第四話「びっくりカレーと二人の家出」


「アチッ!」

オリバーがキッチンで蹲(うずくま)った。

「オリバーさん!」

魔子が駆け寄った。

店内にいた馴染みの客が、みんな席から立ち上がってカウンターの中を覗き込んだ。

オリバーの腕が真っ赤になっている。

「大変!早く水で冷やさないと!」

魔子はオリバーの腕をグッと取り、流しの中に引き擦り込んで、水を全開で出して赤くな

っている腕を冷やした。

店内にはそれはそれはいい香りが漂っていた。

オリバーは秋の新作、「オニオングラタンスープ」の試作品を寸胴鍋で作っていたのだっ

た。

馴染みの客は、みんなその後相伴に預かろうと集まっていた面々だった。

「ごめん、魔子ちゃん・・・うちの家に入るとさ、救急箱があるから、そのボックス持っ

て来てくれないかな?玄関入ってすぐ左の部屋のテレビの下の引き出しの二番目に入って

るから・・・」

オリバーは熱さに顔を歪(ゆが)めながら、何とか言った。

「分かりました」

魔子はすぐに行動を起こした。



「いいねぇ〜、オリバー。魔子ちゃんみたいな可愛いカノジョが出来て」

客の一人が二人のやり取りに囃(はや)し立てると、他の客達もニヤニヤしたり、口笛を吹

いたりした。

「違いますよ、新田さん・・・あの子は僕のカノジョとかじゃから・・・」

常連客の一人に突っ込まれ、慌てて訂正するオリバー。

「テレんな、テレんな!今そうじゃなくたって、もう『時間の問題』って感じじゃないか」

「・・・そんなんじゃないって・・・//////

オリバーと魔子は、あの日(回転寿司を一緒に食べた日)から随分気心が知れて、付き合っ

てはいなくとも、そこそこ「いい雰囲気」になっていた。

何となくお互いを意識し合って、店の中でもアイコンタクトが頻繁に起きる。

店の常連は皆、「池照家」を両親の時代から知っている人間ばかりなので、まだ中学生だ

ったオリバーが、双子のジェームズと共に、今までどれだけ一生懸命大変な思いをして、

その下の弟達の面倒を見て来たかを知っていた。

だから、魔子のような可愛らしい気の利く、優しい女の子が、オリバーの「カノジョ」に

なってくれるのなら、大賛成・・・万々歳なのだ。

みんな自分達の子供のように、池照家の兄弟達の成長を見守って来た面々ばかりだ。



一方、ジェームズとトムの弟二人も、オリバーの顔を見る度に「告れ!」とうるさく捲くし立てていた

「中途半端」な態度は、魔子ちゃんにとっても「酷」だと言うのだ。

オリバーは聞いているのかいないのか、毎回生返事でそれを誤魔化していた。

魔子に対して、自分が相応(ふさわ)しいか自信がなかったし、女の子に告白する・・・と

言う事を今までした事がなかったので、ジェームズやトムがどれほどいいアイディアを出

してくれても、なかなか「先への一歩」を踏み込めずにいた。

しかし、一緒にいればいるほど「魔子の良い所」ばかりが目に付き、流石のオリバーも、

いよいよ自分の気持ちに嘘が付けない状態まで陥っていた。

まさに新田さん曰(いわ)く・・・「時間の問題」だった。

 



魔子は走って店内を飛び出し、脇から「池照家」に入り、少し遠慮がちに靴を脱いで、小

さく「お邪魔します」と声を発した。

畳敷きの思いっきり日本家屋の「池照家」。

もう少し古かったら、国の重要文化財に成りかねないほどの、日本人なら思わず「懐かし

さ」を感じさせる日本家屋だ。
(辺りの小学生や保育園生からは、よく指を指されて『ボ

ロ屋』と度々言われるが・・・
)

縁側があり、襖(ふすま)があり、板張りの床、畳敷きの各間・・・。

古い家ではあったが、掃除は良く行き届いていた。

夕暮れ時の、誰もいない薄明かりだけが外から入り込んでいる居間には、この家にはあま

り似つかわしくない、割と最新型の大型テレビ
(ルパートが町内会の福引で、去年の暮れ

に当てた。テレビの上にはゲームセンターで当てたと思われる、ぬいぐるみの数々がある


)
と、少し大きめのちゃぶ台、小物ダンス(どこかに旅行に行った時に買ったか貰ったかの

、人形や置物だらけ
)、最近、全く使用していないような、かなり古ぼけたオルガン(これ

は部屋にメチャクチャ似合っていた
)、そして壁一面には、沢山の「家族写真」が綺麗に

ポートレートに飾れていた。

何年も前に亡くなったという兄弟達の母親でもが、そうしたに違いない。

魔子は救急箱を探すのを思わず忘れて、その幾つかの写真を良く見つめた。



かなり昔のモノだった。

小学生の双子が、サッカークラブに入って楽しそうにしている。

意気揚々と真新しいユニホームを着て、お互いに肩を組んでいた。

その隣の写真は、小さい弟(どうやら燃えるような「赤毛」からすると、ルパートのよう

だ。ヨダレ掛けをして「あ〜ん」と大きく口を開けていた
)に、母親がスプーンでご飯を

食べさせている。

その横の写真は、これまた弟(こっちはどうやらトム)のおかずを横取りしようとしている

ジェームズが、トムに髪を思いっきり引っ張られている。

一際(ひときわ)大きく引き伸ばされた写真は、最後の弟ダニエルのお宮参りの時のようで、家族みん

なが「オシャレ」をして、神妙な顔付きで神社前
(家の近くのお不動さんだろう)で写真に納まって

いた。

どれもこれもが、「温かい『池照家』の、一番素敵な家族時代」を思い起こさせる素晴ら

しい写真ばかりだった。

 

プププププ♪

プププププ♪

 

魔子のポケットに入っていたケイタイが鳴った。

「・・・はい?」

魔子は緊張した面持ちでその電話に出た。

「はい・・・実は今、家の中です。はい・・・はい・・・今日ですね、大丈夫。任せてく

ださい」

電話を切った。

外から部屋の中に入る、夕焼けの木漏れ日をバックに、魔子の表情は暗くなっていた。

大きな目だけが、キラリと何かの使命を帯びたように光っている。



魔子は一瞬暗くなった表情を一転させ、志新(こころざしあら)たに、手当たり次第、居間

の棚を開け始めた。

誰かが家に帰って来やしないかと少し後ろを気にしつつ、なるべく物音を立てないように

しながら、部屋の中を隈なく調べている。

コト・・・と小さく音がして、魔子はハッとその音の方に顔を向けた。

「・・・カメ?」

「しーちゃん」が、またもや飼育箱の中から「自由を求め」て、這い上がろうとゴソゴソ

していた。

魔子は以前オリバーから聞いた事ある、ルパートの飼っているカメだとすぐに理解した。

そして、すぐにまた自分の作業に戻った。



兄弟の両親が眠る仏壇の中とか、箪笥(たんす)の後ろとか、押入れの中の引き出しの中と

か・・・「アレ」が隠されていそうな場所を捜し求めている。

なかなか「探し物」は見つからなかった。

立て付けの悪い襖(ふすま)を開けると、お中元やらの、まだ生身が入ったままの箱の軍団

が色々出てきた。

まさかとは思ったが、取り合えず一番上から順々に蓋を開けて、中身を確かめる。

「かつおぶしとサラダオイル」とか、「カルピスの詰め合わせ」とか、「缶詰盛り合わせ

」とか、生活に役立ちそうなモノが色々出てきた。

そして、それらの箱の一番下・・・。

「あっ・・・」

魔子は興奮気味に「ポーチ」を見つけた。

取り出して中身を確認すると、少し厚みのある茶封筒が入っていた。

「秘密の書類。絶対に見てはダメ!」と太字で書かれてある。

「・・・『コレ』ね?」

「何してんの?」

 

ドキーーーーーッッ!!

 

不意に後ろからルパートが現れた。

手にはきゅうりを一本、握り締めている。

「あ、あの・・・」

魔子は動揺してしまって、シドロモドロになった。

「何か探してたの?僕、一緒に探そうか?」

「あ、え、と・・・オ、オリバーさんが、や、火傷して、で・・・」

「あぁ・・・救急箱なら、ここだよ」

ルパートはテレビの下の棚を開けて魔子に教えようとしたが、いつの間にか魔子の姿はな

くなっていた。

「あれ・・・魔子ちゃん?」

ルパートは片手にきゅうり、もう片手に救急箱を持って、暫しボー然と部屋の中に佇んで

いた。

「おーい、魔子ちゃーん!」

ルパートは大声で魔子を呼んだが、やはり魔子の姿はなくっていた。



その様子を、隣の家の二階からエマがまたもや望遠鏡で覗き見ていた。

魔子を探す池照家の居間にいるルパート・・・そして、物凄い速さでどこかに走り去って

いく魔子。

魔子の姿は一瞬だけ望遠鏡に映り、もう見えなくなっていた。

エマがもう一度望遠鏡で「池照家の居間」を覗くと、ルパートは「魔子探し」を諦(あき

)めたのか、「しーちゃん」の飼育箱の中にきゅうりを入れ込んでいる所だった。

エマは、「そのカメに、その量はあげ過ぎじゃね?」と思った。

「で、結局魔子は、一体何を持ち出したのかしら・・・?」

魔子の手に握られていた「茶封筒」をエマは気にしていた。

 



「どうしちゃったのかなぁ〜・・・」

食卓を囲んだその日の夕食の席で、シュウマイを箸で摘んだ状態のオリバーが、ポロッと

呟いた。

「突然帰っちゃったのか、魔子ちゃん?確かに変だな・・・」

トムだ・・・今日はバイトがないらしい。

「オリバー、何か彼女にエロい事したり、言ったりしたんじゃねぇの?」

ニヤニヤした。

するかっ!お前じゃあるまいし・・・」

オリバーはトムのジョークにもすぐに反応した。

「『お前じゃあるまいし』ってね・・・酷くねぇか?俺は女性に対しては、限りなく『ジ

ェントルマン』だぜ?」

「だったら、『ジェントルマン』らしく『カノジョ』は一人にしろ。ご近所の目も考えろ

よ・・・毎々毎回違う女と歩いてるって噂されてんだぞ?アイテテテ・・・可哀想に俺の

腕・・・」

オリバーは、自分の火傷の痕を見た・・・事故が起こって間もないので、かなり痛々しい。



「相当熱かっただろ、ソレ?」

ジェームズは、まるで自分がそうなったようにゾッとした顔をした。

「アチーなんてもんじゃなかった・・・まさに、死ぬ寸前よ。おい、ダニエル・・・食べ

物で遊ぶな」

オリバーがダニエルを注意した。

ダニエルはシュウマイを自分の手の上に乗せ、もう片方の手で、シュウマイの乗った手の

平の下の方を叩き、シュウマイを口の中に飛ばせて一口で食べる・・・と言う、時々「と

んねるず」がテレビでやっている真似をしていた。

ルパートは純粋にダニエルの「曲芸」を喜んで拍手していた。

オリバーはフーフーと、自分の腕に風を送った。

ジェームズはオリバーと双子なので、特にダイレクトにオリバーの痛みを理解出来るよう

だ。

自分の腕を、ワサワサと痛そうに擦(さす)り始めている。



「もう少し早かったら、俺、病院くらい連れてってやったのにな・・・悪かったな」

ジェームズが言った。

「優しいね、お前・・・」

オリバーがジ〜ンと感慨に耽(ふけ)った。

「いや・・・あの病院、毎週火曜日に『そこそこの美人がいる』んだ」

「『ナース』にか?へぇ〜・・・どんな感じの女だ?」

トムもすぐにその話に食い付いて来た。

「胸が割りとデカイ。それに、唇がエロッぽい」

「少しポッチャリか?」

「そうだな・・・肉付きはまぁ・・・普通かな」

「ふ〜ん・・・今度確認しに行ってみるか・・・」

「お前らなぁ〜・・・」

オリバーは自分の心配じゃない理由で、病院に行きたい二人の弟を睨んだ。

「そう言えば・・・随分静かになっちまったじゃないか、ダニエルもルパートも」

ジェームズが、きゅうりの一夜漬けをポリポリ食べながら言った。

「ここにいないのではないか?」と思ってしまうほど、大人しくなってしまった二人の弟

達。

「僕は元気だよ。でも・・・ルパートがいきなり元気なくなっちゃったんだ。だから、僕

も・・・ご馳走様」

ダニエルは珍しく、二杯しかご飯をお代わりしなかった。

しかし、食事は綺麗に完食され、お皿には何も残っていなかった。



「どうしたんだ、ルパート?腹でもまた痛いのか?」

「お菓子食い過ぎたんじゃねぇの?」

「オカシな食い合わせで、何か食ったんだろ?りんごにマヨネーズとか・・・」

三人の兄達は代わる代わるに「心配」してくる。

ルパートは本当に食があまり進んでいなかった。

先ほどダニエルがシュウマイで遊んでいる時は、割と元気だったのに・・・。

珍しくルパートは、何か考え事があるように、ジッとちゃぶ台の上に並んでいるおかずを

見つめている。

彼の大好きな「酢豚」もあると言うのに・・・それにはちゃんと、ルパート用に「パイナ

ップル」も入っていると言うのに・・・今日は「中華団欒
(ちゅうかだんらん)」、Cook

 
Do」な日だった・・・。



「・・・・・」

「食わないんだったら、それ、ダニエルにあげろ。今日は自分の食器は自分で洗ってくれ

よ。俺はこんな腕で、飯の用意までがんばったんだ」

オリバーは自分用に食後のお茶を入れ始めた。

「あ、俺にもくれ、オリバー」

ジェームズは調子良く一緒に入れて貰った。

「ルパートとダニエルに食器洗わせると、後片付けが厄介だ。今日は俺が食器洗ってやる

よ」

トムが腰を上げた・・・トムは今日も少食だった。

シュウマイを二個と、ご飯を茶碗に半分・・・それに少しだけ酢豚を摘んだ。

酢豚の中の玉ねぎは、自分の目に届かないように脇に除けてあった。

「あらら・・・協力的だ事。素敵ふじゃないか、トム君!」

「『トム君』って呼ぶんじゃねー!」

ジョークで言ったジェームズの台詞に、トムがいきなり切れた。

「ビビッた・・・何怒ってんだよ・・・」

「あ〜、悪い・・・。とにかく、俺を『君(くん)付け』で呼ぶのやめろ。それから、俺に

『素敵』って言うな。嫌な野郎を思い出すから・・・」

 




「ハクションッ!」

レオンハルトが高い自分の鼻を、揉(も)むように少し弄(いじ)った。

「どうしました、坊ちゃま?お風邪ですか?」

ハインリッヒ家の執事の爺やが声を掛けた。

レオンハルトの部屋まで、彼のコーヒーを持って来た所だった。

「いや、そうじゃない。きっと・・・トム君が僕の事を噂しているのさ」

「『トム君』・・・と言うのは?」

「『僕の親友』だよ、爺。とてもセンスがいい、素敵な人さ。そのうち彼をうちに招待し

たいと思っている」

「おぉ!もう新しいお友達が!流石は坊ちゃまですね?既に人気者のようで・・・。お友

達をご招待・・・それはとてもいい考えです」

「うむ。でも、まずはその前に、彼の家を突き止めたい・・・任せていいかな?」

レオンハルトはコーヒーをソーサーごと持ち上げ、カップから少し啜(すす)った。

「勿論でございますとも。爺にお任せを」

「うむ」

レオンハルトは、重厚なヨーロッパデザインのカーテンやレトロな家具で囲まれた自室で

カウチに横になり、優雅に食後のコーヒーを楽しんでいた。

「あ、お手紙が届いてましたよ。出張中の旦那様と奥様から・・・。それに、ゾフィー様

から・・・」

「そこに置いておいてくれ、後で読む」

大きな窓から見える夜空には、半月が出ていた。

「・・・きっとトム君も、自分の部屋からこの月を見ている事だろう・・・」

 




「ヘ〜ッキシ!」

トムが身震いしながらクシャミした。

食器を洗っている所だったので、スポンジに付いている洗剤が少し流しに飛び散った。

「風邪か、トム?」

ジェームズも協力しているようで、洗われた食器を拭いている。

二人の、珍しいキッチンでの2ショットだ。

「かもな。最近寒くなったし・・・。あ、オリバー!魔子ちゃんに電話してみろよ?」

トムは洗い物を片付けながら、後ろを振り返った。

「何度も掛けてるんだ。でも、出ない・・・」

オリバーは珍しく胡坐(あぐら)を掻いて、火傷の薬を一人で塗っていた。

「ふ〜ん・・・おかしいな?でも、まぁ、明日は普通通りに来るんじゃないか?」

「うん、だと思うけど・・・アテテ・・・」

「・・・いよいよマジになって来たようだな、オリバー。魔子ちゃんに対して『アクション起こして

みる』気になったか?」

トムが殊更ニヤ付いた。

「無駄話はいいから、早く食器洗え!」

オリバーは睨(にら)んだ。

「はいはい・・・ははは、テレてやんの!可愛いぜ、『オリ婆』さん♪」

「うるさい!誰が『オリ婆』さんだ!」

オリバーが怒った。

「ははは!旨いね、お前、ネーミング♪」

ジェームズがトムを褒めた。

「サンキュー、『ジェム爺(ズィー)』さん」

「貴様・・・」

ジェームズがトムの首を絞めた。



兄三人が台所で盛り上がっているのを余所(よそ)に、二階の部屋では二人の沈んだ弟達が

、布団の上で二人して、互いの方向を見て正座している。

「ねぇ、ルパート・・・ホント、一体どうしちゃったの?」

「ダン、僕・・・僕、多分・・・」

ダニエルは心配そうに、問い質(ただ)した。

俯いたままのルパートが、それに対して小さく呟いた。

 

グゥ〜・・・!

 

ダニエルとルパートが目を合わせた。

 

キュルルルルル・・・。

 

ルパートの腹が鳴った。

「やっぱりお腹減ってるみたい、ルパート・・・」

「うん、そうみたい・・・僕、ご飯食べてくる」

ルパートは下に下りて行って、みんなに非難を受けながらも、もう一度夜ご飯を食べ始め

た。

ダニエルもなぜか下りてきて、ルパートと一緒にもう一度ご飯を食べた。

ルパートが元気になったので、自分も腹が減ったようだった。

 




「無い・・・無い・・・無い・・・」

次の日の夜・・・オリバーが押入れの中を、ガサガサと物探しをしている。

「何が無いの、オリバー?」

ダニエルとルパートはテレビを付けながら、宿題をちゃぶ台に広げ、集中力一切ナシの状

態で、漢字の書き取りやら、英単語の書き写しをしていた。

「保険証だ。それに・・・通帳と印鑑も無い・・・」

「え、ヤバイじゃん、それ・・・」

ダニエルがテキトーに驚いた。

「・・・・・」

ルパートは、たった今オリバーが探している押入れをジッと見つめていた。

さっきまで、ダニエルと観ていたクイズ番組に夢中だったが、もう意識はオリバーの方へ

移っていた。

昨日、魔子がそこをガサガサしていたのを思い出していたのだ。

「マジ、ヤバイな・・・でも、何で無いんだ?」

「どこか他に移動させたんじゃないの、オリバー?」

ダニエルはテレビを観ながら、本当に適当に喋っている。

取り分け今の所ダニエルにとっては、「保険証」も「通帳」も「印鑑」も、必要ではない

からだ。

「そんな事はしてない。弱ったなぁ〜・・・」

オリバーはその押入れの場所を諦(あきら)め、頭をポリポリ掻きながら、他の場所を探し

に行ってしまった。



「あ〜・・・馬鹿だなぁ、この人!答えは『C』に決まってるじゃん!ねぇ、ルパート?」

ダニエルは、クイズ番組を見ながら「ヒート」していた。

「・・・・・」

「・・・どうしたの、ルパート?」

ダニエルが急に大人しくなってしまったルパートを気にした。

「ダン・・・魔子ちゃんってさぁ〜・・・」

「うん、今日来なかったみたいだね、バイトに」

「うん・・・」

そうなのだ・・・今日、魔子はバイトに来なかった。

しかも・・・無断欠勤だった。

今までは、そんな事は一度たりとも無かったのに・・・。

オリバーは再三彼女のケイタイに電話を掛けたが、何度電話しても「電源の入っていない

状態にあるか、電話に出られない状態です〜」と言う、決まり文句の繰り返しだけが流れ

ていた。

オリバーは火傷をしていたが、店を休まず、通常通りの営業時間でがんばった。

魔子が現れるのを、待っているようにも見えた。

「魔子ちゃんが・・・どうかしたの、ルパート?」

ダニエルがルパートに聞いた。

「・・・ううん、何でもない」

ルパートは薄っすら笑った。



「ねぇ、明日は僕らが夜ご飯の用意をしてあげない?オリバーの為に」

ルパートに顔を近付け、内緒話をするような声で喋ったダニエル。

「え、ダン、料理なんか出来たっけ?」

「『カレーなら』何とかなるんじゃないかなってさ。『調理実習』で、少し前に僕作った

し・・・」

「うん。じゃあ、二人で協力して美味しいカレーを作ろう!」

ルパートが乗った。

「よ〜し!みんなが『ビックリするようなカレー』を作ってやるぞ〜!」

「うん!」

二人は意気揚々(いきようよう)と意識を高め、サクサクと宿題を終えさせて布団に入っ

た。

 




「・・・何じゃこりゃっ!?」

次の日・・・仕事を終えたオリバーと、バイトが無くて早めに帰って来たジェームズが、

台所で『ビックリした』声を上げた。

なべの蓋を開けて、思わず出た驚きの声・・・かなり『ビックリするカレー』が出来上が

っていた。

「見た目はあんまり良くないけど、多分美味しいよ?」

ダニエルがエプロンに醤油のシミやらケチャップの汚れを付けて、自信満々に言った。

ルパートはなぜか、口の周りにチョコレートを付けている。

「『多分』って何だ?『コレ』は・・・何なんだ?」

オリバーがなべの中の見知らぬ食べ物を指して、心配そうに言った。

「あはは!楽しいジョークだね、オリバー!『カレーに決まってる』じゃないか!僕達二

人で作ったんだよ。ね、ルパート?『愛情タップリ』入ってるよ。ね?」

「うん」

ルパートも、双子から何かを期待するかのような目付きだ。

「あ〜・・・お前はどうして、口の周りをチョコレートで汚してんだ?」

ジェームズがルパートに聞いた。

「隠し味に入れたんだよ。本に書いてあったの。チョコレートの味見を少ししたけどね」

「・・・むしろ、カレーの方の味見をして欲しかった・・・」

オリバーが、ドロドロしたなべの中の怪しい液体を、おたまで掬(すく)った。

「大丈夫だよ、オリバー!あらゆるアイディアを出して作ったスペシャルカレーだもん!

美味しくない訳ないよ!」

「美味しかったら、お店のメニューにしてもいいからね」

ルパートが付け加えた。

「・・・楽しい事言うね、お前・・・」

オリバーの顔色は、既に白っぽかった。

「誰が、命の保障をしてくれんだ?保険証も今、見当たらないのに・・・」

ジェームズのその台詞に、またもやルパートの顔色がサッと曇った。

 

ピーーーーーッ♪

 

「あ、丁度ご飯も炊けたよ!さ、ご飯にしようよ!一杯お代わりしてね!一杯食べれば、

早く良くなるよ、オリバー!」

「へぇ〜・・・メシ食えば、早く火傷が良くなるらしいぜ、オリバー。初耳だ・・・」

「・・・・・」

双子は互いに目を合わせ、恐ろしげなカレーを食べる度胸を決めた。

 



「ただ今・・・おわっ!どしたよ、みんなして・・・」

トムは居間に入ろうとした所でビクッとし、足を止めた。

夕飯の片付けもせずに、オリバー、ジェームズ、ダニエルが、ちゃぶ台の脇でダウンして

いる。

各々の皿の中では、まだ食事がタップリ残されていた・・・どうやら食事の最中だったよ

うだ。

唯一起き上がっているのはルパートだけだ。

膝を抱え、みんなの様子に驚いて、部屋の隅で小さくなっていた。

「おい・・・どうしたんだ、ルパート?何があった?」

ペチペチとルパートの柔らかい頬を叩くトム。

ルパートはウルウルと涙目で、畳の上で「ひっくり返っている」みんなを見ているだけだ。

「ト・・・トム、やっと帰って来た・・・き、救急車呼んでくれ・・・さ、三人分・・・」

ジェームズがトムの方に手を伸ばし、ピクピクしている。

「ジェームズ!?」

トムはジェームズの脇に移動した。

「腹が異常に・・・痛い・・・」

ジェームズは腹を抑えて、苦しそうにモガいていた。

オリバーとダニエルは、共に畳の上で体をくの字に折り曲げ、オカシな脂汗を掻いている。

「おい、食中毒かっ!?」

「いや・・・多分、違う。多分・・・食い合わせだ。とにかく、早く救急車・・・」

トムは、のた打ち回っている三人をビビるように見つめながら、ケイタイ電話で救急車の

手配をした。

「お前は平気なのか、ルパート?」

半ば放心状態のルパートに、トムはもう一度近寄った。

「僕、虫歯になっちゃって、ご飯食べれなかった・・・お腹空いちゃったよ、トム・・・」

ルパートはひもじそうに、膝を抱えていた。

脇の「しーちゃん」は、きゅうりを見事完食して、今は眠りに付いていた。

トムはあっちにもこっちにも困った。

さっきまで、カノジョの一人と優雅な夕食を楽しんで来た事が、一気に醒めた。



「ル、ルパート・・・もし、虫歯が治っても・・・あのカレーは食べちゃダメだ。君も同

じ目に・・・それこそ、僕はショックで死んじゃうよ・・・」

ダニエルは苦しみながらも、ルパートを想った。

「死なないで、ダン!でも、何がダメだったんだろね?結構匂いは美味しそうに出来てた

のにね?」

ルパートはダニエルの傍らに座り込み、ダニエルから伸ばされた手を取ってやった。

「良かれと思って入れたもの同士が、何かしらの化学反応を起こしたのかも・・・。とに

かく・・・あれは・・・ダメだ」

「うん・・・あ、救急車!

「池照家」の三人は、ウンウン唸りながら救急隊員に救急車に乗せられ、トムは一緒に車

に乗って行く事にした。

「お前は家で待ってろ!病院に付いたら連絡入れるかな・・・な?」

「・・・うん・・・」

ルパートは心細そうに、虫歯の頬っぺたを抑えながら、玄関の前で突っ立っていた。

近所の人々が何事かと大勢外に出ていた。

隣の「河合家」の家族は四人で外に出て、エマの両親は「大丈夫よ、ルパート」とルパー

トの体を後ろから支えてやっていた。



「おばさん・・・僕、虫歯なの。でもお腹減ってるの・・・」

身長こそ、エマのママより大きいルパートなのに、表情はまだまだ子供っぽい。

男の子がいない河合家のママは、池照家のお母さん的存在だ。

「あらあら、可哀想に・・・うちへいらっしゃい。何かスープでも作ってあげるから」

「わぁ〜い♪」

ルパートは車で行ってしまった兄弟達を、あっと言う間に忘れ去り、「ご飯をくれる、優

しいおばさん」に付いて行ってしまった。

「ちょっと!」

エマがルパートの着ていた服のフード部分をグイッと捕まえた。

「ぐるじ・・・何だよ、エマ?」

ルパートはゴホンゴホンと咳をしながら、エマと一緒に河合家の玄関から家に入って行っ

た。

「大丈夫なんでしょうね、オリバーは?」

「うん、お医者さんが何とかしてくれるよ、きっと」

ルパートは今はそんな事はどうでも良かった。

スープの事だけが、自分にとっての重大な事だった。

「ねぇ、ルパート・・・アンタ、魔子の事どう思う?」

「可愛いと思うけど」

じゃなくって!あの女がアンタん家から取っていった物・・・アンタ見てたんでしょ

?」

「・・・・・」

ルパートは俯いた。

「オリバーに言いなさいよ、その事!バイトも休んでるみたいだし・・・後ろめたくって

、来れないんじゃない、あの女?」

「・・・そうじゃないと思うけど〜・・・。エマ、口の横にご飯粒付いてるよ?」

今は、私の話じゃないわよ!いい!?オリバーが帰ってきたら、絶対に言うのよ!

いわね?!

「う、ん・・・」

エマは玄関のドアをバチンと閉めた。

そんな中、一台のリムジンが、一連の騒ぎを見届けると、スーッと路地裏を出発した。

 




何っ!トム君のご兄弟が入院!?それは大変だ!こうしてはいられない!爺、早速車

を!」

「いえいえ、坊ちゃま。今病院へ運び込まれたばかりなのです。いきなり行かれても、ト

ム様も驚かれるはず。明日様子を見て、出向いてはいかがですかな?」

「うむ、そうか・・・うむ、全くその通りだ。あぁ〜・・・でも、心配だろうな、トム君

・・・」

「確かお一人だけ、お家に残られた坊ちゃんがいました。ご近所の奥様に、ただ今ご厄介

になった模様です」

何と!明日の朝、彼を訪ねてみよう。きっと心細く泣きはらしているやも知れない。

可哀想なトム君の弟・・・」

「何ともお優しい・・・」

爺やは、自分の家の心優しいお坊ちゃんを誇らしげに見上げた。

 



そして次の日の朝もやの中・・・ハインリッヒ家のリムジンは、「とげぬき地蔵界隈」に

似つかわしくない風貌を漂わせて、路地脇に駐車していた。

「お〜・・・あそこがトム君の?何と素晴らしい日本らしい素敵なお宅だろう・・・ん?」

「池照家」の外をウロウロする女の子が一人・・・。

そして突如、「池照家」の玄関がガラッと開いた。

「あ・・・」

パジャマ姿の、頭がボシャボシャのルパートと魔子の視線が合う。

「あ、待って、魔子ちゃん!」

ルパートは魔子を呼び止めたが、魔子は走っていなくなってしまった。

「・・・・・」

ルパートは、ポストの中からの新聞と、牛乳を取り出した。

普段はこんなに早起きではないルパートだったが、みんながいないので、ちゃんと朝のオ

リバーの仕事をこなしてやっていた。

「やぁ、君!」

不意にルパートに話し掛けて来たガイジン・・・。

「君は、トム君の弟さんかな?」

「・・・誰?」

ルパートは朝から眩し過ぎるその風貌に、目をパチパチさせている。

「よくぞ聞いてくれた。では、自己紹介しよう!僕の名前は『レオ〜ンハルト・ハインリ

ッヒ』!トム君の親友さ」

朝からキメキメのスタイリッシュなレオンハルト・・・全身ブランド尽くめだ。

「・・・トムの親友?トムのお友達?トムならいないよ?まだ病院から帰って来てないん

だよ。昨日ね、ダンとカレーを作ったらねぇ〜、オリバーとジェームズがおなべの蓋を開

けて、『へぇ〜・・・そんな事、初めて聞いた』って言って、みんなが僕が虫歯の間にご

飯が炊けてね、チョコとね、キムチとね、りんごのジャムとコーヒーは・・・あ、なかっ

たから入れなかったんだ。で、始めダンがね、ひっくり返って、『玉ねぎがぁ〜』って言

って、後から食べたオリバーは電話が鳴ったから一回食べなくなって、電話に出て、そし

たら電話は切れてて、エマのママが『スープにする?それともおかゆ?』って聞いて、で

・・・みんなは病院に行ったんだよ。救急車が僕の家に来たの。凄いでしょ?」

「・・・・・」

ルパートの説明を、何一つ理解出来なかったレオンハルト。

助けを求めるように、後ろに控えていた爺やを見つめる。

爺やもノーコメントだった。



「あ〜・・・トム君のいる病院を知りたいんだけど・・・」

レオンハルトは気を取り直してルパートに聞いた。

「竹田さん家の隣の病院だって!夜中に電話があった」

「・・・竹田さんと言うのは・・・えっと、場所はどの辺なのかな?」

「えっとね、簡単だよ。左のタバコの自動販売機の横のね、オリバーがいっつも見る度に

、『うおっ、懐かしいなぁ〜、このポスター。『スピード』・・・お前ら知らないだろ?

』って言うんだよ。僕はちょっとは知ってるから、『知ってるモンねー』って言って・・

・ダンはね、全然分かんないんだって」

「あ〜・・・で、竹田さん家はどうやって・・・?」

レオンハルトは辛抱強く聞き返した。

「もう!ちゃんと聞いてた?」

ルパートが憤慨した。

「え、と・・・聞いてたけど・・・ごめん、ちょっと分からなかった」

人のいいレオンハルト・・・。

「じゃあ、もう一回言うからね?あのね・・・あっ

ルパートがレオンハルトを通り越して、向こうの方を見つめた。

朝もやが若干残る道の向こうから、兄弟が帰って来た。



「ダンだぁ!おかえり〜♪」

「あ、ルパート!ただ今ぁ〜♪」

ガッシリと抱き合う二人の兄弟・・・。



「・・・うちの前で何してんだよ、お前?」

トムはオリバーとジェームズと一緒に歩いてきた。

レオンハルトを見つけると、ガックリした。

「心配したよ〜、トム君!もう、君が心配で心配で・・・一睡も出来なかった・・・」

「俺は何ともねぇ・・・。って、どこから俺ん家の情報仕入れた?」

「親友の君の危機・・・僕が気付かないとでも?ナンセ〜ンス!

「・・・・・」

トムと一緒に、オリバーもジェームズも目が点になった。

「おい、トム・・・ひょっとして、こいつか?」

ジェームズはトムが「君(くん)付け」で呼ばれる事を、ジョークでもやめろと言った事を

思い出した。

ヒソヒソとトムに耳打ちするジェームズ。

「あ、これは・・・トム君のお兄様達ですか?初めまして!僕は彼と同じ大学で、彼と親

友の『レオ〜ンハル』むがっ・・・」

トムはルパートの持っていた牛乳を一本開け、レオンハルトの口に押し込んだ。

「家に入るぞ、お前達。ルパート、別に夕べは変わった事はなかったろ?」

トムはルパートの肩を抱いて、家の中へ促(うなが)した。

「うん、なかった。エマん家のおばさんにスープ作ってもらったんだよ。だからお腹一杯

になれた」

「そうか、良かったな」

トムは何事も無かったかのように、レオンハルトを無視して、みんなを引き連れて家の中

に入って行った。

「あの、坊ちゃま・・・彼が?」

「そう、トム君さ。彼はどうも恥ずかしがり屋でね・・・。また学校で会おう、トム君!

ははははは♪

レオンハルトは爺と一緒に去って行った。



「・・・何なんだ、あいつは?」

まだ少し青い顔をしたオリバーが、居間に「よっこらしょ」と座りながら聞いた。

色々な意味でグッタリしていた。

「気にするな、何でもない」

トムは殊更にぶっきら棒に答えた。

「ちがうよ、オリバー!あの人はトムの親友の『レオ〜ンハルト・ハリンリッヒ』君だよ

!」

ルパートは、レオンハルトの「独特のアクセント」そのままに紹介した。

「凄いね、トム・・・『ガイジンの友達』がいるんだぁ〜・・・」

ダニエルは普通に憧れの眼差しでトムを見た。

「友達じゃねぇって!ほら、学校行けそうなのか、ダニエルは?」

トムはダニエルの顔を覗き込んだ。

「うん!勿論行くよ!『無遅刻無欠席』が僕の自慢さ!」

「ダン、凄〜い♪」

パチパチパチとルパートが拍手した。

ダニエルはルパートに褒められ、テレていた。

「あ、オリバー。そう言えば、さっき魔・・・」

ルパートは朝方の出来事を言おうとして、思わずハッと言葉を止めた。

「ん?」

「あ〜・・・ううん、何でもない・・・」

オリバーは「いつものルパート」に首を傾げながら、まだ調子悪そうにフラフラしたまま

、新聞を読み始めた。



「トム・・・悪いけど、あのなべの中身・・・後で始末してくれ」

「オッケー」

「ねぇ・・・僕、朝ごはんが食べたいんだけど・・・」

ダニエルがそう言うと、ルパート以外のみんなから、言葉の非難が轟々(ごうごう)と沸き

起こった。

アホかっ!たった今、半分食中毒的な症状で苦しんで病院にいた奴が・・・朝飯食う

なっ!

「今日は朝飯抜きっ!」

胃の浄化だっ!インド人になったと思え!」

「え〜〜〜っ!?」

それから時間になるとダニエルとルパート・・・それにトムは学校に行った。

「喫茶レインボー」は二、三日休養日を取った・・・オリバーの症状が一番良くなかった

のだ。

ただし、オリバーの場合・・・体の事だけでなく、精神的にも少し落ち込んでいた。

魔子ちゃんの事だ・・・相変わらず連絡が取れなかったのだ。

ルパートは時々、オリバーが溜め息を吐いてる場面に出くわすと、とても悲しい気持ちになった。

言おうか言わまいか・・・悩む事が苦手なルパートが、悶々と悩んでいた。

そして隣のエマは、魔子がこのままいなくなればいいと願い、「望遠鏡越し」にほくそ笑

んでいた。

 




そんなある日・・・。

「来たーーーーっ!電話来たーーーーっ!明日店に来るって!」

オリバーがズダダダッとうるさく走りながら、大声を出して家の中に入って来た・・・あ

まり見られない、レアな光景だ。

土曜日の夕方の出来事だった。

「・・・誰が?」

たまたま家にいたトムが、居間で胡坐(あぐら)を掻きながらメールをしてて、ハイテンシ

ョンなオリバーをかなりクールな目付きで見上げた。

「魔子ちゃんだ!」

「え、マジっ!」

トムは自分が打っていたメールを途中でやめた。

「良かったじゃん、連絡付いて。決めろよ、オリバー!ホント、マジ、明日魔子ちゃん来

たら、決めるんだぞ!」

「あ、ああ・・・」

オリバーは興奮気味だった。

あのまま永遠のお別れかと思っていたので、とにかく嬉しいようだ。

どうして突然姿を消したのか・・・どうして電話に全然出なかったのか・・・聞きたい事

は一杯あったが、純粋にもう一度彼女に会える事が嬉しかったオリバーだ。

「今夜は、肉だ!晩飯は肉にするっ!」

「おっ、やる気満々じゃねーか、『オリ婆』さん♪その意気だぜ!」

「誰が、『オリ婆』さんだ!あ、トム!ジェームズに連絡入れてくれ!あいつ今日『ジェ

スコ』のチラシの撮影のバイトしてるはずだ。焼肉するから肉買って来いって電話入れろ」

「オッケー♪」

オリバーがオカシなステップを踏みながら、また店に戻って行った。

仕事中に報告・・・きっとよほど嬉しかったのだろう。

トムは普段はあまり見られないオリバーの浮かれた姿を、楽しそうに鼻で笑った。

「全く可愛いぜ、『オリ婆』・・・あ、ジェームズ?俺!今日さ・・・」

トムは早速ジェームズに連絡を入れ、事の趣旨を簡単に説明した。

 



わぁ!凄〜い!どうしたの、今日・・・」

ダニエルとルパートは、ちゃぶ台の上の大皿の中に溢れんばかりにある牛肉を見つめ、感嘆(かんたん)

の声を上げた。

「んっふっふ〜♪さぁ、二人共手を洗え!それに線香も上げろ!最近、全然二人共親父と

お袋に手を合わせてないだろ?」

オリバーはセカセカと台所から、切った野菜やら、取り皿、焼肉のタレなどを運んでいる。

どうやら、逸(はや)る気持ちを抑えられないらしい。

トムとジェームズは互いに目を合わせ、ニヤリとした。

「明日、オリバーに『早めの春が来る』んだ・・・なぁ、オリバー?」

ジェームズがニヤニヤしながらオリバーをチラッと見た。

オリバーは少し赤くなったが何も言い返さなかった。

「え、何で?何で『オリバーにだけ春が来る』の?まだ冬も来てないのに・・・どうして

?」

ルパートとダニエルの、「おっぺけ」な頭の回転にチューナーを合わせていなかったジェ

ームズは少し溜め息を吐いたが、辛抱強く言い直した。

「何と・・・明日、我らの兄オリバーが、魔子ちゃんに交際を申し込むのだ!で・・・多

分二人は付合う事になるのだ!な?メデタイだろっ!」

「うわぁ、そうなんだ!がんばってね、オリバー!」

ダニエルは純粋にその事を喜び、拍手した。

オリバーはテレながら、少し親指を上に突き上げた。

一方・・・ルパートの方は、いきなり気分がダウンした。



「・・・『保険証』と『通帳』と『印鑑』は見つかったの、オリバー?」

思わずオリバーに聞いてみたルパート。

「いや・・・まだだ。でも、『通帳と印鑑』はどうにかなった。『保険証』も再発行の手

続きしてあるし・・・何で、そんな事気にしてんだ、お前?」

普段なら、ルパートが気にするような問題じゃなかったので、オリバーは驚いた。

「・・・あの、さ・・・魔子ちゃん・・・僕・・・そんなに可愛くないと思うよ、オリバ

ー。そんなに・・・いい子じゃないと思うよ?」

「・・・何言ってんだ、お前?」

トムがルパートを見つめた。

みんなも見つめた。

「魔子ちゃん・・・僕、あんまり可愛いと思わないよ。あんまりいい子じゃないと思う・

・・だから・・・」

「・・・どうしてそんな風に言うんだ、ルパート?」

オリバーは明らかに声のトーンが落ちていた。

楽しい夕食前のはずが、突如、嫌な雰囲気に呑まれて行く・・・。

「だって・・・僕、見たんだもん。魔子ちゃんが、押入れの中から、何か持って外に出て

行くの・・・多分、アレ・・・保険証と・・・」

「見間違いさ・・・そんな事、ある訳ない・・・」

オリバーの声は落ちたままだ。

落ちたまま、鉄板焼きの機械のコンセントを差し込み、温度を最強に設定した。

食卓を囲んだ他のメンバーはみんな無口になっていた。

二人の動向を見守っている。

「ホントだもん・・・僕、見たんだもん。魔子ちゃんが・・・」

「いい加減にしろっっ!!」

オリバーの、物凄い大声と剣幕にみんなが驚いた。

普段は絶対に大声なんか・・・怒鳴り声なんか上げない優しいオリバーが、本気に怒った。

「嘘じゃないもん・・・僕、ホ、ホントに・・・」

ルパートは見る見るうちに涙を溜め始めた。

大きなグリーングレーの瞳(日本人なのに・・・?)から、今にも大粒の涙が零れ落ちそう

だ。

声が震え、必死に泣くのを堪(こら)えている。



「お前はいつからそんな嘘付きになったんだ!許さないぞ!ちゃんと見てもいないくせに

、そんな風に魔子ちゃんの事を・・・」

オリバーも声が怒りで震えていた。

「おい・・・謝れ、ルパート・・・な?謝っちゃえよ。間違いだって・・・な?」

ジェームズが助け舟を出した。

トムは黙って事の運びを見ていたし、ダニエルはルパートと同じように泣く寸前だ。

「ヤダよ!僕、嘘付いてないモン!」

出てけっ!そんな訳分からん事で、魔子ちゃんを悪く言う奴は俺の弟じゃない!今す

ぐ出てけっ!

「・・・・・っ」

ルパートは涙を堪(こら)え切れなくなり、「うわぁ〜ん」と子供のように大泣きしなが

ら、二階に上がって行った。

ダニエルがすぐに後を追った。

「放っておけっ!」

オリバーはダニエルに言ったが、ダニエルはもう見えなくなっていた。

 


「う・・・うう・・・ヒック・・・」

ルパートは悲しさに打ちひしがれながら、バックに洋服と靴下と下着・・・それに、漫画

本と僅
(わず)かに金の入った財布を押し込んだ。

食べかけになっていた「ポッキー」と「とんがりコーン」も入れ込んだ。

「ルパート・・・どうしてあんな事言ったの?僕達みんな、魔子ちゃんの事が大好きだっ

たじゃないか・・・」

「ダンも僕の事信用してないんだろ?いいよ、みんなとご飯食べてろよ」

「僕は魔子ちゃんが悪い子とは思ってない。魔子ちゃんの事は好きだよ。でも、僕が一番好きなのはル

パートだ!だから僕もルパートと一緒に行く!」

「いいよ、そんなの・・・折角今日の夜ご飯は焼肉なんだよ?肉、好きだろ、ダン?」

「大好きだ!でも、ルパートの方が僕はもっと大好きなんだ!」

そう言って、ダニエルはルパート以上に泣き始めた。

「ダン・・・ありがとう・・・」

ルパートはダニエルの気持ちが本当に嬉しかった。

「待ってて・・・すぐに僕も荷物詰めるから・・・」

ダニエルも自分の荷物をバックに入れ始めた。

「ねぇ・・・こっちのパンツとこっちのパンツ、どっちがいいと思う?」

「・・・僕は、ダンには何も模様が無い方がカッコいいと思うな。あ、でも、その紫色の

パンツもこの間とっても似合ってたよ」

「え、ホント?」

ダニエルはケロッと泣きやんで、もうルンルンと荷造りを始めている。

ルパートと一緒なら、どんな状況でも楽しめる性格のダニエルだ。

「ルパート、漫画、何持った?」

「『ドラゴンボール』にした」

「じゃあ、僕は『犬夜叉』にするね」

「うん。読み終わったら、交換しようね?」

「うん」

二人は立ち上がり、部屋の電気を消した。

「あ、トムにだけは手紙を書いていくよ。僕達とずっと部屋が一緒だったし・・・」

「・・・そうだね」

ダニエルの提案にルパートが乗った。

 

トムへ!

いっつも一緒の部屋なのに、うるさくしてごめんね?

僕とルパートは出て行きます。

静かに一杯眠ってください・・・。

 

「・・・どうかな?」

「いいんじゃない?あ、でも・・・」

ルパートが手紙の下に付け加えた。

 

レオンハルト君と仲良くしてください。

 

「・・・どう?」

「いいね。じゃあ、行こうか?」

「うん」

二人は階段を下りた。



兄三人は、恐ろしく静かに食事を摂っていた。

殆ど手は動いていない。

テレビの音だけが、空々しく流れている。

ルパートはトコトコと居間に入って来て、「しーちゃん」の飼育箱を手に持った。

「・・・どうも、さようなら・・・」

ペコリと頭を下げ、またトコトコとダニエルが待つ玄関まで出て行った。

靴を履いていると、トムが玄関に走ってきた。

「馬鹿はよせ・・・オリバーに謝っちゃえよ、ルパート・・・」

切実な顔付きのトム。

ルパートは首を振った。

「僕、嘘言ってない。だから謝んない・・・バイバイ、トム・・・」

二人はカラカラと音を立てて玄関ドアを開け、静かに出て行った。

「・・・マジかよ・・・」

トムは愕然(がくぜん)としながら居間に戻ってきた。

「放っておけ・・・腹が減りゃどうせ戻って来る。それに・・・どうせそんなに遠くには

行かないはずさ」

オリバーは飲み込み辛そうに肉を喉の奥に押し込んだ。

みんな、食欲減退していた。

折角の楽しい夕食になるはずが・・・とんだ事になった。

皿の上で乾き始めている肉や野菜・・・。

ルパートが好きだと思って、とうもろこしもしこたま茹でておいてやったのに・・・。

「なぁ・・・今まで、ルパートは俺達に嘘言った事あったか?」

トムが静かに言った。

「・・・ねぇな。嘘言う担当は、俺とお前じゃないか・・・」

ジェームズが答えた・・・テレビを観ていたが、全く集中していないようだった。

二人はソッとオリバーを盗み見た。

オリバーは無表情にムッツリしていた・・・既に箸を置いてしまっている。

「池照家」は葬式のように静まり返っていた。

エマはまたその様子を望遠鏡で覗いていた。

「・・・・・」

 



次の日・・・普通通りに営業をした「喫茶レインボー」。

魔子は何時に来るのかは教えてくれなかった。

オリバーは時折時計を気にしつつ、結局昨日は帰って来なかった二人の弟の事も気になっ

ていた。

「はぁ〜・・・」

夕方・・・おそらく今日は最後と思われる客が帰って行った。

 

カラン♪

 

入り口のドアのベル音が鳴り・・・魔子が現れた。

「・・・こんばんは・・・」

「・・・あ、ど、どーぞ・・・」

一気にオリバーの心拍数が上がった・・・「ドキドキ」が、いきなり始まった。

「み、店、閉めちゃうからね・・・ちょっと待ってて・・・」

「はい・・・」

オリバーはオタ付きながらシャッターを閉め、「CLOSE」の看板をドアに掲げた。

「え、と・・・コーヒーでいい?」

「あ、お構いなく・・・」

オリバーは自分の分には「番茶」を入れ、魔子と向かい合って椅子に座った。



「あの・・・」

二人は同タイミングで話を切り出した。

「あ、どーぞ・・・」

「いや、魔子ちゃんからどーぞ」

「いえ、オリバーさんから・・・」

「じゃあ、その・・・え、と・・・久しぶり、だね・・・。え、と・・・この前は、その

・・・何で、突然帰っちゃったの?それに・・・どうして突然バイト来なくなっちゃった

の?」

オリバーは一番聞きたかった事から聞き始めた。

最後には勿論、「自分と付き合ってくれ」と言うつもりだ。

「・・・もう・・・ここには来れません・・・」

蚊の鳴くような小さい声で魔子は喋り始めた。

「どうして?別に俺、怒ってないよ?理由が聞ければ、それで・・・」

魔子はユルユルと首を振った。

その度に、シャンプーのいい香りがオリバーの鼻腔を付いた。

「無理です・・・だって・・・私、とっても悪い事しました・・・」

 

魔子ちゃんはいい子じゃないよ!

 

ルパートの声が、不意にオリバーの脳裏を駆け巡った。

「別に・・・仕事での失敗なんか・・・」

「そうじゃありません・・・。オリバーさんの家から私・・・「モノ」を盗みました・・

・」

「・・・・・」

オリバーの頭の中で、もう一度ルパートが叫んだ。

 

僕は嘘は言ってないモン!

 

「・・・何を、盗んだの・・・?」

オリバーはこれ以上聞くのが怖くなっていた。

「・・・これです」

魔子はバックの中から「封筒」を出した。

「・・・こ、これは?」

オリバーはその封筒を震えながら手に持った。

 

「絶対に中身を見てはダメです」

 

封筒にはそう書いてある。

「魔子ちゃん・・・これはさ・・・」

「はい・・・中身を確認したら・・・私の欲しかったものではありませんでした」

「だろうね・・・。だって、これは小学生だったダニエルとルパートが、『宝探しゲーム

』の宝の隠し場所を地図にしたものだし・・・」

「はい・・・」

「・・・君は・・・本当は何を探していたの?」

オリバーは「邪心」を捨てて、真剣な眼差しで聞いた。

「・・・『池照家』のご両親がお書きになった・・・『遺書』です」

「・・・・・」

「私は・・・ヴォルデモート卿の姪に当たります」

「・・・・・そう」

オリバーの中で、魔子との全てが音を立てて崩れ始めた。

「・・・騙すつもりは・・・いえ、やっぱり騙すつもりでした。この家に忍び込んで、『

遺書』を手に入れる事が私の使命でした」

「・・・・・」

「でも、私・・・いつの間にかオリバーさんの事が・・・」

「・・・出てってくれ・・・」

「・・・・・」

「・・・もう、出てってくれ・・・」

「・・・はい・・・さようなら・・・ごめんなさい・・・」

「・・・・・」

 

カラン♪

 

さっき聞こえた音色と全く同じなのに、今回の音はどこか淋しげに聞こえた。

オリバーは手の中の「子供の悪戯」をジッと見つめていた。

そして、不意にガタンと席を立った。

「アイテッ!」

立った勢いで、客席上に取り付けてあるダウンライトに頭をぶつけた。

「アイツら・・・探してやらないと・・・」

昨日からいなくなっている二人の弟の事が、途端に心配になったオリバー。

家で待機していたジェームズとトムに声を掛け、三人は捜索を開始した。

 

 
第四話完結        第五話へ続く        変身目次へ        トップページへ