第九話「夢と思い出とフレ〜ンチレストラ〜ン♪」


オリバーは夢を見ていた。

 

楽しそうにバタバタと板張りの廊下を走り回る子供達(幼き日の自分とジェームズ)、母親

が台所でコトコトと煮物を煮ている匂いと、その母の割烹着
(かっぽうぎ)を握り締めてい

る甘ったれな三男トム、そして庭では、蟻の巣穴に棒を突っ込んでイタズラしている下の

弟二人と父親。

一番楽しかった時期の「池照家」の日常的な風景が、そこにモヤ掛かったように広がって

いる。



「お母さ〜ん!俺、レギュラーに選ばれたよ!」

幼き日のジェームズがサッカーのユニフォーム姿で、意気揚々と台所の母親に報告に来た。

双子は小さい時、地元サッカーチームに所属していた。

やったわね、ジェームズ!オリバーは?」

「・・・俺、補欠」

少しイジケテいるオリバー。

「優秀じゃない!二人共♪」

母親が目を輝かせている。

「・・・ちっとも優秀じゃないよ・・・俺、補欠だし・・・」

同じ双子なのに・・・ましてや自分の方が若干なりとも「兄」なのに、弟にレギュラーの

座を取られた事を恥じているオリバー。

「何言ってるの!あのチームが一体何人いるか分かってるの?八十人もいるのよ?『補欠

』に選ばれるだけだって、どれだけ大変か・・・。それに、まだ二人共小学校三年生だし

、チームに入ってたった一ヶ月よ?お母さん鼻が高いわぁ〜♪」

夢見るような表情の母の顔を、下から見上げたオリバー。

何だか、少しだけ自分に自信が持てた瞬間だった。

「そうだよ、オリバーの方が俺より凄い。俺のポジションは『スイーパー』だし、うちの

チームは強いからあんまりゴール前にボールが来ないんだ。オリバーは『ボランチ』の控

えだ。レギュラーにさえなれば、俺より注目度は全然高いよ」

今度はジェームズがスネ始めた。

「あらあら・・・レギュラーになったのに、何を落ち込んでいるのよ、ジェームズ。今日

はあなたの好きなハンバーグよ?」

「マジッ!?やったぁ!」

オリバーは、テンションのアップダウンが激しいジェームズの事を母親と一緒に笑った。

 


場面が変わった。

池照家の玄関に、「とある親子」が訪問している・・・険悪な雰囲気だ。

玄関前で、トムと母モリーがその親子と対面している。

「トム・・・どうして『横田正一君』をぶったりしたの?」

母親モリーが、自分の横で俯き加減になっている三男のトムを問い詰めている。

どうやらトムは今日、学校でケンカしたようだった。

トムは頑(かたく)なに口を結んで、何も喋らなかった。

「全く・・・一体どういう教育をなさっているんですか?可哀想にこの子・・・こんなに

顔が腫れて・・・」

「・・・元からだろ」

「トムッ!」

正一の母親が池照家の玄関先で自分の息子の顔を撫でているのを見ながら、トムはズバッ

と言い放った。

殴られた少年は、意地悪そうな顔でトムを睨んでいた。

「とにかく・・・私、この事に関しまして『然(しか)るべき所』に出ますから!いいです

ね?!

神経質そうな横田の母親が、金切り声を上げている。

オリバー達池照家の他の子供達は、その様子を廊下の隅で覗き見ていた。

「・・・本当に申し訳ございませんでした。ほら、あなたも頭を下げなさい!」

「やだね・・・」

「トムッ!」

「だって、俺悪くないモン。『しょーいち』が学校のニワトリ小屋に石当ててたから、注

意しただけだ。それに、女の子の髪にガム付けて泣かせた・・・」

正一がそんな事する訳ないでしょ!うちの子は良い子なんです!何て嘘つきな子なん

でしょう・・・。やっぱり父親が通常家に不在だから、こんな『ロクデモナイ』子供に育

つんだわ!」

横田の母親は、息子そっくりな目でトムと母モリーを見つめた。

「・・・『ロクデモナイ』!?」

母親モリーの目付きがサッと変わった・・・トムが母親を見上げた。

「うちの子が『嘘つき』呼ばわりされて、黙っている訳にはいきません。お宅の正一君・

・・確かこの間、外で他人の家のチャイムをイタズラしたり、団地の踊り場から空気銃の

ようなもので通行人に弾を当てたりしているのを見かけましたよ。学校のニワトリに石をぶつ

けるのを注意したり、女の子を庇
(かば)う事のどこがイケナイんです!?

モリーは豪(えら)い剣幕だ。

トムは驚いていた・・・そして、勿論「しょーいち」の母親も驚いていた。

んまぁ〜っっ!それこそ根も葉もない事を!息子が息子なら、母親も母親だわ!いい

ですか?
この事は『PTA』に訴えますから!帰るわよ、正一っ!

横田正一の母親は、正一を引っ張って出て行った。

最後にトムに向かってアッカンベーをしていった。

「あいつ・・・」

「よしなさい、トム。この事はもう忘れなさい」

「だって・・・」

「いい?どんな事があっても、自分の方から暴力を使ってしまったら負けよ?」

「・・・・・」

「さ、ご飯の用意しないと!みんなお腹を空かせているでしょう」

母親が踵(きびす)を返して、台所に戻ろうとした。

オリバー達は、「盗み聞き」をしていたのをバレたくなかったのでワタワタした。

「ねぇ、お母さん・・・『PTA』とかに怒られちゃうの?俺のせいで・・・」

トムが母親を引き止めた。

「『PTA』が何よ!あなたは嘘を言ってないでしょ?お母さん、ちゃんと戦うから・・

・子供はそんな事気にしないの!」

モリーはトムと同じ高さまでしゃがみ込んで、クリクリ坊主のトムの頭を撫でた。

「・・・・・」

トムの表情はオリバー達からは見えなかったが、「意地っ張りな弟」が、泣くのを我慢し

ているのは分かった。

「偉かったわよ、トム。女の子の変わりに正一君に立ち向かってあげたんでしょ?」

「・・・・・」

「お母さん、あなたのそういうトコ大好きよ」

母親にギュッと抱きしめられたトムは、今更ながらに「正一の母親如き」に自分の母親が

色々言われた事が悔しくて、黙って涙を流した。

オリバーとジェームズはその様子をジッと見つめていた。

しかし、一緒にいるはずだった下の二人の弟は、廊下の端をササササ・・・と通り抜けてい

くゴキブリに気が取られていた。


結局その後、ガムを髪に付けられた女の子の母親や、鳥小屋投石事件を目撃していた子供の証言もあ

り、横田正一は追い込まれ、しまいには横田一家は引越ししてしまった。

正一は転向先の学校でイジメに遭い、今までと立場が逆転して塞ぎ込んだ毎日を送った。

唯一そんな正一に手紙などを時々出して励ましていたいたトムだけが、後々は親友となり、今でも二人

は離れていても固い絆で結ばれた友達同士だ。

正一は、今、札幌に住んでいる。

 


また画面が変わった。

「うわぁぁぁぁ〜〜〜〜んっ!!」

ダニエルが大泣きしている。

額の生え際辺りから、物凄い出血だ。

今、お医者さんの所に行くからね!大丈夫だから・・・いい子!いい子!

モリーが血相を変えて、泣き止まない息子を抱き抱えている。

その傍らには、ボー然として真っ青な顔のルパートだ。

「ご、ごめんなさい・・・ごめんなさい、お母さん。僕、僕・・・」

ルパートはダニエルから流れ出る血の量に恐れをなして、ガタガタ震えていた。

「大丈夫よ、ルパート。ダニエルは平気だから・・・。今お父さんにお電話したから、す

ぐに帰って来るって。お兄ちゃん達と、いい子でお留守番しててね?」

「ダン、ダン・・・ごめんね?ごめんね?」

ルパートは必死に謝っている。

二人は遊んでいて、どうやらルパートがダニエルにケガを負わせてしまったらしい。

大泣きのダニエルとは裏腹に、ルパートは声を立てずにボロボロ涙を零していた。

どうやら、ダニエルがいつも通りしつこくルパートを構ったらしい・・・それが嫌で弟を

振り払おうとしたルパートが、ダニエルを突き倒してしまった。

運悪くダニエルは金魚鉢に頭から当たり、その傷口から大量の血を流している。

勿論金魚鉢は粉々に割れ、中の金魚は今はもう動いていない。

床にはガラスの破片と死んだ金魚、それと大量の水に混じったダニエルの血・・・。

オリバーもジェームズもトムも、ただ突っ立ったまま何も出来ないでいた。

「ルパ・・・僕、大丈夫だ・・・よ。泣かな・・・でよ」

泣きながらもダニエルの方が兄を気にし出した・・・ルパートの頭を、血の付いた手で何

度も撫でている。

よくよく考えてみたら「この日」を境にルパートは、ダニエルに「何をされても」乱暴し

なくなった。
(故に現在、ダニエルはルパートにやりたい放題なのだ。当のダニエルは、

あまりに小さい時の事故だったので、今はもう覚えていないかも知れないのに・・・
)

 


また場面が展開した。

「ねぇねぇ、トム・・・『ジャポニカル王国』ってどこにあるの?」

「え?」

ダニエルが社会科の教科書と地球儀を持って、家の中で一番最初に見つけた兄に問い質した。

「『ジャポニカル王国』だよ。明日までに調べていかないといけないんだ。僕、クラスで

発表しないといけないんだよ」

「・・・『ジャポニカル王国』について?」

トムは、怪訝そうに再度確認した。

「そう!」

トムは一瞬考えた・・・なぜって、「ジャポニカル王国」なんて、国はこの地球上に存在

していないからだ。

しかし、弟がその「答え」を欲しがっている・・・。

トムはすぐに悪知恵が浮かんだ。

「ダッセ〜な、ダニエル。お前、『ジャポニカル王国』知らねぇの?ここだよ!この小さ

い島!」

「え、これ?」

「違う!こっちのこの小さい島!『ポルトガル』と『ジャマイカ』のすぐ上だ。あまりに

小さい島だから、地図にも名前は載ってないんだ」

かなりテキトーに答えるトム。

「へぇ〜・・・これが『ジャポニカル王国』かぁ〜・・・」

ダニエルはやっとその王国を見つけ、兄の嘘とも知らず感激していた。

どうやらダニエルは、授業中に「オカシな聞き方」をして帰って来たようだ。

「お前、俺に聞いてラッキーだぞ?ついこの間、俺もこの島に付いて勉強したばかりなん

だ。高校や大学の試験には必ず出る、大事な国だ」

トムは嘘がスラスラ出てくる。

良くない嘘は付かないが、悪意の無い嘘は、むしろ付くのが大好きなトムだ。

「挨拶はな、『ジャポジャポッ!』って言うんだ。『ジャポニカ学習帳』・・・お前も使

ってるだろ?あれ、この国が作ってるんだぞ?!」

「へぇ〜・・・」

ダニエルは益々感激している・・・「物知りな兄」を尊敬の眼差しで見つめた。

トムは笑いたいのを必死で堪えていた。

オリバーはたまたまその二人の会話を、トイレの便座の上で聞いていた。

「・・・悪魔」

勿論次の日、ダニエルは学校の社会科の時間、クラスで大笑いされた。

今でもダニエルの友達の何人かは、ダニエルに会うと「ジャポジャポッ!」と挨拶してくる。

ダニエルも悪ノリして「ジャポジャポッ!」と挨拶を交わしている。

ちなみに友達の小林とダニエルは、現在でもこの挨拶が普通の挨拶だ。

二人は今すぐ「夢の楽園・ジャポニカル王国の住人」になれる事であろう。(エマは二人のこの挨拶を、尽

く馬鹿にしている)

 


また夢がチェンジした。

「オリバー、コレ何に見える?」

ルパートが家庭科で作っている「お弁当箱袋」を、裁縫途中で持って来た。

「明日提出するんだけどさ・・・ねぇ、何に見える?」

ルパートは「袋」の側面にアップリケされた「何か」を指している。

「え、と・・・」

オリバーは慎重になった。

答えが違っていたら、きっとルパートがショックを受けるだろうと思ったからだ。

ルパートはニコニコとオリバーからの答えを待っている。

「・・・ア、『アメーバ』・・・かな?」

オリバーは、探るような愛想笑いで答えた。

でも大方、ルパートの発想たるや「その程度だろう」と言う自信はある。

ルパートがオリバーの答えを聞いて、ショックを受けた顔付きになった。

あ、違うっ!『新種の怪人』か何かだろ?そうだよな?!」

オリバーが慌てて訂正した。

「・・・もう、いいよ」

ルパートはオリバーから「袋」を引っ手繰(ひったく)って、トボトボ歩いて行った。

「兄ちゃん、ほら・・・絵心がないから・・・」

オタ付いているオリバーの後ろから「救いの神」が現れた・・・ダニエルだ。

「あ、ダニエル!お前なら、ルパートのあのアップリケが分かるだろ?お前達仲がいいし

・・・」

「え、『アレ』?」

ダニエルの顔が途端に引き攣った。

「え、と・・・」

ダニエルの顔をジッと見つめるルパート・・・その顔は、「当ててくれよ」と訴えている。

ダニエルはオカシな汗を掻き始めた・・・目はウロウロしている。

明らかにプレッシャーを感じていた。

「・・・わ、『綿アメ』・・・かな?」

自信の無い、クイズ番組の回答者のような表情のダニエルだ。

「・・・ダンなんか嫌い」

ルパートはプクゥ〜ッと口を尖らせて、歩いて行ってしまった。

ダニエルが「ひーっ!」と頭を抱えた。

ルパートに嫌われてしまったら、明日から生きてはいけないダニエルだ。

「ごめん!ごめんね?!ねぇ、何だったの、それ!教えてよ、ルパート!」

そう言ったが、もうルパートの姿は無かった。

ルパートは自分の部屋に戻る階段の途中で呟いた。

「・・・どっから見ても『地球』じゃないか。図工の時に先生に褒められた絵なのに・・・」

それはルパートが、「ウキウキしている、21世紀の夢の地球」・・・と言うタイトルを

付けて描いた、通信簿で「5」を貰った素晴らしき絵をモチーフにした家庭科の作品だった。

確かに、絵で描けばそれもいいかも知れない。

しかし・・・アップリケにする題材では無かったようだ。

 


夢はしつこくもまたまたチェンジした。

「はい、オリバー!」

ある日、ダニエルとルパートがオリバーに何やら「封筒」をくれた。

「・・・何だ?」

「いつもどうもありがとう!明日『母の日』だからさ!ルパートと話し合って、僕ん家お

母さんいないから、オリバーに上げようって決めたんだ。ね?」

オリバーの表情が固まった・・・オカシな表情の崩れ方をした。

胸が一杯になった。

母親が父親と共にいなくなってしまい、二人の弟達には、日夜有り得ない我が儘を言われ

てムカついていたりしたが、一気にそんな「小さな些細な事」を吹っ飛ばす「サプライズ

」・・・。

「オリバー、開けてみてよ!」

ルパートが封筒に可愛らしい絵を描いたらしい・・・綺麗に色塗りされていた。

だが、如何せん不思議な絵だった・・・・・オリバーには「ソレ」が何だったのか、結局分からなかった。

オリバーはまだ十五歳だった。

一家の中で、「お母さんの代わり」は荷が重かった。

しかし、自分とジェームズががんばらないと・・・その気持ちだけで今まで来た。

その思いが今、報(むくわ)れた気がした。

「えへへ・・・『肩たたき券』と『お手伝い券』だよ。後ね、『似顔絵』を描いたの。そ

れからオリバーの好きな、『オロナミン・E』も僕達から一本ずつね」

ルパートがダニエルと目を合わせて、少しはにかんで笑い合っている。

オロナミン・E・・・現在もオリバーの愛飲する栄養ドリンクの一つだ。(中学の頃から

飲んでいた
)

「僕達がもう少し大きくなったら、オリバーにもっと『いいモノ』を上げるからね。今は

これで我慢してね」

ダニエルが少し申し訳無さそうに言った。

「はは・・・この『俺(似顔絵)』顔色悪いな・・・」

オリバーは両手に全ての贈り物を抱え、嬉しさに声を詰まらせながら言った。

小さい弟達が一生懸命アイディアを出し合って「手作りしてくれた贈り物」が、この世の

中で一番価値のある「温かい優しさ」のような気がした。

少ないお小遣いの中から贈り物を考え出すのは、さぞや大変だっただろう・・・。

ただ・・・如何せん、「似顔絵」のオリバーの顔色が悪い。

「オリバーは『いつも疲れている』からその色にしたんだよ」

ルパートが悪気無い言い方をするので、オリバーは笑うしかなかった。

「来年は、もっと沢山『オロナミン・E』を買って上げられるようにがんばるからね」

ダニエルが言った。

「うん!『オロナミン・E』を一杯飲めば、顔の色が肌色に描けるしね♪」

「・・・・・」

ルパートの悪気の無さ・・・これが天然でなければ、一体何なのだ?

「来月はジェームズに『父の日』するから、大変なんだよ、僕達・・・」

「ちょっと待て!何で俺が『母』で、あいつが『父』なんだ?」

オリバーが聞いた。

「別に・・・イメージだよ。ね、ダン?」

「うん、そう!」

「・・・・・」

二人は深く考えていなかったようだ。

まぁ・・・今は、細かい事は言うまいと思ったオリバー。

有り難く「肩叩き券」と「お手伝い券」を使わせてもらう事にした。

しかし数日後・・・これを実際に使おうとすると、二人は僅か三十秒も肩を叩かないうちに「もう、い

い?もう、いい?」と聞いてくるし、「おつかい」を頼むと、寄り道してすぐ
に帰って来なかった

り、買い物を書いた紙をどこかで落としてみたり・・・なかなか上手く「使え」なかった。

仕舞いには、結局「記念」としてその券を使う事を止め、今はオリバー専用の「思い出B

OX」の中に静かに眠っている。
(ちなみにこのBOXは、『山本山の海苔』の缶だ)

 




ヒンヤリ・・・。

 


オリバーの額が一瞬冷たくなった・・・とても気持ちがいい。

ボーっとしながら薄目を開けると、誰かがスッと居間のドアを開けて廊下に出て行った。

多分、ジェームズだった。

オリバーは夜中の間に、河合家から自分の家に帰って来て(「ストーカー化」したエマか

ら非難して来た
)、自分の部屋に行こうと思ったが、それではジェームズにも風邪を染つ

してしまうと思い、今日は旅行でいないめぐみの使っている居間の畳の上に毛布を引っ張

り出して寝ていたのだ。

壁のボンボン時計を見やると、早朝四時になろうとしていた。

枕元(座布団を丸めて作った、急遽(きゅうきょ)のもの)に、水の張った盥(たらい)が置い

てあった。

オリバーは弱っていたからかも知れない・・・その優しさに何だかホロリと来た。



ずっと五人で助け合って、今まで来た自分達兄弟・・・。

長かったような、短かったような・・・不思議な時間の流れ方の中で過してきた五人兄弟。

両親の思い出が少ない弟達や、極度のマザコン(本人は断固として否定している)のトムが

、寂しい思いや不自由しないように、我武者羅(がむしゃら)にがんばってきた自分とジェ

ームズ。

学校に通いながら、放課後は部活に入らずにバイト三昧の学生生活を送って来た。

慣れない料理や弁当作りは、とにかく試行錯誤した。

特に、偏食(へんしょく)な上に小食なトムには苦労した。

部活で転んだりと・・・生傷ばかりこさえて来るダニエルにも困った。

兄弟きっての要領の悪いルパートにも、とことん泣かされた。

月日はいつの間にか、知らず知らずのうちにこんなにも流れていたのだな・・・と、改め

て実感したオリバー。

そして、オリバーはまた目を閉じた。

「・・・早く治らないと」と・・・。

 



「おお〜い!『来々軒』に出前取るぞぉ〜!」

翌日夜・・・ジェームズが大声で兄弟達に声を掛けた。

兄弟達・・・と言っても今日の場合、殆どダニエルとルパートを指している。

トムはまだバイトから帰って来ていない。

ジェームズは今日、バイトで少し遅かったので、弟達に食事の用意をしてやれなかった。

家には寝たきりのオリバーと、料理のセンスが「かなり疑わしい」(第四話参照)二人の弟

しかいなかったので、急遽「出前」を取る事にしたのだ。

やったぁ♪久しぶりだね、『来々軒』!」

ダニエルとルパートは、早速メニューを見始めた・・・「来々軒」は、文字通り中華屋だ。

「僕、『タンメン』と『肉野菜炒め』と『チャーハン』!」

ダニエルは、今日も凄い食欲だ。(また部活をやって来た。中三で・・・しかも、二学期

の期末テストも近いと言うのに
)

「え、と・・・僕はね、『肉団子』と『掻き玉コーンスープ』!あ、あと『マンゴープリ

ン』と『杏仁豆腐』もっ!」

ルパートも決まった。

「お前・・・『飯』関係は?」

ジェームズが「不思議な注文」のルパートに聞いた。

「いらな〜い!」

ルパートはひっくり返っているオリバーの横に寝転がり、漫画本を読みながら答えた。

「ったく・・・さては、また飯前にお菓子食ってたな?『晩飯に響くような食い方すんな

』っていつも言ってるだろっ!お馬鹿さんめっ!」

不思議な事に、オリバーが「長男していない」と、この辺りの役目は「阿吽(あうん)呼吸

」でジェームズになった。

「あ〜・・・俺もダニエルと一緒で『チャーハン』と『激辛タンタンメン』・・・それと

『ニラレバ』だな。オリバーはどうする?『中華粥』とか頼んでやろうか?」

昨日からずっと居間でひっくり返ったままの、双子の兄を気遣ったジェームズ。

そしてそれとは一方、全く病気の兄を気を遣っていない二人の弟、ダニエルとルパート。

病人がすぐそこで寝ているというのに、二人はアニメを見ながら大笑いだ。

「・・・食える自信が無い・・・」

オリバーの声は、まだまだ「病人的」だ・・・か細く弱々しい。

熱だけは何とか下がったが、咳と鼻水はまだまだ凄い。

「少しでも食えるんなら食えよ。元気でないぞ?残したら食ってやるから」

「・・・じゃあ、頼んでくれ」

オリバーはまた「ゴホンゴホン!」と、激しく咳き込み出した。

 


ジェームズが電話のダイヤルを回した。

この家の電話は、今は懐かしい「黒電話」・・・かなりアナログだ。(若い人は、実物を

見た事がないかも知れない
)

留守電機能もないし、FAXなんて勿論出来る訳もない・・・所謂「電話だけ」の機能の電話だ。

ある意味、「キング・オブ・ザ・電話」だ。

「あ、もしもし?新庚申塚の『池照』です。出前頼みたいんですけど?」

ジェームズは慣れたように注文を始めた。


「・・・・・」


「え、と・・・もしもし?」

「・・・・・」


なぜか、受話器の向こうの反応が全く無い。


「あれ・・・番号間違ったか?」

ジェームズが「来々軒」の番号を確かめた・・・しかし、どうやら合ってる。

受話器の向こうで、突然ノイズが入った。

「・・・ただ今、電話を変わりました。はい、こちら『来々軒』でございます」

今更ながらに「店名」を述べる「来々軒」。

カツカツした独特の滑舌のこの喋り方・・・「来々軒」の奥さんに間違いない。

「あ〜・・・どうも、こんばんは。今の『ご主人』でしたか?」

ジェームズが確認した。

「『はい、そうです。ご注文でしょうか?』・・・と主人は申しております」

感情の無い機械のような、奥さん独特の喋り方・・・・・久しぶりに聞くと、かなり懐かしいし不自然だ。

「あ〜、そうです。え、と・・・新庚申塚の『池照』ですけど、『チャーハン』二つ、『

タンメン』一つ・・・」

ジェームズは全ての注文を言い終えた。

「『大体、四十分くらいで持って行ける』・・・と、主人は既にネギを切り刻みながらに

申しております」


奥さんは然(しか)も、「実況中継」付きだ。

「あ〜、そうですか。じゃあ、よろしくお願いします」

「『そう言えば今日、[喫茶レインボー]が閉まっていたが、何かあったのか?』・・・

と、主人はフライパンに火を点けながら、先ほど刻んだネギを炒めながらに申しております」

「あ〜・・・風邪引いて休んだんです。多分、明日か明後日には営業出来そうです」

ジェームズはオリバーの様子を見て、勝手に判断して言った。

「『そうか、それは良かった。どうぞお大事に』・・・と主人は今チャーシューを刻みな

がらに申しております」

「は〜・・・ご丁寧にどーも。じゃあ、お願いします」

受話器を置いたジェームズ・・・一瞬の間。

「・・・あそこの旦那と奥さんって、相変わらず変わってるな?」

ジェームズがダニエルに話し掛けた。

「うん。でも、『白湯(ぱいたん)』は普通だよ。多分『眠眠(みんみん)』も」

ダニエルが答えた。

アニメは終了し、エンディングソングが流れている・・・ルパートは一緒になって歌って

いた。

「・・・あそこ、夫婦揃って変わってるんだよな。商売するには『致命的』だよ」

ジェームズは居間の壁時計を見上げて「大体四十分だから・・・」と、出前が届く時間を計算した。



「来々軒」・・・池照家のテリトリー内にある小さい中華屋(中国人夫婦で営業している)

だが、この家・・・「湯
(しゃん)家」の子「白湯(ぱいたん)」は、ダニエルと同級生で、

エマのクラスメイトだ。

一方、妹の「眠眠(みんみん)」はボニーのクラスメイトだ。

旦那の「立人(たーれん)」は、中国では腕っこきの中華料理の達人の弟子で、一家揃って

現在日本に出て来た「湯家」の家長だ。

寡黙(かもく)で内気な性格の職人で、殆ど客と話をした事がない。(決して日本語が喋れな

いと言う訳では無さそうだ
)

(ゆえ)に・・・立人が電話に出ても、先ほどの通りだ。(全くもって、電話に出る意味が

無い
)

妻の「凛麗(りんれい)」は、そんな旦那の全ての声や感情の「代弁者」だ。

カツカツした中国人特有の喋り方で、あまり感情を入れずに喋る。

自分の意見を言うより、旦那の気持ちを変わりに喋る事の方が遥かに多い。

この店の味は界隈の中華屋ではピカ一だったが、如何(いかん)せん対応が最悪に悪かった

 



暫くすると、息子の白湯と眠眠が、店の「オカモチ」をそれぞれ二つずつ持って配達して

くれた。

白湯も眠眠も、どうしてあの夫婦からこんなにもにこやかな子供が生まれるのかと、不思

議なくらいに愛想がいい。
(むしろ早く「代替わり」して、息子が後を継いだ方が、あの

店の為には良さそうだ
)

ダニエルは隣のクラスにも係わらず、白湯とは親しい。

白湯も、ダニエルと同じ陸上部に所属だったのだ。

ただ、白湯はダニエルとは違い、「とっくに部を引退」し、普通の中学三年生として、高

等部に上がる準備をしている。

それに、白湯は単なる「一陸上部員」だったので、熱の入り方がダニエルほどでは無かっ

たのかも知れない。

ダニエルは時間が許せば、相変わらず部活に出てから家に帰ってきた。

とことん、スポーツ馬鹿なダニエル・・・体を動かしていないと、「オカシな震え」が来

るらしい。
(かなり末期の『スポーツ症候群』だ)

きっと成長期の彼の様々な「欲求」は、そこで晴らされているのだろう・・・。



オリバーは何とか「お粥」を完食し、今日も居間で寝る事にした。

「いいんだぜ?俺の事は気にするなよ・・・」

ジェームズは自分達の部屋にオリバーを誘ったが、オリバーは「明日はめぐみちゃんも帰って来るし、

そうする」と言って、今日までは居間で寝る事にしたようだ。

ルパートはダニエルに「チュー」されたくなくて、オリバーと一緒に居間で寝たがったが

、オリバーがそれを許さなかった。

ルパートにまで風邪を染しては大変だと思ったようだ。(テストも近いし・・・)

「それに・・・お前、明日はトムと『フレンチ』だろ?風邪なんか引いたら、俺が行っち

ゃうぞ!?」

オリバーがニヤリとした。

「ダメッ!」

ルパートはオリバーの戦略に、まんまとハマッた。

仕方なく、ルパートはいつもの通りにダニエルと同室で寝る事になった。

十一時半を回った頃、トムもバイトから帰って来た。

「晩飯外で食って来たからいい・・・」

おそらくバイトが終わってから、「カノジョの一人」とでも摂って来たのだろう。

ほろ酔い気分で、少し足をモタつかせたりしていた。

そして、みんながそれぞれの部屋で寝静まり、オリバーもすっかり眠りに入った。

明日は店を営業させたい・・・めぐみも帰って来る・・・トムとダニエルとルパートはフ

レンチレストラン・・・。

色々考えながら、深い眠りに落ちて行った。

そして、数時間後・・・。

 



ガタタ・・・ッ!

 


大きな音がして、オリバーはカッと目を覚ました。


 

・・・ドロボウ?


 

オリバーはヨロヨロしながら起き上がり、片付けずに出しっ放しになっていた、昨日の晩

ご飯後にダニエルとルパートが遊んでいたオモチャのバットを掴み、足音を忍ばせながら

軋む廊下を音を立てずに器用に歩いた。

台所へ行き、ソ〜ッと中を覗き込むと・・・何と「何者か」は、冷蔵庫から勝手に牛乳を

出して飲んでいる。

 


「おいっ・・・!」

オリバーは、バットを構えながら台所の電気を点けた。

「うおっ!」

叫んだのは、オリバーの方だった。

そして、その正体は何と・・・。

 


「・・・めぐみちゃん?」


 

オリバーは信じられないような、探るような顔で小さく名を呼んだ。

「あ、お早うございます、オリバーさん〜。起こしちゃいましたか、私〜?廊下が思いっ

きり軋んだんで・・・」

懐かしの語尾上がり・・・間違いなく「めぐみ」だ。

「え、と・・・どうしたの?温泉は?」

「オリバーさんが心配で、昨日の深夜の鈍行(どんこう)に乗って帰って来たんです。飲ま

ず食わずで、喉渇いちゃって〜・・・」

更に牛乳をコップに足して・・・もう三杯目だ。

「鈍行・・・わざわざ?」

オリバーはまだ、信じられないような顔付きだ。

「んだ」

めぐみは短く答えた。

オリバーは面食らった。

わざわざ予定を繰り上げて、自分だけ帰って来たらしい。

しかし、明らかに「その行為」はめぐみの優しさだったので、それ以上はもう何も言えな

くなったオリバー。

「あ〜・・・ありがとね。取り合えず熱も下がったし、咳も髄分止まってきたんだ。今日

は店開けるつもりだよ」

「良かったです〜。あ、これ、お土産」

オリバーの手の中に、「名物・どすこい饅頭」の包みが置かれた。

「・・・どーもね」

この土産を見た時のトムを想像して、思わず笑いそうになった不謹慎なオリバー。

何とか不思議な咳をして誤魔化した。

「あの〜・・・お風呂入っちゃダメですか、私〜?朝方は寒くって・・・」

「あぁ、どうぞ。トムが確か夜中に沸かして入っていたから、そんなに時間掛からないで

湧くと思うから」

「すいませ〜ん」

めぐみはギシギシ廊下を軋ませ、風呂場に向かった。(めぐみは絶対に人の家にはドロボ

ウに入れないと思ったオリバーだ
)

 


オリバーはすっかり目が覚めてしまった。

居間に戻って壁掛け時計を確認すると、朝六時になっていた。

もう、寝ないでこのまま起きていた方が良さそうだ。

そして、数十分後・・・。

 


ガッコンッ!

 


うおっ!何だ、今の音?朝っぱらから、もう道路工事か?」

オリバーが、居間の窓から外を見渡した。


「・・・オリバーさん・・・」

「ブホッ!」


オリバーの後ろに、突如めぐみがバスタオル一枚で現れた・・・オリバーが苦しく咳き込

んだ。

めぐみは何だかモジモジしながら居間に入ってくる・・・まだみんな起きていない。

オリバーはめぐみの格好に、少し仰け反った。

「オリバーさん・・・あの、私・・・」

なぜか、めぐみの視線が「熱い」・・・。

「え・・・い、いや・・・君の気持ちは嬉しいけど、俺はその、えっと・・・そう!病み

上がりだし・・・」

オリバーはあまり意味のない言葉を並べてみた。

自分とめぐみ・・・幾ら何でもそれは有り得ない。

「私、あの・・・」

「お、落ち着いて、めぐみちゃん・・・ね?興奮しないで。そうだ!取り合えず、まずは

服を着よう・・・ね?

「あのですね、お風呂を・・・そのぅ〜・・・」

モジモジとめぐみが話を始めた。

「へ?」

何か勘違いしているオリバーを引っ張って、めぐみは風呂場に連れて来た。

 


「な、何じゃあ、こりゃあぁ〜っ!」

オリバーは「松田優作」並みに驚いた。

 


まさに・・・大破!

風呂場、木っ端微塵(こっぱみじん)・・・。



「・・・・・」

オリバーの口が、まるで漫画のようにあんぐりと開いた。

どうしたら、「こんな事」になるのだろう。

まるで、「ゴジラの来襲」にでも遭ったような、風呂場の惨事・・・。

風呂釜には大きな亀裂が入って下まで到達し、蛇口は外れて、これまた下に落ちていた。

床のタイルは所々に凹み・・・これでは、風呂は使えない。

 


「え、と・・・ど〜してこんな事に?」

オリバーはなるべく普通のトーンに聞こえるように喋ろうとしたが、無理に声を出したの

で、懐かしき朝の情報番組「ど〜なってるの!?」の「小倉智昭」のように声がひっくり

返った。
(知らない人は、パパかママに聞いてくれたまえ)

「・・・旅館で美味しい物を食べ過ぎて、お腹周りが少し太ったみたいで・・・」

「・・・『少し』?」

オリバーがチラッとめぐみを横目で見た・・・正しくはめぐみの「腹」を。

めぐみは「ルパートの癖」をいつの間にか習得していた。

腹をサッと隠し、プイッとそっぽを向いたのだ。

オリバーとめぐみの間に、暫しの沈黙が流れた。

どうやら小さい風呂釜を、自分の体の「肉厚」で壊してしまったようなのだ。

床のタイルは、めぐみの体重を支えきれずにめり込んだ跡らしい。

 


「おっはよ・・・オヨッ!めぐみちゃん!?どしたの、早いね?もう帰って来たの?」

ジェームズが伸びをしながら、挨拶してきた。

夏場は裸族なジェームズも、流石に十二月・・・しっかりパジャマを着ていた。

(「ジェスコ」のパジャマチラシの撮影終了後に頂いた、『温か仕様!太っ腹腹巻き付

きシリーズ・ブルーバージョン』だ
)

「おはようございます〜、ジェームズさん」

めぐみは何気ないように挨拶した・・・ジェームズもめぐみの格好を、軽くスルーだ。

「お二人さん、ちょっとそこを退いてくれる?俺、バイト前に風呂に・・・って、うおっ

何じゃあ、こりゃあぁ〜っ!

ジェームズは、オリバーと全く同じモード・・・「松田優作」で驚いた。

「ご覧の通り・・・ぶっ壊れた」

淡々と結果を述べるオリバー。

「・・・どして?」

ジェームズは信じられない顔で、大破した風呂場を見つめている。

「・・・すいません、私です・・・」

めぐみは、自分の大きな図体をなるべく小さく見せようと、努力するような格好をした。

「・・・まぁ、要するに・・・風呂は暫く使えなくなったって訳だな?」

「そういう事」

双子は、「事の真実」をしっかり受け止めるように、風呂場を見やっていた。

「あ〜・・・俺、今日朝飯食わないでバイト行くわ。夜も少し遅いから、先食っちゃって

くれ」

「何のバイトだ?『ジェスコ』じゃないだろ?」

「んっふっふ〜♪それは内緒のなっちゃんよ!」

オリバーが、弟のオヤジギャクのような不気味な言葉のセンスを白目で見つめた。

そして、取り合えず風呂場のドアを閉め、「深く考える」のを止めた面々。

池照家の人間は、とにかく「細かい事」を気にしない性質なのだ。

「壊れてしまったものは仕方が無い」と・・・すぐにポジティブ・シンキングに脳が動き

出す。

 



その日の午後、ダニエルとルパートが学校から帰って来ると、すっかりスーツ姿に着替え

たトムが二人を急かした。

あははは♪変なの〜!何だかトム、『ホスト』みたぁ〜い!」

あははは!ホントだ!」

ルパートが「見たまま」に言うと、ダニエルがウケて笑った。

トムは短めの前髪も横の髪も、全部後ろにムースで立たせていた。

「うるせぇ!早く用意しろ!」

トムは腕時計をチェックして、イライラしていた。

予約の時間は夕方の六時だったのだ。

今、既に四時半過ぎ・・・早く二人の弟を用意させなくては、間に合うものも間に合わない。

トムは余裕を持ってレストランに来店したいのに、二人の弟が居る為に絶対に今日に限っ

ては、そんな「スマートな筋書き」にはならないのだ。



「僕、このおニューの『ヘクション大魔王』のトレーナー着て行くんだ!ジーンズはコレ!」

「僕は『このまま』行こうって思ってたんだけど・・・」

ルパートは「ジェスコ」の袋の中に買ったまま、長い事放置していた「新品のヘクション

大魔王」のトレーナーを引っ張り出した。

ダニエルに至っては、制服のズボンのお尻の所を汚していた泥を掃っただけだ。

この馬鹿共っ!『一流のフレンチレストラン』なんだぞ!『ドレスコード』が

バッチリあるんだ!『ヘクション大魔王』なんか禁止だ!『汚ねぇジーンズ』も『制

服』もダメッ!
お前達、葬式用の黒のスーツ持ってただろ。アレ着ろっ!

え〜っ・・・あんな黒い服詰まらないよぉ〜。折角だからおニューの『ヘクション大

魔王』で目立ちたかったのにぃ〜・・」

ルパートは、超派手な赤い布地の「ヘクション大魔王トレーナー」を、恨めしげに見つめ

ていた。

「ルパートがそのトレーナーを着たら、今日一番のアイドルだよね♪」

ダニエルはその様子を想像して、目を輝かせた。

目立つ必要なんかないだろっ!むしろお前ら二人は、『絶対』に目立つなっ!いい

から、さっさと着替えろよ!『恵比寿』までどれだけ掛かると思ってるんだ!」

トムは二人に色々な要望をぶつけて来た。

「『恵比寿』に行くの?」

「そうだ!お前らには言ってもきっと分からないと思うがな・・・何と今から行く所は、

『ガーデンプレイス内』にある、かの有名三ツ星フレンチ、『タイユバイ〜ン・ロボショ

ン』なんだ!」

「ふ〜ん・・・」

「何だか『シムケンの[アイ〜ン]』みたいな名前だね?『ヘクション大魔王』がピッタリ

な気がする・・・」

ダニエルは「店名」に全く関心無さそうだったし、ルパートと言えば、どこまでも「おっ

ぺけな発言」をしている。

「頼むから、口は動かさずに手を動かせ!あぁ〜っ・・・シャツはそんなの着るなっ!

こっち着ろ!
いや、待て・・・俺が去年のバレンタインに貰ったシャツで、若干小さ目

があった。あれを着ろ!今持って来てやるから!こらっ!ネクタイは黒いのするなっ!

俺の貸すから!」

トムは保父さんのように、セカセカと手の掛かる「子供達」を相手にした。

自分の部屋に戻って、箪笥(たんす)の中から色々引っ張り出している。

「トムは張り切り過ぎなんだよ・・・たかが『ご飯屋』さんなのに。ねぇ〜、ダン?」

「そうだよ。美味しく食べれれば、僕等はそれでいいのにさ・・・」

二人は不服そうだ・・・トムが「あれはダメ!これはダメ!」とうるさいからだ。

「レオンハルト君の家でだって、僕達『なかなか』よくやったよね?」

「そうだよ。初めてにしては『なかなか』だったよ。トムは僕等の事、見縊(みくび)り過

ぎだ」

「カッコいい所を見せてやろうよ、ダン」

「うん!」

 



三人はやっと「それなりの格好」をして、意気揚々とオリバーとめぐみに手を振って出掛

けて行った。
(時間は限りなく、ギリギリだ)

それでも、ルパートはシャツをズボンの外に出したがったし、ネクタイの締め方は相変わ

らず緩
(ゆる)いし、靴の踵(かかと)の所を始め踏ん付けていたし・・・トムはそれを注意

したりして色々大変だった。

トムは、出掛ける前から既に草臥(くたび)れ果てていた。

めぐみが三人の格好をすごく褒めたので、ダニエルとルパートは駅に向かう最中ずっと気

分が良かった。

「トドなんかに褒められたくらいで、赤くなってんな!ほら、ルパート車っ!

トムは、フワフワ弾んで歩いているルパートの肘の所を掴んで、歩道側に引っ張った。

「トムはイケナイよ!いつまでもめぐみちゃんの事をそんな風に呼ぶなんて・・・。オリバーが『ダメ

』って言ってたでしょ?!」

「そうだよ!めぐみちゃんは僕らの家族みたいなものじゃないか!」

ルパートとダニエルから非難を受けたトム。

アホ!どこから見ても正真正銘の赤の他人だ!何が『家族』だ・・・俺はいつかあいつ

を家から追い出してやる・・・。レオ〜ンハルト共々な」

トムは電車賃を「恵比寿」まで、三人分購入した。

「・・・トム、レオンハルト君の事、嫌いなの?」

「まぁな。だって『ウゼー』だろ?」

トムは当たり前のような答え方をした。

「ちっともウザくないよ。レオンハルト君はいい人じゃないか。優しいし面白いしお金持

ちだし・・・」

ダニエルが言った。

「そうだよ!お母さんが『不二子ちゃん』だし、お父さんは『トランプみたい』だし、ソ

ーセージは美味しくて、焼いても茹ででも美味しいんだよ。僕はね、ベーコンとハムとソ

ーセージだと一番好きなのが多分・・・ソーセージかなぁ〜?あ、でもね、給食で昔出た

のはあんまり美味しく無かったよ。『ホグワーツ小学校』で僕が一番好きだったメニュー

はね、フルーツポン・・・」

トムがルパートの口を押さえた。

「・・・話、『脱線』し過ぎ!」

丁度電車が来て、三人は「山の手線の2番線」に乗った。



空席が幾つかあったので、トムはそこに二人の弟を座らせ、自分はもう少し離れた所に座

った。

少しでも弟達から遠ざかっていたかった・・・「連れ」だと思われたくなかった。

トムはすぐに目を閉じた。

しかし、何やら弟達の会話の内容が気になる・・・。

「今日の学校での、ウケる話」「新商品のお菓子を食べたけど、危うくゲロしそうになっ

た話」「『電王の最終回』はこうなるのではないかと言う、予想の話」・・・。

その話は静かな車内に丸聞こえで、辺りからクスクスと言う笑いが聞こえ始めていた。

二人は全くそんな事気付かないように、益々話しがエスカレートしていく。

トムは仕方なく席を立って、「ダニエル!お前、俺が今いた席に座れ」と言って、二人の

弟を別々に座らせた。

ダニエルはルパートから離れる事を嫌がったが、トムが凄い睨みを効かせたので、仕方な

くスゴスゴと従った。
(「兄の言う事を聞く」が、「池照家の家訓」だったからだ)

電車の中は静かになった。

それでもトムは、時々ルパートが自分にちょっかい出して来たりしてイライラしたが、完

全に無視して寝る事にした・・・いつの間にかルパートも静かになった。

 


暫くすると、ダニエルの「どうぞ!」と言う声が聞こえ、トムは目を開けた。

ダニエルは、お腹の相当大きな妊婦に席を譲ってやっていた。

「偉いね、ダンって。昔、お財布落としちゃった人にも、家に帰る電車賃の210円あげたん

だってさ」

「・・・見ず知らずのヤツにか?馬っ鹿みてぇ〜・・・。何でそいつも警察行かなかった

んだ?」

「行ったみたいだよ。でも貸してくれなかったんだってさ」

「・・・警察も確かに、昔みたいにパッパッと金貸してくれないからな。けど、あいつ人

が良過ぎだ。そいつの嘘だったかも知れない」

「わざわざ210円を、中学生のダンから騙し取るかなぁ〜・・・?」

「今の世の中、そういう奴はゴロゴロいる。でもうちは、『人の良さ』は遺伝かもな。親

父やお袋も人が良かったし、オリバーなんかまさにその典型だろ?!めぐみみたいな『素

性の知れない女』を家に入れるんだから・・・」

「めぐみちゃんの『素性』は、秋田だよ?」

「それは最近分かった事だろ?家に入れた時は知らなかった。でもな・・・話、さっきに

戻るけど、俺はめぐみをいつか追い出す。それにレオンハルトとも縁を切る。誰が何と言

おうと、俺はあいつらの事が好きじゃない。お前達も、そこんトコ良く覚えて置けよ・・・

って、またお前はっ!

ルパートがそのトムの声にビクッとして、ニタァ〜ッと笑った。

『ササクレ』剥(む)いたらダメだろっ!ほら、血が出てる・・・」

「舐めちゃうもんねー」

 


ダニエルがこっちに歩いて来た・・・そして、ルパートの前に立った。

「ま、何(いず)れ俺は『アメリカ』に行く・・・『ビジネス』を学ぶんだ。俺は今みたい

な暮らしで一生終える気なんてサラサラない。『池照家のお人良し』共とは、縁切るつも

りだ」

トムは意味有り気に、ダニエルとルパートを見つめた。

「・・・社会科の先生が『アメリカの株は大暴落する』って。『ビジネスの鍵は、これか

らはアジアが握る』んだってさ」

ルパートが突然、小難しい事を言った。

トムもダニエルも目が点だ。

「お前はど〜してそう、時々『頭の良さそう』な事言うんだ?!」

トムもなぜか、「ど〜して」が「小倉智昭」になっていた。

「僕はホントは頭がいいんだ。『お利口なトコ』を隠してるだけなんだ」

ルパートはニコッと笑った。

「・・・・・」

トムはダニエルを見上げた・・・ダニエルはただ笑っているだけだった。

どこまでがジョークなのか、トムには分からなかった。

そして恵比寿駅になり、三人は下車した。

 


デカイッ・・・それに、何たる優雅さ・・・。

ダニエルもルパートも・・・それにトムも入り口ですぐに口があんぐりし、アホ面丸出し

になった。
(トムはすぐに自分を取り戻したが、他の二人は、中に入ってからも暫くアホ

面だった
)

「タイユバイ〜ン・ロボション」・・・フレンチの巨匠「ジョビジョバ・ロボション」の

、「TOKYO支店」だ。


通常なら、池照家の兄弟達なんかが入れる訳の無い、敷居の高い金額の高い店だ。

見た目がまるで、外国のお城のような造り。

品のある佇(たたず)まい・・・豪華華麗なサービスと料理・・・それに、優雅な雰囲気作

り。

それでもトムは、なかなかスマートに見事な「エスコート役」を買って出て(大方、年上

女とのデートで色々慣れていた
)、二人の弟の様々な「『おっぺけ質問』や『不思議な疑

問』」に答え、三人のコース料理は意外にも粛々と進んだ。





料理を待っている間にも、「おっぺけ」な話しがあった・・・・・こんな内容だ。

「レオンハルト君は『ジブり』が好きなんだってさ」

ルパートが話し始めた。

「へぇ・・・・・あいつ、あんなの好きなんだ?」

トムは、レオンハルトの意外性に驚いた。

「特に『ウサギ』が好きなんだって!」

「・・・・・『ウサギ』?『ウサギ』、あのシリーズに出て来てたか?『豚』は出て来てたけど・・・・・」

トムが考え込んだ。

「『鳩』も好きって言ってたよね?」

ダニエルも話しに加わって来た。

『鳩』!?おい・・・・・それってひょっとして、『ジブリ』じゃなくって、『ジビエ』ってモンじゃないのか?」

「あ、そんな名前だったかも」

あはははは♪ちょっとした間違いだよね、ルパート?」

「・・・・・・」

トムは先が思いやられた。

ちなみに「ジビエ」とは、「野鳥」や「野うさぎ」「鹿」などを使った料理の事だ。

 


「あっ!オシッコの臭い!」

目の前に置かれた更なる料理を前に、ルパートがのたまった。

本日のセカンドプレート・・・「トリュフのパイ包み焼きスープ」だ。

トムは慌ててルパートの口を覆(おお)った。

クラシックが風雅に流れている店内には、品のあるカップルや夫婦が会食している。

運良く・・・ルパートの「その発言」は、誰にも聞こえなかったらしい。

または、聞こえたかもしれないが、セレブ達は軽くスルーしてくれたようだ。

トム・・・「ホッ!」

「『コレ』、レオンハルト君の家で出たヤツと一緒だよね?」

ダニエルが小声でルパートに喋って来た。

しかし、元より地声が大きいダニエル・・・他の人にとっては普通トーンの会話だ。

「僕、『コレ』嫌〜い!トム、食べていいよ」

ルパートは、自分の「トリュフのパイ包み仕立て」をトムの方に寄せた。

トリュフは通常・・・・・アンモニア臭を醸(かも)し出す、ちょっと鼻を刺激する臭いだったのだ。

「いらねぇーよっ!俺は自分の分食うだけで精一杯だ」

トムは小食なので、「自分の『コース料理』を全て平らげられるかどうか」で一杯一杯だ。

「安心してよ!メイン料理の肉は僕が食べてあげるから!」

ダニエルが悪気無く言った。


「ふざけんなっ!そこだけは絶対に食う!お前はこの『シッコ』でも飲んで・・・」


トムはハッとして言葉を止めた。

ソ〜ッと辺りに目をやった。

近くにいた給仕や客の何人かが、一斉に自分を冷ややかな視線で見つめていた。

興奮してトムの声のトーンが上がり、確実に何人かに話の内容が聞こえていたらしい。

トムが恥ずかしさに頭を抱えた。

 


最悪だ・・・!

                   


とんだ恥を掻いたトム・・・すっかり無口になって、黙々と食べ進んだ。

一刻も早く全ての料理を食べて、ここを出たかった。

トムは昔から格好悪い事や恥ずかしい事が、特に大嫌いで苦手なのだ。

取り敢えずはそれから、二人の弟達も「オカシな事」を言わずに楽しそうに会食し、いよ

いよ会計時となった。
(ルパートはトムの分のデザートも平らげた)

 

お題は、テーブルでお願いします」と書かれた紙を、外国人給仕の一人が持って来た。

どうやら、日本語が堪能ではないらしい。(日本のスタッフは、トムの先ほどの発言以降

、このテーブルを避けていた
)

「俺達、このチケットを持っているんですけど・・・電話でも言ってあるんですが・・・」

トムはすっかりショゲながら、友達から貰い受けたチケットを差出した。(外国人スタッ

フに、思いっきり日本語で喋った
)

「Oh!Sorry Ser.」

給仕は頭をペコリと下げ、去って行った。(どうやら理解してくれたようだ。しかし・・

・対応がイマイチ冷たい
)

「ねぇダン!この紙、『お題は[テーブル]で!』って書いてあるよね?」

ルパートが、紙に書いている「何か」を発見した。

「うん。『テーブルネタ』が『お題』・・・って事なのかなぁ?結構難しいね」

二人は真剣に考え込んでいる。

トムは最初、二人が何を喋っているのか分からなかった。

「『テーブルネタ』・・・ってどんなのがある?他のみんなはどんな芸を発表するんだろ

う?」

「気になるね・・・」

トムはやっと二人の会話を理解した。

「アホかっ!漢字を間違っただけだろ。『お代』と『お題』・・・良くある間違いだ」

「ここは『一流レストラン』なんだよ、トム?!間違ったりしないんだよ。ここのオーナ

ーは・・・密かにこのお題をちゃんと解いてくれる『凄い誰か』を待ち望んでいるのかも

知れないよ?!」

「うん、絶対にそうだ・・・」

ルパートの発言ダニエルが同調した・・・二人の瞳に「メラッ!」と火が点いた。

「やっぱお前は正真正銘の馬鹿だ、ルパート。聞いたぞ?少し前に『レインボー』の手伝いした時、『

領収書書いてくれ』ってお客に頼まれて・・・お前、相手に『宛名』何て聞い
た?」

「あぁ!あの話か」

ルパートは恥じた様子も無い。

「え、何々?」

ダニエルが興味を持った・・・この話を知らなかったらしい。

「こいつ、『新庚申塚、東町会』って領収書を欲しがったオヤジが『超・江戸っ子』で、

『ひ』の発音が『し』に聞こえたらしいんだ。で、『スイマセン、
[しがし町会]の「し」

はどういう字ですか』って聞いたって・・・有り得ないだろ!?」

「可愛い〜、ルパート♪」

ダニエルは拍手喝采だ・・・確実に「惚れ直して」いた。

ルパートは頬を膨らせながら、ジロリとトムを睨んだ。

「だって・・・本当にそう聞こえたんだもん・・・」

「『常識的に考えろ』って言ってんだ。ホント、呆れるくらいの馬鹿だよ、お前は・・・」

「僕は馬鹿じゃないモン!『お利口』なんだ!」

ルパートがムキになってきた。

「い〜や!お前は馬鹿だ。洗濯物の靴下に手を入れて、『パクパク』なんてやってるくら

いの大馬鹿だ!」(第八話参照)

「・・・・・////////

「やめなよトム、こんなトコで・・・。ルパートは馬鹿じゃないよ?謝りなよ」

ルパートは気の毒に・・・俯いたまま顔を上げなくなっていた。

「フン!ホントの事じゃねぇか・・・よしっ!何か『テーブルネタ』で、ここの客を沸か

せてみろよ。そしたら謝ってやる」

トムはなぜか、今日はいつも以上に弟達に意地悪だった。

さっき自分が恥を掻いたのも、元はと言えば「ルパートの発言」からだったからだ。

無理難題な事を弟に提示した。

 


ダニエルとルパートは、コソコソ何か相談し始めた。

「いいんだぜ、別にやらなくても。俺が謝んないってだけだし・・・え、おいっ?!

ダニエルとルパートがやおら立ち上がった。

周りの人々が一斉に二人に注目をした。

他のテーブルも食後のコーヒーを飲み終えて、「会計待ち」のテーブルが沢山あった。

「え〜と・・・みなさんっ!美味しいお食事は楽しめましたか?みなさんに僕達からの

出し物をお見せします!」

声の大きなダニエルが、最初に口火を切った。(よく「ドモらなかった」ものだ)

「ホントは『給食の時』にしかやった事ないんだけど・・・僕達、今日は一生懸命がんば

りますっ!で、トムにちゃんと『ゴメンね?』謝って貰いますっ!」

今度はルパートだ。

周りの人々は、ルパートの不思議発言に意味不明な顔をしている。

みんなはポカンとして二人を見つめていた。

フロアーからの大声に驚いて、厨房からシェフが何人か出て来て顔を覗かせている。

「おい・・・もう、やめろって・・・おいっ!俺が悪かったから・・・な?

トムは恥ずかしくなって、二人の弟達の腕を引っ張った。

二人はトムを無視した。

「じゃあ、まずはこのテーブルから行きます!ダン・・・そっち持って。いい?行くよ?」

「うん・・・」

トムは目を見張った・・・「何する気だ?」

ダニエルとルパートが、互いの目と目を見つめ合わせて「フ〜ッ」と呼吸を整えた。

そして・・・。


 

「せ〜の!」


 

バッ!

 

トムの顔が「ムンクの叫び」になっていた。

周りの人々も驚いた。

厨房から出て来たシェフや、給仕、オーナーらしき人物も口が開いていた。

ダニエルとルパートは、テーブルクロスの上に、まだグラスやら一輪挿しの花瓶やら、高

そうな皿が乗った状態のままで、クロスだけを見事取り払ったのだ。
(数年前の「新春か

くし芸大会のマチャアキ」だ
)

トムはまだ「ムンク」のままだった・・・心臓がドキドキで動けなかった。

なぜって・・・グラス一つにしたって、数万円はするであろう高級食器だ。

割ったら大変なのだ・・・「100均」じゃ弁償出来ないのだ。

 


「オ〜ッ!ブラ〜ヴォ♪」

「パパイヤ鈴木」似の外国人男性が、巻き舌で二人を褒め称えながら、拍手し立ち上がった。

すると辺りから大勢の拍手喝采が巻き起こった。

オーナーらしき人物は一瞬ヒヤリとしたようだが、客が喜んでいるので苦笑いだ。

トムは若干「ムンク」が残ったまま、辺りをキョロキョロした。

本当にみんな立っている・・・「スタンディング・オベイション」だ。

大勢の客を目の前に、物怖じしない二人の弟・・・。

ダニエルとルパートはテレ笑いしながらも、今度はその最初に立ち上がってくれた「パパイヤ鈴木オジ

サン」の所に行って、そこのテーブルクロスを取り払った。

「おい、ホントにもうやめっ・・・・」

トムの制止も空しく、こっちも見事に決まった。

また歓声やら拍手が沸き起こった。

二人は各テーブルを回って、順番にクロスを取り払って行った。

二人は、このお高いレストランを見事沸かせている・・・注目を浴びている。

しかも、まさに「テーブルネタ」の「お題」でだ。

 


トムは目頭を押さえて、テーブルにへたり込んでいた。

自分のテーブルに帰って来たルパートが聞いた。

「あれ・・・どうしたの、トム?お腹痛いの?」

「・・・何も壊さなくて良かったぁ〜・・・」

「え?」

トムの声は小さくて聞こえなかった。

「『馬鹿って言ってごめん』って言ったんだ・・・」

トムは安堵の為、暫し口を利くのが辛そうだった・・・下を向いたまま、顔をなかなか上

げなかった。




帰り際には、オーナーやシェフ、給仕やら他の客達から見送られて外に出た三人。

トムは高級店に彼女と食べに行っても、こんな経験は勿論した事がなった。

「特別な扱い」をされた三人・・・。

然(しか)も今回は、料金さえも払っていないのに・・・だ。

トムは、二人の弟達のように自分が果たして「楽しい食事」が出来ていたのかを考えていた。

周りばかりを気にして、味なんかあまり覚えていない・・・それが現状だ。

「恥を掻きたくない」と言う事に囚われ過ぎて、食事をする「本来のマナー」の方を忘れ

てしまっていたトム。

「たかが、ご飯屋さんだよ」「食事は楽しく」・・・二人の弟達は数日前からそう言って

いた。

そして三人は仲良く家路に着いた・・・やはり、我が家はいい。

オリバーとめぐみは、三人が帰って来るのを待って、「銭湯」に行こうとしていたようだった。

「銭湯用」の用意は、玄関前に整っていた。

トムは自己嫌悪に陥っていた・・・・・ルパートはそのトムの様子が気になっていた。

しかし、トムが始終押し黙っているのは、「きっと『オシッコのスープ』でお腹を壊した

のだろう」とルパートは疑わなかった。




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