第二十一話「幸せ色のカンバス」


「オーロラ5★」の変身スーツ姿の五人が、ダラダラお喋りしながら家に帰って来た。

暦は七月に入っていた・・・今日はその七月最初の日曜日である。

紫陽花が各家の庭先で枯れ始めている・・・そろそろ気象庁が、「梅雨明けをいつ発表しよ

うか?」と悩んでいる頃だ。


今年は雨が少なかった。

早くも蝉の鳴き声が聞こえ始めている。

暑さに堪らずヘルメットを取ってダラダラ歩いている大きい三人の兄と、メットを装着した

まま「正義の味方ごっこ」中の下の二人の弟・・・兄弟と言えども対照的だ。


「エレクトリカル・ファイヤー・ギガ・ビーーーーームッ!」


ダニエルがルパートに向かって「エアー・ビーム」を放った。

「でもそのビームは僕に当たらなかったのね。『スーパー・メガメガ・マックマック・

超超パァ〜ンチ』
!」

「うわぁっ!」

ダニエルが攻撃を受けた(受けてくれた)ので、ルパートは上機嫌だ。

馬鹿げた高笑いの演技をして、腰に手を当てている。


「・・・どう考えても、お前の攻撃の方が弱そうじゃねぇか?」

トムが情けない攻撃技の名前にケッと毒づくと、ルパートはその兄に向かって自慢の「ス

ーパー・メガメガ・マックマック・超超パァ〜ンチ!」
をお見舞いし、それはたまたま

トムの鳩尾に入ってしまい、意外にも結構なダメージを与えた。

そして勿論・・・トムの逆鱗に触れる事となる。


「てっめぇ〜・・・おぃっ、逃げんなっ!

トムは胃の辺りを押さえながら、逃げ出す四男と末っ子を追い掛けた。

「元気だねぇ、アイツ等・・・やっぱ十代は違うや〜ね、婆さん?」

「んだねぇ、爺さん」

二人の「ご隠居」は・・・いや、大人の(二十代)双子は、段々見えなくなって行く三人の弟

達を、まるで「若き日の想い出」を見つめるような「悟り顔」で見送った。

 




「めぐみちゃーん!タオルくれるー?五枚!」


家に到着すると、玄関先でオリバーが大声を出した。

トムは無駄に走った為、息が上がって入り口付近でゼエゼエしている。

めぐみは居間で煎餅を食べながら日曜日の「いいとも増刊号」を見ていたが、「はい〜」と

濁音気味の語尾上がりで返事をし、バスタオルを指定枚数持って玄関まで兄弟達を出迎えに

行った。

みんな汗と泥でドロドロだ。

メットをしたままだった下の二人は、走ったせいもあって尋常じゃ無い汗の量である。


「お疲れ様ですぅ〜、本木さんのお婆ちゃん家の庭の草むしり。麦茶冷えてますよ〜」

めぐみがみんなに労いの声を掛けた。

「あそこん家、無駄にデカイんだよな、庭・・・」

ジェームズが蚊に刺された個所をボリボリ掻きながら足を拭いている。

「オリバー!僕達、庭にプール出して遊んでもいい?」

ダニエルが長男に伺いを立てた。

二人の弟の汚れは特に酷い。

風呂場で体を流すと、排水溝が詰まりそうなほどだ。


「いいけど・・・本来『子供用のプール』なんだぞ、アレは。流石にそろそろ『卒業』して

もいーんじゃないのか?大体、水に入るには流石に寒いだろ?」

オリバーはいつまで経っても子供っぽい弟達に今日もガッカリだ。

「構わねぇ、構わねぇ!お前らは庭のプールで充分だ。昔のことわざ通りで『何とかは風邪

引かない』って言うしな。って事で、俺シャワー一番っ!」

「待てっ!ズリィ〜ぞ、トム!ジェームズ様が先だ!」

トムがさっさとブーツを脱いで、一番最初に浴室に消えた。

その後をジェームズが慌てて追い掛ける。

「ホント喧しいよな、うちって・・・」

たまの日曜日・・・。

オリバーは本来なら、のんびりゴロ寝でもしながら冷蔵庫で冷やしてある水ようかんでも食

べ、マッタリと過ごしたい気分なのだ。

その兄のささやかな願いなど、この家の住人には誰にも届かないらしい。



「あ、オリバーさ〜ん。久しぶりに『決闘状』が届いてますよ〜。『閣下さん』から」

めぐみが手紙を差し出した。

ファンシーな「スヌーピー」柄の便箋に不釣り合いな無駄な達筆・・・正しく「スネイプ閣

下」からのモノだ。

オリバーは、「閣下さん」と言うめぐみの台詞に心の中で笑ってしまった。

「蝉」に折られてある、凝った細工の若干広げるのに面倒臭い手紙を広げてみる。


「拝啓・・・ご無沙汰しております、池照家の皆々様方。毎日暑い日が続きますが、お変わ

りありませんか?私達は冬にメンバー全員で仲良く罹(わずら)った『ノロウィルス』から復

活し、今はみな元気で過ごしております。さて、七月に入りました。そこで今月のご予定で

もし空いているなら、第三日曜日の昼頃、いつもの場所で久しぶりに決闘などを・・・」

スネイプ閣下らしい、至極丁寧な言い回し(無駄に回りくどい)の果し状だ。


「・・・この人、このアチー中、また家までわざわざ持って来たの、コレ?」

オリバーが紙をヒラヒラさせながらめぐみに確認した。

いつも通り、「切手」の貼られていない封筒・・・。

「はい〜。ランニングのルートだからツイデだとかで・・・。『体脂肪が二%減った』と喜

んでましたよ〜」

「詳しい場所は知らないけど、確か結構遠いはずだぞ、閣下ん家。ふ〜ん・・・相変わらず

健康に気を使ってるよなぁ、あの人。えっと、あ〜・・・」

オリバーは、「魔子」の事を何か閣下がチラとでも語らなかったかと思った。

が、めぐみに確認する勇気が無く、諦めた。

まぁ・・・魔子に何か変わった事でもあれば、おそらく風の便りに乗って自分の耳にも聞こ

えて来るはずだろう・・・。

勿論、「何か変わった事」など望んでいないオリバーだ。

 


「あれ、そっちの封筒は?」

オリバーはめぐみがもう一枚手紙を持っている事に気付いた。

上品な薔薇柄の封筒で、封筒からも薔薇の香りが匂っている。

「あ、こンれはレオンハルトさんからです〜。夏休みに行く場所のパンフレットが入ってる

から読んでおいてくれって・・・」

「え、夏休み?俺達の都合も聞かないで何で勝手に決めてんだ、アイツ?」

「へ?」

「え・・・何?」

どうも話が食い違っているようだ。

「いンえ・・・この旅行、私が誘われたので・・・」

「え・・・って事は、めぐみちゃん・・・『だけ』?」

「はい〜」

「じゃ、何・・・めぐみちゃんはレオンハルトと二人だけで旅行を・・・?」

「はい〜」

オリバーは何度も同じ事を確認した。

そして・・・。

 


「ダメだぁーーーーーーーーーっ!」


家中に響き渡るオリバーの大声・・・。

浴室でシャワーの取り合いっこをしていた裸のジェームズとトムは、抱き合って「うぉっ

!」
と言ってビックリしたし、庭の弟二人も「わぁっ!」と抱き合った。

(ダニエルは突如訪れた「ラッキー」に、なかなかルパートを離さなかった)

めぐみは何度か目をシパシパ瞬かせていた。



「おったまげたぁ・・・どーしたんですかぁ〜、オリバーさ〜ん?」

いきなりオリバーに至近距離で大声を上げられたので、流石のめぐみも驚いていた。

「だって、アイツと二人でって事は二人だけで旅行って事で、それはつまり・・・え、と・

・・」

オリバーは怒鳴ったものの、少し考えて「何かおかしいぞ?」と思った。

レオンハルトは成人した・・・しかも自分達より年上の立派な大人だし(今年レオンハルト

は二十七歳になる
)、めぐみだって二十歳を超えた成人した女性・・・。

大人の二人が計画して行く旅行・・・それに自分がとやかく介入するのは変である。

第一、  めぐみは家族でも無ければ自分の想い人でも何でもない。

引き留める理由はハッキリ言って・・・無い。


「そうだよな、はは・・・ごめん、いいんだった。めぐみちゃんが誰とどこに旅行しようが

自由だもんな。ほら・・・何て言うか、ずっと一緒に居るもんだからさ、何だかもうめぐみ

ちゃんが俺達の家族って言うか兄妹って言うか・・・で、思わず反対を・・・。ごめん、好

きにしてくれ。あ、土産とかは気にしないでいいからね。楽しんでおいで」

「・・・・・」

オリバーはポケッとしているめぐみをそこに置いて、「何言ってんだかね、俺」とポリポリ

頭を掻きながら、麦茶を飲もうと台所へ向かった。

 

 

 


「そンれ、何見てんですか〜、トムさ〜ん?」

めぐみはその日の夕方、洗濯物を畳みながらトムに声を掛けた。

夏の日差しは夕暮れと言えどもまだ落ちる気配は無い。

家の中は、電気を付けなくても日の光だけで充分明るかった。

トムはラフな格好で居間の座布団を枕代わりにしてゴロリと寝転がり、団扇(うちわ)で自分

をパタパタ扇ぎながら何やら紙に目を通している。


「さっき庭で拾ったんだ。『幸子(オリバーが育てているプランターのきゅうり)』の近くで

な」

トムは先ほど長男の命令を受けて、「夕方の庭の水やり」をした所だ。

今日は「正義の味方」意外にバイトを入れていなかった彼なので、いつになくゆったりとし

た休日を過ごしている。

庭でプール遊びをしていたはずの二人の弟達は長男にせっつかれ、彼らの部屋で宿題をして

いるので大人しい。

(が・・・実際の所、二人は今夕寝中だ。くるんと丸まって畳に直に眠っているルパートの

体に腕を撒き付けてダニエルも寝ている。ルパートの腰には、まるで「僕のだ」と言わんば

かりに、すね毛だらけの片足を乗せていたダニエル
)


「何が書いてあるんですか〜?」

「それを今解読中だ。けど多分・・・これは『かごめかごめ』の歌詞じゃねぇかな?」

「え?」

「童謡の『かごめかごめ』・・・知ってんだろ?かなり字が滲んじまってるから微妙だけど

、多分・・・間違い無い」

「『か〜ごめ、かごめ〜、か〜ごのな〜かのと〜り〜は〜・・・』ってアレですよね〜?」

「・・・お前が歌うと何でもシャンソンみたいに聞こえるな。ま、そうだ・・・それだ」

めぐみは(こんなでも)フランス育ちだったので、その名残が歌に残っていた。

フッとした瞬間の言葉が、たま〜にフランス語風秋田弁と言う「特殊な変わり言葉」になっ

ている事もある。


「誰かが落してったんですかね〜?風か何かで庭に入って来たとか・・・」

「違う。埋まってたんだ。ビニール袋に入ってた。雨とか風とか色々あって外に出て来たっ

て感じだ。じゃなかったら、『しーちゃん』辺りが少し前に掘り起こしてたのかもな」

今はもう居ない、四男のペットを想ったトム。

「ルパートさん、意外と早く元気になって良かったです〜」

「フン!大騒ぎしていたくせに、案外と薄情な野郎だぜ。居なくなりゃさっさを忘れる」

「そうでも無いですよ〜。ルパートさん、いつも『しーちゃん』の健康を願って仏壇にお線

香上げてますから〜。きゅうりと一緒に」

「別にあのカメは死んだ訳じゃねーぞ?アイツはホント馬鹿だぜ」

そうは言っても、池照家の人間はそれぞれ「しーちゃん」の存在意義を認めていたようだ。

ノシノシ歩く大きな物体が一つ姿を消し(もう一つは間違い無く「めぐみ」)、少しばかり家

が広くなったような錯覚を起こしている。

トムはたまに輪ゴムを「しーちゃん」の甲羅に向かって打ち込んでいたが、その存在が居な

くなり、今では指にセットした輪ゴムの打ち込み場所が無くなって少し寂しい状態だ。

(所在なくなった輪ゴムは、今は仕方なく「元飼い主」のお尻に打ち込む事にしていた)



トムは目を細め、紙を透かしたり斜めに読んでみたりしている。

「何か問題あるんですかぁ、その歌詞?」

「いや・・・わざわざあんなトコに埋められていたんだからよ・・・宝の在り処とかがこの

歌詞に隠されていたりしねぇかなってな・・・。大体コレ、すっげぇ古い紙だぜ?」

「あンらぁ〜、トムさんってロマンチストなんですね〜♪『宝の在り処』なんて〜・・・」

「・・・・・」

トムはムスッとして少し赤くなった。

めぐみ相手に馬鹿げた事を言ってしまったと、今更ながらに後悔した。

ちょっと子供っぽい事を考え過ぎたと今更ながらにテレて、「フンッ」とその辺に紙を放っ

た。

 


「・・・そー言えばオリ婆に聞いたんだけどよ・・・お前、その・・・何だよ?あれか?レ

オンハルトの奴と夏休みにどっか出掛けんの?」

話題を変えたトム。

「はい〜。レオンハルトさんの講習会が終わった辺りに、『葉山の別荘に旅行』のお誘いを

受けました〜」

「・・・・・」

「何か〜?」

「・・・別に。何か土産買って来いよな。いい物!けど、アイツもホント物好きだぜ・・・

トドを誘って別荘とはね」

トムは意地悪な顔で笑って見せた。

「トムさんも一緒にいかがですか〜?」

「行かねーよ!第一、俺は誘われて無ぇ」

「レオンハルトさん、トムさんならきっと喜びますよ〜?」

「どうだかな・・・。アイツは今お前に・・・」

「?」

「・・・何でも無ぇ」

トムはそのまま黙ってしまった。

めぐみは不思議そうに暫くトムを見つめていたが、「かごめかごめ」の歌詞が書いてある紙

を拾い上げた。



「そう言えば〜・・・」

めぐみは紙をちゃぶ台の上に置き、洗濯物の山から次に畳むモノを引っ張り出して物想うよ

うな表情をした。

「昔、じーちゃんの行方知れずの手掛かりを実家で調べている時、じーちゃんの本棚で『か

ごめかごめ』見たっけな〜」

「?」

「じーちゃんはちょっとがめつくて、一攫千金を狙ってるような人で・・・。んで、『かご

めかごめ』を・・・そンだぁ〜・・・思い出した〜。知ってますか〜、トムさ〜ん?『かご

めかごめ』の歌詞の秘密」

「『かごめかごめの歌詞の秘密』?そんなもんあんのか?単なる童謡だろ、アレ」

「違います〜。『かごめかごめ』の歌詞には、『徳川埋蔵金』の隠し場所が暗示されてるっ

て」

「は?」

「以前テレビでもそういう特集組まれてましたよ〜。確か『糸井重里』さんが番組やってた

っけなぁ〜・・・。もうあの続きはやらねーんかなぁ〜」

トムはガバッとちゃぶ台の上の紙を掴んだ・・・そして、ジッとまた紙に目を通す。

そして「まさかな」と思い、鼻で笑う彼。

フッとめぐみを見やると・・・。


「ゲッ!」


めぐみは洗濯物の中から丁度トムのパンツを持ち上げた所だった。


俺の下着はいい!触んなっ!自分で畳む!そっちのダニエルのパンツでも畳め!」

トムは洗濯物の山の中から自分の下着を全て探して奪い取り、末っ子の紫色のパンツを指差

した。

「紫色の下着」・・・コレは、今は懐かしい「ルパートと共に家出」した時の、ダニエルの

「勝負パンツ」だ。

ルパートが池照家に入った泥棒を「お父さんだった」と言った事で、オリバーが「嘘を付く

な!」と怒鳴って始まったあの懐かしのケンカ・・・。

その後、弟達はタッグを組んで家出し、「赤ヒゲの和尚」の寺で一泊した。

雨の中、三人の兄達は血眼になって弟探しをした。

今となっては半分笑い話だ。

思えば・・・めぐみはあの日を境に「池照家の住人」として加わったのだった。

結局、あの泥棒は誰だったのだろう・・・オリバーは今更ながらに時々思う。

答えは依然「闇の中」だ。

 


トムはフッと仏壇に目を遣った。

「そういや・・・また『お盆』の時期になるんだな・・・」

「東京は七月ですもんねぇ〜、お盆・・・」

トムはめぐみがダニエルの下着を畳むのを見つめながら、この家から何年も前に存在の無く

なった両親の事を考えた。


小学生だったトム・・・夕方学校から帰って来ると、家の前が騒然としていた。

テレビカメラが多数と記者が何人か家の前に居て、それにオリバーが対応していた。

まだ中学生だったオリバーだが、記者からの辛い質問にも淡々と答えていた。

脇に立っているジェームズが異様に神妙な顔付きだった事を覚えている。

記者達から根掘り葉掘り様々な事を聞かれても、オリバーは「さぁ、僕達には分かりません

」とか「知りません」とか・・・そんな風に答えていた。

ただ、あの時のオリバーは弟目から見て顔面蒼白だった。

両親の事件の事、これからの事、今すぐにしなくてはイケナイ事・・・そういう様々モノが

十代半ばに差し掛かったばかりの彼の細い肩に、ドッと一遍に圧し掛かって来たのだ。

ジェームズが兄の後ろに控えて、小声で「大丈夫だ。俺が居る」と言っていたが・・・多分

、あの時のオリバーにはその優しい気遣いの弟の言葉は聞こえていなかったはずだ。

根っからの長男気質で責任感が人一倍強いオリバーだが、流石にあの時ばかりはたった二本

の足で自分の体を支えている事は辛かったであろう。

いや・・・「自分」だけでは無い。

彼はあの時、「兄弟みんなの重み」を二本の足で支えていたのだ。

 


「夕飯・・・何にしましょうかね〜、トムさ〜ん?」

めぐみがそこに居る事を一瞬忘れていたトムの意識が、約八年前から現代に戻って来た。

「・・・サッパリした美味いモノ」

トムは意識なくそう答えた。

庭に咲いた紫陽花はそろそろ枯れようとしている。

空は雲行きが少し怪しくなって来た。

ひと雨降りそうだ。

何度か雨を齎(もたら)しながら、日本は一日一日暑くなって行く。

七月・・・日本列島に本格的な夏が到来しようとしていた。


「でもダニエルさん・・・このパンツで『はみ出ない』んですかね〜?」

「あ?」

めぐみの呟きにトムが顔を向けた。

めぐみはダニエルのパンツを目の高さまで持ち上げ、ジッと見つめている。

「・・・おチンチン・・・はみ出ないんですかねぇ〜?」

馬鹿野郎っ!若い女がそーいう事口にすんな!恥じらいってーのが無ぇのか、てめぇに

は!」

「すんませ〜ん」

トムは「ここに居ると調子が狂う」と思い、「飯になったら呼べ!」とめぐみに言い放ち、

自分の部屋に上がって行った。

感傷的になった気持ちが一瞬にして吹っ飛んで行ってしまったトムだ。


「ったく・・・」

但し、トムも階段を上がりながらちょっと考えた。

「確かにあの中に収まるのは・・・ダニエルのはどーいう事になってるんだ?」

弟の下半身問題に突如「興味と疑問と関心」を持ち、暫くしてブルブルと頭を振った。

「おいおい、もう少し楽し事考えようぜ・・・俺の頭」

まぁ・・・おそらくめぐみにとっては、ダニエルに全く「男」を感じていないのだろう。

大体、下の弟二人は素っ裸のまま平気でめぐみの周りを鬼ごっこして遊ぶような、幼稚な兄

弟なのだ。
(体の方はちっとも幼稚では無かったが・・・)

 



「ヘックシッ!」


ダニエルがクシャミをしながら夕寝から目覚めた。

階段を上がって来たトムが、丁度彼の部屋に入った所だった。


「ダン・・・風邪?」

ルパートはいつの間にか起きていたらしい。

珍しく学習机に向かって真面目に宿題に取り掛かっていた。


ルパートの机の所にはヘンテコなモノが散乱している。

「小学校の時作った粘土細工」やら「何かの切り取り」、「何年も前に引いた大吉のおみくじ」、「買ったドリ

ンクに付いていたストラップ」などだ。

ルパートは他人にとってはゴミのようなモノを、後生大事に取っておく所がある。

むしろ、大事な「学校からのお知らせ」や「通信簿」、「テストの答案」などの方が良く捨てる。


彼は本来なら受験生のはずである

が、相変わらず「進路」は未定のようだ。


「ううん、風邪じゃないよ・・・あ、ルパート。そこ違ってるよ。そこの読み方はね、『も

っぱら』だよ」

兄のノートを覗き込んで正しく訂正してやる弟。

「へぇ〜・・・『もっぱら』か。ダンって頭いいよね〜♪」

「えへへ、そうでもないよ♪って言うかね、多分これは小学校で習ってると思うよ?」

「そーだっけ?」

ルパート・・・相変わらずである。

「専ら」・・・の所に、彼は「ばらば()」と書いていた。


「あれ、それ何?」

ダニエルはルパートのノートの下に、英語のような文字が書いてあるパンフレットと手紙を

見つけた。

「ううん、何でもないよ」

ルパートは消しゴムで「ばらばら」を消し、「もっぱら」と書き直した。

 

 



台所ではトントンと言う包丁の音と、いい匂いが立ち込め始めている。

時刻は六時過ぎ・・オリバーとめぐみが共に夕飯の準備をしていた。


ブビーッ♪


壊れて調子っぱずれな音を出す玄関のチャイムが鳴った。



「悪い、めぐみちゃん・・・俺、今手が離せない。出てくれる?多分ジェームズだ。きっと

また鍵持たないで出掛けて行ったんだ、アイツ・・・」

「はい〜」

めぐみは天ぷら揚げに奮闘中のオリバーに指示されて、途中まで摩り下ろしていた大根を一

先ず置き、ノシノシと玄関に出て行った。


「今開けますよ〜、ジェームズさ〜ん?」

厄介な昔ながらの錆び気味の内鍵を開け、ガラガラと扉を横に引くめぐみ。

通常なら自分の十センチ強も上にあるジェームズの頭だったが・・・今はそこには何も存在

していない。

めぐみの視線はグググと、一気に二十センチ以上下に下がる。

訪問者が自分の腰辺りまでしか身長が無かったからだ。


「あンれっ!?婆ちゃんっ?!」


「元気にしとったかね、めぐみ?どれ・・・上がらせて貰うよ?」

秋田の田舎に居るはずのめぐみの婆さん・・・蒲生ミエだ。

「どうぞ」の声も聞かずに中に入って来て、「よっこらしゃーのしゃ」と自分の背負ってい

たパンパンに膨れ上がったリュックサックを玄関の上がり口に置くミエ。


「とぅっ!」


仮面を付けたルパートが壁に潜んでいて、「刀」に見立てた丸めた新聞紙をめぐみだと思っ

て婆さんに降り上げた。


「きぇーーーーーいッ!」


「うわわっ」

ルパートは婆さんが繰り出した素早い「手(しゅ)とう」に阻まれ、ドタンと尻餅を付いた。

「あ、お婆ちゃんだー!」

「こんぬつわ(こんにちは)

婆さんはルパートを起こしてやり、ルパートの頭を撫でた。

「大っきくなっだな、おめ。幾つになっだ?」

「僕、十七歳!あと多分百回くらい寝たら十八歳!」

「そうか〜・・・相変わらずめんこいなぁ、おめ」

「僕、『おめ』って名前じゃないよ。僕、池照ルパート。そして十七歳。だから高校三年生

。得意な科目は美術で嫌いなのは国語だよ!」

「・・・・・」

イマイチ不思議な会話に、流石のミエも「?」と成らざるを得なかった。



「お客さん誰だったの、めぐみちゃん?」

オリバーが菜箸を手に持ったまま台所から首だけ出して玄関を確認した。

「あれっ?」

「暫く世話になんど〜、オニイチャ〜ン」

「・・・え?」

いきなりの「ミエの登場」を把握できていないオリバー・・・。

それに、久しぶりの「めぐみ以上の語尾上がり」にもビックリだ。

呆気に取られているオリバーを殆ど無視して、ミエは勝手知ったるかのように「ここ、便所

かね?」とトイレのドアを開け、中に姿を消した。


「え、え、え・・・どういう事?来るって言ってたっけ?めぐみちゃんのお婆ちゃん?」

オリバーはめぐみに確認した。

「分かんね・・・何のつもりだろ、婆ちゃん?なぁ、婆ちゃん?なして、東京さ出て来たん

だ?なぁ、婆ちゃんったらよぉ〜?」

めぐみがドンドンとトイレのドアを叩いた。

「出るまで待っでろ〜、めぐみ〜。今出るがら〜・・・」

めぐみ以上の濁音で喋るめぐみの祖母・・・蒲生ミエ。

御歳83歳・・・まだまだ現役バリバリだ。

コロコロした体形がチャームポイントの丸々とした婆さんだ。

但し彼女・・・「独特な能力」があるせいか、眼光だけは鷲のように鋭い。

一睨みされれば、小さな子供なら泣き出してしまいそうな眼力だ。

 


「じーちゃんの消息の件、どうなっでるがど思ってな」

トイレから出たミエは、「初めての池照家訪問」とは到底思えないかのように居間に入り、

どこからかチャッカリ座布団を探し出して来てチョコンとそれに座った。

めぐみは気まずそうに俯いた。

爺さんを探す名目で東京に出て来ているはずなのに、最近すっかりその事を忘れ、自分の楽

しみ中心の生活をしてしまっていたからだ。


「あの・・・あのな、婆ちゃん?私、えっと・・・」

恐る恐る話し掛けるめぐみ・・・こういう感じのめぐみも珍しい。

「何もしとらんかっただね?んまぁ〜・・・別におめを責める訳じゃね〜んだ。おめはまだ

若ぇ・・・んだから若い娘が東京さ来たら、そりゃあ楽しい事ばかりになっちまう事、婆ち

ゃんよ〜ぐ分がっでる。おめを責めに東京やって来た訳じゃねーんだ。んまぁ、久しぶりに

おめの顔もみなさんの顔も見たくなったでね〜・・・。おめのとーちゃんに言ったら『行っ

てこ―』言ってくれだがら、東京見物がてらに出て来たってー訳だ」

「そうけ〜・・・」

めぐみは少しホッとしてらしい。


「あの・・・お爺さんからは相変わらず連絡とか無いんですか?」

オリバーが聞いてみた。

「無ぇ〜なぁ。あ、お茶くれんかね、アンタ?」

ミエはオリバーに催促した。

余所の家でも、殆ど自分の家の如き振舞っている。

「明日は浅草行きてーな・・・。めぐみ、案内してくれな?」

「えっ、そったら事いきなり言われてもだンな、婆ちゃん・・・」

めぐみはオリバーの顔色を伺った。

めぐみは「喫茶レインボー」のアルバイトだったので、いきなりの休暇を貰うのを躊躇った

のだ。


「お婆ちゃん孝行しておいで、めぐみちゃん。うちは平気だから」

「すンませ〜ん、オリバーさ〜ん」

オリバーの優しい気遣いにめぐみが礼を言う。

「ところで、私まンだ晩飯食べてないんだがね・・・余分にあるかね?」

「・・・あ〜・・・まぁ、うちも今から夕飯なんで」

「いい塩梅だったって事だンな」

ニンマリ笑うミエに、オリバー・・・タジタジだ。

 




その頃・・・。

「トレビア〜ン」の店内。


本日フロアー係を担当しているジェームズは(今日彼は本来仕事がオフだったが、休んだバ

イトの代わりに「オーロラ5★」の仕事を終えてから、臨時で四時間だけ仕事を頼まれてい

)、水差しを持って各テーブルを回っていた。

仕事をそろそろ終えようとしている彼の視界の端では、四人掛けのテーブルを一人で陣取り

ケイタイでメールを打っている女子高生の姿・・・「河合エマ」の姿を捉えていた。



「エマちゃん・・・今日はどうしたって訳?」

ジェームズは水を注ぐついでに彼女に話し掛ける。

「いつも『レインボー』にばかり長い時間入り浸ってたんじゃ、お店に迷惑掛ける事になっ

ちゃうじゃない。万が一にも私がオリバーに嫌われたら、アンタどうする気!だからこーし

てアンタの店で時間潰してんでしょ!」

「・・・その飲み食い代は?自分で払うの?お金、大丈夫なの?」

ジェームズはエマのテーブルにある、「パフェ」だの「ハンバーグ」だの「ポテトフライ」

だの「ジュース」だのの空き皿に目を落とした。

大体・・・オリバーにエマが「万が一嫌われて」も、ジェームズ的には痛くも痒くも無いの

だ。

「何で私が払わなきゃイケナイのよ。アンタの店に私がわざわざ来てやってんのよ!アンタ

がご馳走するのが筋ってもんじゃないのよ?」

はぁっ!?え、と・・・俺、別にエマちゃんの事、今日店に呼んでないはずだったけど

?」

「何よ、その言い方!こんな可愛い私がアンタの店の『インテリア』として、店を明るくし

てやってんじゃないのよ!感謝されて当然でしょ!」

「・・・なるほど、ね。ありがとね、エマちゃん」

「分かればいいのよ。ほら・・・アンタの仕事の時間が一分過ぎたんじゃない!?さっさと

着替えて来なさいよ!ったく・・・人が良いにも程があるわよね。バイトの代わりに自分の

休日潰すなんて・・・。あ、私、帰りにコンビニ寄りたいから!シャープペンの芯切れてた

し」

「・・・オーケー。じゃ、着替えて来るから表で待ってなよ」


ジェームズが喋る五倍も多く喋るエマ・・・話題の付きない女の子だ。

しかし、ジェームズはこんなエマが結構嫌いではない。

「女の子」なんてものは、多かれ少なかれ「我が儘で自分勝手でお喋り好きだ」と思ってい

る。

エマはある意味ユニークだし、会話がポンポン変わる所も楽しい。

自分には女の姉妹は居ないので、彼にとっては少々口の悪い妹のような存在だ。

空いている皿やグラスを下げ、「お先失礼します。あ、25番テーブルの女の子の伝票は俺

の給料に付けておいてください」と店長に残し、ロッカールームに消えたジェームズ。

 



着替え終わって外に出ると、エマがガードレールの所で待っていた。


「テスト勉強捗(はかど)ってる、エマちゃん?」

ジェームズは「バックをよこしな」とばかりに、エマの方に手を伸ばした。

エマはそれが「さも当然!」とでも言うように、ジェームズに渡す。

ジェームズは自分の荷物とエマのストラップだらけのバックを、右手だけで持って歩いた。


「何言ってんの?とっくに期末なんて終わったわよ」

「あ、そうだっけ?学生じゃ無くなると色々忘れるよな、そういう日程って。しかも・・・

今日は日曜か。じゃ、なんで制服?」

時刻は今、夕方六時を過ぎた辺りだ。

「・・・『熟』って奴よ。ママが特別講習の予定を今日入れてたって言うか・・・。ま、き

っと可愛い私に色々と期待してるのかもね。最近のアイドルは潰しが利かないとダメらしい

から。可愛くて歌が歌える程度じゃ残ってイケナイし」

「あれ、エマちゃんってアイドル志望?」

まさかっ!興味無いわ、アイドルなんて。大体、アイドルになったらオリバーと付き合

えないじゃない!アイドルには『カレシはご法度』なのよ!分かってんの、アンタ!?」

「・・・そうだよね」

「それに、私が芸能界なんて入ったら、学校で相当イジメに遭うかもね。『女の嫉妬』って

ヤツよ!あー、ヤダヤダ!可愛く生まれるとそういうイジメに耐えなくっちゃイケナイんだ

から。ま・・・可愛い女の子の宿命よね!」

「・・・そうだよね」

ジェームズは色々ツッコミたかったが、どこからツッコめばいいのか分からなくなり全ての

言葉を飲み込んだ。

そして心の中で、「俺も相当自分に自信ある方だけど、この子には負けるわ」と思った。

それにエマのその悩みは、「まず芸能人になってからでも遅くない」とも思った。

 


「プッ♪ところでアンタ・・・そのTシャツ全然似合わないわよ?全然イケテない!」

「・・・コレ、オリバーとお揃なんだけど?」

「オリバーには・・・似合うでしょうよ。彼は大抵の服は着こなすスタイルと顔だし」

「・・・あの、忘れてる?俺達双子よ?」

「確かにね。けど・・・言っておくけどあんまり似て無いから!」

「そうかなぁ・・・普段、相当間違われるんだけどな、俺達。エマちゃんはさ、どこがどう

違うって思う訳、俺とオリバーと?」

「全然違うじゃない!どこもかしこもよ!まず、オリバーは顔が良いでしょ♪それに、足が

長いしスタイルはいいし優しいし・・・」

「はは♪決定打に欠ける答えだ」

「え?」

「いや、凄い惚れ込みようだなって思ったんだ。幸せだなぁ、うちの婆さん」

ジェームズは、「オリバーの奴、今頃クシャミしてるんじゃないか?」と思った。

(そして実際、案の定オリバーはクシャミをしていた)

 


国道十七号線をテクテクと二人歩いて行く。

巣鴨からだと下り車線を歩くようになる。

時刻もあってか、車の量が多い。(都心で遊んで来た人々が帰る時間だった)

ただ、巣鴨を背にして歩いて行くと、極端に人通りが少なくなる場所が在る。

巣鴨」と「西巣鴨」の間は閑散として、大通りの歩道としては薄ら寂しい地域だ。

ジェームズは車道の方にエマを歩かせていた。

そんなジェームズの「紳士的な気遣い」などちっとも気付いていないエマは、夜空を見上げ

ながら夢見心地な表情になった。


「彼(オリバー)との出会いは・・・それは運命的だったわ♪私が最初の今の家に引っ越して

来た時、『レインボー』でユニフォーム姿の彼に会ったのがきっかけね」

「へ?」

「オリバーの野球のユニフォーム姿が・・・そりゃあもう素敵だったわ♪私はまだ小学校に

も上がって無い小さな女の子だったけど、彼の素敵さには当然気付いたのよ」

「・・・・・」

「何よ?」

エマは「文句あんの?」とばかりに横のジェームズを睨み上げた。

身長の高いジェームズが真横に居ると、殆ど「スカイツリー」を見上げるような角度に首が

なってしまうエマ。
(双子は揃って190センチ以上あった)


「いや・・・何か、勘違いしてるみたいだよ、エマちゃん?」

「何をよ?」

「その『ユニフォームの素敵な彼』・・・俺よ?」

「はぁっ!?」

「河合さん家の一家が、『レインボー』で仕事してたうちのかーちゃんに引っ越しの挨拶し

に来た・・・あの時の事だろ?うん、それね、俺!」

「・・・・・」

エマの口がポカンと開いている。

「想い出壊しちゃって悪いんだけど・・・エマちゃん?」

ジェームズは身動きし無くなってしまったエマの様子を伺った。



「・・・嘘よ」


「いや、ホントなんだ。申し訳無いけど・・・」

「嘘っ!」

「ホントなんだって」


「嘘よーーーーーーーっっ!!」


「あ、エマちゃ・・・」

エマはダダーッと走って先に帰ってしまった。

「一緒に帰る意味が無ぇーじゃん・・・っつーか、コンビニ寄らなくて良かったのかな?あ

・・・」

ジェームズの頬に水が一粒落ちて来た。

午後、雲行きが怪しかったがやはり雨になるようだ。

ジェームズはあっと言う間に雨足が強まるのを避けるように頭を押さえ、近くのコンビニ駆

け込んだ。

 




「オリバァ〜っ!」


エマは半泣きの声だった。

息を弾ませながら庭から池照家に侵入し、居間のちゃぶ台を囲って夕飯を食べていた兄弟達

の前に現れた。


若干髪が濡れている。



「こんばんは、エマちゃん・・・どーしたの、そんなにゼエゼエして?ははは♪あれ・・・

ひょっとして雨降り出した?」」

オリバーが「一日の終わりの一杯」を引っ掛けながら笑い、「傘持ってったかな?」と、ま

だ帰らぬ次男の事を思った。

「ねぇ、お願いだから『嘘だ』と言って!ねぇ・・・嘘よね?」

「・・・え、何が?」

オリバーはきゅうりの漬物を摘まんだ所だった。

「あの時の『ユニフォーム姿の男の子』は・・・オリバーよね?ね?

「え、『あの時』って・・・いつの『あの時』?ねぇ、家に帰ったら?風邪引くよ?」

「私が隣に引っ越して来た時の『あの時』よ!『レインボー』で私達・・・『運命の出会い

』をしたわよね?ね?」

「は?」

エマは雨などお構いなしだ。

オリバーは意味不明なエマからの脅迫に、「助けてくれ」とばかりにトムを見つめた。

トムはヒョイと肩を上げて応える。



「『俺だったよ』て言ってよ・・・お願いっ!

「・・・ごめん。何の事やらさっぱり・・・」

オリバーはきゅうりの漬物を口に運んだ。

キョトンとしながら口を動かしている。

他のメンバーはエマの事など殆ど相手にしていない。

テレビのクイズ番組に夢中だった。

シリアスなエマにお構いなしに、「珍回答」にゲラゲラ笑っているダニエルとルパート。

(笑っているが・・・おそらくルパートは、回答者同様答えられないはずだ)

 


「じゃあ・・・じゃあ私があの時見たあの『ユニフォーム姿のカッコいいお兄さん』は・・

・お兄さんは・・・」

「だから『俺』なのよ。地元奥様軍団のアイドル『ジェームズ様』。はい、エマちゃん。シ

ャープペンの芯。0.1ミリで良かった?それとバック!」

突然ジェームズがエマの背後に現れ、話に割り込んで来た。

コンビニの袋とエマのバックを差し出している。

ジェームズは結構髪が濡れていた。

が、預かったエマのバックとコンビニの袋は辛うじて濡れないようにしていたらしい。


エマはブルブル震えてジェームズとオリバーを見比べた。

殆ど瓜二つの兄弟・・・同じ顔・・・。

「どこもかしこも似ていない!」とさっき自分自身が言った言葉が、頭の中でガンガン響い

た。



そうだった。

この二人は良く見たら・・・いや、良く見なくてもかなりソックリだった。

エマは今までは「オリバーしか」見ていなかった為、あまりジェームズの顔やスタイルなど

に関心が無かっただけなのだった。

双子はハンコを押したように良く似ている。

エマの頭の中が真っ白になった。

そんな彼女の頭の中が想像出来たジェームズが、ソォ〜ッとエマの顔を覗き込んだ。


ドッキン!


オリバーとソックリな顔が自分の目の前に!!



「・・・んもぅ・・・んもぅっ・・・ジェームズの馬鹿ぁぁぁ――――――――!!大

嫌い!大嫌い!

エマはキーッと頭を掻き毟り、何やら聞き取れない言葉を発狂しながら吠え、またダダダー

ッと庭から自分の家に戻って行った。



「・・・何だったんだ?」

トムがヒョイと庭に身を乗り出し、河合家の方を覗き込んだ。

ルパートはダニエルに、ここでもまたもや「馬鹿って言った方が馬鹿なんだモンねー?」と

同意を求めている。

「まぁ・・・乙女心をちと傷付けてしまったって言うか・・・あれ?お婆ちゃんっ!いつ

こっち来たのよ!」

「こんぬつわ。暫く世話になんどー、オニイチャン」

ミエは正座して、「ジャガイモの天ぷら」を頬張っていた。

正座をしていると「置き物」のように見える彼女。

ジェームズは自分の家にシックリし過ぎる老婆に、最初全く気付かなかった。



「前にさ、お婆ちゃんが漬けたって言うおしんこ食わして貰ったじゃん?アレ、すっごく美

味かったよ。今度送ってよ」

サラリとおねだりするちゃっかりした性格のジェームズ。

実は、こんな所が地元の奥様軍団のハートをくすぐっている。

「家に帰れば一杯ぇある。そんなに気に入ったんかぃ?」

ジェームズはミエとすぐ意気投合し、暫く会わなかったのが嘘のように談笑し始めた。


ルパートは「かき揚げ」ばかりを六個も食べて、「僕、もうご飯食べられなぁ〜い♪」とダ

ニエルに甘え始めた。

池照家では「食事は残してはイケナイ」ので(池照家の家訓第○条)、ダニエルはルパートの

「食い掛け飯」を貰ってやった。

「ねぇ!ご飯食べてあげるからさ、その代り今日は久しぶりに一緒にお風呂入ってよね!」

ダニエルが強要する。

「ウェ〜〜〜・・・」

「何が『ウエ〜』だよ。じゃ、僕ご飯食べてあげないよ!」

「グェ〜〜〜・・・」

「・・・・・」

「ウェ〜」がダメなら「グェ〜」と来たルパート・・・ダニエルは「そう言う事」を言った

訳ではない。

ルパートは鼻に皺を寄せて、舌をベーッと出している。

ダニエルは威嚇するように、そんなジッとルパートを見つめている。

「チェッ!分かったよ、分かったよ!んもぅ、しょーが無いから一緒にお風呂入って上げる

よ」

ルパートは無駄にキレている。

「あ、そんな言い方するんだったら僕ご飯食べてあげないよ!」

「んもぅ、ダンのイジワルっ!」

「どっちがだよ!」

「うるっせぇ〜なぁ・・・何なんだよ、その馬鹿話!」

トムは二人の弟達のトークにイライラしながら仲裁に入った。

「あーっ、『馬鹿』って言った!『馬鹿』って言った方が馬鹿なんだモンねー!ねー、ダン

?」

「そうそう!」

「うるせぇっ、馬ぁ〜鹿っ!

「僕馬鹿じゃないモン・・・」

ルパートが口を尖らせて、少し涙目になった。

人には結構キツい事もズバッと言う割に、自分が言われる方になると途端に弱いルパート。

「ルパートを泣かせるなっ!」

ダニエルがちゃぶ台の下から足でトムを蹴っ飛ばした。

「兄貴に向かって何しやがる、このやろっ!痛ぇっっ・・・

今度はトムがダニエルに蹴りをしようとして・・・ちゃぶ台の足に相当激しく自分の足の小

指を当ててしまった。

「っ〜〜〜〜〜・・・」

声にならない痛さに耐えるトムをゲラゲラ笑う二人。

「・・・ったく、悪魔みたいな奴だぜ」

「違うよ、トム!僕は『人間』!そしてルパートは『妖精』だよ!ねー♪」

「えへへ♪」

「・・・あ、そ」

テレるルパートとそんな彼にメロメロの末っ子を見つめ、トムは心の中で「正真正銘の馬鹿

だな、コイツら」と思った。

が、これ以上二人に付き合っていると自分も馬鹿になりそうなので、係わるのをやめた。



「そう言えば、ルパート・・・お前の絵、夏休みにどこかの展覧会に出展されるそうじゃな

いか?」

オリバーが聞いて来た。

「まぁね」

ルパートにしては抑揚の無い返事だ。

「美術の先生が絶賛してたぞ?どんな絵を描いたんだ?」

「・・・僕の『お気に入り』じゃないモン、アレ。そんなに良くなんか無いんだモン」

元々は「僕としーちゃん」で提出しようとしていた絵だった。

が、世界遺産に登録さえているカメを「ウッカリ自分の家で飼ってました♪」と主張するよ

うな絵が出回ってしまっては困ると言う事で、ルパートは泣く泣く別の絵を描いて提出した

のだ。



「何てタイトルにしたんだ?」

「・・・『幸せの色』」

「『幸せの色』?どんな色だよ?妖精にしか見えない色か?」

トムがまた茶々を入れて来た。

「フンっ!意地悪なトムには見えない色だモンねーだ!」

ルパートはトムを無視してテレビを見つめた。

CMだった。

有名な旅行会社のCMだった。

エッフェル塔が映っていて、ルパートはそれをジッと見つめていた。

 



一方・・・河合家の二階では、エマがベッドに突っ伏し大人しくなっていた。


「嘘よ・・・絶対嘘に決まってる。冗談じゃないわよ、全く・・・」

自分が何年も信じていた事が崩れ落ちたのだ。

そう簡単に「はい、そーですか」とは認める事が出来ない。


「じゃ、私がずっと『カッコいい』と思ってたのは・・ジェームズって事になるじゃないの

!」

エマは枕を抱え、足をバタバタさせていた。


「エマァー!うるさいわよぉ!」


下から母親が娘を叱って来た。


「あなた、晩ご飯はどーするのー!?」

要らなーい!ったく・・・こんな状態でご飯なんか喉を通るかってのよ!」


・・・違う。

「トレビア〜ン」であれだけしこたま飲み食いしてれば、夕飯が入らないのは当たり前だ。



「でも、無理!オリバーを今更嫌いになるなんて私には出来ないの。だって・・・あんな思

い出なんか無くたって私にはもうオリバーだけが全てだし。そうよ!そうだわよ!想い出が

何だって言うのよ!要は、今が大事ならそれでイイって事じゃない・・・」

エマは勝手に落ち込み、勝手に復活した。

階下でジェームズの声がしている。

おそらくバックを持って来てくれたのだ。



「フン!そんな事してくれたって、私がアンタを好きになる事なんて無いって事覚えておき

なさいよね!」

相変わらずベッドに突っ伏して足をバタバタさせているエマだ。

言葉と頭の中では・・・色々と「答え」が違うらしい。

・・・ちなみに、ジェームズは一言も「オリバーをやめて俺に鞍替(くらが)えしろ」などと

は言っていない。



姉の落胆するその様子を、たまたま廊下を通り掛かった妹のボニーが見つけニヤリとして通

り過ぎて行った。

ボニーの密かな楽しみは、「姉の落ち込んでいる姿を見る」事である。

なかなか・・・「いい趣味」だ。

色んな意味で、河合家の娘二人は少々変わっている。

 



翌日・・・めぐみはミエと「浅草」に来ていた。

一緒に、なぜだかレオンハルトが居る。

彼はどこから情報を聞き付けたのか、颯爽と朝方車で池照家を訪問し、「観光ならご一緒さ

せてください」と運転手役を買って出たのだ。


「すンませ〜ん。レオンハルトさ〜ん」

「いえ・・・将来、『僕のお婆様』になられる方かも知れません。このくらい何でも無いで

すよ。はっはっはっ♪」

レオンハルトは今日も陽気だ。

一行は「浅草寺」を起点に仲見世通りを一通り回り、「今半」ですき焼きを食し、有名な人

形焼き屋で「土産」を買ったりした。


「ちょっとお手洗い行ってきます〜」

公衆トイレを見つけためぐみが席を外した。

 



「アンタ・・・めぐみを好きなんかね?」

その辺の頃合いイイモノに腰掛け、孫を待つミエがダイレクトに聞いてきた。

「はい。めぐみさんは素晴らしい女性です。誰にでも優しく温かく・・・彼女と知り合った

全ての人の癒しの存在です。彼女の事は誰でも愛さずには居られません」

(多分今トムが居たら、間違いなくツッコミを入れたはずだ)

「そーかね?」

ミエは座った事によりレオンハルトの股辺りまでしか無い視線で、界隈に目を馳()せてい

た。



「アンタ、将来何になる?」

ミエが突然聞いて来た。

「僕ですか?そうですね・・・今、大学では医学を学んでいます。伯父が医師をしておりま

して、彼には後継ぎがいないとかで医師になる道を勧められて・・・。ですが、僕自身は音

楽が好きなのです。まぁ、どちらかで将来食べていけたら・・・幸せですね」

「アンタは裕福な家の子だね」

「はい、そう思います」

ミエはレオンハルトの身なりや言葉遣いからそう言ったのではない。

ミエに「見え」て、他の誰にも「見えない」モノで彼女が判断した事をレオンハルトは知っ

ている。



「・・・・・」

ミエがジロッとレオンハルトの顔を一際良く見つめた。

「何か?」

「アンタは大勢の人の前に立つ仕事をすると思うね。拍手を貰う仕事をするはずだ」

「だとすると、音楽家でしょうか?」

「どうだろね・・・」

ミエは深い所までは言わなかった。

めぐみはまだ帰って来ない。

トイレがどうやら混んでいるらしい。

 


「あの、お婆様?一つ伺ってもよろしいでしょうか?将来の僕の横には・・・もしかしてめ

ぐみさんが居たりはしませんか?」

「・・・・・」

「・・・どうでしょう?お婆様には『見える』のでは?」

「見えるがね、あんまりそう言う事は私は言わないんだ」

「・・・・・」

「期待に添えなくて悪かったね」

「いえ・・・あの、お婆様?」

「ん〜?」

「未来は・・・変わるものでしょうか?その・・・僕の行動一つで、お婆様が今見た未来と

は違う未来は存在するモノなのでしょうか?」

「時にはある」

「そうですか・・・」

めぐみがやっと向こうから戻って来た。



「何の話してたんだ〜、二人共?」

「未来の話ですよ、めぐみさん。僕はどうやら人から拍手を貰える人物になるようです」

「すげぇな〜。んだ〜・・・レオンハルトさんならそういう人になりそうだ〜」

めぐみは自分の事のように喜んだ。

そんなめぐみの笑顔をレオンハルトはジッと見つめていた。

 


ドシンッ!


「痛っ・・・」

レオンハルトの足を女性がヒールで踏ん付けた。

仲見世通りはとにかく人が多いのだ。

地元の人間、地方の人間、そして外国人・・・百メートル真っすぐ歩くのもなかなか困難な

場所だ。



「悪かったな、アンタ。俺の連れが・・・あっ」

踏んだ女性の方でなく男性がレオンハルトに謝って来た。

「大丈夫ですよ・・・あれ、トム君?」

トムだった。

明らかに「ヤベッ・・・」と言う表情になったトム。


「・・・よぅ」


こそこそと挨拶して来た。

どうやらデート中だったらしい・・・年上風の少々冷たい顔付きの美人を連れている。

「浅草」が大変似合わない雰囲気の女性だ。

全身ブランド尽くめで、どキツイ香水の香りをプンプンさせていた。



「あンれ〜、トムさ〜ん?今日のデートは確か麻布か六本木って言ってたはずなのに〜・・

・」

めぐみがそう言うと、レオンハルトの足を踏んだ女性が「アンタ如きがトムの知り合い?」

と、鼻で笑うような笑顔を浮かべた。

「奇遇ですね、トム君?同じ浅草って言っても、同じ時間で同じ場所で会える確率は少ない

・・・運命ですかね?」

レオンハルトが陽気に笑った。

トムは落ち着きなくソワソワしている・・・誰の顔も見ないように努めていた。



「こちらは・・・トム君の?」

レオンハルトが手をスッと女性の方に差し出す。

「僕の名前はレオ〜ンハル・・・ムガッ!

トムはミエが抱えていた「人形焼き」を一つくすね、それをレオンハルトの口に突っ込んだ

女はイケメン外国人のレオンハルトの事をすぐさま「好感的」と判断し、その手を握り返そ

うとしたが・・・。


「・・・行こうぜ」

トムは女性の肩に手を回し「じゃな」と言って、みんなと目をなるべく合わせないようにし

て、女性を連れてそそくさと人混みの中に消えて行ってしまった。



「テレたのかな、トム君?めぐみさん・・・あの女性はトム君の彼女なんですか?」

「そうじゃね〜と思いますぅ〜。トムさんはモテるんで、何十人も『女友達』が居るって言

ってますし・・・その一人なんじゃないかと」

「そうですか・・・」

「私みたいなのに会っちゃったから、トムさん恥ずかしかったんだと思います〜。トムさん

はカッコいいですし、カッコ良く居たいって思ってるようなんで、自分の家とか兄弟とかの

事をあまり女性達を教えないみたいで・・・」

「池照家のみなさんは素晴らしい方ばかりじゃないですか。それにめぐみさんだって・・・

。でも・・・だとしたら、『浅草』なんて所は、トム君が女性を連れて歩くような場所じゃ

ないはずですよね?
なのに・・・どうして彼らは『浅草』に居たんですかね?あの女性は

明らかに『ここ』を楽しんで無かった」

「んだ〜・・・」

めぐみとレオンハルトは不思議そうに、トムが消えて行って人混みを見つめていた。



「あのオニイチャンは・・・不器用な子だねぇ」

「え?」

ミエが「よっこらしゃーのしゃ」と言って立ち上がった。

「・・・損するタイプだ」

「『損』ですか?」

レオンハルトが不思議そうな表情で首を傾げると、めぐみは笑った。

「婆ちゃんはたま〜に主語が無ぇ会話するな〜・・・。トムさんは損なんかしね〜よ?トム

さんはあったらカッコいいし、素敵な人なんだぁ〜。それに・・・恥ずかしがり屋で優しい

・・・」


レオンハルトが、トムの弁護をするめぐみをジッと見つめている。



「・・・さぁて、次はどご行くかな〜?あ〜、『アメ横』行きでぇ〜な〜・・・」

「お連れしますよ、お婆様」

レオンハルトがミエに手を差し出した。

「年寄り扱いするんでねぇ!」

ミエは持っていた「孫の手」でペシッとレオンハルトの手を軽く叩いた。

「何すんだ、婆ちゃん!レオンハルトさんは婆ちゃんの為に〜・・・」

「気にしないでください、めぐみさん。余計な事をしてしまった僕が悪かったのです」



ミエは、めぐみの弁護の言葉には何も言葉を繋げなかった。

ただ仄かにニヤリとしただけだった。

そしてミエは知らんふりして、二人を置いてスタスタ歩き出した。




第二十一話完結        第二十二話に続く        オーロラ目次へ       トップページへ