第十九話「ルパートとエマと『時々しーちゃん』」
ゴールデンウィークのあの楽しかった秩父キャンプも随分過去の話になった。
今日は新学年に上がっての、最初の中間試験の最終日・・・。
ルパートは学校が終わると荒川土手までトボトボ歩き、川の方を見つめるような向きで、ス
トンと腰を下ろした。
「はぁ〜あ・・・」
体育座りをして目の前をランニングしていく人、犬の散歩をさせている人をポケッと見つめ
ている彼。
テストの事や進路の事で悩んでの溜息・・・などでは勿論無い。
彼はそんな「些細」な事では溜息を吐かない。
今日の夜の番組、「7時半から4チャンを見ようか、それとも10チャンを見ようか」・・
・彼の溜息はそういう理由だ。
池照家にはビデオなど無いので、チャンネル選びはかなり重要だ。
「・・・『しんちゃん』かな、やっぱ」
結論が出て気持がラクになり、「さぁ、いよいよ『お楽しみタイム』を満喫しよう♪」とガ
サゴソと制服のポケットを探ったが・・・残念っ!
常備しているはずのガムが今日は無かった。
「チェッ」
彼は土手にゴロンと横になった。
「・・・あれ?何だか美味しい匂いがするよ」
ムックリと再度起き上がると、ルパートとそんなに離れていない場所に若い女性が腰を下ろ
していた。
長いサラサラのロングヘアーを慣れた手付きで後ろでサッと束ね、ウキウキしながら彼女は
買ったばかりと見受けられる「たこ焼き(新橋の赤たこ)」のパックを開けた所だった。
土手のすぐ脇に、時々この店の屋台は店をオープンさせている。
(曜日や時間などは特に決まっていないらしい)
持参していた水筒から温かいお茶をコップに注ぎ、食べる気満々な姿勢が窺われる彼女。
ぐぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜・・・。
ルパートの腹の虫は、無視出来ないくらい大きな音を立てて鳴いた。
女性がルパートの事をジッと見つめた。
「あら・・・お腹が減ってるの、ボク?」
女性がルパートに優しい声を掛けた。
「ちょっこしね」
ルパートはまるで、「知り合い」と話すかのように「いつも通り」の言い回しだ。
「・・・少し食べる?」
女性がルパートに向かって、たこ焼きのパックを差し出してきた。
ルパートは思わず手を伸ばそうと思ったが、何とか理性を働かせ、「貰いたい」と言う衝動
をグッと抑えた。
「・・・オリバーに、知らない人からモノを貰っちゃダメって言われたモンね」
「『オリバー』って誰?」
「僕の一番上のお兄ちゃんだよ。あーーーっちの方で喫茶店やってるの」
ルパートが土手の後ろの方を指差した。
「お店はいっつも暇だよ。でもチキンカレーが人気でなんだって。僕は辛くて食べれないけ
どね。僕はバナナが好きだから、『バナナカレー作ってよ♪』って言ったら『ダメーーッ
!』って言われた。で、トムが『馬鹿』って言ったの。だから僕も『トムだって馬鹿だモ
ンねー!』って言っちゃったけどね。オリバーはね、大っきいのにすっごくケチで怖いの。
おやつはいっつも『おせんべーの棚』だしさ。でね、エマはね、『レインボー』のポテトサ
ラダが好きなんだって。僕はめぐみちゃんが作るココアが多分一番好きかも。トムは『あ
っまー・・・』って言うんだけど、この前聞いたらダンも『好き』って言ってた」
ルパートの話は突如終わった。
そして、二人の間に一瞬の間が出来た。
土手の所で遊んでいる子供の声や犬の鳴き声、車の騒音だけが二人の「間」を埋める音だった。
「ふ〜ん、そうなんだぁ♪何となく分かるなぁ〜・・・」
女性がウェットティッシュで手を拭き始めた。
ルパートにも一枚やった。
「僕も色々大変なんだよねー」
「なるほどね〜」
聞いてもいない内容をペラペラ喋り捲ったルパートの頓珍漢な会話を、女性は全く動じない
で優しい顔で聞いていた。
しかも、そこそこには内容を理解していた。
この女性・・・タダ者では無い。
ルパートは知らぬ間に爪の間に入ってしまっていた土を、貰ったウェットティッシュで綺麗
に拭き取った。
「ねぇ?私、『ボク』にお兄さんが居て喫茶店やってる事ももう知ってるし、めぐみちゃん
のココアが美味しい事も聞いたし・・・私達、もう『知らない者同士』じゃないと思うんだ
けど・・・どうかしら?」
「そういう事になるのかな?じゃあ・・・僕達、もう『お友達』って事?」
ルパートが「何か」を期待した。
「私はそうだと思うけど・・・どうする?今度は『たこ焼き』食べる?お友達からお友達に
あげるなら、オリバーも多分怒らないと思うんだけど・・・?」
「そうだね!うん、僕食べるーっ♪」
・・・簡単な脳細胞だ。
と言うか、この女性も凄い人物だ。
「あのルパート」と対等に話が出来る・・・しかも、二人は初対面だ。
ルパートは女性のすぐ横にちょこんと移動し、半分もたこ焼きを分けて貰った。
ルパートと女性は特に話らしい話もしなかったが、一緒にボール遊びをしている親子や犬の
散歩中の老人の姿を眺めたりして時を過ごした。
土手の上を、バイトに向かうトムがたまたまバイクで通り過ぎた。
「おっ♪」
坂になった芝生の途中で、自分の弟が女の子と一緒に仲良く「たこ焼き」を食べているの目
撃して、思わずスピードを弱めたトム。
「・・・アイツ、いつの間に・・・」
トムはニヤリとし、またバイクのスピードを上げた。
「おいっ♪」
夜、テレビのアニメを見てケタケタ笑っていたダニエルとルパート。
そのルパートの後頭部に向かって、自分の足の裏をドンと乗せたトム・・・笑ってる。
「何だよぉ〜、馬鹿トムぅ〜・・・痛いでしょー、んもぅっ!」
ルパートは嫌そうにそれを払い除けた。
「あの娘誰なんだよ、え?いつからああいう仲なんだ?ってか、『馬鹿』は余計だ!」
「・・・何の事?」
ルパートがキョトンとした。
「トボケんなよ。土手に一緒に居た女の子の事だ」
「えっ・・・?」
トムのその言葉に、ダニエルの耳がピクンと反応した。
「しかも、年上っぽかったよな?お前もなかなかやるじゃん・・・ま、ある意味流石俺の弟
だ。さぁ、詳しく吐けっ!うりゃっ!」
「・・・だから『年上』って何の事だよ〜?ぐるじいよぉ、ドムゥ〜・・・」
ルパートは兄に首を絞められながら白眼になっている。
「食ってただろ、夕方!土手のトコ、たこ焼き!お前と女!」
トムはイライラして、カタコトの日本語みたいなオカシな喋り方になった。
「あ〜〜!うんっ、食べたよ、たこ焼き!美味しかった♪そか・・・『たこ焼き』って、僕
より年上だったのか・・・」
「『たこ焼き』の方の話じゃ無ぇっ!『女』の方だっ!一緒に居た女はどこの誰なんだ
って聞いてんだよ!」
「あ〜・・・あの人か・・・」
「ちょっと、ルパート!一体誰の事なの、それ!僕、そんなの知らないぞ?」
ダニエルが険しい表情で、相変わらずボンヤリしている四男に詰め寄った。
自分の愛する兄が、自分の知らない女と一緒に土手でたこ焼きを食べていたなんて・・・
許すまじっ!
「僕が一人でたこ焼き食べちゃったから怒ってんの、ダン?ごめんね。だってさ、僕のたこ
焼きじゃなかったからさ」
「僕は女の人の方を聞いてるんだよ!」
流石のダニエルも今回ばかりはイライラしたらしい。
ルパートの答えを急かしている。
「何怒ってるの、ダン?その女の人は内緒だけど、全然知らない人なんだよ。けど、友達だ
けどね」
「は?」
「・・・何のこっちゃ?」
ダニエルとトムが眉間に皺を寄せた。
「知らないけど、もう知ってる人なの。お友達だけど名前は知らないの。でもオリバーの事
知ってるよ。めぐみちゃんのココアの事もね」
ダニエルとトムが顔を見合わせた。
「オリ婆やめぐみの事を知ってるって・・・『ストーカー』か何かか、その女?まさか、家
に盗聴器でも仕込まれてるってか?」
トムはキョロキョロと辺りを見回した。
「全然悪い人じゃないよ・・・多分ね。たこ焼き半分くれたから、多分絶対良いオネエサン
だったよ。水筒の麦茶もくれたの。爪の泥も綺麗にしてくれた」
「まさか『毒』とか入ってたんじゃないの、それ・・・。ルパート、お腹大丈夫?」
ダニエルが疑った。
「うん、僕生きてる」
ルパートはテレビ画面の方をチラチラ見ながら、気持が散漫だ。
「ドラえもん」のエンディングテーマを一緒に口ずさんでいる。
これは、今は何を言っても真剣に話を聞かないに違いなかった。
「ま、お前は結局『知らない人からたこ焼き貰った』って・・・そういう事だな?」
トムが聞いた。
「・・・知らなくないよ!お友達だもん!」
ルパートが慌てた。
トムにチクられると思ったのだ。
「でも、名前を知らないんでしょ?」
ダニエルが聞いた。
「だってさ!でもさ!ん〜・・・僕がお名前付けてあげるなら『内田さん』って感じなんだ
けどね。夕焼けがお似合いだったし」
「何のこっちゃ?」
トムがまたツッコんだ。
「ねぇ、『たこ焼き』の事はオリバーには内緒にしてね、トム〜・・・あはははははは♪
観た、ダン?今の・・・あはははははは♪馬っ鹿だなぁ、来週のノビ太って」
来週のストーリー告知が始まっていた。
ルパートはトムに取り入ってゴマを擂るつもりだったはずなのに、もう意識が「来週のドラ
えもん」だ。
「自分の馬鹿さ」は置いておいて、「ノビ太の馬鹿さ」には茶々を入れるルパートである。
ダニエルは「多分大丈夫なのだろう」と少しホッとし、自分もテレビをまた見始め一緒に笑
った。
そろそろ、お楽しみの「クレヨンしんちゃん」の時間だ。
ルパートはオネエサンの方には全く興味が無さそうだった。
ただ単に「たこ焼きをくれた人」と言うだけの認識のようだ。
「チッ・・・詰まん無ぇーの」
トムは白けた・・・途端に興味が失せた。
「おーい、真ん中開けろー!開門―!」
オリバーが両手にミトンをハメ、大きな土鍋を持って居間に入って来た。
みんながワラワラとちゃぶ台の上にあった本やらペンやらお菓子のクズを片し始めた。
「ウェェ〜〜〜・・・今日、湯豆腐ぅ〜?」
ルパートが鍋の中身を確認して渋い顔をする。
「豆腐屋の山岸さんが『最後だ』って言っておまけしてくれたんだ。何が、『ウェェ〜』だ
!バチ当たりがっ!」
「だからって、何で湯豆腐にするんだよぉー?僕が湯豆腐あんまり好きじゃないの知ってる
くせにさぁ〜・・・。お豆腐のお料理するんなら、麻婆豆腐とかもあるじゃ〜ん」
ブツブツとまだ文句を垂れるルパート。
オリバーがギロリと四男を見下ろした。
ルパートは口を尖らせながらも一応は黙った。
「俺的には『季節的にどうよ、湯豆腐?』って感じだな」
トムは湯豆腐が好きだったが、別の意味のツッコミをした。
「ガタガタうるせぇーんだよ!文句言う奴は食うな!」
オリバーは怒りながら、また台所に戻って行った。
池照家では家訓に則り、長男の言う事が絶対だ・・・つまり、今日の夕飯は「湯豆腐で決定
!」と言う事だ。
食べ盛りのダニエルやジャンクフード好きのルパートにとっては、食事に置いての「湯豆腐
の位置づけ」が分からない。
「酒の友」ならともかく、湯豆腐をおかずにご飯を食べるのはなかなか厳しい。
ご飯も豆腐も全部白一色・・・見た目も「詰まらない」と来ている。
「仕方無ぇな!特別に今日は、『玉子』と『ふりかけ』を許してやる!」
オリバーは台所から大声を張り上げ、少しだけ「厳戒態勢」を緩くしてやった。
「うわぁ〜い♪」
弟二人は喜び、台所に玉子を取りに走った。
「ん?外の二人・・・ジェム爺と陽子か?」
トムが首を捻って外を見た。
縁側から見えた二人のシルエットは、確かに次男のジェームズと隣の家の次女の陽子だ。
秩父旅行から帰ってからと言うもの、何かと仲がグングン良くなっていた池照家と温田家。
ジェームズと陽子は同じ歳で仕事場も近いと言う事もあり、最近は良く一緒に帰宅していた
。
「ウィーッス!ジェームズ様のご帰還だそー!」
次男が居間に現れると、早速トムがジェームズをひやかした。
「ヒュー♪ヒュー♪いつから付き合ってんのよ、お二人さん?」
「は?陽子さんの事か?別に付き合って無ぇよ、俺達。ありゃりゃ・・・今日『湯豆腐』か
い?」
ジェームズはちゃぶ台の上の夕飯に少々ゲンナリした。
食べようかどうしようかと考えながら、テレビのチャンネルをまずは「8」にした。
ジェームズの好きだったラーメンの屋台のオジサンは出稼ぎ期間が過ぎ、もう実家に戻って
しまっていた。
「あーっ!勝手にチャンネル変えないでよ、ジェームズ!」
台所から丁度戻って来たルパートが怒り出した。
手には二個玉子を持っている。
「そうだよ!僕達、『しんちゃん』見るんだからー!」
ダニエルも応戦した。
彼の手にはふりかけと昆布の佃煮、それに「シーチキンマヨネーズ」だ。
「シーチキンマヨネーズ」は、下の弟二人の自信料理の一つである。
とにかく、こればかりは「プロ中のプロ級」だ。(何と言っても、二つの材料を混ぜるだけ)
「チャンネル権は、家では兄貴が持つの!俺は野球見たいの!」
「ブー!ブー!」
「うるせぇ!明日の給料日に、折角駅前でシュークリームとか買って来てやろうと思ったの
になぁ〜・・・」
ジェームズが弟達の様子をニヤニヤしながら見つめた。
「え、シュークリーム?僕、食べたーい♪」
「僕もー!」
弟二人が喜んだ。
「じゃ、俺が野球見ても勿論は文句無ぇよな?」
「・・・いいけどさ」
「その代り、一人三個だからね!」
「何っ・・・ま、仕方無ぇ。そのくらいは我が儘聞いてやるよ」
ジェームズも妥協した。
「しんちゃん」を見れないのは不服だ。
しかし、何て言ったって相手は「シュークリーム」・・・弟達は、ここは兄にチャンネル権
を譲るしか無かった。
ジェームズは取り合えず茶碗に山盛りで飯をよそった。
弟達の用意した、サブおかずを早速くすねる。
「あれ、めぐみちゃんは?」
「無視出来ない物体」が居ない事にジェームズが気が付いた。
「ハガキが当たったとかで、一泊で箱根行った。女性誌の企画なんだと」
オリバーが答えた。
「・・・『女性』か、アレ?鴨川シーワールドでも行って、『アシカ・ショー』でも出て小
銭稼いでんじゃねーの?」
トムだ。
「彼女、色々『運』がいいんだ。ルパート並みだな。お前もクジ運とか抽選とか色々当てる
もんな?」
「まーね・・・」
ルパートは玉子に真剣に醤油を垂らしている所だ。
自分の好みの量で醤油を調節出来たか否かで、玉子掛けご飯の良し悪しは決まる・・・重要
な作業だ。
全員食卓に着いて、本格的に夕飯になった。
「そう言えば、今日『杉造さん』の事を色々聞く客が来てな・・・」
オリバーが突然話始めた。
「『杉造さん』?だって杉じいは・・・」
ジェームズは鍋の中で踊る豆腐をなかなか箸で掴めない。
「うん、死んだ。その人にもそう教えてやったよ。若いニイチャンだった」
オリバーが代わりにジェームズのポン酢の中に豆腐を落してやった。
杉造は、昔池照家の庭師をしていた江戸っ子気質の頑固でひと癖ある老人で、数年前に仕事
を引退してからは息子夫婦の住む横浜に引っ越し、そこで少し前に息を引き取った。
オリバーは一杯飲み屋の「いつ・ここ」の安と源と一緒に、横浜まで葬式に出掛けたのだ。
「それに、何ちゅーか・・・俺の事やたらジロジロ見る奴だった」
「はは♪相変わらず、求めていない奴に好かれる男だね・・・よっ♪」
ジェームズが茶々を入れた。
「後からネーチャンが合流してきたんだけど、かなり変わった女の子だったな。丁度ルパー
トを女版にしたような・・・」
「こんな『妙チクリン』が世の中に二人も居たら堪ん無ぇぞ?」
トムは箸の先でルパートを指差した。
トムは「箸で人を指す」と言うマナー違反で長男に叱られた。
「あ、そうだ!忘れるトコだった。久しぶりに『正義の味方への連絡事項』を言い渡すぞ!
明日、隣の河合家が、夜エマちゃんだけになるんだ。河合さんのご両親から依頼があって、
娘をどうぞよろしくって・・・」
「どっか行くの、河合さん家?」
ダニエルが聞いた。
彼はお茶碗の中に四つのふりかけを綺麗に放射線状に分け、一度に沢山の味を楽しもうとし
ていた。
「浦安まで、『シルク・ド・ソレイユ』観に行くんだと。ボニーを連れてな。で、エマちゃ
んは行かないで留守番らしい」
「オリ婆が一人で依頼受けてやれよ。エマはその方が喜ぶ」
トムが言うと、下の弟二人がニヤリと笑った。
エマは「オリバー一筋」なので、張本人が依頼を遂行すればどれだけ喜ぶか・・・。
「生憎(あいにく)無理なんだ。明日は商店街の夏祭りの会合がある。俺はそれに出なきゃな
らない」
「もう、夏祭りの話かよ。随分気が早いな。でも、俺も明日はラストまでバイト入ってるぞ
?」
トムが言った。
「僕、テストも終わったし、小林の家にお泊まり行く事になってて・・・」
「僕も行ってもいいんだって♪ゲームで遊べるんだよ!」
ダニエルの言葉にルパートが付け加えた。
「あそこん家の母ちゃんと姉ちゃんはダニエルの事、超気に入ってるしな。唯一は俺か。ま
・・・明日も早番だし、なるべく早くに帰れるようにするけど・・・」
ジェームズが難色を示した。
彼は早番で仕事を終えた日は、「銭湯」に行くのが好きなのだ。
それに、エマは取り分けジェームズだと「ガッカリ度」が増すらしい。
顔が似ててもオリバーじゃないので、むしろ全く似てない他の誰かの方が気が紛れるのだろ
う。
「エマは強いモン・・・一人で留守番だって全然平気なはずだよ」
ダニエルが締め括った。
実際問題、エマに口ゲンカで敵う同級生は誰も居ない。
ムチャクチャな酷い言葉で、相手を奈落の底に突き落とす女王様キャラの彼女だ。
そんなエマに、ダニエルはいつも下僕扱いだった。
「そうだよ!エマなんかジャイアンだ!」
ルパートが玉子掛けご飯を掻っ込みながら言った。
ちなみに、ルパートの中ではトムが「スネ夫」である。
次の日になった。
時刻は夜の八時・・・。
エマは誰も居ない家で好き放題「自由」を満喫していた。
コンビニで買って来た「エビグラタン」と「チキンと野菜のトマト煮」を部屋に持ち込んで
、大好きなオリバーの画像を片っ端から確認してはニヤリとしている。
エプロン姿のオリバー、縁側で爪を切っているオリバー、歯磨き中にゴキブリを見つけてス
リッパで床を叩いているオリバー、クシャミ直後のオリバー、庭のきゅうり(幸子)に猫背に
なって水を与えているオリバー。
「素敵・・・♪」
エマにとってはどれもこれも宝物の画像だ。
ウットリと「憧れの人」の画像に見惚れている。
いつもはどの家より喧しい隣の池照家だが、今は真っ暗だ。
先ほどまで「レインボー」が営業していたが今は閉店し、オリバーが少し前、一度エマに挨
拶に来た。
「じゃ、俺行くから。一人で物騒だけどちゃんと戸締りしてね。少ししたらジェームズが帰
って来る予定だから」
「ご心配なく、オリバー♪オリバーこそ商店街の会合モリモリがんばってね♪」
「はは・・・うん、モリモリがんばるよ」
何をどうモリモリがんばるのか・・・。
オリバーの心のツッコミは、敢えて言葉では発せられなかった。
エマの方は、夫を見送る妻のような自分のセリフに勝手に酔っている。
「快適ね・・・一人って♪」
エマは食べた物を片付けもしないでゴロンとベッドに横になった。
普段は何かと小うるさい母親が今は不在だ。
エマが部屋に閉じ篭って「楽しみ」を満喫していると、やれ「買い物に行って来てくれ」だ
とか「宿題は済んだのか」と色々口うるさいのだが、今は誰もエマの自由を叱らない。
「私、早く一人暮らしがしたいわ・・・あ、ダメだ。オリバーと結婚しなくちゃいけないし
」
「しなくちゃいけない」事は・・・勿論無い。
大体オリバーにとって、エマは「妹」的存在だ。
ダニエルの友達で隣の家の娘と言うだけの女の子だった。
今まで一度だってエマに対してトキメいた事など無いし、今後もおそらくトキメく予定がな
い。
悲しいかな・・・エマは自分勝手な妄想のみで「未来予想図」を立てている。
そして、かれこれ二時間もこうして「愛しい未来の夫(あくまで予定)」の画像を見ながら過
ごしたエマは、思い立って風呂場に向かった。
深夜番組で見たいテレビがあったので、今のうちに風呂に入っておこうと言う訳だ。
「・・・見〜つめるキャッツ・アイ、フ〜フフンフフン、み〜どり色に光〜る〜♪」
英語の早い個所が全く歌えない「キャッツ・アイ」を歌いながら、気分良く湯船に浸かって
いるエマ。
「・・・迷〜ってキャッツ・アイ、フ〜フフンフフン、月明かり浴びて〜、ニゲッチューゥ
ゥゥゥ〜♪ミステ〜リア・・・」
フッ・・・。
突然、全てが真っ暗になった。
「何よ、ちょっと・・・まさか、停電?」
湯船から立ち上がって窓を少し開け、外を覗いてみた。
辺りは電気が付いてる。
「最悪〜っ!うちだけ停電じゃないの!何でよりによって風呂入ってる時に・・・チッ!
」
エマは文句を垂れたが、湯船から出ようとはしなかった。
出た所で自分ではどうにも出来ないし、どうせ暫く待ては電気が点くと高を括っていた。
母親辺りが懐中電灯を持って助けに来てくれると思っている。
が・・・一向に電気が点く様子は無い。
「ったく・・・ママ何やってんのかしら?ママァー?ママってばー!あ、そうだ・・・誰
も居ないんだった・・・」
エマは仕方なく湯船から上がった。
ラッキーな事にもう体も髪も洗った後だったので、一先ず部屋にさえ戻ればいい。
「アイタッ!ったく・・・何でこんな目に・・・」
足の小指を何かにぶつけた・・・結構痛い。
壁に手を這わせて脱衣所の棚からバスタオルを出し、体に巻き付けたエマ。
パジャマは部屋に置いて来ていた。
全ての原因が自分であるとは露にも思っていない。
一人で留守番が怖くて家の全ての部屋の電気を点け、三台あるテレビも全て点けっ放しにし
、さっき開けた冷蔵庫は半分扉が開いた状態、風呂上がりの体の火照りを取る為に、クーラ
ーも入れていたエマ。
容量オーバーでブレーカーが落ちる事など全く気にしない女の子だ。
エマはヨタヨタしながら階段を上り、何とか自分の部屋に辿り着いた。
パジャマの用意をしておかなかったので、一先ずそのまままずベッドに潜り込んだ。
「困ったわ・・・このままじゃケイタイの充電も出来ないし、テレビも見られないじゃない
・・・。オリバー・・・帰って来ないかな・・・」
行き着く考えは、全て「オリバー」だ。
エマにとって「オリバー」とは、無条件で優しく頼りになる理想の男性像だ。
ガチャガチャガチャ!
部屋に居ても聞こえる、階下の不審な音・・・。
「え・・・何?」
聞き耳を立てた。
河合家の玄関のドアを激しくガチャ付かせている誰かが居る。
「・・・うちのドアの音よね、あれ・・・」
神経を研ぎ澄ませたエマ。
ガチャガチャガチャ!
「ヤダ・・・何?ドロボー?」
エマは布団に頭まで潜った。
「ヤバイヤバイヤバイ・・・停電だし私一人だし今バスタオルだけだし・・・」
ドンドンドン!
「ゲッ・・・今度はドア叩いてる。去れっ!誰だか分かんないけど、とにかく去りなさい
!うちには金目のものなんか何も無いわよ!うら若き、か弱い高校生の少女しか・・・ゲ
ッ!ま、まさか私が目的!?今日、私が『家に一人』って知ってて入って来た『オカシな
奴』って事?」
エマがブツブツ呟いた。
ドンドンドン!
「だから、去れって言ってんのよ!しつこいわね!ずっと付け狙われてたって事かしら?有
り得るわ・・・だって私って結構可愛いし。学校から付けられてたのかしら?あぁ〜・・・
どうしよ、オリバー・・・。私今日お嫁にイケナイ体になるかもよ・・・。だってこんな可
愛い私が今まで誰とも実は付き合った事が無いって方が嘘みたいだもの・・・」
切羽詰まってる割に、そう感じさせない余裕がエマには確実にある。
年頃の女の子特有の病気・・・「悲劇のヒロイン病」を患っているに違いない。
「エマちゃーん!」
「ブッ・・・え、何?ジェームズ?」
エマが首をニョキッと布団から出した。
訳が分からない。
「おーい!大丈夫―?アイテッ・・・どこー?」
「アイツだったの?何かある意味ガッカリ・・・。ってか・・・何で家に入れてんのよ?」
エマは起き上がった。
ジェームズの足音が階下に響いている。
「アンタ、来なくていいからー!帰りなさいよー!」
エマも大声でジェームズに語り掛けた。
「大丈夫ー?怖かったでしょー?おーい、どこー?」
ジェームズは尚も近付いて来る。
「馬鹿っ・・・来なくていいって言ってんのに・・・。帰っていいって言ってんのー!
部屋に居るから平気―!」
「部屋なのー、エマちゃーん!今行くからー!」
「ったく・・・どうしようもない大馬鹿ね。来なくていいって言ってんのに・・・来なく
ていいのー!私は平気だからー!二階に上がって来ないでー!」
イライラしながら返答した。
「え、どこなのー?二階ー?」
ジェームズが階段を上って来る音がする。
「いいって言ってんのー!来ないでいいからー!ここに来なくていいのー!」
「どこだー?もう大丈夫だよー!俺来たからー!アイテッ!」
エマがゲンナリした。
「・・・最悪の馬鹿ね。アンタが来た方が色々ヤバいってのがどうして分かんないのかしら
?やっぱあいつ等(ダニエルとルパート)の兄貴だわ。でも、オリバーと双子でもあるのよね
・・・信じられない」
エマは複雑そうな顔をした。
「え、と・・・ここ?」
エマの部屋のドアが少し開いた。
「来なくていいって言ってんでしょ!何で来るのよ!馬鹿っ!」
「強がらなくてもいいよ。女の子は停電が嫌いだって知ってるし・・・お邪魔しまーす」
ジェームズは「年頃の女の子の部屋に入る流儀」を一応立てた。
「私は平気なの、停電!『部屋にお邪魔』しなくていいからとっとと帰りなさいよ・・・っ
て、何でアンタ、家に入れてる訳?玄関確か鍵してあったでしょ?」
エマはオリバーに「行ってらっしゃい」をして、そのまま鍵を閉めていたはずだった。
「あ、河合さん家から鍵預かってたんだよね」
「ブッ!んもぅ、ママったら・・・。でも、だったら何で最初ドアうるさくしてたのよ?
」
「あ〜・・・鍵持ってたの忘れててさ。で、外からエマちゃん呼んだんだ。けど、聞こえな
かったみたいだったから、停電が怖くて気絶とかでもしてんのかなって・・・ははは♪で、
鍵持ってたの思い出したから開けて入って来たんだ。ま、オリバーが貰ったのを俺が更に貰
ったって訳だけど・・・。えっと・・・で、エマちゃん今どこに居るの?ベッド?ちっとも
見えない・・・」
「・・・見え無くていいのよ。とにかくアンタはもう帰ってちょーだい!」
「やっぱ怖いんでしょ?だから布団に包まってたんだ。やっぱそんなトコは流石女の子だね
♪」
「違うわよ!そっちに出ていけない事情があるのよ!私は平気だからとにかくもう帰ってく
れない?」
「そういう訳にはいかないよ。依頼遂行は正義の味方の任務だ。俺が今日の担当だから、エ
マちゃん家のみんなが帰って来るまで一緒に居るって事になってる。でも、もし怖いって理
由じゃ無いのにこんな早い時間にベッドって・・・まさか風邪とか引いた?熱とか?どれ・
・・」
ジェームズがベッドに近寄って来た。
「だから、こっち来るんじゃないって言ってんでしょ、馬鹿っ!あっち行きなさいよ!シッ
シッ!」
「熱測るだけだよ・・・」
「来ないでよ、馬鹿っ!平気なんだから!そーじゃないのよ!」
「ダメだよ・・・君のママに『頼む』って言われてるし。うん・・・熱は無いのかな?汗掻
いた?服着替える?」
ジェームズが布団を捲ろうとした。
「馬鹿っ!ホントやめなさいって言ってんでしょ!」
「大丈夫だよ、恥ずかしがらなくたって。俺、これでも大人だから、女性のパジャマ姿くら
いじゃ興奮しないから」
「あら、何・・・その言い方?まさか、アンタ女性経験が・・・あっ」
ジェームズが不意を付いて布団を捲った。
と、ほぼ同時に電気が点った。
二人の目が合った。
だが、突然明るくなったので目が明るさに対応出来なかった・・・チカチカしている。
ガチャッ!
二人がハッとしてドアを振り返った。
「おりょ?早かったな、婆さん・・・ブレーカー上げてくれたのか?助かった・・・あら」
オリバーがドアを開けた状態のまま固まっていた。
ジェームズは、オリバーがなぜドアを開けたまま口を半開きで固まっているかが分かった。
丁度自分がエマを襲っているかのように見える、この絵ヅラ・・・。
非常に・・・・・まずい。
エマはバスタオル一枚で、これまた「ひゃっ!」と言う表情のまま固まっていた。
これは、明らかに色々とタイミングが悪い・・・。
ジェームズは自分がドジッた事が分かった。
長男の頭の中で、今一体どんなストーリーが勝手に展開されているかが目に見えるようだ。
「あ〜・・・俺の話をとにかく聞け、婆さん。まずだな・・・」
ジェームズは気軽に声を掛けたが、オリバーの方は一向に気軽じゃ無かった。
「・・・会合が早く終わったんで様子を見に来てみれば、お、おま、おま、お前は・・・」
オリバーが二人を指差し、声をワナ付かせている。
彼は、完璧に自分の頭の中で「何か独自のストーリー」を作り上げていた。
「落ち着けよ。アンタが考えるほど昼ドラみたいな凄い展開は存在して無いんだ。とにかく
順を追って話すから下行こう、下!あ、エマちゃん・・・居間借りるね」
ジェームズがオリバーを引き連れてエマの部屋をあとにした。
エマはキョトンとしたまま一人取り残された。
流石の「悪魔」も、今ばかりは頭の中が真っ白なのだろう。
「こんな時」の対応は全く慣れていなかったエマだ。
その後着替えたエマも降りて来たのでジェームズは三人分のお茶を入れ、何とか長男の「歪
曲した妄想」を解くのに、有に一時間を要するハメになった。
「とにかく・・・まぁ、事情は分かった。俺の誤解って事でいいんだな?エマちゃんのご両
親に俺、土下座とかしなくても良いんだな?」
次男の目を真正面から見据えて、オリバーが再度確認をした。
「あたぼーよ!俺はこう見えてかなりの紳士だぜ?停電を狙って隣の女の子に手なんか出す
かってーんだ!信頼無ぇーなぁ、おい・・・寂しいぜ、兄貴・・・」
ジェームズは三杯目のお茶を飲み干した。
珍しい事にエマは大人しかった。
彼女も彼女なりに、初めてのシチュエーションに動揺したのだろう。
ジェームズはわざと明るく場を和ませ、エマの心のケアを図った。
暫くすると箱根旅行からめぐみが帰って来た。
池袋に着いた長距離バスから山手線を乗り継いで帰って来た為、少し遅めの帰宅となった。
隣の家から双子の声がしたのでめぐみも河合家の居間に合流した。
「エマちゃ〜ん、これお土産ですぅ〜」
箱根名物と書いてある「ローストビーフ」だった。
試食した時に美味しかったので、土産として選んだのだと言う。
やがてトムも帰って来て、河合家に合流した。
何やかんや言ってもちゃーんとみんな「本日の指令」が頭にあり(めぐみは別)、「エマ」の
事を想っていた。
十一時頃になると、河合家の家族も帰って来た。
留守番していた娘に、売り場で売っていた「シルク・ド・ソレイユ」のDVDをお土産で持
ち帰った。
みんなはかなり遅い時間にも係わらず、居間で寛ぎ談笑した。
「シルク・ド・ソレイユ」の素晴らしい演出の話、箱根旅行の楽しさ、商店街の会合の費用
面でのボヤキ、バイトの先輩の事・・・内容は色々だ。
お開きになったのは、とっぷりと深夜を迎えてからだった。
エマは予定外に寝るのが遅くなったが、まだ目も頭も冴えていた。
すぐには眠れそうもなかった。
部屋のテレビを点けたが・・・残念ながら観たかった番組は終わってしまっていた。
隣の池照家からはまだ声が漏れている。
「お前は風呂最後だっ!」と言うトムの大声が聞こえた。
おそらくめぐみに喋っているのだろう。
巨漢のめぐみが先に風呂に入れば、お湯がどうなるかは考えなくとも分かる。
エマは話の内容に少しニヤリとすると、取り敢えずベッドに入った。
天井を見つめた。
先ほどジェームズがそこに居た事を思い出した。
「アイツ、私のうら若き肌を見ても何とも思わないなんて・・・ババ専かしら?」
悪態を付いてみた。
やっと「いつもの自分」を取り戻しつつあったエマ。
しかし、最終的には自分には嘘を付けなかった。
あの時、自分がどれほどドキドキしてしまったかと言う事・・・ジェームズに見破られては
いなかったかと内心心配だった。
不覚だ。
オリバー以外の誰かにこんなに心臓をドキドキさせた自分・・・。
「フンッ!ちょっと顔が似てるだけよ。私には昔も今もずっとオリバーだけなんだから!」
想い人の名を何十回も呪文のように呼びながら、強引に瞼を閉じたエマ。
が、腹が立つ事に、思い浮かぶのはジェームズの方ばかりだ。
「チッ!」
エマは頭まで布団を被り、何とか寝る努力をした。
そして、その甲斐あってか僅か十分後には夢の中だった。
初夏は、ほんのすぐそこまで近付いていた。
街行く人も半袖着用が目立つようになり、少し運動すると汗が出るほどの気温だ。
とある土曜日・・・温田家の陽子がまた朝早くから洗濯物を干していた。
彼女は今日、仕事が休みだ。
だが、殆どオンとオフの境が無い生活をしている温田家では、いつも一緒のサイクルで一日
を過ごす。
と、そのすぐ足元を巨大なカメがノシノシと我が物顔で横切った。
「あら・・・?」
何だか、彼女にとってはとても馴染みのある模様のカメだ。
が、おそらくこのカメは隣の池照家のカメ「しーちゃん」であろう。
ルパートがとにかく愛して止まないカメのはずだ。
しかし・・・。
「似てる・・・」
陽子は「しーちゃん」を見たのは初めてだった。
ルパートに見せて貰う約束はあったのだが、何かとタイミングを逃し、こうして見たのは初
めてだった。
陽子はすぐに自分の部屋に戻りケイタイを手に掴むと、それでのらりくらりと悠々歩いてい
る「しーちゃん」を激写した。
「ヘイッ♪ナイス被写体はここに居るぜ?」
丁度ジェームズがシャワーを浴びていた時だったらしい。
風呂場の窓を全開にし、爽やかに隣人に挨拶するジェームズ・・・が、勿論彼は全裸だ。
陽子はまた九十度頭を下げる挨拶をし、下を向きながらその場を離れた。
ジェームズの裸を見て、以前のように飄々とした態度と言う訳にはいかなかった彼女。
ジェームズの事がかなり気になりつつある陽子は、ノーリアクションで隣人の「真っ裸」を
見ると言う訳にはいかなくなっていた。
顔と耳が真っ赤だ。
ジェームズはそんな事は全く気付かず、相変わらず窓全開で大好きな外国人アーティスト、
ラスティー・ローダーをフンフン口ずさみながら、ウキウキと朝シャワー中だ。
「真っ赤っかー、空の雲〜♪みんなのお顔も真っ赤っかー♪」
「・・・・・」
池照家の二階の窓が開いており、珍しく自分の部屋の掃除をしていたルパートがベストなタ
イミングで歌を歌った。
「陽子さん、おはよー♪」
窓の下に陽子を見つけ、朝の挨拶をしたルパート。
「・・・おはよー、ルパート君」
「顔が赤いね。真っ赤っかだよ」
「・・・そう?」
「うん。『アンパンマンの鼻』くらい赤いよ」
「・・・・・」
例えるなら、林檎とかトマトとか苺とか・・・色々あったはずだが、ルパートにとって赤は
「アンパンマンの鼻」だったようだ。
「ねぇねぇ、見てー!これねー、僕が美術の時間に描いたんだよー!センセーにねー、褒め
られたのー!」
ルパートが二階から自分が描いたと言う絵を見せて来た。
「あ、ホント・・・上手―い♪」
陽子はテキトーな笑顔でその絵を褒め、空になった洗濯物入れを持ってバイバイして家に入
って行った。
ルパートは自分の絵の裏側を見た。
評価が「A」の「+」になっている。
「・・・えへへ♪」
ルパートが嬉しそうに微笑んだ。
普段あまり人に褒められる事のないルパートだが、実は絵心があった。
斬新な色遣いと絵の配置は、確かに人に何かを訴えるものがある。
「おーい、ちゃんと掃除やってるかー!?」
オリバーの大声が響いた。
「やってるよー!」
ルパートは慌てて口の周りのお菓子のクズを手で払い、掃除作業を再開した。
同室のダニエルはその日、所属している陸上部の練習の為家に居なかった。
ダニエルは高校に入っても抜きん出て才能を発揮し、様々な大会に出場して自己タイムや大
会最高のタイムを塗り替えている。
「ゴホンッ!ゴホンッ!」
ルパートの咳は、その日の夕方から始まっていた。
「お前、完璧風邪引いたな?水鉄砲なんかで遊んでいるからだ・・・」
オリバーがルパートの掃除作業を夕方覗き込んだ時、ルパートは部屋には姿が見当たらなか
った。
彼は庭で、「しーちゃん」相手に「決闘ごっこ」の真っ最中だったのだ。
「よくもー!ダンをどこに隠したんだー!」
「うははは・・・ノロマなカメめぇー。こーしてやるぅー!」
「このぉ〜・・・なかなかシブトイ奴だな。これでも食ら・・・アイタッ!」
「〜食らえー」と言う直後、オリバーのゲンコツがルパートの脳天に落ちていた。
「半裸で何やってる!部屋の掃除がまだ中途半端じゃないか!」
「押し入れに『水鉄砲』が出て来たから悪いんだよ!遊びたくなったから、しーちゃんとさ
、少しだけさ・・・ヘ、ヘ・・・ヘックシッ!」
脳天を押さえて長男を睨んだルパートは、その後立て続けに三連発クシャミをした。
「熱があるんじゃない、ルパート?顔がかなり赤いよ?」
愛する兄に元気が無いと、途端にそれが伝染する律儀な末っ子。
ダニエルがルパートの額に手を遣ると、やはり彼には少し熱があった。
「今日はもう寝ろ!明日学校行けなくなるぞ!」
「ん〜・・・でも、病は気からだからだからさぁ、僕ぅ〜・・・ヘ、ヘ・・・ヘックシン
ッ!ゴホンッ!ゴホンッ!」
「病は気から」・・・ルパートにしてはとまともな事を喋った。
兄弟達は、思わず自分の耳を疑った。
「それに、えっと・・・『民主主義・または民主制とは、緒個人意思の集合をもって物事を
決める意思決定の原則・政治体制を言う』・・・あれ?」
ルパートが突然民主主義に関して述べ始めた。
みんなは度肝を抜かれた。
「ど、ど、どうした・・・お前・・・?」
珍し過ぎる事が起こり、オリバーを始め、ジェームズ、トムが驚愕な顔付きになっている。
胃が牛ほどデカいと噂のジェームズとめぐみの箸もハタッと止まった・・・これまた珍しい
。
「『Susan made an
objection. Though "I am not the cause", Mike does not forgive it.』・・・うわ
わ・・・何だろ?僕、何か変・・・」
ルパートは自分自身で自分に驚いていた。
「・・・お前、一体どしちゃったの?」
トムが不気味がって少し四男から距離を取った。
「分かんない・・・『君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず』・・・。何か、僕の頭ヘン
テコリンだよ・・・グルグルになってる・・・」
「まぁ、この間中間テストだったし、お前はある意味受験生だが・・・そうだな。お前は間
違いなく明らかに変だ。『孔子』の格言をスラスラ言うなんて・・・。と、とにかくだ、も
う寝ろっ!寝た方がいい。寝れば多分元に戻る!」
オリバーは弟の豹変ぶりに動揺していた。
味噌汁の椀の中に刺身を漬け、それを口に運んだりしている。
ルパートは長男の言う通り、みんなに「おやすみ」を言って早々と布団に入った。
そしてその夜中・・・。
「・・・オリバー!オリバーってば!」
体を激しく揺すられ、オリバーは目を覚ました。
「・・・何だよ、ダニエル・・・」
末っ子に起こされ時計を見ると、夜中の二時だ。
オリバーと同室のジェームズも何事かと思い、目を覚ました。
「大変なんだ・・・ルパート、凄い熱・・・」
弟の報告を聞くとオリバーとジェームズは布団から起き上がり、弟二人の寝室に向かった。
「おい、ルパート?」
オリバーが顔を覗き込むと、四男は眉間に皺を寄せ「ふぅふぅ」言っている。
敢えて体温計を使わずとも、明らかに高熱を出している事が窺えた。
頬や首が赤く高揚し、彼から発散する熱がこちらまで伝わって来そうなほどだ。
「・・・ジェームズ・・・」
「合点っ!」
ジェームズは兄の言いたい事を素早く理解し、階下に降りて行った。
そして、大きなタオルと小さなタオル・・・それに水を張った盥(たらい)と飲み水の入った
水筒を用意して再び現れた。
「ダニエル、ルパートの服を一度着替えさせる。コイツのパジャマの新しいの出せ」
「うん」
ダニエルはルパートと共同の自分のタンスを開け、ルパート用の「ガンダム柄パジャマ」を
上下で用意した。
「『せ、整式 f(x)=(x4+4)(x4-8x2+4)+64x2
について、次の問いに、こ、答えよ・・・(1)
f(x)
を因数分解せよ。(2) 方程式 f(x)=0 を解け・・・えっと、(1) の答えは(x4-4x2-4)2。で、(2)
の答えは・・・』」
「・・・・・」
三人が顔を見合わせた。
またもやルパートが、呪文のように数式を求め出している。
「『θ=π/7 の時、cosθcos3θcos5θ の値を求めよ・・・答えは『-1/8』で、えっと・・
・』
「もういい・・・分かったから、少し黙れ・・・」
オリバーはルパートの口を押さえて黙らせた。
「ル、ルパートがオカシくなっちゃったぁ・・・治らなかったらどうしよ〜・・・」
ダニエルが涙目で情けない声を出し、オロオロした。
「まぁ〜・・・もしこのままコイツなこんな状態なら、将来の計画を色々考え直さないとな
。ホグワーツ学園の大学部なんかに行かせないで、それこそ東大に入れるとか・・・」
ジェームズが鼻で笑った。
ルパートがジェームズの手の平の中で、また何かブツブツ呪文を呟いた。
「ほら・・・着替えるぞ?お前の好きなガンダムのパジャマだ。手、バンザイしろ・・・そ
うだ・・・」
ルパートは夢遊病者のようだった。
「・・・あ〜、さん・・・」
「ん、何だ?水か?水が欲しいのか?」
オリバーがルパートの声を拾う為に耳を近付けた。
「・・・あ〜さ、ん・・・お、かーさん・・・」
「・・・・・」
元気な三人が言葉を失くし、一瞬見つめ合った。
「ルパート・・・『お母さん』って言ってる。会いたいんだよ、きっと・・・」
ダニエルは愛する弱った兄が可哀そうになって、ボロボロ泣き出した。
「・・・そうじゃない。夢を見てるだけだ。ダニエル、ズボンそっちから引っ張れ」
「うん・・・」
ダニエルは涙をグイッと拭いて、ルパートの元履いていたパジャマのズボンを引っ張って脱
がした。
「・・・・・」
双子はルパートの下着姿に改めて疲れた溜息が出た。
彼は高校三年生だと言うのに、「ドラゴンボール柄のパンツ」を履いている。
それに、ダニエルが少し無理やりズボンを引っ張ったので、パンツが半分下にズレ落ちて半
ケツ状態になってしまっていた。
オリバーとジェームズは二人掛かりで新しいパジャマを着せ始めた。
「おい、ダニエル。お前は今日、俺達の部屋で寝ろ。ここに居ると風邪が伝染(うつ)る。お
前、来週陸上部で地区大会があるんだろ?」
「うん、でも・・・」
ダニエルは悲痛な顔で弱ったルパートを見下ろした。
「今日は俺達がここで順番にルパートの看病をする。お前は下の部屋に行け。もう寝ろ。大
会前の体なんだから・・・な?」
「うん・・・」
ダニエルは少し躊躇していた。
「ただの風邪だ。熱さえ下がればいつも通りに戻ってる。ほら、もう行って寝ろ」
「分かったよ、オリバー・・・おやすみなさい、ジェームズ」
「あぁ、おやすみ。もう少ししたら俺かオリバーが行くから・・・」
「うん」
ダニエルは心配そうに一回振り返り、「シャア・アズナブル」と化した四男を見つめた。
そして、末っ子が部屋を出て行くのとほぼ同時に今度はトムが入って来た。
「酷いのか、ルパート?」
「悪い・・・起こしちまったか?」
双子はパジャマのボタンを最後まで留め、四男をもう一度布団に寝かしながら三男に声を掛
けた。
「いや、起きてた。熱、随分高いのか?」
トムがルパートの顔を覗き込んだ。
「あぁ。お前はコイツの側にそれ以上寄るなよ?お前は病気になると一番厄介な性質(タチ)
なんだからな」
トムは体が細いので、病気になった場合抵抗力が無くて症状が重くなり易い。
オリバーはルパートの側にトムを近付けなかった。
「手が必要なら声掛けてくれよ?俺、隣に居るし・・・」
「気にしないでお前は寝ろ。夜更かしすんな」
「大きなお世話だぜ」
トムは次男に生意気を言って自分の部屋に引っ込んだ。
トムは普段は弟をイジメてばかりだが、こう見えてかなり兄弟思いの男である。
オリバーは冷たい水でタオルを絞り、カルピンの額に置いた。
「こりゃ、今日はお互い寝ずの番だな・・・」
ジェームズが覚悟を決めてニヤリとした。
「・・・あ〜、さん・・・」
ルパートがまた寝言を言った。
オリバーとジェームズがルパートの顔を覗き込んでいると、ルパートの閉じられた瞼から涙
がポロリと頬を伝った。
「・・・あ〜さ、ん・・・」
ルパートの手が空(くう)に伸びた。
母親を探しているのか・・・オリバーはその不憫な手を力強く握ってやった。
ルパートもダニエルも、かなり小さな時に母親の手から離れてしまっている。
母親の愛情を一番受けずに育った。
こんな風に弱っている時くらいは、母親を想い出し、その存在を探して涙しても仕方の無い
事だ・・・。
ジェームズは暫くルパートとオリバーの握りあっている手を見ていたが、ふと本棚の中にア
ルバムを見つけた。
そのアルバムを本棚から引っこ抜き、最初のページを捲ったジェームズ。
「はは・・・懐かしい写真だ。見てみろよ、婆さん?」
家族全員で荒川遊園に遊びに行った時の写真だった。
オリバーとジェームズは見た所、まだ小学校三・四年生でフリスビーで遊んでいる。
その後ろの方ではトムがお菓子を食べつつ、兄二人を羨ましそうに見つめていた。
更にその後ろでは、公園に集まったハトに餌を撒いて喜んでいるルパートとダニエルだ。
父親と母親も一緒に写っている。
「誰が撮ったんだろな、この写真・・・」
ジェームズが呟いた。
家族みんながカメラマンを全く意識せずに写真に写っている。
おそらく、誰か親しい人間がこの写真を撮ったはずだ。
「・・・そう言えば、俺達には『伯父さん』って居たよな?あの人どうしたんだろ?随分何
年も会って無いけど・・・」
遠い記憶を辿るオリバー。
「あ〜・・・居たな。アルバムにその伯父さん写ってないかな?」
ジェームズが更にアルバムを捲った。
確か、父親の兄だったはずだ。
割と顔がイケメンで、オリバーやジェームズは昔良く遊んで貰った。
父親と母親がこの家に居なくなってしまってから、その伯父もとんと姿を見せない。
「そう言えばさ、また草加の川田のおばさんが見合い写真持って来てさ。勘弁して欲しいぜ
・・・」
オリバーがジェームズにボヤいた。
「いいじゃん・・・見合いくらい。一度会ってみたって損は無いんじゃねーの?で、気が合
いそうならまずお付き合いしてみるとか・・・。俺はもし婆さんが結婚するなら応援するよ
?」
「冗談じゃない!嫌だね、結婚なんて・・・俺は大学出たばかりでまだ二十二だぞ?」
「別に歳は関係ないだろ?実際、婆さんには奥さんが居ると色々助かると俺は思うぜ?」
「結婚なんて当分したくない。それに・・・俺だって恋愛させて欲しいぜ」
オリバーは一瞬「魔子」を想った。
「俺は『相手』居るならむしろ結婚したいけどな?」
「だったら、お前が川田のおばさんの見合い話受けろよ。俺は結婚なんて・・・子育てなん
て当分嫌だね。やっとこいつ等育てて少し楽になったんだ。俺達はこの歳で一度子育て遣り
遂げたみたいなモンだ。少しは自由が欲しい」
オリバーはルパートの額のタオルをまた冷たくしてやった。
「俺は・・・また子育てしてみたいけどな?だって楽しかったじゃん、実際?育ち盛りの弟
の飯の用意してやったり、弁当作ってやったり、宿題手伝ってやったり、兄弟ケンカの仲裁
したりさ・・・」
ジェームズはルパートの赤くなった林檎のような頬っぺたを、愛おしそうに触れた。
「・・・・・」
オリバーは押し黙った。
「色々あったけどさ・・・俺達、割と上手くこなしたと思うぜ?」
ジェームズはオリバーに笑い掛けた。
「・・・俺は〜・・・」
「ん〜〜〜・・・熱ぅ〜い・・・」
オリバーが何か言おうとした所でルパートが布団を足で蹴っ飛ばした。
「コラ・・・掛けてないとダメだって。ん?」
ジェームズが毛布を掛け直してやろうとした時、プゥゥゥ〜〜〜ンと何やら部屋に異臭が漂
った。
「・・・コイツ・・・」
オリバーは鼻を摘まんだ。
ルパートがタイミングよくオナラをしたらしい。
双子はパタパタと臭い空気を扇いだ。
「あのぅ〜・・・」
めぐみが部屋に現れた。
「どしたの、めぐみちゃん?」
めぐみの後ろにはトムが居た。
「トムさんから聞いて〜・・・ルパートさん熱だって・・・」
「めぐみが良い薬持ってるって聞いてたからさ・・・。ほら、例の田舎の婆さんが送ってく
れたんだと・・・」
「はい〜、これですぅ〜」
瓶に入ったケッタイな色の液が、容器の中で揺れている。
「私が熱出した時良くこれ飲まされました〜。すっげぇ苦ぇけんど、ホントすぐ良くなるか
ら飲ませてやってくんちぇ〜」
「・・・ありがと」
ジェームズが受け取った。
「キャップに一杯飲ませてみてくんちぇ〜」
「ありがとう・・・二人共寝てくれ。大丈夫だから」
オリバーは優しい弟とめぐみに感謝した。
「ま、病気で居たくらいが一番まともだけどな、コイツ・・・」
トムは悪態を付いて、めぐみと部屋から出て行った。
一言多いくせに、根が優しい三男だ。
おそらく、めぐみを起こして「話」をしたのだろう。
双子は有り難く、その薬に頼る事にした。
途轍もなくマズイ薬だったようでルパートは2回吐き出したが、最後はオリバーとジェームズに力づくで無理
やり飲まされた。
そして、めぐみから貰った薬は確かに良く効き、ルパートは次の朝には回復して学校に行っ
た。
天才的になった脳は元通り「ドリーミング」になり、ルパートはまた「ネバーランドの住人
」に戻った。
数日後・・・。
「温田君・・・君の言う通りだよ。このカメは確かに・・・」
陽子が勤めている研究所で、熊谷教授が驚きの声を上げた。
手には、陽子が数日前にケイタイ・・・。
そこには、写メで撮った「しーちゃん」が映し出されていた。
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