第二十二話「開き始めた未来の扉」



「はぁ〜・・・今日は沢山歩いだから、飯がまた格別美味ぇなぁ〜・・・」

夕飯時にはめぐみとミエは家に帰って来ていた。

幾つか土産を買ったようで、居間には包装紙や箱が散乱している。


「ってか、お前まで何で俺ん家で飯食ってんだよ?」

トムは自分の隣に座っているレオンハルトにツッコんだ。

トムももう帰って来ていた。

彼の帰りが早いのには訳がある。

どうやらあの後、カノジョ(の一人)とケンカしたらしい。

カノジョはどこからかタクシーを拾って去ってしまったと言うのだ。

が、トムは別段ちっとも気にしていない。

彼にはまだ沢山の「カノジョ」が居るし、去る者を追わないのが彼流の美学だからだ。

それに、一人減った事でトムとしても金の出費が減るし、居なくなったカノジョの「後釜」

を狙ってその位置に収まろうとする女は裕にごまんと居るので、気にする事は全然無いのだ


大体、トムのカノジョ達はどの女も似たようなタイプばかりである。

秘書タイプ、エステティシャン、銀座のホステス・・・そんな感じの年上のカノジョ達。

だから「誰が居なくなって誰が入って来た」のか、トム自身良く分からない。

「記憶に残るような印象的なカノジョ」が居た例が無い、ある意味可哀想な彼なのだ。



「だって、楽しいんです。池照家でのお食事。僕の家は大概僕一人で食べるので・・・」

「父ちゃんと母ちゃんは一緒じゃないのか?」

ジェームズが訊ねた。

ジェームズは今、めぐみがどこかで土産として買って来た「爆弾コロッケ」なるどデカイコ

ロッケを四つ目腹に収めた所だ。


「父は今またドイツの方に行ってしまっています。母は宝塚の講演会長を務めてますので、

何かと忙しくって・・・」

「へぇ、不二子ちゃんってそういう事してたんだ?」

オリバーが呟いた。

ダニエルとルパートが以前ハインリッヒ家に遊びに行き、その日を境に彼の母親を「ちゃん

」付けしているので、必然的に池照家のみんなはレオンハルトの母親を「不二子ちゃん」と

呼んでいる。

ちなみに、レオンハルトの父親はドイツでナンバー1シェアーを誇るソーセージ工場を営ん

でおり、日本支社と本社を行き来する忙しさだ。

近々弟にドイツの本社を負かし、自分は日本の方を拠点に動きたいと考えている。

家族を大切にする男なので、ずっとその事で頭を悩ませていたらしい。

余談ではあるが、レオンハルトの祖父と祖母にはなかなかのドラマチックな恋愛秘話があり

、いつか孫のレオンハルトも自分の祖父母のような熱い恋愛を夢見ている。


「聞く所によると、あの歌劇団が出来た当初からうちの家系の女性陣がその活動に携わって

いるようです」

「へぇ〜・・・意外なマメ知識を貰った」

オリバーは「出来合いのお好み焼き」を摘まみ、「俺が作った方が美味いじゃん」と自画自

賛している。



「ん?婆ちゃん・・・どした?」

コックリコックリし始めたミエの首・・・どうやら早々と眠くなったらしい。

「お風呂沸いてるよ、お婆ちゃん」

ダニエルが言った。

「今日はやめとぐ。何だか、疲れたんかね・・・先に横にならせて貰う事にするよ」

ミエは食卓から立ち上がって、居間の端の方でコロンと横になった。

「お婆様、これ枕に・・・」

レオンハルトが座布団を二つに折り曲げてミエの首の下に敷いてやった。

ミエは礼を言ったような言わないような微妙な言葉を呟き、いきなり「んごーっ!」とイ

ビキを掻き始めた。

「きっと慣れない東京に疲れたんでしょうね、お婆様・・・」

レオンハルトは自分のジャケットをソッとミエの体に掛けてやった。

めぐみがそれを微笑ましく見ている。

そして、そんな二人をトムがジッと見つめていた。

 



それから暫くしてレオンハルトが帰る時間になった。

玄関にはめぐみが見送りに出ている。


「今日は色々ありがとうございました、レオンハルトさ〜ん」

「いいえ。僕も楽しかったです。浅草は初めてだったので・・・。あ、めぐみさん?例の別

荘の件、考えてくれました?」

「はい〜、ぜひお願いします」

「あぁ、良かった♪素敵な所ですよ、葉山は。きっと気に入ると思います。乗馬したり、ア

ーチェリーしたり・・・フランスでめぐみさんもそういった遊びをしたのでは?」

「昔、ちょっとやった事あります〜。けンど、あまり上手く乗れなかったなぁ・・・馬」

「教えて差し上げますよ」

「楽しみだ〜」

「ではまず、僕はしっかりと講習会を終えなくては・・・。晴れるといいですね」

「んだ〜。おやすみなさいです、レオンハルトさ〜ん」

「おやすみなさい、めぐみさん」

レオンハルトは自分が乗って来た車のキーをチラ付かせ、脇の駐車場に止めてある自分の車

を出す為、路地を曲がって行った。



そして、それはそのすぐ直後に起きた。

キキキーッと言う音とドンッと言う鈍い音。

めぐみはザワッと毛が逆立つのを覚え、小走りにレオンハルトがたった今曲がった道を後を

追って曲がった。


「レオンハルトさんっ!」


レオンハルトが道端に倒れていた。

めぐみが向こうを見やると、走り去って行く黒っぽい車の後部が見えていた。

ひき逃げ事故だ。


「レオンハルトさん!レオンハルトさん!」


めぐみが膝を付きレオンハルトの名を何度か大声で呼び続けたが、レオンハルトは返事をし

なかった。

「不幸な事」と言うのは・・・意外とこんな風に「幸せ」のすぐ後ろに口を開けて潜んでい

るのかも知れない。


今そこでいつものように手を振って別れたはずのレオンハルトが、今はもうめぐみの声に反応しなかった。

長いレオンハルトの手足は路上に投げ出され、明るいウェーブの髪がアスファルトの上に波

打っている。

そして、街灯の灯りに照らされてジットリヌラヌラ赤黒く濡れていた。



「・・・・・」

めぐみは一目散に家に帰り、大声で叫んだ。


「誰かぁ〜!救急車呼んでくんちぇ〜!レオンハルトさんが車に引かれたぁ〜!誰か

ぁ〜!」

 

 

丁度風呂に入っていたジェームズが、腰にタオルを巻いたままドタドタと玄関まで一番最初

に出て来た。

オリバーはトイレの中から、「何っ!ちょ、待っ・・・」と慌てている。

二階の自分の部屋に上がっていたトムも只ならぬめぐみの叫び声を聞き、二段飛ばしで階段

を下りて来た。

下の弟二人はミエの横で添い寝し深く眠り込んでいて、ショボショボしながら目を開けた。



「レオンハルトが事故だって?どこでっ!」

ジェームズは殆ど真っ裸の状態で外に飛び出して行こうとしている。

「すぐそこです!早く、救急車・・・」

「分かった!落ち着け、めぐみちゃん!」

ジェームズが電話に飛びついた。

「めぐみ、アイツは?」

「まだ道路に・・・」

トムは涙ぐむめぐみと共に外に飛び出して行った。

オリバーがズボンを上げながらトイレから出て来て、「何がどうなった?え?」と居間で電

話を掛けているジェームズと開けっ放しの玄関を見つめ、自分もサンダルを履いて外に飛び

出して行った。

ダニエルとルパートはまだしっかり覚めぬ目を擦り、何とか体を起こした。

ミエも流石に騒がしさで目を開けた。

「・・・どうした〜?」

 

 



それから目まぐるしく様々な事が起きた。

救急車が到着しレオンハルトを乗せ、めぐみが一緒にその車に乗って行った。

トムはカバーが掛かっていた自分のバイクのエンジンを吹かし、その後を追って行く。

ジェームズはハインリッヒ家にまず連絡をし、病院へ一緒に行ったトムからの連絡を待つ事

にした。

下の弟二人もすっかり目を覚まし、今は家に残った四人、時計の音だけの静かな居間で沈黙

している。

オリバーは事故現場で警察官に色々話をしている最中だ。

 


「・・・大丈夫だよね、レオンハルト君?」

ダニエルがジェームズに聞いた。

「分からん。俺は医者じゃ無い。ただ・・・頭からかなりの出血をしてたな」

ジェームズはもうちゃんと服を着て、いつでも外へ出ていける準備が整っていた。

全員で病院へ行くのはうるさくなるし、「もしも」の電話が来た場合に出掛けて行けば良い

と考えていた。

だが、「もしも」など遭ってなるものではない。

時刻は深夜一時を回っていた。

 


「お婆ちゃん・・・」

ルパートが、主の居なくなった「しーちゃん」の飼育箱をボンヤリした顔で見つめたまま静

かに尋ねた。

「ねぇ・・・『天国』ってあるの?」

「ルパート、縁起でもねぇ質問すんな!」

ジェームズが窘(たしな)めた。

「真面目なジェームズ」は久しぶりだ。

こういう役目はいつもオリバーなので、何だか不思議な感じだ。


「僕、レオンハルト君の事言ってるんじゃないモン」

「だからって、このタイミングでお前・・・」

「まぁ、待ちな〜、オニイチャン」

ミエがジェームズを制した。

「おめは在ると思うんかね?天国・・・」

ルパートの事を見つめ、静かに問うてみる。

「僕・・・分かんない」

「在って欲しいと思うんかね?」

「僕・・・欲しく無い」

意外だった。

普段は「不思議ちゃん」のルパートなのに、天国の存在を否定したのだ。



「天国が在るか無いんかは婆ちゃんにも分がん無ぇ。んだども・・・欲しい人には在るし、

欲しく無ぇ人には無ぇもんだと思う」

「僕のお父さんとお母さんは天国に居るのかな?」

ルパートの質問は尚もやまない。

「死んだんか?」

「『悪い人達に殺された』ってオリバーとジェームズが前に言った」

「そりゃあ・・・オカシイなぁ。婆ちゃんの目にも耳にも、おめ達の父ちゃんと母ちゃんの

姿も声も見え無ぇし、聞こえ無ぇど?」

「・・・・・」

「可愛いおめ達の事、父ちゃんと母ちゃんが放って置く訳無ぇ。んなら、側にいっつも居る

はずだ。けンど・・・おめ達の側には二人は居ねぇよ?居るのは・・・もっともっと昔のご

先祖さん達だンな。ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・」

ミエが手を合わせて深々とジェームズ、ルパート、ダニエルに拝んだ。


「・・・死んで、無い?」

ダニエルが驚いてジェームズを見つめた。

が、ジェームズだって答えられる訳がない。

自分達・・・オリバーとジェームズは、ずっとそうだと思って八年間過ごして来たのだ。

まさか、二人が生きているなどとは・・・想像もしなかった。

 

 


ジリリリリリリ〜ン・・・♪


 

池照家の黒電話がけたたましく鳴り、みんなが音に反応してビクッとした。。

ジェームズがすぐさま受話器を取る。


「あぁ、俺!うん、うん・・・そうか。うん・・・分かった。ま、一応・・・行くわ、俺達

もそっち・・・うん。じゃな」

受話器を置くと、みんながジッとジェームズの次の言葉を待っていた。

「・・・大丈夫だとよ、レオ〜ンハルト・・・。ヤツ、俺達と同じ血液型だったらしい。ト

ムが輸血に協力したって」

ホントっ!やった!良かったぁ・・・」

ダニエルは安堵して、畳の上に大の字でひっくり返った。

ルパートは大人しかった・・・ミエがジッとそれを見つめていた。

ルパートなりに、今様々な事を考えているのだろう。

唯、彼にはボキャブラリーが少ない。

自分が何を考えているのかを上手に説明出来る会話を頭で考えられなかった。




ルパートはトコトコと自分の部屋に行って、カエルの貯金箱を持って降りて来た。


「ジェームズ・・・僕のお金使っていいから。タクシーで病院行くんでしょ?」

コツコツ溜めた金である。

が、躊躇せずにルパートはその貯金箱を金槌で叩き割った。


「・・・一杯溜めたな」

ジェームズは殆ど十円玉ばかりの463円を掻き集め、ルパートの手の中に返してやった。

「大丈夫だ。給料前でもそんくらいの金はニイチャン持ってる。これ、大事にしてた『カエ

ルの貯金箱』だったんじゃないのか?」

「・・・いいの」

ジェームズは優しい弟の頭をヨシヨシし、立ち上がった。

「よっしゃ!んじゃ、出掛けっぞ!あ・・・婆ちゃんどうする?」

「私はここに居させて貰うよ。朝は毎日四時起きなんでね。病院は明るくなってから行く事

にするよ」

「そうか。じゃ、うちの兄貴がもし帰って来たらよろしく」

「あぁ、行っておいで」

ミエに見送られ、三人は家を出発した。

 

 



タクシーで病院に駆け付けると、薄暗いロビーの所でトムがハインリッヒ家の執事と話して

いた。

夜間の僅かな灯りだけの病院・・・決して気味の良いモノではない。


「おぅ・・・」

トムは三人に気付いて手を上げた。

腕に注射の後の処置が成されてある。

「起き上がって平気なのか、お前・・・輸血したんだろ?」

「あぁ、少しは横になってたんだ。あ、病室こっち・・・」

トムは執事に会釈をして、三人をレオンハルトの所に案内した。

「会えるのか?あれ、あの人は?」

「あの人は帰る。今散々手配して、アイツの父親と母親のこっちへ帰って来る飛行機と電車

の手配に追われてる。やり手だぜ、あの執事・・・」

トムが人を褒めるのは珍しい・・・よほど出来る人物なのだろう。

ハインリッヒ家の執事・・・昔、ルパートが「お爺ちゃん」呼ばわりした、あの老紳士であ

る。

 


みんなはエレベーターでは無く、階段で三階まで上がった。

「部屋にはまだ入れないって看護婦に言われた。時間が時間だし、騒がしくなるのは他の患

者に迷惑だって・・・」

「そうだろう。分かってる」

「オリ婆は?」

「まだ警察の事情召集で掴まってる・・・家に婆ちゃん置いて来たから、ま・・・大丈夫だ

ろう」

「そうか・・・」

 


「あ、みなさん・・・」

めぐみが病室前のパイプ長椅子から立ち上がった。

「そのままでいいよ、めぐみちゃん。お疲れさん」

南塔の一番端の四人部屋が、取り敢えずレオンハルトの病室となっていた。

「山田さん」「岸野さん」「吉岡さん」などと一緒に、「レオンハルト・ハインリッヒ」と

名前が掲げてあると、何だかちょっと不思議な感じだ。

が、おそらく数日すると、レオンハルトはもっと良い部屋に移動する事になるだろう。

場合によっては、病院もワンランクもツーランクも上の所へ変わるかも知れない。

ハインリッヒ家がそういう手配をするはずだ。



「で、どうなの、アイツ?」

ジェームズが聞いた。

「大丈夫です〜。頭の出血が酷かったみたいですけンど、MRLとかCTスキャンに内部の

損傷は見られなかったって。お医者さんは『奇跡に近い』って〜・・・」

「そうなんだ・・・」


ダニエルとルパートはソワソワして、病室に入りたそうだった。

「ダメだぞ、お前達」

ジェームズは兄らしく窘(たしな)めた。

「いえ、一瞬くれ〜なら大丈夫だと思います〜。私もさっき、少しだけ看護婦さんと入った

んで。どンぞ・・・」

めぐみはソォ〜ッとドアを開け、中にダニエルとルパート・・・そして結局付いて来たジェ

ームズを通した。

トムは「俺はいい」と入って来なかった。

 


「・・・・・」

暗い病室の中を照らすのは、廊下からの僅かな灯りだけだ。

レオンハルトは廊下側だったので、一番その灯りが当たる場所だった。

カーテンが引かれてあったので、めぐみはみんなが中を確認できるほどだけ少し開けた。

「・・・・・」

レオンハルトは眠っていた。

カーテン越しだったので相当暗かったが、その様子は分かった。


めぐみが説明してくれた以上に状態は酷い。

頭は片目込みで包帯でグルグル巻きだったし、片腕も肘に包帯・・・足は片方天井から攣っ

てあった。


いつもの「優雅なレオンハルト」の微塵も無い。


「・・・レオンハルト君・・・」


ダニエルがか細い声で呟いた。

「もう、行こう。今日は長居出来無い・・・」

ジェームズは涙ぐんだ末っ子の肩を掴んで外に出た。

ルパートとめぐみもそれに続く。

オリバーがいつの間にか到着していて、病室前でトムと合流していた。

 


「犯人は?」

ジェームズがまず聞いた。

「いや、捕まっていない・・・けど、警察が今半径十キロ圏内で検問始めてる」

「そうか」

「レオンハルト・・・どうなんだ?」

今度はオリバーが質問した。


「レオンハルト君はね、グルグルだよ」


「は?」

ルパートの答えではちっとも分からない。

ジェームズが様子を喋り、めぐみがそれを更にフォローした。



「トムさんが同じ血液型で良かったです〜。この病院、輸血用のその血液、通常は持ってい

ないようなので・・・」

「うちはみんな同じなんだ。RH−・・・」

オリバーはハッとして、途中で話を止めた。

めぐみが泣いていた・・・初めてだ。

ずっと堪えていた感情が、安心したからだろうか一気に溢れだしたのだろう。


「ウゼェぞ、トド!泣くなよ!見苦しい・・・」


トムが毒づいた。

「おい・・・」

オリバーが弟の失言を叱ろうとした。

「いンえ〜・・・そうですよね〜。レオンハルトさん大丈夫だったんですから・・・泣いち

ゃおかしいです。すんませ〜ん」

めぐみは微笑みながら手で涙を拭った。

「・・・チッ!」

トムはポケットに入っていたハンカチを無言でめぐみに付き出す。

「すんませ〜ん、トムさ〜ん」

「・・・それ、カノジョに貰った高いハンカチなんだからな!ちゃんと洗って返せよな!」

「はい〜」

時刻は深夜三時になろうとしている・・・みんなは家に帰る事にした。

病院の裏口でハインリッヒ家の執事の車が入って来るのに気付き、みんなは彼に挨拶した。

執事は今日、眠らないつもりだろう。

 

 


翌日、めぐみが病院へ行くとレオンハルトの母親が到着していた。

例の「不二子ちゃん」だ。

父親の到着を待って、病院を移るかも知れないと言っていた。

懇意にしている病院が他にあるので、そっちをもう手配していると言う。

不二子のケイタイにメールを知らせるバイブが起こった。


「あらン・・・ゾフィー?うん、そうなの。分かった。じゃ〜ね〜♪」


不二子は相変わらずセクシ〜な声だった。

レオンハルトの元婚約者ゾフィーも連絡を貰い、不二子の夫ヴィルヘルムと同じ便で日本に

到着したと言う。

不二子は空港に到着した夫とゾフィーを迎えに行くと言う事で、めぐみに息子の事を任せた

「何かあったら連絡頂戴ねン♪」

「はい〜」

不二子は落ち着いていた。

傷だらけの息子の頬を撫で、「大丈夫」と自分に言ったのかレオンハルトに言ったのか分か

らない呟きを一つ残し、一先ず病院を後にした。

 

 



「・・・めぐ、み、さん・・・?」


レオンハルトが薄ら目を覚ました。

めぐみがハッとして傍らに駆け寄る。



「んだ〜。私だ〜。気が付いたのけ〜、レオンハルトさ〜ん?」

「はい・・・イタタ・・・どうしたんですかね、僕?」

レオンハルトは自由にならない体に驚き、目だけ病室をグルリと見回した。

「事故に遭ったんですよぉ〜・・・曲がり角の所で〜。さっきまでお母さんが居らしたんで

す〜。今、空港にお父さん迎えに行かれました〜」

「母が?この歳になって両親に心配させてしまったなんて・・・親不幸な息子ですね、僕・

・・。父も忙しいのに・・・」

「レオンハルトさんが悪い訳で無ぇです。車の方が・・・。あ、ゾフィーちゃんも一緒にや

って来たみたいですよ〜」

「ゾフィーが?参ったなぁ・・・彼女にはなるべく『貸し』は作りたくないのに・・・アイ

タタ・・・」

「喋らねー方がいいです〜」

めぐみが心配した。



「所で、僕にぶつかった車は見つかったんですかね?」

「いンえ〜・・・まだみたいです〜」

「僕、ナンバーと車種覚えてますけど・・・」

「えっ!?」

「警察の方に言った方がいいんでしょうか?」

「んだー!そりゃあそうした方がええっ!」

 


「オッホンッ!」


 

「あ、すんませ〜ん」

めぐみは自分が興奮して声が大きくなっていた事が分からなくなっていた。

隣人が迷惑だったらしく、カーテンの中から咳払いをしてきた。



「あ、そう言えばレオンハルトさ〜ん?お父さんがここに到着したら、多分病院を変わるか

も知れないそうですよ〜?」

「そうですか・・・。僕としては、このままここでいいのですけど。そうすれば、めぐみさ

ん、暇な時は会いに来てくれるのでしょう?」

レオンハルトが病人に許される、「甘え顔」をして見せた。

「んだー。勿論私、毎日来ます〜」

「はは・・・僕、やはりこの病院でいいです」

レオンハルトは包帯だらけでボロボロだったが、それでも笑顔を溢した。

そして、白く味気無い無機質な天井を見上げながら、ボソッと小さな声で話し始めた。



「・・・僕、神様に会ったような気がします」

「え?」

「天使だったかもしれません。いや、女神だったのかも・・・。僕に手を差し伸べて来たん

です。向こうには綺麗な・・・フランスやドイツの教会にあるステンドグラスのような世界

があって・・・僕はとても気持ちがそちらへ向きました」

「・・・・・」

「でも、差し伸べられたその手を取りませんでした。だって、めぐみさんが僕を呼んでくれ

たから」

「え?」

「めぐみさん、僕を呼んでくれたでしょう?何度も呼んでくれたでしょう?だから、僕、差

し伸ばされた手は取らなかった・・・正解だったんですね。だから僕は、こうして生きてい

る」

「・・・・・」

めぐみが表情を曇らせた。

「あ、ごめんなさい・・・泣かすつもりは・・・めぐみさん?」

めぐみは丸々太った指を膝の上で猫のように丸め、俯いてボタボタ涙を零していた。



「めぐみさん・・・ごめんなさい。泣かないで・・・僕、今あなたにハンカチを差し出して

上げられないんです。手がこんなで・・・。うわぁ、男として失格だな、僕・・・」

トムがその様子を廊下から見ていた。

彼は大学の授業が終わり、サークルには今日は出席せず、ヒヤカシがてらに病室に顔を出そ

うとしていた所だった。

が、タイミングが悪かった。

レオンハルトとめぐみが二人の世界を作っている所に足を延ばしてしまったらしい。

ここで部屋に入るなど・・・不躾も良い所だ。

トムはそのまま踵を返し、病室から遠ざかって行った。

 


「お誘いしていた別荘の件、出来れば今回は取り止めて頂けると嬉しいのですが・・・」

「当たり前です〜。治療に専念してくんちぇ〜」

「治ったらぜひ次こそは!僕もタイミングが悪い・・・まさかこの時期に事故に遭うなんて

・・・」


「あンの〜、レオンハルトさん?その時はトムさんも誘っていいですか〜?」

「え、トム君?」

「はい〜・・・何だか行きたそうでしたので〜」

「・・・はぁ・・・そりゃ勿論構いませんけど・・・」

「良かったぁ・・・あ、まだこのハンカチ入ったままだった。私、小っ恥ずかしいんだども

、昨日も泣いたんですよ〜。そしたらトムさんがコレ貸してくれて・・・。優しいんだなぁ

〜、ホントトムさんって。恥ずかしがり屋なんで、憎まれ口叩いてましたけンど、私にはト

ムさんの優しさが分かるんです〜。コレ、綺麗なハンカチですよね〜?カノジョさんから貰

ったみたいです〜」

昨日トムが貸してくれたハンカチで涙を拭いためぐみ。

レオンハルトはハンカチで顔を拭くめぐみの顔を暫くジッと見つめていた。



「・・・めぐみさん、あなたはひょっとして・・・」

「え?」

「・・・いえ、何でも無いです。はい、別荘へはみんなで行きましょう、池照家のみなさん

も誘って。そうだ!お隣の河合さんや温田さん達も誘って・・・」

「秩父の時みたいですね〜、いいですね〜♪」

「早く治さないとな。楽しみだ・・・」

「毎日会いに来ますよ〜、レオンハルトさ〜ん。だから早く良くなってくんちぇ〜」

「めぐみさんが会いに来てくだされば、あっと言う間に退院出来ます」

「まったまた〜♪昨日、病院に入ったばっかでねか〜?」

「はっはっはっ!確かにそうですよね・・・」

 


「オッホンッ!」


 

「あ、すんませ〜ん!」

「すみません・・・アイタタ・・・」

また声が大きくなってしまっていたようだ。


「あ、こんにちは〜」

めぐみが部屋に入って来た不二子とヴィルヘルムとゾフィーに気付き、場所を開けた。

「私丁度帰るトコだったんです〜。また明日来ますね、レオンハルトさ〜ん。あ、ゾフィー

も、また〜」

「ありがとうございます、めぐみさん。また、明日!」

めぐみは一言二言ドイツ語でゾフィーとレオンハルトの父親と会話し、不二子とレオンハル

トに会釈して出て行った。



咳払いの男はいつもカーテンを閉めたままだ。

どんな人物なのかは分からないが、年配者のようである。

検温や食事の時に看護婦が話し掛けると、我が儘ばかり言って困らせている。

見舞いの人間が来る様子も無さそうだ。

レオンハルトの所へは今日、随分沢山の人間が見舞いに来ていた。

それを疎ましく思っている態度を取ってはいるが・・・あれはきっと嫉妬だ。

めぐみは明日レオンハルトのトコへ来る時には、カーテンの向こうの男にも何か持って来よ

うと思った。

 

 



「ホ〜ント、もうビックリ〜って感じよ!だって、自分家の近くにあんなに警察官来たの、

初めてじゃ無い?」

エマは学校の帰り道、ダニエルと一緒だった。

事故の事を興奮して喋っている。

ダニエルは、怪我したのが他ならぬレオンハルトなので、エマの興奮する感じが好きになれ

ない。


「で、どうなのよ、あの外人?」

「僕、昨日しかまだ見て無いけど、結構酷かったよ・・・」

「小道でスピード出すって奴の気が知れないわ!私だって・・・ちょっと、今の車っ!

言ってる傍からかなりのスピードを出してエマの脇を車が走り去って行った。

「ってか、何で私が車道側歩いてる訳?」

「だって、自分でそっち歩いてたんだろ?」

「アンタも男なら少しは気を利かせなさいよ!レディーが危ない目に遭ってるのよ!女の子

を車道側歩かせるなんて、どういう神経よ!場所チェンジ!

「・・・・・」

エマはダニエルの腕をグイッと引っ張って、自分達の場所替えをした。


「何よ、その目!」

「いや・・・」

「ジェームズは前、私をちゃ〜んと・・・」

「え?」

「・・・何でも無いわ」

少し前にジェームズの働いている店で飲み食いし、一緒に帰って来た時の事を思い出したエ

マ。

あの時は気付かなかったが、ジェームズはちゃんとエマを「女の子」として扱ってくれてい

た。

何も言わなくても、エマのバックも持ってくれた・・・。

ジェームズのニカッとした笑顔が目の前にチラ付く。


「フンッ!だから何だってのよ!そんな事してくれたって、アンタはオリバーじゃないんだ

から!私はオリバー一筋なんだから!」

「・・・・・」

「・・・何よ、その目」

「いや、独り言なのか僕に話し掛けているのか分からないから・・・」

「大きなお世話よ!って、私を見つめてんじゃないわよ!」

ビッタンと激しい音を立てて、ダニエルはエマに頬を叩かれた。



「痛いじゃないか〜・・・」

ダニエルは頬を抑え、抗議した。

・・・理不尽だ。

エマは謝るまでもなくもう話題を変え、昨日の「ひみつの嵐ちゃん」の事を話し始めている

ダニエルはやっぱりエマが嫌いだ。


「くそ・・・これでも食らえっ!」

と、大股で自分の前を歩くエマの後頭部に向けて、久しぶりに「エアースペシウム光線」を

お見舞いしてやったダニエル。

そして、たまたま自分の肩に止まったてんとう虫を、そっとエマの髪に紛れ込ませた。

「ヒヒヒ♪」

こんな所・・・結構根暗なダニエルだ。

 

 



「レオンハルトさん、随分元気になってました〜」

「そうか、良かった・・・」

めぐみは数日後の夕飯の支度の時、オリバーに色々話して聞かせた。

「ゾフィーとまたケンカしてた」とか、「不二子の宝塚の裏話」とか、「ドイツにある巨大

なソーセージ工場」の話とか・・・色々だ。

ミエはまだ池照家に滞在しており、今はルパートと一緒に庭で夕飯に使うエンドウ豆を摘ん

でいる。



「めぐみ、麦茶!」


トムが現れた・・・かなり横柄な態度だ。

「麦茶、今切らしてて〜・・・すぐ作りますね〜」

「ったく!」

「おい、めぐみちゃんは病院行っててさっき帰って来たトコなんだ。お前、水で我慢しろよ

!」

「フンッ!めぐみがアイツを怪我させた訳じゃねーだろ?何でそんなに毎日見舞いに行くん

だよ」

「いいじゃないか、別に・・・」

オリバーは持ってた包丁を弟の方に向けた。

「アブねーだろがっ、クソ兄貴!」

「何だとっ!」

トムは流しの前に居ためぐみの体をギューッと横に押しやって、蛇口からの水をコップで飲

んで「ぬるっ!」と文句を垂れた。

 


「そう言えば、お前はまだレオンハルトのトコ見舞いに行って無いだろ?」

「勝手だろ?どうせみんなが行ってんだ・・・俺が行かなくたって構わねーじゃん」

「だって、同じ大学で同じサークル仲間だろ?それに、それ以上に色々深い付き合いしてる

じゃないか、俺達・・・」

「あのな!忘れちまったんならもう一度言うけど、俺はアイツが嫌ぇ〜なの!」

「またお前はそんな・・・」

「トムさんはホントを言うのが得意じゃ無いだけなんです。じゃなかったら、レオンハルト

さんに輸血なんてしません〜」

「知った風な口聞くんじゃねー!トドっ!」

「おい、トムっ!」

トムは兄からの怒号を無視し台所から出て行った。

そしてトムは、そのままバイトへ出かけてしまった。


今日はガソリンスタンドだ。

「何なんだ、アイツは一体・・・。まさかここへ来て、第三期反抗期とか?あ、めぐみちゃ

ん、その豆腐こっち頂戴!」

二人は夕飯の仕上げを再開した。

 

 



「私、明日帰ぇる事にしたからな〜」

夕飯の席でミエが唐突に言った。

「え、明日っ!?」

いきなりの発言にみんなが驚く。


「んだ〜。めぐみが元気な姿が分かっだし、みなさん色々忙しいしね。私もそろそろ家帰っ

て、畑弄りたくなっだ・・・」

ミエはスーパーで買ったおしんこのタクワンをポリポリ食べながら喋っている。

「ごめんなぁ、婆ちゃん。婆ちゃんとあまり出掛けてやれなくて〜・・・」

めぐみがションボリした。

「んにゃ〜、浅草連れてって貰っだし、毎日『とげぬき地蔵』さんお参りしながら商店街の

散策も出来た。楽しかったど〜」

「・・・そうけ〜?」

レオンハルトの事があり、ミエにまで手が回らなかったのが事実だ。



「明日、帰ぇる前にいっぺんあのオニイチャンに会ってから帰ぇる事にしようがと思う」

ミエはレオンハルトの事を言った。

「なら、トムに一緒に行かせるよ。今バイトで居ないけど、俺そう言っておくから」

「助かるね〜」

オリバーの申し出を快く受け取ったミエ。

だが、勿論トムの方は兄のその「勝手」に対し、バイトから帰って来て激怒したのは言うま

でもない。

 

 



結局レオンハルトは、入院した病院にそのままずっと入っていた。

そして、「せめて個室に」と手配してくれた両親の言葉も蹴り、あのまま四人部屋にいる。

他の患者とも打ち解け、今はそこそこ仲良く共同生活だ。


「顔色が良いがら、元気みたいだな〜?」

ミエはレオンハルトの脇に用意された、一人用のパイプ椅子に腰掛け話し掛けた。

「はい。めぐみさんにもすっかりお世話になってます。お婆様をもう少し色々とあちこち連

れて行って差し上げたかったのですが・・・お役に立てずにすみませんでした」

「何も気にせんでええ。アンタ大変だったんだ〜・・・私の事はええ」

「また、田舎の方に遊びに行ってもよろしいでしょうか?」

「勿論だぁ〜。今度は冬じゃ無ぐって、暖かい時来ぉ〜?」

「ええ、ぜひ」

以前、めぐみの田舎に遊びに言った時は冬だった。

あの時は吹雪の中、レオンハルトはトムと共に他のスキー客の女の子二人と雪山で遭難しか

け、大変な事態に見舞われた。

思えば・・・まだあれから半年しか経っていないのだ。



「アンタ、並大抵の事じゃ死なんよ。顔に長生きの相が見える」

「わぁ、そうなんですか。はは・・・お婆様に言われたなら、僕の長生きはお墨付きを頂い

たようなものですね」

「おンや・・・そりゃあ分かんねど?アンタ自分で前に私に聞いたんじゃねか?『運命が変

わる事もあるのか?』っで。長生きせんかも知れんよ?」

「はは♪えぇ、でも・・・それはそれでいいんです」

レオンハルトは廊下の長椅子に座ってケイタイを弄っているトムに目をやった。

トムはミエを病室に連れて来たが、自分の方は中に入ろうとしなかった。


「僕はめぐみさんが幸せならそれでいい。そして・・・僕はおそらく、自分のやりたい道を

進む事が出来そうですし。それ以上望んだら・・・今度こそ『向こうの世界』から迎えに来

られてしまうかも知れません」

「おンや〜・・・アンタは『見た』んだね。『アッチ』を・・・」

「・・・錯覚かも知れませんけど・・・」

「いンや・・・アンタが見たモンは誰にでも見れる世界じゃないんだ。うん・・・アンタ、

神様によう好かれとるんだ〜な〜」

「そうですかね?」

「そういう顔しとる。神様は面食いなんだ〜」

「はは♪」

オッホン!お婆ちゃん・・・アンタ、東北の人?」

「んだ〜」

咳払い男がミエに話し掛けて来た。

「あ、あの方『吉岡さん』です。この病室で一番長い方で、今は懇意にして貰っているんで

す」

「そうけ〜」

「いつものあのコロコロしたお姉ちゃんのお婆ちゃんなのか?いやぁ、懐かしいなぁ・・・

俺の婆ちゃんが向こうの人でね。いやぁ〜・・・思い出す」

「そうかね〜」

ミエは少しだけ吉岡と話をし、笑ったりしていた。

 

 

「んじゃ、私そろそろ行くな〜?オニイチャン、元気ねな。あとアンタもね〜」

ミエは約三十分後腰を上げ、レオンハルトと吉岡に別れを告げて病室を出た。

 

 

「お待ちどうさンま」

廊下のトムに声を掛けたミエ。

トムは転寝をしてしまっていたらしい。

組んでいた腕と足を解いて、ハッとして起きた。


「じゃ、東京駅まで送ってく・・・高速バスで帰んだろ?」

「そうだけンど〜・・・いいって!大丈夫だぁ、気にせんでええ」

「遠慮すんなって」

「アンタだって予定あんだろ〜?」

「バイトは夜からなんだ。大丈夫だから・・・ほら、メット!ここで婆ちゃんと別れたら、

俺が後で兄貴にどやされるんだ。ほらっ!」

八十を超えた婆さんに予備のヘルメットをよこすトム。

「・・・少しだけ遠回りするぞ。時間大丈夫だろ?お台場の方回ってやるよ。ちょっと時間

的に早いかも知れ無ぇけど、夜景でも見て帰れよ。言っとくけど、俺は飛ばすからな?」

ミエは背中にリュックサックを背負った格好でトムの後ろの座席に乗り、トムの腰に手を回

した。


「俺のバイクのそこは、女はまだ誰も乗っけて無いんだ・・・有り難く思えよ?婆ちゃん?

「そうけ〜?そりゃあ良い土産話になるなぁ〜・・・おおぅっ!

トムがバイクのエンジンを激しく吹かし、クラッチを切る。

バイクは病院の駐車場から、結構凄いスピードを出して出て行った。

 

 


ミエは無事にお台場の夜景を見、東京駅で降ろして貰った。

トムはミエを下ろすと「バスに乗るまで居てやりたいんだけど、俺、これからバイトで・・

・」と、少し申し訳なさそうにした。


「構わねーっで。めぐみの事、どンぞ、よろしくな〜」

「お〜・・・」

何度も頭を下げるミエに少しテレながらトムは片方の手を上げて分かれ、そのままバイトに

向かった。

今日は友達の助っ人でバーテンダーのバイトだ。

トムの居る日は、店内の女性客が三倍増える。

友達は時たま自分の成績が悪い時、こうしてトムをダシに使ってマスターのポイントを稼い

でいた。

 


「・・・・・」

向こうの方で、トムをガン見している女が居た。

「・・・久しぶり♪」

タイトなスカートを履いた、かなり年上の女がカウンター越しにトムに挨拶して来た。

「・・・こんばんは。良く知ってたね、今日俺がここのバイトだって」

トムは他の客からのオーダーを作りながら、女の相手をした。

言葉はタメ口だったが、イントネーションに気配りがある。

流石に友達に喋るようなニュアンスでは喋らない。

トムにもTPOはあるのだ。


「アタシの勘はとっても働くの。ねぇ、バイト終わったら少しどこか遊びに行かない?」

「・・・ごめん。ダチが病院に入院しててさ。俺、まだ一度も見舞い言って無いから、今日

は流石に行こうって決めてて・・・悪いね」

「攣れないわね・・・」

「ご馳走するからさ。紗江子さんが好きな『ドライ・マティーニ』・・・はい」

手際良く「好物」を作って女に差し出す。

「・・・攣れないわね」

紗江子と呼ばれた女は遠慮なくトムからの飲み物を自分の前に引き寄せ、ニヤリと笑った。

 

 



トムがバイトを終え店を出ると、時刻は十一時になろうと言う所だった。

夜遅いが、もうちっとも寒さは感じられない。

むしろ、今まで働いていたのでトムは少し汗ばんでいるくらいだ。

「・・・婆ちゃん、ちゃんとバス乗ったかな・・・ん?」

向こうの方で盛り上がって歩いているオカマが居る。

ゲッ・・・朱美じゃん!」

オリバー一筋のオカマの朱美が、仲間と祝杯でも上げていたのだろうか・・・かなり泥酔し

て街を歩いている。

周りの人々はそれを遠巻きに避けて歩いていた。


「ヒロミちゃん、二十歳ホントにオメデトーッ♪」

どうやら「また誰かの二十歳のお祝い」らしい。

朱美の働く店のスタッフは、みんな「何度も二十歳のバースデーを祝って」いる。

あの店には、一体何人の「永遠の二十歳」が居るのだろうか?


「化粧落ちてヒゲ伸びちまってんじゃねーか・・・いいのかよ?」

トムは「やれやれ」とヘルメットをしてバイクに跨った。

係わらない方が良い・・・下手に係わると、自分もあの祝いに参加せざるを得なくなりそう

だ。

バイクを吹かし発進させた。

 



そろそろ家に近くなって来た所で・・・急に思い立ったように家路とは逆方向の角を曲がる

さっきは紗江子を遠避ける為に言った事だったが、本当に病院へ顔を出す事に決めた。

この時間ならレオンハルトはおそらく眠っている筈だし、自分が見舞いに来た事など分から

なくて丁度いいと思ったのだ。


そして実際、レオンハルトは眠っていた。

レオンハルトが運び込まれた日に顔馴染みになっていていた夜間の看護婦に頼み込んで病院

内に入れて貰ったのだ。

「今日だけですよ。面会は夜の七時までにしてくださいね」

「ありがと、看護婦さん」

「いえ・・・////////////

トム・・・全く罪な男である。

 

 


カーテンを少し開け、レオンハルトの寝顔を覗き込んだ。

めぐみから大方聞いていたように、腕の包帯はもう取れていたし、足も大分良さそうだ。

しかし、髪が・・・。

レオンハルトは頭に深手を負ってそこを手術したので、髪を綺麗に刈り込まれていた。

今少し伸びて来たが、傷所はこのまま永遠そのまま生えないかも知れない。

トムは、自分がムカつく程のイケメンなレオンハルトがそのような事になり、自分の事のよ

うに何だか残念な気持ちだった。

 


「・・・トム君?」

「何だよ・・・起きてやがったのかよ?」

「いえ・・・今、目が覚めました。あれ、朝ですか?」

「違う、真夜中だ」

「よく病院に入れましたね?」

「看護婦が俺に惚れてっからな」

「流石だ・・・」

一瞬「間」が出来た。


「具合、良いみたいだな・・・」

「はい、おかげ様で来週辺りからリハビリしてみようと言われました」

「そっか・・・」

どうも「間」が持たない。

普段そんなに話さない相手なので、こうして二人っきりだと何を話していいものやら・・・

トムはもう帰りたくなった。



「犯人、捕まったみたいですね」

「あぁ。お前が驚異的な動体視力の持ち主で、アッチはアッチで災難だな・・・」

「僕、目は両目とも2.5なんです」

2.5っ・・・おっと」

自分が大声を上げてしまった事に気付き、慌てて声のトーンを落とすトム。

「アフリカ人かよ、お前は・・・」

「僕の家族はみんな目がいいんですよ。だから多分・・・老眼が早いかも」

「三十目前だしな?」

ケケッと笑ったが・・・すぐにその笑いを引っ込めたトム。

良く考えたら、レオンハルトは双子より随分年上だ。

と言う事は自分とは相当年上だ・・・が、今更敬語には出来無い。

そんな事したら、レオンハルトも嫌がるだろう。

 


「ありがとうございます、トム君。僕、ずっと直接お礼を言いたかった」

「礼?」

「はい。輸血の名乗りをあげてくれたと聞いてます」

「あぁ・・・別に・・・」

「トム君のおかげで僕は生きてます」

「違うだろ?めぐみがお前を死の淵から呼んだからって・・・あ」

「・・・それ、聞いてたんですか?どこで?」

「・・・・・」

「まさか・・・部屋のすぐ外で?」

「忘れろ、それ・・・///////

レオンハルトは、トムに微笑みかけた。

めぐみが言っていた、「恥ずかしがり屋で優しいトム」を間の辺りにした。

 


「僕は大好きな人二人に命を救われました。幸せ者です」

「俺は別にお前を助けようとしたんじゃねぇ。ただ、たまたまその前の日にバイト仲間と焼

肉を食い過ぎて血にちょっとばかり余裕があったってだけで・・・」

「・・・ありがとうございます、トム君」

「・・・フンッ!礼なんか言うな」

「嬉しいです。僕の体の中にトム君の血液が・・・」

「気味が悪い事言うんじゃねーよ!」

 

「オッホン!」

 

「すみません、吉岡さん・・・」

 

 

「帰るわ、俺」

トムがカーテンを閉めようとした

「・・・はい。見舞い、ありがとうございました」

「・・・別に」

「おやすみなさい、トム君。気を付けて」

「・・・お〜」

トムは病室から出て行った。



それからレオンハルトは見る見るうちに回復し、病室の中で一番最初に退院が決まった。

仲良しになった病室仲間・吉岡と別れの握手を交わし、「機会が合ったらいつか外で会おう

」と約束した。


レオンハルトは暫くバンダナを巻いて過ごす事にしている。

いつもはTシャツなど着ないレオンハルトだが、バンダナ姿になってから恰好を少しラフに

しているので、これがまたなかなか新鮮だ。

帰って来た早々、大学の女生徒達にキャーキャー騒がれている。

「チッ!」

トムはそのイケメンぶりに、毎日舌打ちして過ごしていた。

レオンハルトがほぼ回復したので、ヴィルヘルムもゾフィーも・・・そして不二子も自分の

生活に戻る事にした。

が、おそらく来年からはハインリッヒ家は家族みんなで過ごす事が出来るだろう。

ヴィルヘルムは今、その事でドイツと日本を奔走し、忙しくしているのだから・・・。

 

 



ある日・・・エマが池照家に「招待状」を送ってよこした。


「今週の週末、私河合エマは誕生日です!池照家のみなさんを特別に誕生会へご招待します

♪尚、オリバー以外は絶対プレゼント持参する事!」

「・・・『招待状』って、プレゼントを要求するカードだったっけ?」

ダニエルはうんざりだ。

「僕、行かない!」

ルパートは素直に口にした。

「けど、行かないと後が怖いよ?」

「・・・だってエマ、高いプレゼントじゃないとまたぶつんだモン、痛いの、僕ヤダ!」

「僕だって嫌だよ・・・」

「・・・オリバーだけ行かせればいいんじゃない?」

「そうだよね」

が、当のオリバーは「俺、その日町会の役員会」だそうで、どんなに早く行けても八時半ら

しい。

誕生会は七時から・・・池照家が誰も出席しないのでは、エマの怒りはMAXになろう。

 


「オリバーは忙しいのよ、『大人』ですもの。大人は大抵忙しいモノなのよ!」

エマは意外と寛大だった。

「ま、オリバーさえ来れば、アンタ達はもう帰っていいから」

「・・・・・」

「あ〜、楽しみ♪外国では、十六歳の誕生日は特別って言うらしいわよ?オリバーは・・・

私にどんなプレゼントを考えているのかしら?ま、まさか・・・キ・・・きゃ〜♪」

エマは一人で盛り上がっている。

ダニエルとルパートは「毎年同じ事を願う、エマのハッピーな願望」に呆れるばかりだ。




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