこなすだろ?大体、うちのチビ共が懐いてる」

「・・・だからって、何で俺に薦めるんだ?そんな風に思ってんならお前が結婚しろよ。

ちょっと早いが・・・まぁ、反対はしねぇぞ?」

「俺はアイツに気が無ぇ!」

「俺だって無ぇよ。あ、そうだ・・・レオ〜ンハルトに薦めてやれよ。アイツはめぐみち

ゃんを相当崇拝しているぞ?」

「ヤツはダメだ!」

「どうして?」

「だって、ヤツはその・・・うちの人間じゃ無いし・・・」

「どうして『うちの人間』じゃなくっちゃダメなんだ?」

「だってほら、その・・・めぐみとはまぁ、毎日面(つら)会わしてるし、まぁ、何て言う

か・・・家族ってのとは違うんだけど、その・・・」

「・・・なるほど。他の誰かにはやりたくない訳だ。めぐみちゃんを?」

違うっ!そんなんじゃなくって・・・とにかく、婆さんがめぐみを貰えばいいんだ!」

「あはは♪どうしたんだよ、お前・・・」

「別に・・・オリバーこそ、どうしてそう嫌がる!?あ・・・まさかアンタ、まだあの

『魔子』とか言う女の事を・・・」

「・・・うるせぇっ!」

オリバーはトムから顔を背けた。



マジかよっ・・・だって、確かフッたのはアンタの方だろ?」

「・・・アンタって言うな!」

「・・・信じられねぇ・・・この平成の世の中に、まだこんな古風な男が居るなんて・・

・。アンタいつの時代の人間だよ?」

「だから『アンタ』とは何だ、『アンタ』とは!あぁっ!?俺ぁ、この家の一番上の『

兄貴』だぞ!?お前こそ、ホントはめぐみちゃんみたいな子を好きなんじゃねぇのか?だ

って、彼女はうちのお袋に似てるし、お前は究極のマザコンだったし・・・」

「俺はマザコンじゃねぇ!あぁっ、もういいっ!シャワーして出掛けて来る!飯要ら

ねっ!」

トムは何やら一方的に盛り上がって、一方的に台所を出て行った。


おいっ!ったく・・・何だよ、アイツ?」

オリバーはまた鍋の中をジッと見つめた。

「ホント・・・何が足りないんだろ?」

おでんはそ知らぬ顔でグツグツと煮えていく。

 


おっ♪うちは今夜『おでん』か?」

ジェームズが帰って来た。

説明会の帰りだったので、スーツ姿だ。

ネクタイを緩めながら、オリバーの後ろからおでんの鍋を見下ろした。

見ようによっては、夕飯の支度をしている妻に声を掛けた旦那のようだ。

オリバーはまた頭に白いタオルを巻いて・・・しかも、割烹着姿だった。

(この割烹着、実は去年の「母の日」に弟二人からプレゼントされたモノだ)



「いいねぇ〜・・・おでん。外、えらく寒ぃ〜ぞ?夜は雪でも降るんじゃね?」

「まさか!東京は一月なんか雪降らねぇよ。なぁ、何か一味足りないんだけど、何入れた

らいいと思う?」

オリバーがお玉に出汁を少し掬(すく)い、それをジェームズに近付けた。

「どれ・・・ん、なるほど!コンソメ入れてみ?」

「コンソメ!?」

味見をしたジェームズが意外な事を言ったので、オリバーの声が裏返った。


「ま、私を信じてみなさいよ、お兄ちゃん、足だけ洗ってくる。じき飯だろ?」

「あ、今多分トムがシャワー使ってるぞ!」

「関係ねぇ・・・。俺は俺だ」

ジェームズが消えた・・・色々「強気」だ。

オリバーはおでんの鍋を見つめ、少し考えた。

「・・・コンソメ?おでんに?」

オリバーは弟を信じ、恐々と粉末のコンソメを振り入れてみた。

 

 


「美〜味しいぃぃぃ〜〜♪」


おでんを食べた二人の弟の反応が頗(すこぶ)る良い。

オリバーはジェームズを見つめたが、ジェームズの方は「サッカーの試合」に夢中で、

行けっ!そこだ!」
など言って、あまりおでんには興味無さそうだった。



「そうだ!しーちゃんにもあげてみようっと!」

「カメにやるな!」

オリバーがルパートを叱った。

「カメじゃないよ!『しーちゃん』だよ!育ち盛りなんだから、一杯ご飯上げないとイケ

ナイんだ!」

「充分育ってるっ!どこまで育てる気だ!?」

オリバーがガーガー怒った。



「あら・・・トムさん、ケイタイ忘れて行ったみたいですね」

めぐみが座布団の上に置いてあったトムのケイタイが光ったのに気付いた。

「ったく・・・ケイタイなんか」

オリバーはケイタイを嫌っている。

自分で作っておきながら相当美味い仕上がりのおでんに舌鼓だ。



この家で現在ケイタイを持っているのは、トムとめぐみだけである。

しかし、もう暫くするとジェームズも持つようになるのだろう。

仕事をしている人間にとってはケイタイは必需品になるのだろうし・・・。



池照家は少しずつ変わってきている。

春になれば、チビだったダニエルは高校生だし(彼は今もチビだが)、ルパートは高校三年

生だ。
(ルパートはどういう自分の未来像を描いているのだろうか?)

ジェームズは晴れて社会人になる。

今までのようにこうしてみんなで食卓を囲む事もどんどん減るはずだ。

オリバーは仏壇の両親の写真に目をやり、暫し感慨に耽った。

思えば両親が死んでからと言うもの、随分忙しない日々を送って来たなと・・・。

 


あははは♪しーちゃんはこんにゃく嫌いみた〜い♪大根が好きなんだね?」

「ちくわもあげてみようか?」

「いいね♪」

ルパートとダニエルの馬鹿げた会話で、現実の世界に引き戻されたオリバー。

「カメにおでんやるなよっ!」

「カメじゃないって言ってるでしょー!『しーちゃん』でしょー!」

・・・騒がしい夕飯だ。

 


めぐみは口をモグモグ動かしながら、トムのケイタイに付いていたストラップが一つ、畳

の上に落ちている事に気付いた。

「マーブルチョコ」のおまけのストラップだ。

お菓子などをあまり食べないトムが唯一好きで、時々買って食べている菓子だ。

母親との思い出の菓子だと、昔オリバーに聞いた事があった。

 


ゾフィーの写真・・・。

勝負服のブラックのシャツ・・・。

忘れていったケイタイ電話と落ちているストラップ・・・。


 

めぐみは口を動かしながらマーブルチョコのストラップを見つめ、言葉で言い表せない何

やら不調和音を覚えた。

「あっ!そう言えば私、すっかりダイエットするの忘れてたぁ〜・・・やンだぁ〜」

「・・・・・」

兄弟に言わせれば・・・・・「今更?」である。

 

 


一月も最終日、冬真っ盛り・・・気温、夜七時現在五度。

トムは「ノビルの樹公園」に入ったのは初めてだった。

「葛西」には友達が居たし、ここはツツジや菖蒲(しょうぶ)で有名な公園だったので、場

所や噂は知っていたが実際に来た事はなかった。

トムには花を愛でるような趣味は無い。



「良かった・・・十分前だ」

初めて二人きりで会うゾフィーを待たせてはならないと思い、ひたすらバイクを走らせて

来たトム。

スピード違反ギリギリを擦り抜けて来た・・・と言う感じだ。


「すべり台ってどこだ?」

園内の案内図を見つけ出し、外灯がポツンと当たっている大きな見取り図を見上げた。

テニス場やゲートボール施設もあり、端っこにはバーベキューも出来る場所もあるらしい。

「・・・真ん中辺りか・・・。ってか、誰も居ないな、この公園。ま、時間も時間だしな」

トムはヘルメットを脇に抱えて、暗闇に飲まれていった。

 

 


池照家には門限がある。

夜十時を越える外出の場合は、必ず電話を入れる決まりになっていた。

「トムさんが帰って来たら、玄関の鍵は私が開けますから〜」

「家訓を守れないようなヤツは、家の敷居は跨がせない・・・それが決まりだ」

めぐみの甘い考えを許さないオリバー。

オリバーは帳簿を付けながら、時計を気にしてイライラしていた。

時刻は、十時を少し越えていた。



「色々ありますよ、トムさんだって大学生ですもの〜。でも、確か今日はトムさんが大好

きなラジオ番組の日ですよね〜?この日は本当なら、殆ど夜は外出しないで家に居るんで

すけどね〜」

「・・・誰と出てるのか知ってる、めぐみちゃん?」

めぐみはテレビに集中しているフリをして答えなかった。

トムのプライベートを色々報告してしまうのは、良くないと思ったからだ。


「例のドイツの子だったりしてな♪」


風呂上りで髪を濡らしながら、ビンゴな答えを言って居間に入って来たジェームズ。

手にはビール持参だ。

めぐみとジェームズの目がバッチリ合った。

「あれ・・・もしかして『当たり』?」

「・・・・・」

めぐみ、嘘がなかなか・・・下手だった。

 

 



「・・・ゾフィー、どうした?」

ハインリッヒ家の、居間の大きな窓から外を見つめていたゾフィーに声を掛けたレオンハ

ルト。

「・・・何でもないわ」

「霙(みぞれ)になったか・・・今日はずっと寒かったし。ドイツはもう雪が相当なんだろ

う?」

「えぇ・・・山の方はね」

ゾフィーは会話に集中していない。

「・・・どうした?顔色が優れないけど?」

「別に・・・」

ゾフィーは珍しく自分に優しい言葉を掛けてくれるレオンハルトを、今は自分が避けていた。

視線が合わないように、少しソワソワしてソファーに腰を下ろす。



「時にゾフィー・・・最近、大学でトム君とよく一緒に居るようだけど?」

「・・・・・」

「何もしてないよね?」

「・・・どういう意味?」

ゾフィーはヒヤリとした顔付きになった。

「いや、ただ単に仲がいいだけなら何も言わない。でも、君はその・・・昔から少し色々

嫉妬深い所があるから」

「・・・・・」

「・・・何もしてないよね、彼に?」

「・・・してないわ。する訳ないでしょ」

「そうか、ならいい。そうだ、僕まだ今日トム君に『おやすみ』の挨拶してなかった」

ゲッと言う顔付きのゾフィーを知るよしもなく、レオンハルトがポケットからケイタイを

取り出し、「トム」に電話を掛ける。

 


何度目かの呼び出し音。


 

「はい?」

 

珍しく対応があり、レオンハルトが驚いた。

「トム君?よく電話に出てくれましたね?いつもは無視なのに・・・。僕です、レオ〜ン

ハルトです」

「悪いけど『トム』じゃねぇよ?俺、アイツの兄貴・・・ジェームズ様」

ケイタイに出たのは次男ジェームズだった。

「あ、お兄様でしたか、失礼致しました。あれ・・・トム君は?」

「ヤツなら居ねぇよ。ゾフィーちゃんとデートだと。アイツ、ケイタイ家に忘れてってさ

・・・」

「え?」

「いつの間に親密になったんだか・・・。おい、俺にもちゃんと紹介しろよな?」

「・・・ゾフィーと?え、出掛けた?」

レオンハルトが後ろを振り返った。

ゾフィーは一瞬「ギクッ!」とした顔をして、逃げるように席を立ち上がった。



「そうだろ?そう聞いたけど?」

「あ・・・そ、そうでした、すいません。え、と・・ちょっと立て込みましたので、また

。はい、おやすみなさい」

噛み合わないジェームズとの会話を何とか誤魔化して、レオンハルトは電話を切った。

 


レオンハルトはドアノブに手を掛けたゾフィーの手首を掴んだ。


「・・・トム君はどこだ?」

「知らないわ。何で私が知らなきゃならないのよ・・・眠いの。もう寝るわ」

「言うんだ!トム君はどこだ!」

「・・・帰ってないの?」

ゾフィーが神妙な顔で時計を見た。

時刻は十時五十分になっていた。


「いえ、まさか・・・」

弱々しく首をふるゾフィー・・・「何か」を認めていない。

「ゾフィー・・・トム君に何をした?トム君はどこなんだ?!」

レオンハルトが真剣な顔でゾフィーの顔を覗き込んだ。

「・・・だって、もう何時間も前の事だし・・・もう、あそこには・・・」

「ゾフィー!」

レオンハルトが本気で怒った。

ゾフィーはレオンハルトの大声に驚いて、目に涙を溜めた。


「言うんだ・・・トム君はどこだ?」

「・・・公園」

「公園?」

「・・・『カサイ』って場所にある、ノビ・・・ノボルマキの公園・・・」

「『ノビルの樹公園』か!?葛西の・・・あんな場所にトム君を呼び出したのか?」

レオンハルトは、窓から霙(みぞれ)の降りしきる外を見た。

 


「レオンハルト?」

レオンハルトがその辺にあった上着を羽織った。

「どこ行くの?」

「トム君を迎えに行く」

自分専用の愛車の鍵を持って外に出た。

「・・・私も行く!」

コートを着たゾフィーが後を追って来た。

 

 


車庫からエンジンを吹かすと家の中から爺が出てきた。

「坊ちゃま?」

驚いたような顔の爺・・・。


「心配しないで・・・ゾフィーとちょっとドライブしてくるだけだよ」

レオンハルトは心配掛けまいと、笑顔で答えた。

「しかし、何もこんな日に?」

「まぁ・・・いいじゃないか。こんな日もオツなモンだよ。数時間で戻る」

レオンハルトはクラシカルな・・・あのルパン三世が乗っている車「アルファロメオ8C2

300」(今はもう製造されていないクラシック・カー)を、家の庭を一周するように大回り

して出て行った。

門を出ると、法律的にはイケナイ事だが運転中に電話を掛けた。

相手は「めぐみ」だ。

 


「こんばんは、めぐみさん・・・レオンハルトです」

「どしたんですか〜、レオンハルトさ〜ん?」

「すいません・・・。え、と・・・今電話いいですか?」

めぐみを気遣うレオンハルト。

「大丈夫です〜」


「あの・・・今から外に出られませんか?」

「え?今からですか〜?」

「はい・・・『トム君』の事で、ちょっと。今運転中で詳しくは話せないのですが・・・」

「・・・分かりました。玄関の前で待ってます〜」

めぐみは何か感じ取ったらしい・・・合意した。


「ありがとうございます。あと十分くらいでそっちに着きます。あの、この事はお兄様達

には一先ず・・・」

「・・・言わない方がいいんですね?分かりました〜」

めぐみは結構感のいい女だった。

二人は一旦電話を切った。



レオンハルトは真っ直ぐ、ワイパーが激しく動くフロントガラスの先を見つめていた。

顔が険しい。

(みぞれ)混じりの天気と夜間の運転・・・視界が酷く悪い。

ゾフィーは助手席で、真横の窓を見つめながら黙りこくっていた。

今更だが、「事の重大さ」を感じているようだった。

 

 


トムはブランコに乗っていた・・・ビショビショだった。

最初は顔が濡れる事や髪が濡れる事を気にしていたが、もう今となっては一緒だった。

「すべり台」の近くには八時半まで居たが、そこには時計が無かったので、少し場所を移

動して、今はブランコに座っていた。




ケイタイを家に忘れて来た事に気付いたのは、割と早かった。

ゾフィーの番号は知らなかったが、ケイタイには「レオンハルトの番号」はある。

しかし・・・・・忘れていては一緒だ。

連絡を取りようにも、どうにもならなかった。

折角治った風邪だったが・・・しっかりと「またぶり返した」ようだ。



頭が重い・・・体も重い・・・。

酷く手足が悴(かじか)み・・・そして、瞼が重たかった。

唇はブルブル震え・・・「あの時」を思い出していた。

雪山でレオンハルト達四人で、遭難した時の事だ。



トムは少し笑った。

あの時の方が何倍も良かった。

寒かったが・・・孤独じゃなかった。

仲間が一緒だった。

今は・・・寒い公園に一人ぼっちだ。

冷たく・・・そして静かだった。

体が硬直している上に、トムは気持ちも落ちていた。

とてもバイクを止めてある場所までは歩けそうに無い。

「ゾフィーは・・・どうして来ない?」


上着の上着のポケットに入れていた「口紅」を、ギュッと握り締めたトム。

 


不意に、耳に「母親の声」を聞いた。


「トム・・・こんな所に居たの?ほら、帰りましょう?」

「・・・・・」


思い出の中の「ある日の母の姿」がそこにあった。

「あの時」もトムは、一人ぼっちで佇んでいた。



その日「小さなトム」は、迎えに来てくれた母親に従わなかった。

都電「新庚申塚」の駅・・・。

その脇に背を持たせ、夕焼けもそろそろ終わろうとしている時刻、ボ〜ッと街行く人を見

つめていた、僅か九歳のトム。


「山本君、『ごめんね』って言ってきたわよ?」

「・・・・・」

「遊んでて何があったの?」

数時間前まで、「山本君」と家で遊んでいたトム。



「・・・アイツ・・・ルパートを虐めた」

「ルパートはもう泣いてないわよ?腕を少し怪我してたけど、おやつ食べたらケロッとし

てた。だから、もういいでしょ?」

「良くない!アイツすっごく・・・すっごく嫌な事をルパートに言ったんだ!」

トムは母親の顔を見ずに、ジッと地面のある一点を見たまま言った。

怒りが収まらず、まだ目が三角形になっていた。



「何て言ったの?」

「・・・言いたくない」



ルパートには病気があった。

体は大きく育つが、精神がずっと子供のままだと言う持病だ。



「・・・そっか・・・ありがとう、トム。ルパートの変わりに怒ってくれたのね。優しい

お兄ちゃんね」

「そんなんじゃない!」

トムは唇を突き出した。

「ううん、お母さん知ってるよ。トムがすっごく優しい子だって、お母さん知ってる」

「・・・////////

トムはソッポを向いた。



「ね、帰ろう?さっき、ダニエルがあなたのオモチャをを触ろうとしてたわよ?ここに居

ると、悪戯されて壊されちゃうかもよ?」

え、ヤダよっ!ヤバイ・・・俺、帰るっ!」

母親と手を繋ぐのを拒否し、トムは家路に急いだ。

母モリーはそんなトムを後ろから微笑み、見守っていた。

 

 



「・・・めぐみ?」


突然自分が雨に濡れなくなったので、トムは横を見上げた。

「・・・帰りましょう、トムさ〜ん?」

優しいトーンでめぐみが話し掛けた。

傘をトムに翳し、今更だが濡れないようにしてくれている。

トムは、突然「現実」に意識を戻された。



「・・・お前じゃねぇんだ・・・俺が待っているのは・・・」

「知ってます〜」

「なら、帰れ」

「一緒に帰りましょう、トムさ〜ん?」

「だから、お前じゃねぇんだって・・・俺が待っているのは・・・」


俺はむしろ・・・本当は「誰」を待っていたのだろう。



向こうから相合傘になって、ゾフィとレオンハルトと一緒に近付いて来た。

「・・・来た。ゾフィーだ・・・」

トムがブランコからフラフラと立ち上がった。

 


「・・・待たせました、トム君・・・。ゾフィー、その・・・道に迷ったみたいで・・・」

レオンハルトは笑顔で嘘を言った。

トムとレオンハルト・・・・・それに、ゾフィーが無言で目を合わせた。



「・・・そうか・・・だから遅れたんだ?そうだよな・・・外国人だもんな?仕方無いよ

な・・・」


トムは実際に本当にレオンハルトの言葉を信じたのだろうか?

真実は・・・・・今は必要なかった。

真実は今・・・・・知りたくなかった。



トムは少し笑顔を作った途端、前のめりにフ〜ッと倒れ込んだ。

それをレオンハルトとめぐみがガッチリ支えた。

レオンハルトの傘はゾフィーが握り締めていたが、めぐみの持っていた傘は地面に落ちた。

レオンハルトがずぶ濡れのトムの顔から、少しでも雨を取り除いてやった。



「・・・もう・・・二度とトム君にこんな事をするのはやめてくれ、ゾフィー。君を嫌い

になりたくない」

レオンハルトは遣る瀬無い顔付きだった。

トムのビショビショの細い体をガッシリ支えていた。

レオンハルトとめぐみも雨が当たり、すぐにずぶ濡れになった。

 


「・・・あなたが悪いのよ・・・」

ゾフィーは涙声だった。

「あなたが悪いのよ、レオンハルト・・・。いつも私を一人にして・・・。手紙は送って

も返事をくれないし、メールしたって返信してくれないし、会いに来たって・・・かまっ

てもくれない・・・」

「君は古風な人だな、ゾフィー。親が決めた結婚相手に、何の疑問持たずに『僕を待ってる』

・・・」

「大好きなパパが決めた人よ、あなたは・・・。間違ってない」


「ゾフィー・・・聞いてくれ。僕は君に応えられない。もう、何度も言った筈だ。僕は普

通に人を愛して結婚したいし、君もそうすべきだ。親が何十年も前に決めた事で、自分の

気持ちを抑えなくてももういいんだ」

「私は・・・」

トムの体から何かが落ちた。



「・・・口紅?」


めぐみが拾った。

トムがゾフィーにと用意していたプレゼントだった。



「・・・素敵な色だぁ〜・・・あなたに良く似合う〜」

めぐみがゾフィーに手渡した。

「めぐみさん、とにかく車に戻りましょう。トム君を家に送らないと。やっと風邪が治っ

たばかりだったのに・・・」

「んだ〜」

レオンハルトはトムをおぶり、めぐみはその脇を歩いた。

ゾフィーは口紅を握り締め、トボトボと最後に続いた。

帰りの車の中は、みんな無言だった。

 

 


「おいおい・・・どうしたっ!?


ずぶ濡れのトムをおぶったレオンハルトが玄関先に現れると、ジェームズが驚いた。

婆さーん!婆さーん!トムがっ・・・」

ジェームズが家の中にオリバーを迎えに行った。

「何だよ、『婆さん、婆さん』って・・・うるせぇな。今頃帰って来たって・・・ん、レ

オ〜ンハルト?おわっ!何だ、おいっ・・・」

グッタリしたトムがレオンハルトにおぶられていた。



「早く服を脱がせて、温かい所に・・・」

「居間に!」

オリバーがレオンハルトの道を作った。

そして座布団を何枚か用意してその上にトムを寝かし、ストーブを近くに置いた。


「何か着る物とタオルを用意してきます」

めぐみが出て行った。


それから双子はトムを着替えをさせ、濡れた髪をタオルやドライヤーで乾かしてやった。

レオンハルトとゾフィーに着る物を貸し、熱いお茶を入れた。

一通り落ち着くとレオンハルトは双子に深々と詫びを入れ、事の経緯
(いきさつ)を話し

た。

 



双子は特別怒らなかった。

めぐみも脇で黙って聞いていた。

寝ているトムだけが、時折「あ〜・・・」とか「ん〜・・・」とかうわ言を言っただけだ

った。



「ま・・・色々あるさ」

ジェームズはめぐみに入れて貰ったお茶を啜りながら、弟の寝顔を見つめた。

「馬鹿だな、コイツ・・・」

オリバーは頬に赤みが差してきた弟を、少し愛おしそうに見つめている。

「・・・『美人の悪戯』だ。コイツも気にしないだろうよ」

オリバーはトムの髪に触れた。


「・・・ソ〜リ〜・・・」


ゾフィーが小さな声で謝った。

双子はレオンハルトに習って正座をしているゾフィーに微笑んだ。



「美人だね、オネエチャン・・・。こりゃトムじゃなくてもクラクラするわな・・・。ま

、お茶飲みねぇ」

せんべいと一緒にお茶を勧めるジェームズ。

ゾフィーに「せんべいとお茶」が・・・とことん似合わない。



「ハウ、ハウ、ハウ・ドゥ・ユ・ドュー?」

オリバーは少し壊れて挨拶した。

「馬鹿だな、婆さん・・・彼女ドイツの人なんだろ?英語も日本語もこうなりゃ一緒だぜ

?俺、ジェームズ。よろしく!」

ジェームズは凄い・・・「まんま日本語」で通した。

「ご紹介がずっと遅れていました。ゾフィーです。ゾフィー、こちらトム君のご兄弟のみ

なさんだ。そして、そちらはめぐみさん」

ゾフィーは少しみんなに会釈らしきものをした。



「今日はもう遅い・・・お前らも泊まってけよ?雑魚寝だけど。コタツあるから大丈夫だ

ろ?」

ジェームズは座布団を何枚か出してきて、「枕にしろ」とみんなに配った。



ゾフィーはその夜、初めての「コタツ体験」をした・・・「雑魚寝体験」をした。

そして少し離れた所に眠っているトムの方に向かって、また小さく「ソ〜リ〜」と謝った。





「けどよ・・・何でそんなに『結婚結婚』って騒がれてんだ、レオ〜ンハルト?」

コタツの中に体をくの字に折り曲げながら寝ていたジェームズが聞いた。


「はい・・・まぁ、もういつ結婚してもオカシくは無い歳ですから、僕も・・・」

「え!?」

「僕、もう二十六ですし・・・」

「えっ!?」

「あれ、教えてませんでしたっけ?」

レオンハルトは笑った。

双子は顔を見合わせた。



・・・レオ〜ンハルトって・・・俺達より年上かよ?



初耳だった。




「気にしないでください。今まで通りでお願いします。変な感じになっちゃいますから」

「・・・・・」

双子は少し戸惑った。

しかし、どうせ今までと変わらない付き合いをするはずだ。

考えても無駄な事は考えない方がいい。

めぐみは大いびきで眠っていたし、トムの熱も案外高くなかった。




不思議な組み合わせだったが・・・今日はとにかく眠る事にした。




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