第二十話「さよなら、しーちゃん」


仕事帰りのジェームズは、いつも以上にクタクタになって帰って来た。

どうやら走って来たらしい・・・息が上がっている。

居間でテレビを見ていたオリバーとトムがそれを笑った。

めぐみは台所で片づけものに取り掛かっていた。

大方、洗い物ついでに何か摘まんで口をモゴモゴ動かしているだろうが、今となってはそんな「些細な事」に誰もツッコミは入れなくなっていた。


ダニエルとルパートは仲良く風呂中である。

時折風呂場から、「パキューン!パキューン!」「ガガガガガガッ!」「ドドーンッ・・・

で、僕の頭が今半分だけ無くなったのね、でもアンドロイドだから平気なのね」「あははは

♪ズルイよ、そんなの」などの言葉が聞こえる辺り、またもや歳に合わない馬鹿げた遊びを

しているらしかった。

二人で入るには池照家の風呂釜は相当狭いだろうに・・・いつまで経っても子供っぽい弟達だ。



「オカシな野郎が家の周りをウロ付いてたんだ・・・途中まで追っ掛けたんだけど、車で逃げられた」

ジェームズが悔しそうに舌打ちした。

「・・・オカシな野郎?」

オリバーが聞き返した。

「あぁ・・・四十代か五十代くらいかな。男だった。黒尽くめ。双眼鏡でうちの家の中覗いてたから『何か用ですか?』って声掛けたら、慌てて逃げ出した」

「物好きな野郎も居るもんだぜ。うちはボロ屋で『野郎とトド』しか居ねぇのに」

トムが小さく呟いた。

「ま、『馬鹿二人の入浴シーン』でも覗いてたってんなら・・・そいつは単なる変態だな」

トムが更に「ダメ押し」を吐いた。

(口の悪さに、オリバーからペンッと後頭部を叩かれたトム)



「覗いてたのは『風呂場』じゃなかったぜ?むしろこの部屋の辺りだった」

ジェームズのセリフに、オリバーとトムが訝しい表情になった。

「・・・まさかそいつ、レオンハルトんトコの従業員か何かじゃないだろうな?また俺の事

を根掘り葉掘り調査しようと・・・じゃなかったら、この部屋で寝泊まりしている変わっ

た動物
目当ての『珍獣マニア』か何かだな」

トムは台所の「めぐみ」に想いを這わせ、ニヤリとした。

(オリバーが拳を振り上げたので、トムは頭を押さえてサッと身をかわした)



「待て待てーっ、ダン!」

「あはははは♪」


ダニエルとルパートが素っ裸のまま風呂場から出て来て、居間をグルグルと駆け巡った。


この馬鹿共っ!チンチン丸出しで何フザケてるんだっ!パンツ履けっ!」

「『変態オヤジ』が家の周りをウロウロしてるって話てた傍から何やってんだ!ネットに動

画流されても知らねーぞ!『下』隠さないんだったらせめて顔くらいは隠せ!『足跡』つい

たらどーすんだ!犯罪に巻き込まれたって知らねーぞ!?」

双子は怒鳴って、走り回っている弟二人をそれぞれ捕獲した。

ダニエルもルパートも下半身丸出しではしゃぎ回るような歳では勿論無かったが、この二人に関しては「常識」は有って無いに等しい。


「スイカ切りましたよー、みなさ〜ん!あンら〜、ダニエルさんもルパートさんもチンチン丸見えですよ〜♪」

めぐみが可笑しそうにクスクス笑った。

見んな!って・・・お前は何でそう『色々』と平気なんだよ」

トムがめぐみの両眼を隠しながら言った。

めぐみの言い草は「年端も行かない男の子に対する」ようであったが、実際ルパートとはそんなに歳は離れていない・・・せいぜい二つか三つだ。

「うちのとーちゃんがいっつも『プラプラ出しっ放し』で風呂から出て来る人だったんで、私結構慣れてるんです〜」

「『プラプラ』って・・・慣れんなよ、そういうモン!それに『親父』の方はともかく、こっちは赤の他人だぞ?お前も少しは恥じらいってモンを・・・」

「別にな〜んも違う事無ぇです〜。ンね〜、ダニエルさ〜ん、ルパートさ〜ん?」

「んだー♪」

ダニエルとルパートが、いつものめぐみの「言い回し」を真似した。

「お前達は少し恥ずかしがれっ!コイツだって一応はおん・・・とにかくだっ!俺の方が

恥ずかしいわっ!」

普段はめぐみの事を散々「トド」だの何だの言って置いても、実際はもうそこまでは思っていないトムのようだ。



そんなドタバタを全く気にしていない「しーちゃん」が、庭をノシノシ歩いている。

ここ最近の「しーちゃん」は物凄い早さで巨大化していた。

もう、とてもじゃないが家の中では飼えない。

ダニエルとルパートが「技術の授業」の成果を生かして、外にベニヤで小屋を立ててやっていた。

但し、「しーちゃん」がそれを利用しているのを誰もまだ見た事が無い。

大体、カメに「ここがお家だよ♪」などと言っても分かるはずが無いのだ。



そして、河合家の二階の窓からは「愛するオリバーの『今』」を捉えようと、エマがまたもや池照家の居間を望遠鏡で覗き込んでいた。

「・・・素敵♪あら?」

丁度家を一軒挟んだ形で、温田家の二階の窓から陽子も望遠鏡で池照家を覗き込んでいた。

「あら?」

陽子の方もエマに気付いたようだ。

不思議な間が二人の間を流れた。

軽く会釈してきた陽子にどう対応していいのか迷ったエマは、無言の「なぁ〜んちゃって♪

」のポーズを決めてちょっと「変顔」をし、スッと窓を閉めた。

「・・・エマちゃんって・・・面白い子♪」

陽子はチラリともう一度だけ池照家を見下ろし、一先ず窓を閉めた。

 




「何やってんだ、お前?」


ある日の夕方、バイトが無く早めに帰って来たトムは、居間で腹這いになり庭を見つめながら画用紙に何か描いている四男に声を掛けた。

ルパートはバイトも部活もしていなかったので(それに、高校三年生)、学校が終わると大抵はそのまま帰宅している。

ルパートの傍には「かっぱえびせん」の袋が開けられ、グラスには「カルピス」だ。

彼が今、鼻歌が混じりでウキウキしているのも「納得のシチュエーション」である。



「あ、おかえりー、トム。僕ね、『しーちゃん』描いてんの。学校の宿題なの」

テレビは、観てもいない「水戸黄門」の再放送が付けっ放しだ。

「『カメを描け』って?『高3』ってそんなのやったか?」

自分の「高3の時の記憶」を呼び起こそうとしているトム。

「違うよ!『好きなモノ描いて良いよ』って先生が言ったから、僕『しーちゃん』にしたの

。この絵ね、『僕としーちゃん』って言うの。でも、ダンには言わないでね。また『しーち

ゃん』をイジメちゃうかも知れないから」

ダニエルは以前、「ルパートの本当の弟は、僕と『しーちゃん』のどっちだ!?」問題で、カメ相手に本気でケンカした事があったのだ。

今振り返ってみても、玄関先でルパートに向かって「僕と『しーちゃん』のどっちが本当の弟なんだ!」と声を荒げた事は笑える・・・。

ダニエルの声は大きいので、ご近所にもその会話は筒抜けだった。

オリバーは暫く、買い物に向かった商店の先々で「お宅の末っ子・・・ちゃんと『弟』ってお兄ちゃんに言って貰えたかい?」と笑われた。

ダニエルがとても「嫉妬深い」と言う事を、ルパートはその時改めて再確認したので、それきり「弟問題」をダニエルにチラ付かせる事を避けているのだ。



「・・・アホらし」

トムはルパートの訴えを相手にしなかった。

バックをヒョイと肩に掛け、自分の部屋に行く為階段を上がって行った。


「しーちゃん、ちょっとジッとしててよ・・・ハンサムに描けなくなっちゃっても知らないからね。んもぅっ・・・落ち着き無い子だなぁ」

プリプリ怒りながらも、ルパートは鉛筆で下書きを進めている。

彼は相変わらず、カメに向かって本気で「落ち着き」についての話をするような男だ。

「しーちゃん」の事を大好きな彼だったので、実際にはそんなに凝視してなくても「友」を描く事は出来る。

しかし、こうして理由を付けて「愛する『しーちゃん』」をただただ見ている時間は、「現

実問題」を突き付けられているルパートに取っては幸せのひと時だった。

「しーちゃん」のマッタリした動きは、ルパートを妄想の世界に誘(いざな)う。

ルパートの瞼がトロリと降りて来た。

「将来」の事とか「進路」の事なんかを考えなくて済む「しーちゃん」の存在は、ルパートに取って「癒し系」だ。

もう六月・・・ルパートはまた来週担任との面談が待っている。


「君は将来、どういった道に進みたい?」


・・・また、こう聞かれるはずだ。



ルパートの意見は依然変わらない。

「僕はみんなと一緒にこうしているのが好き。いつまでもいつまでもみんなと仲良くこうやっているのが好き」・・・だ。

ルパートは「しーちゃん」のデッサンを進めながら、いつの間にかウトウトし、そのまま眠ってしまった。

二階から飲み物を台所に取りに階段を降りて来たトムが、舌打ちしながらもソッと毛布を掛けてやった。

彼は普段は口が悪いし意地悪だが、見え無い所でちゃーんと「お兄ちゃん」していた。

ルパートは時折口がモゴモゴ動いてみたり手をピクッと動かしたりしていたが、兄の優しさには気付かず、安らかな眠りの世界を楽しんでいる。

 



「オリバーっ!」


数時間経ち、学校の部活から帰って来たダニエルは、玄関から入って来るなりバックも置か

ずに、夕飯の支度をしていたオリバーとめぐみの居る台所に駆け込んで来た。

ルパートとトムは居間のテレビで「Qさま」を観ていた。


「何だよ、ダニエル?おい、危ないって!くっ付くな!今『フライ』揚げてんだから・・・

どーしたんだよ、一体?」

「ぼ、僕、へ、変なオジサンに声掛けられた・・・」

「変なオジサン?」

オリバーがチラリと弟を見下ろした。

めぐみはキャベツの千切りに没頭中だ。

「そ、そう・・・。ビ、ビックリした・・・」

久々にダニエルがドモッていた。

彼は緊張したりテンパるとドモる癖がある。


「小林と学校から帰ってて途中でバイバイして一人で歩いて帰って来たんだけど、家に入ろ

うとしたら後ろから車に乗ったオジサンが、『君はこの家の子?』って聞いて来てさ。『そ

うですけど』って答えたら、『オジサンに君の家の中ちょっと見せてくれないかな?』って

。だから僕、『お兄ちゃんに聞いてみないと分かりません』って言ったんだ。そしたら、『

少しだけなんだよ。いいだろ?すぐだから』って、手と肩掴まれたんだ」

「何っ!?」

オリバーが今度は本格的に心配して弟の顔を見た。

めぐみも流石に手を止めてダニエルを振り返っている。



「汗ばんだ手だった・・・何だか目も血走ってるみたいに見えたし、すっごく恐かった・・

・。あの人・・・多分『変質者』とかかも」

「・・・・・」

オリバーは、数日前にジェームズが見たと言う「謎の男」の事を考えた。

「警察に電話した方がいいですか〜、オリバーさ〜ん?」

めぐみが意見を求めて来る。

「いや・・・これくらいじゃ警察は動かないだろう。警察はもっとこう・・・」


「ヤバいっ、ルパートが危険だ!」


ダニエルが真剣な顔で言った。

「どうしてだ?」

「だって、あんなに可愛いんだもん・・・あのオジサンに狙われちゃうよ」

オリバーはガクッとした。

「安心しろ。そんな事思ってるのはお前だけだから。俺に言わせれば、だったらその件に関

しては、ルパートは『お前』の事を一番危険だと思ってるはずぞ?」

「あぁ、そっか!」

「納得するなっ!」

が、オカシな男が家の周りをウロウロしていると言うのはどうも薄気味悪い。

一応、「そういう事が起こっている」と言う事くらい警察に届け出た方がいいのだろうか・

・・オリバーはそんな事を考えた。

そしてその日の夕飯の席で、オリバーは兄弟とめぐみみんなに「気を付けるように」と、一

応注意を促した。

 

 



ピンポ〜ン♪

 

日曜日のある日、池照家の玄関のチャイムが鳴った。


「はい?」

オリバーが玄関を開けた。

今日は「喫茶・レインボー」は定休日だった。

めぐみは近くに沸いたと言う「温泉」に、隣の温子と共に行っていた。

ダニエルは日曜日の部活で学校に行っていたし(温田家の三女・夏海はダニエルの事が好き

だったので、彼の所属する陸上部のマネージャーにまんまと収まっていた
)、ジェームズは

出勤、トムはバイト・・・家には現在、オリバーとルパートの二人きりだ。



「こんにちは、オリバーさん」

「陽子さん?」

オリバーは、玄関を開けた途端に「サムさ」を感じた理由が分かった。

温田家の三姉妹は美人揃いだったが、言い知れぬ「サムさ(冷気に近い)」を持っている。

一気に気温が二度ほど下がったような錯覚を起こしたオリバー。

(少々汗ばむような陽気だったので、ある意味彼女の訪問は丁度良かったと言える)


「え、と・・・こんちは。どーしたの?あ・・・」

陽子の後ろから「知らない男」が姿を現した。

「初めまして。私、『NPO』から来ました、『熊谷』と言うものです」

中年の、優しそうな面立ちの男が立っていた。

「私の上司に当たる、とても偉い学者の先生の一人です。何十年か前に『ノーベル平和賞』

を取得したチームの助手を務めています。現在は、日本に置ける『ガラパゴス諸島』の動物

保護に関しての支援協会会長も務めています。あ、コレ・・・熊谷教授がお書きになった本

です」

陽子が「熊谷」の事をザッと説明し、オリバーに熊谷が書いたと言う本を数冊手渡した。

「・・・はぁ、どーも。で、そのNPOの偉い先生が何で家に?」

オリバーが尋ねた。

「温田陽子」が、どこぞの研究所の助手をしていると言うのは知っていた。

が、その研究所の偉い教授を引き連れての訪問となると意味が分からない。

(但しオリバーは心の中で、ここにもし三男が居たら、「めぐみ(トド)を捕獲しに来たん

じゃねーの?」と笑うだろうと考えた
)



「オリバーさん。少し・・・お家に上がらせて頂いてもいいでしょうか?」

「え?あ、あぁ・・・どうぞ」

オリバーはキョトンとしながら、陽子と熊谷と名乗る男を家の中に通した。

「狭くて散らかってますけど・・・どうぞその辺に適当に座って下さい」

オリバーは座布団を勧めた。

昼飯を食べたばかりだったので、まだちゃぶ台の上には「おしんこの入った小皿」や「箸」

などが乗ったままだった。




「素敵なお住まいですね」

熊谷は懐かしそうに目を細めて辺りを見回している。

池照家は昭和時代を多く残した雰囲気ある佇まいだ。

熊谷はそこかしこに目を這わせ、古き良き時代を思わせる家具や家屋を楽しんでいる。

「店が休みなんで、お茶しか出せないですけど・・・?」

「いいえ、お構いなく。折角のお休みの所申し訳ありません。ちょっと教授のお話を聞いて

頂きたいのですが、お時間大丈夫でしょうか?」

陽子が話した。

「俺に話?時間はまぁ、どうせゴロッとしてただけだし・・・。え、俺でいいんスか?」

オリバーは壁掛け時計に目を遣った。

楽しみにしている「西村京太郎サスペンス劇場」までは今暫し時間があった。

何を教授から話されるか少し疑問に思いながらも、来客の二人に向き直ったオリバーの視線

の端に、散らかり放題の絵の具やら鉛筆が映った。



「・・・ちょっと失礼」

オリバーがイラッとした気持ちを隠しながら一度腰を上げ、居間から出て行った。

おーい、ルパートォー!縁側に置いてある絵の具を片付けろー!捨てちまうぞー!」

階下から二階に向かって大声を張り上げる。

「僕、今トイレでしょー!ウンチしてんでしょー!」

「・・・・・」

どうやらルパートは、オリバーが今立っているすぐ隣のドアの中に居たらしい。

胃腸の弱い彼は、大方また下痢でも起こしてマンガ本(おそらく三男の)でも読みながら便座

でゆっくりしているのだろう。

画材道具を出しっ放しで二階に行った訳ではなく、ルパートは唯単にトイレに行っていただ

けのようだった。

オリバーはおそらく聞かれたであろう、弟との今の会話の遣り取りを少し恥ずかしそうに首

の後ろを掻きながら、来客二人が待つ居間に戻って来た。



「すいません・・・えっと、で、『話』って?」

熊谷は縁側で、ルパートが描き途中にしていた画用紙を見ていた。

「・・・素晴らしい」

「落書き程度ですよ。美術の宿題とか言ってて・・・」

宿題でこの絵を!?それは困る!この絵を表だって出されては・・・なぁ、陽子君?」

「・・・そうなりますか、やっぱり?じゃ、ルパート君には私から話しましょうか?」

「え・・・一体何の話ですか?ルパートの絵が何か?」

オリバーが不思議がった。

「いえ、『絵』の事を言ってるんじゃなくって・・・この絵の『モデル』の事なんです」

「『しーちゃん』が何か?」

熊谷が画用紙をちゃぶ台の上に起き、自分の懐から名刺を差し出した。

オリバーがそれを読み上げる。



「・・・NPO法人、日本ガラパゴス協会・・・熊谷昭雄教授?」

「改めて初めまして・・・いや、私の方は陽子君からこちらのお宅の話を伺い、既にみなさ

んの事は知っています。それに、一週間ほど前から色々と独自にこの家の事を調査させて頂

いてます」

「調査・・・ああーっ!もしかして、アンタ・・・うちを覗いてたって言う?」

ジェームズが見かけたと言う「不審者」や、ダニエルが声を掛けられた男・・・。

今、目の前に居る男とダブッた。

確かに「熊谷」はジェームズが言ったように、年齢は四・五十代に見える。


「何でうちを嗅ぎ回ってたんです?」

「『カメ』を見せて頂けませんか?」

「は?」

「オリバーさん・・・教授に『しーちゃん』を見せてくださいませんか?」

「・・・『しーちゃん』?え、庭に居るはずだけど?」

オリバーの言葉を聞くと、熊谷は立ち上がって縁側から身を乗り出し、庭を覗き込んだ。



「おおっ!」

熊谷が興奮して益々身を乗り出した・・・いや、靴下の儘で庭に下りて行った。

オリバーが後ろから何か言った事など聞こえていないらしい。

素晴らしいっ!陽子君・・・本物だ!本物だよ、これは・・・・おぉっ!

熊谷が「しーちゃん」の甲羅を触ったり、顔をマジマジと覗き込んだりしている。

「・・・何だ?」

オリバーは意味が分からない。


「あのカメ・・・世界遺産なんです」

「へ?」

「ガラパゴス諸島、ビンタ島に生息するガラパゴスゾウガメの亜種、ビンタゾウガメの愛称

『ロンサム・ジョージ』の残した、おそらく唯一の孵化した卵の一つ・・・」

「・・・亜種?え、ロン・・・ジョージ?何?」

「世界遺産に制定されているウミガメの一種なんです」

「・・・まさか・・・」

「本当です。私達は、ガラパゴス諸島に棲む生き物全般を研究している研究所の職員・・・

熊谷教授はそこの最高学者です。その彼が言うんですから・・・間違いありません」

「・・・まさか・・・」

オリバーが後ろから近付いてきた気配にハッとした。



「ウンチ出なかったよ、んもぅっ!

ルパートがなぜかプリプリしながらトイレから出て来た。

珍しく便秘らしい。

オリバーはルパートの登場を「ヤバイな」と感じた。

「あ、陽子さんだ。こんにちは」

「こんにちは、ルパート君。あの絵、上手いね♪」

陽子がちゃぶ台の上の画用紙を指差した。

「えへへ〜♪僕ねー、絵描くの好きなの。美術が先生の『しーちゃん』で、『好きなの描い

て良いよ』って言ったから、僕なの。でもね、ダンには内緒なんだよ。だってさ〜、ダンっ

てばさ〜、『しーちゃん』の事をさ〜・・・モガガッ!

オリバーは長くなりそうなルパートの話を、口を押さえて封印した。

相変わらず、話の内容がハチャメチャだ。



「ねぇ・・・あのオジサン、誰?」

ルパートがモガモガしながら、庭で「友()」と共に居る男を指差した。

「人様に向かって指を指すな。あの人はな、偉―い研究をしている人なんだ」

オリバーが教えた。

「ふーん・・・」

「普段だったら、お前なんかが間違っても・・・」

「あ、おーい、そこの人―!しーちゃんは顔触られるの嫌いだよー!『ガブッ』って

されるよー」

ルパートはオリバーの話の途中で、初対面の人物に「いつものように」話し掛け、自分もサ

ンダルを履いて庭に出て行った。

熊谷がルパートを振り返り、優しい笑顔で話し掛けた。



「こんにちは・・・君のペットかな?」

「ペットじゃないよ!僕の友達で弟だよ!」

「そうか・・・大きなカメだよね?」

「カメじゃないよ、『しーちゃん』だよ」

オリバーは傍らで話を聞いててハラハラした。

偉い教授相手にタメ口の弟・・・「教育がなってない」とか思われているだろうなと。

それに、もし「余計な事」を熊谷が口走れば、ルパートが大騒ぎを起こすのではないかと・

・・。



「あの・・・陽子さん?」

「はい?」

オリバーは気になっていた事を聞いてみた。

「もし、その・・・『しーちゃんが世界遺産のカメ』って言うんだったら・・・」

「もしかしなくても『世界遺産のカメ』なんですよ、オリバーさん」

陽子が言い切った。

「うん・・・って事は、その〜・・・」

オリバーがゴニョゴニョ的を得ないで喋る理由を、陽子は感じ取った。

「えぇ・・・ルパート君には気の毒ですけど、ここに置いて置く訳にはいかなくなります」

「・・・やっぱり?」

「はい。まず我が研究所が引き取って、おそらく近いうちにエクアドル政府を通してガラパ

ゴス諸島の一つ、サンタクルス島に返されるはずです。あの島には『チャールズ・ダーウィ

ン研究所』と言うのがあって、今そこで親の『ロンサム・ジョージ』が飼育されているんで

・・・」

「・・・・・」

オリバーは、熊谷と楽しそうに「しーちゃん」の話題で盛り上がっている、何も知らない弟

の背中に胸を痛めた。




「陽子君、今日は一先ず帰ろう」

十五分ほどした頃、熊谷が立ち上がった。

「え、いいんですか?」

「あぁ、確認は出来た。一度研究所に戻って、準備を始めなくてはいけない。チームを組み

直したり・・・今日・明日辺りは色々忙しくなるぞ?」

「はい」

「え、オジサン帰っちゃうの?」

ルパートが声を掛けた。

「あぁ。またね、坊や」

「うん。バイバイ、オジサン!また『しーちゃん』の事見に来ていいからね」

「ありがとう」

熊谷はルパートの頭を撫で、陽子を伴って帰って行った。



「いいオジサンだったね、あの人。『しーちゃん』の事好きみたい」

「あぁ」

オリバーは、にこやかに喋る四男の顔を見れなかった。

「でも、『しーちゃん』はきっと僕の事が一番好きだよ。だってさ、僕が一番『しーちゃん

』の事が好きだし・・・ね?」

「・・・あぁ、そうだな」

オリバーは曖昧に答えた。

「近々、しーちゃんとお別れをしなくてはいけない」などと・・・とてもじゃないがオリバ

ーは言え無かった。

「わわ・・・『ウンチ』来た!トイレ!トイレー!ゴー!ゴー!」

ルパートはお尻を押さえながら家の中に入って行った。

「・・・・・」

イマイチ・・・シリアスに欠ける弟だ。



縁側に一人になったオリバーは、「しーちゃん」をジッと見つめていた。

こんもりと盛り上がった独特の甲羅・・・大きな手足()と爪。

確かに、「普通のカメ」とは明らかに違う。

フッと昔三男トムが、「変わった甲羅のカメ」とか「みるみるデカくなる」とか・・・そん

なセリフを言った事を思い出したオリバー。


「あ・・・雨降りそうだな。洗濯モン入れとか無いと」

ルパートが脱ぎ散らかしたサンダルを履き(大足の彼にはかなり窮屈そうだ)、洗濯竿から兄

弟みんなの衣服を掻き集めるオリバー。

庭の幸子の何本かが食べ頃になっていたのが、チラリと視界の端に見えた。

「浅漬けにすると美味そうだな・・・」

もう今夜のおかずの心配を始める、二十三歳になったばかりの日本男児、池照オリバー。



「・・・素敵♪」

その一部始終を、またもや自分の部屋から望遠鏡越しにジッと見つめていたエマ。

エマの望遠鏡には、開けっ放しにされていたトイレの中のルパートの姿もバッチリ捉えられ

ていた。

「フン!便所男!」

 

 



「へぇ・・・上手い事描いたじゃねーか、お前。なかなか絵の才能があるんじゃねーか?唯

(
ただ)の馬鹿かと思ってたのによ」

「えへへ・・・あーっ!今、また僕を『馬鹿』って言ったなー!」

珍しくトムはルパートを褒めたが、その後が少し悪かった。

早速ギャイギャイと二人は揉め始める。

下絵をすっかり終え、今は半分ほど絵の具が入れられた状態の画用紙・・・。


熊谷達が帰り、「西村京太郎サスペンス」も終わり(犯人は、十八年前に死んだと思われて

いた義理の妹だった
)、夕飯の鉄板焼きの野菜や肉を居間のちゃぶ台に順番に並べている時

間だ。

ジェームズ以外の兄弟は、夕飯までの時間をそれぞれ「自分流」で過ごしていた。

ダニエルも少し前に帰って来て、今は部屋で着替え中である。



「あンれ〜、ホントだぁ〜。ルパートさんは絵を描くのが上手ぇなぁ〜。売り物みたいだな

ぁ〜」

めぐみが改めて絵を褒め称えた。

「えへへ〜♪」

ルパートの機嫌はこれで治った。

確かに・・・色遣いや筆使いの斬新さ、構図の角度、独創性と躍動感・・・美術館に展示し

ても「それらしく」見えてしまうくらいの、なかなか情緒ある仕上がりだ。

カメの質感や皺の深さ・甲羅の雰囲気も非常に良く出ていて、まるで画用紙の「しーちゃん

」はノソノソと歩いているかのようである。

とても普段、「おっぺけ率bP」の男が描いたとは思えない作品だ。



「明後日には学校に持って行かないとイケナイの。だから僕、時間があんまり無いの。もう

少し、ここをさ〜色々直さないとさ〜」

「・・・学校にっ!?いや・・・それは多分マズイだろ」

オリバーが鉄板を用意しながら話に入って来た。

世界遺産のカメを、「僕の弟」なんてタイトルで学校に提出させる訳にはいかない。

教師にその辺を「ツッコまれ」でもしたら、ルパートの事だ・・・ペラペラと本当の事を喋

ってしまうだろう。



「僕がねー、買ったの。ずーっと僕ん家に居たんだよ。名前はねー、『しーちゃん』なの♪

餌はねー、オリバーの幸子で」・・・意気揚々とそう答える四男が目に浮かんだオリバー。



「どーして、学校に持ってっちゃイケナイの?」

ルパートが不思議そうに兄を見つめた。

「え、と・・・まぁ〜・・・なんだ、ほれっ。あ、そうだ!なぁ、お前違う絵を描けよ。

きっとそっちも上手く描けるさ。それを持ってけ!」

長男の言葉に、ルパートもトムもめぐみもキョトンだ。

「ヤダよ!僕、この絵を持ってくモンねー。他の絵なんかヤダモンねー!それにさ〜、他の

絵描く時間なんか無いモンねー!オリバーって、お馬鹿さ〜ん♪」

「・・・・・」

人を・・・いや、兄を小馬鹿にした言い方にカチンと来たオリバーだったが、今はグッと我

慢した。



「・・・そうだ!お前、トムの顔を描けよ!な?『愛するお兄ちゃん』ってタイトルで!な

?」

「ヤダー!僕、トムを『愛してない』モン!」

「んだと、コノヤロっ!でも、俺も意味分かんねぇーぞ、オリ婆・・・何言ってんだよ?何

で俺がモデルになんなきゃならねーんだよ!いーじゃねーか・・・この絵、かなり良く描け

てると俺は思うぜ?」

「だから・・・とにかくダメなんだよ、この絵は!」

オリバーは、言いたいけれど言えない事が喉元まで上がって来た。

「どーしてですか〜、オリバーさ〜ん?」

めぐみがダメ押しして来た。

めぐみは今、鉄板に油を引いて延ばしている。

「どーしてって・・・いいじゃねーか。聞くなよ。とにかく、どうしてもだ!」

オリバーは上手く纏められなかった。

チラッとルパートの顔を見ると・・・案の定!

口を付き出して、頬っぺたを膨らませてプゥーと怒っている。



「・・・オリバーの言う事なんか変だモンね。僕、『しーちゃん』の絵、学校持ってくモン

ね!フーンだッ!

ルパートは絵を抱えて自分の部屋に上がって行ってしまった。

階段の所で、陸上部のユニフォームから着替え終えたダニエルと擦れ違い、「あれ、ルパー

ト・・・ご飯は?」と聞かれても答えなかった。

居間は気まずい雰囲気が漂っていた。



「何であんな事言ったんだよ、オリ婆?なかなかだったじゃねぇか、アレ?」

トムは胡坐を掻いて、一番先にちゃぶ台の前に腰を落ち着けた。

鉄板焼きはマリオの好物の一つだったからだ。

「・・・理由があるんだ。あの絵を学校に持っていくとマズイんだよ」

「だから何で?」

オリバーは一人で数日抱えていた問題を、トムとめぐみに話し始めた。


ダニエルは部屋に戻ってルパートの機嫌を直し、暫くすると二人一緒に階下に降りて来た。

その頃には、トムも少し少しばかり「微妙な表情」をしていた。

めぐみは「はい、焼けてますよー!早く取っちゃってくださーい。次焼けませんよー!」と

、自分の「タレ」の中にモリモリと肉だの野菜だのを盛っていた。

 

 




それから二日後、熊谷がまた池照家に現れた・・・今度は一人での訪問だ。

今日は平日だったので、この時間はまだ「喫茶・レインボー」は営業している。

故に、オリバーやめぐみの姿は家の方にはまだ無い。


チャイムで玄関を開けたのは、末っ子のダニエルだった。

今日は部活動が無かったらしい。

しかし何気なくドアを開けた瞬間、ダニエルはガタッと後退りした。

訪問者が、数週間前に自分に声を掛けて来た「あの怪しい男」だったからだ。



「あ、あ、あ・・・」

熊谷を指差し、早速ドモり始めたダニエル。

「やぁ、君か・・・こんにちは。『ルパート君』は居るかな?」

「ル、ルパートに何の用だ!」

ダニエルは警戒している。

「やっぱりルパートを狙って来た」と確信を持った睨みで、「家の中には一歩たりともコイ

ツを入れないぞ!」と言う強い意志が見受けられる。

自分がルパート(愛する者)を守ろうと言う事らしい・・・なかなか「男」らしい彼だ。


「ルパート君に話が合って来たんだけど・・・家に上がらせて貰えないかな?」

「・・・ダメ!」

「はは・・・別に獲って食おうって訳じゃないよ。彼の『カメ』の事でちょっとね」

「え・・・『しーちゃん』の事?」

ダニエルが不思議そうな顔をした。

 



ルパートが、鼻の頭や顎に様々な色の絵の具を付けた汚れた顔で玄関の所に現れた。


「ダン・・・緑色の絵の具貸してくれる?僕の無くなっちゃっ・・・あ、オジサン!こんに

ちは♪」

「こんにちは、ルパート君。あの絵を描いてたのかな?」

「うん、そう!今日学校に持ってったら、先生ががんばって『輪郭の勢いがムナムナしてる

』って言うからさ〜・・・、僕、ちょっこし口と首を『ガリッ』て描いてるの」

「え、学校に持ってった?え、『ムナムナ』?え?」

「気にしなくて大丈夫だよ」

ダニエルが熊谷の疑問に答えてやった。

教師が「ムナムナ」・・・などと言う言葉を使うはずはない。

ルパートの勝手な解釈だった。



「もう、先生に提出しちゃったのかな・・・?」

「ううん。お持ち帰りして来たから、今二階にあるよ」

「二階にある」と言う言葉に、熊谷はホッとした。

「え、と・・・君に会いに来たんだ。家に上がってお話したいんだけど、いいかな?」

「ん〜〜・・・」

「ダメだよっ!」

ダニエルの方がダメ出しした。


「ルパート・・・オリバーが居ない時は、知らない人を家に上げちゃイケナイって言われて

るの覚えてるよね?」

「うん。でも、このオジサンの事、僕知らなく無いよ?この前会ったし」

「何か誤解があるようだけど、私はね、坊や・・・NPOから来た・・・」

「別にそう言うの聞いて無いっ!」

ダニエルに自分の自己紹介をしようとした熊谷は、またダニエルにダメ出しされた。



「とにかくルパート君・・・少し君と話がしたいんだ」

「ん〜、いいけど〜・・・。僕さ〜、今急いで絵を描いてるからさぁ〜・・・時間がホント

はあんまし無いんだよね〜・・・。七時からマンガがやるからそれまでに終わりたいし・・

・」

「絵を描きながらでいいんだ!少しだけ・・・いいだろ?大事な話なんだ」

「大事な話」と言うセリフに、ダニエルがピクッと神経質に反応する。

「じゃ、ちょっこしだけね。今部屋から絵の具とか持って来るから、オジサンは居間に居て

よ」

「ちょっ、ルパートっ!」

ダニエルは納得いかない。

熊谷は、自分を睨んでいるダニエルの脇をソ〜ッと通って家に上がって来た。

 



「オジサン、何か飲む?」

ルパートは自分の部屋から画用紙と絵の具を持って降りて来ると、それを一式ちゃぶ台にド

サッと置いた。

「あ〜・・・じゃ、何か冷たいモノでもくれるかな?今日は暑いしね」

「僕と一緒のでいい?」

「勿論!」

ダニエルは、そんな「調子のいい熊谷」の事をずっと睨んでいる。

「『大事な話』って、ひょっとしたらルパートに結婚とか申し込みに来たのかな」と。

このレベルだ・・・馬鹿な男だ。

ルパートが鼻歌混じりに台所に引っ込むと、ダニエルも後を付いて来た。



「ルパート・・・あのオジサンは変なオジサンなんだよ?僕に前、変な質問して来たし、君

の事を『可愛い』と思ってる。きっと『結婚しよう』と企んでいるんだ・・・」

「ダンは心配し過ぎだよ。あの人は良い人だよ。『しーちゃん』の事好きみたいだし。それ

に僕、まだ結婚はしたくないな。あのオジサンの事何にも知らないモン」

ダニエルもダニエルならルパートもルパートだ。

結局二人は「結婚」と言うキーワードを元にした、「殆ど同レベル」の馬鹿げた会話を続け

る。


「でもあのオジサン、『しーちゃんの事を話したい』ってさっき言ってたよ?」

「きっとそれは『罠』だよ。君の興味を自分に引き付けようとして・・・計算高いヤツだ。

最低だな。ま、もし『しーちゃんを欲しい』って事なら、僕は大賛成してあげるけどね。そ

したら僕らはまた二人だけになるし♪」

「僕が『しーちゃん』をあげる訳ないでしょ!ダンの馬鹿っ!」

「あー、僕の事『馬鹿』って言ったな!」

「だって馬鹿なんだモン、ダン。んもぅ〜・・・ダンのも作ったから一緒にあっち行って飲

もうよ・・・ね?」

「ん〜・・・」

ルパートはグラスに「きなこミルク」を三つ作るとそれをお盆に乗せ、居間で待つ熊谷に一

つ与えた。

「きなこミルク」は最近のルパートのお気に入りドリンクで、コレに関してはなかなか上手

に作る事が出来た。

(「カレー」は相変わらずだ。言うなれば、「カレーを不味く作る天才」のダニエルとルパ

ートだ
)



「ありがとう・・・あ、美味しい♪」

「ね?僕の今『お気に入り』なの。ホントはね、バナナ入れるともっと美味しいんだけどね

「ルパートが一人でミキサー使うと汚れるからオリバーはダメって言うんだ。けど、僕はこ

のシンプルな方も好きだよ。だって、ルパートが作ってくれたんだしね」

「えへへ・・・ありがと、ダン」

「・・・・・」

熊谷は少々二人の間に漂う「甘い雰囲気」に「?」と思ったが、「きなこミルク」をゴクゴ

クと飲むルパートとダニエルを優しげな笑顔で見つめていた。

そしてそんな熊谷の事を、ダニエルはやはり抜け目のない目付きでジッと見つめている。

ダニエルの表情は、紛れもなく熊谷を「敵視」していた。



「ホント・・・上手いね」

熊谷が言った。

「ね、美味しいよね?」

「違うよ・・・あ、勿論コレも美味しいけど、君の絵の事だよ。どこかで絵を習ったの?」

「ううん。僕誰にも絵は習わないよ」

「じゃあ、天性のモノなんだな・・・良く観察してないとああは描けない。アレは素晴らし

い出来だよ」

熊谷がルパートの才能を褒めそやす。

勿論そんな熊谷の事を、ダニエルはジッと凝視だ。

「僕ね、絵描くの昔から好きなの。お母さんの顔描くのが好きだったな〜。僕達のお母さん

はね、昔・・・」

「うん・・・聞いたよ。君達にはご両親が居ないって・・・大変だったね」

「ちっとも大変じゃないよ。オリバーもジェームズもトムも居たモン。勿論ダンも!今はめ

ぐみちゃんもしーちゃんも居るし、楽しいよ♪」

「・・・そうだね。みんな仲良しなんだね」

「そーだ!だから、オジサンはルパートを連れていけないんだ!」

「え?」

ダニエルが頓珍漢な事を言ったので、熊谷はまた「?」になった。

「僕さ〜、『しーちゃん』の事は沢山見てるから、目を瞑ってても絵を描けるよ」

ルパートは少し大袈裟な事を言った。

「へぇ〜・・・相当な仲良しなんだね、君としーちゃんは」

「違うパートと一番仲良しなのは僕だ!」

ダニエルが、またもや噛み合わない事を言って、会話に乱入して来た。

「きなこミルク」はとっくにダニエルのグラスからは無くなっていたので、今は氷をガリガ

リ噛み砕いている。



「なるほど・・・君は『ルパートお兄ちゃん』の事がとっても大好きなんだね。で、ルパー

ト君。君はあのカメをどこで最初見かけたのかな?」

熊谷がサッと本題に話を摩り替えた。

「『ーちゃん』は、『テンショーのハリー・堀田』から買った。オリバーとジェー

ムズとトムに一杯怒られちゃったどね」

ルパートも飲み物が無くなってしまったので、氷をガリガリしている。

「『ブンカツ』にして貰ったんだ。『お金あんまり持って無いの』って言ったら、ハリ

ー・堀田が『ブンカツでいいよ』って言った。多分・・・三千円くらいだった」

「さ、三千円!?」

に?」

またルパートが氷を一つ頬張った。

「世界遺産のカメを随分安く見られたものだ」と、熊谷は会った事が無い「露天商のハリー

・堀田」を、非常に胡散臭い奴だと踏んだ。

しかも、「世界遺産を分割」するなんて・・・・ちょっと酷い話だ。



「ハリー・堀田は僕が買う時、『大きくなったら口から火が出る』って言ってたんだけど、

『しーちゃん』はまだ大きくなって無いのかな?結構他の子よりは大きいと思うんだけど・

・・」

「フン!ルパートは騙されたんだよ、ハリー・堀田に」

ダニエルがボソッと呟いた。

ルパートが「しーちゃん」「しーちゃん」とうるさいので嫉妬したのだ。


「もういいんだモン!ハリー・堀田は嘘言ったかも知れないけど、それでも僕は『しーちゃ

ん』が好きだし。ま、火が出たらカッコ良かったけどね。エマにイジメられたらやっつけて

くれたかも知れないしね」

「あ!確かにエマの事は『ギャフン』と言わせてくれたかも知れないね。でも、とにかく僕

『だけ』が『ルパートの本当の弟』だからね」

「ダンは色々うるさいなぁ・・・いーじゃん。『しーちゃん』も僕の弟って事で」

「ダメーーーーーッッ!」

ギャーギャー揉め始めた二人を余所に、熊谷はいつの間にか縁側から庭の「しーちゃん」を

見つめていた。

 



「静かにして、ちょっと私の話を聞いてくれるかな、ルパート君?」

熊谷は背中を二人に見せたまま、優しいトーンで話し掛けた。

「今ダメ!僕、ダンとケンカしてるから!」

「そーだよ!オジサンは入って来ないでよ!って言うか、もう帰っても良いよ!」

「大事な話なんだ・・・『しーちゃん』の事なんだけど、あのカメは・・・」

熊谷のトーンは優しいままだ・・・なかなか我慢強い男だ。

「『カメ』じゃないよ!『しーちゃん』は『しーちゃん』だよ!イテッ・・・やめてよ、

ダン!このーっ!」

「イデデデ・・・・やめろ、ルパート」

二人は今度は、髪を引っ張り合ったりしている。

熊谷は二人が揉めている事を無視して、更に話を進めた。



「『しーちゃん』はね、ルパート君・・・普通のカメじゃないんだよ」

「知ってるモンねー!『しーちゃんがちょっとデブ!』って言うんでしょ?でも、僕がキャ

ラメル上げる前からデブだったモンねー。多分、『テンネン』なんだよ」

「ルパートなんか、馬―鹿、馬―鹿♪そういう時は『テンネン』じゃなくって、『先天的』

って言うんだ!へへーんだ!」

あーっ!ダン、僕の事『馬鹿』って言ったー!許さないぞー!ペンペンしてやるぅー!

「イデデデ・・・やめろっ!」

熊谷は馬鹿げた二人の話を更にスルーし、話し続けた。


「このカメはね・・・世界遺産に指定されているんだ。ガラパゴスって言う島に、今僅か一

匹しか居ない貴重なカメの唯一の子孫なんだよ」

ダニエルとルパートのケンカがピタッと止まった。



「・・・世界遺産?」

ダニエルが聞き返した。

まさかそんな言葉を、「今」聞くとは思ってもいなかったようだ。


「そう・・・天然記念物なんだよ。ここで育てる訳にはいかないんだ。研究所が引き取って

、元の島に返さないといけない。世界の条例で決まってる事なんだ。だから、可哀想ど・・

・」

「・・・『しーちゃん』をどっかに連れてっちゃうの?」

ルパートが小さく呟いた。

「まぁ・・・そう言う事になる」


「ヤダよっ!」


ルパートがスクッと立ち上がった。

ダニエルがそれを見上げた。



「『しーちゃん』は僕ん家の子だモン!どこにもやらないよ!僕の弟なんだモン!」

「ルパートの弟は僕だぞ!」

厄介な男も続いて立ち上がった・・・が、ルパートはそれを無視した。


「オジサンは帰って!もう、僕のお家に来ないで!『しーちゃん』は僕が育ててるんだ!僕

の『しーちゃん』なんだモン!どこにも行かせないモン!」

「大事にしていたのは分かってるよ。けどね・・・」

熊谷は少し困ったような顔になっていた。

「オジサン嫌いっ!オジサン悪い人っ!『しーちゃん』ドロボーだ!『しーちゃん』は誰に

もあげないぞ!僕の『しーちゃん』なんだからね!」

ルパートが興奮して大きな声になっていた。

 


「おいおい・・・何騒いでるんだ?あれ?」

オリバーが仕事を終えて家に上がって来た・・・その後ろにはめぐみだ。

熊谷が家に上がっていたので、少し驚いたオリバー。



「オリバー!このオジサン、悪い人だった!『しーちゃん』を盗みに来たんだよ!」

ルパートがオリバーの後ろに隠れ、熊谷を指差した。

「僕が言った通りだったでしょ、ルパート?やっぱりこの人は悪い人だったんだよ。ま、『

ルパート』じゃなくって『しーちゃん』の方を欲しかったみたいだけどね♪」

ダニエルも一緒になってオリバーの後ろに隠れた・・・若干口の端が笑っている。

大方、「ルパートに結婚を申し込まなくて良かった」と思っているに違いなかった。

やっぱり・・・馬鹿な男だ。



熊谷は今一度、真剣な眼差しでルパートとダニエルを見据えた。

「聞いてくれよ、君達・・・あのカメはね・・・」

「帰ってよぉー!」

ルパートが滅多に見せない怒り顔で、熊谷を怒鳴った。

目には怒りの涙が溢れていた。


「熊谷さん・・・今日の所はどうぞお引き取りください。今はダメです。コイツ興奮してる

・・・何言っても今はダメです。俺から少し話してみますから」

オリバーがルパートの頭を撫でながら熊谷に言った。

ルパートは泣きじゃくりながら、オリバーの腰に抱き付いていた。



「じゃあ・・・お願いします、お兄さん。檻の準備やらそういうのはもう整っているんで・

・・。『ゾウガメ』の生態に特に詳しい有能なチームも作られました。研究員一同みんな『

ゾウガメ』の到着を待ってます」

『しーちゃん』は『ゾウ』じゃないよ!それにどこにも行かないよ!ずーっと僕とこ

こに居るんだ!帰ってよー!

ルパートは口をへの字にして、大きな目からボロボロと涙を零している。

ダニエルは一緒になって、「そうだ、帰れ!帰れー!」と捲し立てていた。

今に関しては流石に、ルパートの若干頓珍漢な「ゾウじゃないよ!」発言には誰もツッコミ

を入れなかった。



「熊谷さん、早く帰った方がいいです・・・コイツら、あなたを殴り兼ねない・・・」

「・・・では、よろしくお願いします。じゃあね、ルパート君・・・ダニエル君」

「ベーッだ!オジサンなんかベーッ!」

「帰れ!帰れ!」

「やめろ、お前ら・・・」

オリバーは二人の弟を叱った。

熊谷はペコっと頭を下げて、スゴスゴと帰って行った。

 




その夜は大変だった。

遅くに帰って来たジェームズが玄関を開けた所で、ルパートの嗚咽がマックスだった。


「ヤ、ん、モン・・・しー、僕、んだモン・・・ずっと、僕、んだモン・・・」

ボロボロ泣いているルパートは、喋る言語が言葉になっていない。

彼の横には心配顔のダニエルが付き、しきりに背中や頭を撫でていた。

片方の手は、ずっとルパートの手首を握り締めている。



「お前がどんなに『しーちゃんを大事にしてたか』って事は、俺達はみーんな知ってる。

それを分かってて、敢えて兄ちゃんは言ってるんだ。あのカメはダメなんだ、ルパート。世

界でたった一匹のカメで、一般家庭が飼ってはイケナイカメなんだ。研究所に返そう」

「しー、ゃんは世、なんかじゃなくたって、ぼ、にとっては世界でたっ、のだよ!しーちゃ

んはこ、に居るのが幸せ、んだ!どっか連れ、たら色々、とかさ、知れ、んだ!」


「何だ、何だ?どーした、大声出して・・・んー?」


ジェームズがコンビニで買って来たアイスの沢山入った袋を、興奮しているルパートの頭を

冷やすつもりで置いた。

ルパートは珍しくアイスに関心を持たず、「んー!」とそれを手で払い退けた。

トムがアイコンタクトで次男を廊下に出し、ソッとここに至るまでの経緯を教えてた。



「ルパート・・・お前が納得しなくてもな、研究所は『しーちゃん』を引き取り来るぞ?」

オリバーが言った。

「ぼ、あげ、モン。しーちゃ、るモン!」(僕、あげないモン!しーちゃん、守るモン!)

「研究所に行っても、『しーちゃん』は不幸にならないぞ?多分ここより沢山栄養ある餌を

貰えるはずだ。『世界遺産』なんだから・・・」

「僕だっ、て大事にして、よ!」

ルパートの興奮は収まらない。

オリバーは助けを求めるように、居間に入って来た双子の片割れに視線を向けた。



「よしよし、婆さん・・・俺とチェンジ!」

トムから話を聞いたジェームズはオリバーの場所に自分が座り、ルパートと対面になった。


「しーちゃんが居なくなるの、そんなに嫌か?」

ジェームズの質問にコクンと大きく頷くルパート。

「そうだよな・・・『しーちゃん』はお前が大きくしたんだモンな、ルパート?」

ジェームズがルパートの頭を撫でた。

ルパートはまたコクンと頷いた。

「餌くれたし可愛がってくれたから、しーちゃんはお前の事が好きだ・・・な?」

ルパートは三度目の頷きをした。



「ルパート・・・お前、今度の誕生日が来ると十八になるよな?お前も来年には高校を卒業

しているはずだから、世間から見ればそろそろ『大人』って言われる歳だ」

「僕、まだ二十歳じゃないから大人じゃないモン!」

「お前さ・・・大学はどうすんの?行くつもりか?違うだろ・・・ホントは何かもう考えが

あるんじゃないのか?」

次男の言葉にルパートは顔を上げた。

「・・・え、そうなのか、ルパート?」

オリバーが驚いた。

少し前に学校で三者面談した際には、ルパートはビジョンを言わなかった。



「俺さ、『トレビア〜ン』に就職決まった時、最終学歴のうんぬんで久しぶりに学校に顔出

したんだ。そしたらたまたま高校の美術の教師と廊下で会ってさ。ルパートの事を偉く褒め

るんだ。『稀に見る絵の才能がある。百年に一度の人材かも』って。俺、最初はそれ笑った

んだけど、『時間があるなら少し弟の描いたモノを見て行かないか?』って言うから、美術

室に行った。そしたら・・・」

兄弟とめぐみがジェームズに注目していた。


「俺ぁ〜・・・驚いたね。コイツにあんな才能があったなんてさ。俺はちっとも知らなかっ

た」

「・・・・・」

ルパートは先程の興奮が少し冷めたようで、涙が止まりつつあった。

普段、あまり人に褒められるような行動を取らないので、兄に「本気」で褒められた事にテ

レたらしい。



「お前、絵の方面に進みたいんじゃないか、ルパート?ひょっとしたら・・・外国に行って

みたいとか?」

「えっ・・・」

オリバーもトムも、それにダニエルが・・・驚いた。

聞き間違いではないかと、ルパートの事をみんなが注目した。

ルパートが一番驚いた顔をしていた。


「・・・僕、分かんないモン。まだ、分かんない・・・」


「でもとにかくお前も、自分自身で進路を見つけられる大人に成長したって事だ。だろ?」

ジェームズとルパートの遣り取りをみんなが注目していた。



「お前は『将来何になりたいか』を考えられる歳になった・・・言うなれば『大人』だ。大

人はな、ルパート・・・時には辛い事も受け入れなくてはイケナイ時があるんだ」

「じゃ、僕大人になんかならないよ!僕、今のままがホントは一番いいモン!一番好きだモ

ン!いつまでもみんなとこーしてたいモン!」

「そりゃあ無理な話だ、ルパート。例えば・・・いつかはオリバーは結婚する」

「おい・・・」

オリバーが突然自分に話を振られ驚いた。

「オリバーの嫁さんがここに住んだら、俺達はどうしても出て行かなくちゃいけなくなる」

「じゃ、オリバー以外のみんなで住めばいいんだよ!違うお家に・・・」

「だから、無理なんだって・・・。オリバーが結婚すれば、多分次は順番からいって俺だ」

「・・・・・」

「俺が結婚すれば今度はトム・・・それにお前やダニエル・・・」

「だいじょーぶ!僕はいつまでもルパートと一緒だから!」

ダニエルがジェームズの意見を否定した。

トムは「お前がそれ言う出すと、メンドーになる」と、末っ子の口を押さえた。



「それに、めぐみちゃんだ。めぐみちゃんだって、いつかはここから居なくなる。『しーち

ゃん』の場合、たまたまちょっと順番が早まっただけなんだ。そうは思わないか?」

「思わないよ!だってしーちゃんはカメだモン!だから、ずっとこ・・・」

ルパートはハッとて自分の口を塞いだ。

自分自身で言った言葉が信じられないようだった。


「・・・そうだよ、ルパート。しーちゃんはカメだ。しかも・・・世界でとっても貴重な凄

いカメなんだ。世界中の人がその存在を貴重だと思ってる。お前一人だけのカメじゃないん

だ」

「・・・・・」

ルパートの瞳にまた涙が溜まって来た。



「・・・良い子だな。ホントはもう分かってるんだモンな?お前は、しーちゃんをここに置

いておけないってホントは分かってるんだ。大好きだから離れたくない・・・これは当たり

前だ。けど、お前はホントはもう分かってるんだ。な?」

ルパートが突如、抑えていたものを吐き出すように泣き出した。


「ヨシヨシ・・・良い子だ。うん、みんな分かってる。うんうん。婆さん・・・もう大丈夫

だ。コイツ、ちゃーんと自分で納得した」

「・・・スッゲェな、ジェム爺・・・」

トムが恐れ入った。

おそらく、誰にもルパートを言い包められないと思っていたからだ。



「ルパート・・・一つ『秘密』を教えようか?実はオリ婆はな、ホントは『レインボー』や

りたくなかったんだぜ?」

「おいっ・・・」

オリバーはニヤニヤ笑っているジェームズを睨んだ。

「俺達の『オニイチャン』は、お袋が居なくなっちまったんで仕方なく後を継いだんだ」

オリバーは苦々しくジェームズを見つめていたが、否定はしなかった。


「俺達二人は、まぁ・・・言うなれば、人一倍早く大人にならなきゃならなかったし、自由

な選択を求められなかった。親父とお袋居なくなっちまったから、お前達の『親代わり』し

なきゃならなかったからな。中学生のガキがだぜ?ホント、良くやったって思うよ」

トムは二人の力になれなかった事を、申し訳なさそうにして少し下を向いた。



「でも、俺は結構『子育て』を楽しんだ。でも、それはオリバーが俺以上に色々がんばって

くれたからだ」

「・・・何言ってる、お前だって」

オリバーは謙虚な弟をフォローした。


「俺達は、大任をそこそこ成功させたって思ってる。父ちゃんと母ちゃんに胸張って自慢出

来る。お前らは、まぁ・・・そこそこマトモに育ってくれた」

トムは一瞬、喉元まで「ルパートのおっぺけ」ぶりをツッコもうと思ったが、今は止めてお

いた。



「なぁ、ルパート?『しーちゃんが最初から居なかったら良かったのに』とか思うなよ?『

しーちゃん』が居たから今のお前があるんだ。お前の成長は、『しーちゃんの存在』無くし

ては語れないぜ?物事にはさ、『○○じゃなかったら良かったのに』とか『最初から無けれ

ば良かったのに』なんてモンは無いって俺は思う。この世に存在している全てのモノは・・

・そして出来事にはちゃーんと意味があるんだ。しーちゃんがお前に買われてここにやって

来た意味はちゃんとあるんだ」

「・・・『正義の味方』にも?」

ダニエルが突然、不思議な質問をしてきた。

なぜだか目にじんわりと涙を溜めていた。


「勿論だ。きっと何か意味があると思う。今はそれを感じられなくたって、絶対に意味はあ

るはずなんだ。だから、俺達はこれからも必要とあれば、あのオカシな変身スーツ着て戦わ

ないとイケナイ。虫に食われないように、時々は箪笥から出して虫干しするんだぞ、お前ら

?」

ダニエルは頷き、トムは「ケッ!」とソッポを向き、そしてルパートは大人しくしていた。



「お前が『OK』出すまでは、俺達は研究所に『しーちゃん』を引き取りには来させない。

とにかく自分が納得するまで良く考えてくれ。さぁ、みんな寝るぞ!もう十二時過ぎてる!

はい、解散!解散!」

ジェームズは手をパンパンと叩き、みんなの腰を持ち上げさせた。

トムは「ったく・・・誰の長話が原因だと思ってんだ?」とブツブツ言ったが、それは敢え

て「いつもの自分らしさ」を演出した表現だったのだろう。

トムも実際には、沢山考えさせられる事がこの数十分の中にあった。



「行こ、ルパート・・・」

ダニエルがルパートを立ち上がらせ、手を差し出した。

「うん・・・おやすみ、さい」

赤い目だったが、ルパートはもう涙を流してはいなかった。

ショボ付く目は、何かを静かに受け入れ、一つ強くなったかのようである。


「寝ションベンするなよな!」

「ダニエルに襲われんなよ!」

「歯、磨けよ!」


兄達がニヤニヤしながら、変わる変わる二人に声を掛ける。



「・・・今、誰か『余計な事』一つ言ったようだったけど?」

ダニエルはジロッとその張本人・・・ジェームズを睨んだ。

ジェームズはダニエルに「変顔のアッカンベー」をして、「ガハハ♪」と豪快に笑った。

ダニエルは次男を睨み付けながら、ルパートと共に寝室に向かった。


双子とトム、それにめぐみは暫く居間に居て何やら話していた。

だが、流石に深夜一時を知らせる壁掛け時計が鳴ったので、みんなは就寝に就いた。

 

 




「大変だぁー!」


翌朝・・・かなり早い時間に、ダニエルの叫び声でみんなが目を覚ました。



「どうした!?」

オリバーが問い質す。

「ルパートが布団に居ないんだよ!『しーちゃん』も庭に居ない!」

「えっ!?」

誰よりもジェームズの声が大きかった。


「・・・ルパート、『しーちゃん』を連れて出て行っちゃったのかな。どうしよう・・・」

「・・・・・」

オリバーは困った。

今日は木曜日だ・・・ルパートを探すのに店は休めない。

ジェームズは、「俺の言い方、やっぱマズかったか?」と自分を責めた。



「ったく、世話の焼ける奴だ・・・手分けして探そうぜ」

トムが深刻な顔で言った。

「いや・・・探さなくていい」

「え?」

長男の言葉に、みんながキョトンとした。


「大丈夫だ・・・ルパートは帰って来る。『しーちゃん』を連れて戻って来る。俺はアイツ

を信じてみる」

オリバーは庭を見つめた。

昨日収穫し忘れた「幸子」が一本無くなっていた・・・「しーちゃん用」にルパートがおそ

らく持って行ったのだ。

「ルパートを敢えて探さない」と言うのは、次男へ対してのオリバーなりの優しさだった。

ジェームズが昨日、あれだけ時間を割いて語った想いを不意にしない配慮だった。

それに、何よりルパートの事も信じたかった。



「さ・・・少し早いが、朝飯にしよう。いつも通りだ」

オリバーの掛け声で一同はその場を解散した・・・「池照家の家訓」に則った。


「長男に従うべし」

 

 




ルパートはしーちゃんと共に「荒川」の土手に居た。


「しーちゃん・・・ここから逃げてもいーんだよ?」

ルパートが荒川を指差し、カメに話し掛けた。

「・・・どーして『世界遺産』なんかに生まれちゃったの?んもぅ・・・早く言ってくれれ

ば良かったのに。お馬鹿さん!僕、そーいうの困るんだよねー」

勿論、しーちゃんは何も言葉を返さない。



「・・・ここを良く見ておきなよね?僕の家はココの近くだからね?もし・・・苛められて

悲しくなったら、いつでも帰って来ていいんだからね?」

勿論、しーちゃんは何も語らない。


「しーちゃんっ!」


ルパートが感極まって、ギュッとカメの甲羅を抱き締めた。

ゴツゴツの甲羅に顔を埋めて、思いっきり抱き締めた。

「・・・しーちゃん、カメ臭い・・・」

ガバッと顔を上げたルパート・・・鼻を押さえている。


そしてしーちゃんと共に川の流れを何時間も何時間も一緒に見つめ続け、夕焼け空になった

頃、腰を上げた。

「・・・行こっか」

 

 



「ただいま」

夕飯の支度中、ルパートが家に帰って来た。


「お〜・・・お、おかえりルパート。は、腹減ってるだろ?今晩飯作ってるからな?今日は

凄いぞ!お前の好きなモノばっかだぞ!えっと・・・で、『しーちゃん』は?」

「・・・庭」

オリバーは、ルパートが学校をズル休みした事や今日一日どうやって過ごして来たのかは聞

かなかった。



「オリバー・・・」

「何だ?」

ハイテンションで弟を迎えたオリバーだったが、ルパートの方はテンションが低かった。

「『オジサン』に電話してよ。『今からしーちゃんを取りに来てください』って」

「・・・え、今?」

「うん。僕、明日になったらまた『ヤダ』って言っちゃいそうだから。だから・・オジサン

に電話して」

「・・・いいのか、ホントに?」

「うん、いいの。しーちゃんにもちゃんとこれからの事お話してあげたし。しーちゃんも分

かったと思うから」

ルパートはションボリしていたが言い切った。

「・・・分かった」


オリバーは濡れた手をエプロンで拭き、居間の電話の受話器を取りダイヤルした。

まだ家に帰って居ないジェームズ以外は、様子を合わせたように居間に集まって来た。

 

 


「おーい、ルパート!『しーちゃん』にバイバイしなくていいのかー!?」


夜九時半過ぎ、研究所のワゴンが池照家の前に止まっていた。

研究員が運転する車の助手席には熊谷教授が乗っていた。



「・・・教授。もう行ってください。アイツ、来ないみたいだし」

「何だか、胸が痛みます」

熊谷は悲痛な表情をした。

「納得したんで大丈夫です。今は落ち込んでますが、二・三日すればすぐに元気になります

。アイツはそういう奴なんで」

「日本にあのカメが居る間は、『どうぞ毎日でも会いにおいで』と伝えてください。エクア

ドル政府からまだ『受け入れ許可』の連絡が無いので・・・」

「分かりました。ありがとうございます」

「では・・・」

熊谷と運転手が頭を下げ、ワゴンはゆっくり池照家を後にした。

 



「行っちゃったぞ、しーちゃん?良かったのか?」

オリバーとトムとダニエル・・・それにめぐみが、布団を被って丸まっているルパートに声

を掛けた。

ルパートは返事をしなかった。


「『いつでも会いにおいで』ってよ・・・良かったな?」

トムが話し掛けても、ルパートは返事し無かった。


「ルパート?大丈夫?」

ダニエルが布団に手を遣った・・・震えている。

「・・・ルパート?」

ダニエルは布団を捲った。


「!」


ルパートは体を小さく折り曲げて布団に突っ伏しながら、泣き声が上がらないように洋服の

袖を噛んで泣いていた。

みんなの顔が強張った。

こんなに悲しい人間の顔を見た事は無かった。

そして、そんな表情をしているのが兄弟の一人だと言う事が余計に辛かった。



「ル・・・」

ダニエルがルパートに覆い被さり、一緒になって泣き出した。

感情が普段は分かり辛いめぐみも、瞳から涙の筋をツーッと一本零した。

トムの眉が下がり、口は不自然にワナ付いていた。

「・・・っ鹿だなぁ、お前・・・見送りにどーして来なかったんだよ」

オリバーがやっとの事で声を発した。


「・・・いー、ちゃんがぁ〜・・・僕の、い、ちゃん・・・った・・・行っ・・・ゃった・

・・ヤダ、お〜・・・ホントは、ヤ、ダよぉ〜・・・」

ダニエルがギューッと強くルパートを抱き締めた。

トムはダッと踵(きびす)を返してその場から居なくなった。

バタバタと階段を下りて、玄関のドアをガラッと開ける音がした。

庭にでも行ったのだろう・・・。

めぐみは立ったまま、流れ出る涙を太い指でしきりに拭っていた。

 



「どしたんだよ、お前・・・」


ジェームズがたまたま帰って来て、庭先でしゃがみ込んでいた三男に声を掛けた。


「何でも無ぇっ!」


トムはまさか次男に見つかるとは思って無かったようだ。

恥ずかしそうに、慌てて親指の腹で瞼を押さえた。



「・・・そうか。しーちゃん・・・行っちゃったんだ?」

庭から二階に目を遣ったジェームズは、ルパートの部屋の窓を開けて、ボーっと遠くを見つ

めているオリバーを見つけた。


「・・・幸せなカメだな、アイツ・・・。ほら立てよ、トム。ケーキあるぞ?店の残りモン

だけどな。一人五つずつノルマな?」

「馬鹿!そんなに食えっか!」

「俺は食えるぜ?」

「アンタとめぐみだけだ!俺には牛みたいな胃は無ぇんだ」

二人は互いに悪態を付きながら、共に家に入って行った。



東京にしては珍しく沢山の星が見れ取れる、透き通るような夜空の日だった。



第二十話完結       第二十一話に続く       オーロラ目次へ       トップページへ